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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2019年10月
2019年10月
リネン日記:14
2019年10月31日
30年ほど前までは、レコード屋というか、音楽CDを売っているお店があった。そしてビデオなどのレンタル屋さんもたくさんあった。また、カメラで写真を撮ると現像する必要があったので写真屋さんもたくさんあった。本屋さんにしても同じ。情報というものをかつては形にしたことで価値が生まれていたが、それが形のないものになり無料になりそれらを流通させる商売が成り立ちにくくなりつつあるというか、自分でできてしまうようになったりインターネットの中に取り込まれてしまった。デジタル社会やインターネット社会が変えてしまったのだろうと思う。メディアの本体の情報というものはあってないようなものだと思う。それに価値があるといえばあるしないといえばない。空気も無料だが、人間にとって一番大事なものが無料に手に入るのである。

ときどき、コピー機リースの営業の電話が掛かってくる。安く導入できるという話、もうコピー機は満足できるものがあるので必要なく無料でもいらないという返事をしたり、どうしても置いてほしいというならお金くれるなら置かせてあげてもよいというと、そういうセールスもなくなる。コピー機がややこしいのでなく、そういうセールスの人間に仕切られたり縛られることが余計にややこしい。

私自身は物を大事にしたいとは思っている。新品じゃなくても人の使ったあとの中古品でも私自身は満足なタイプ。まだ使えるものを捨てるのはもったいないなあと思う。買うときには長く使えるもの、あるいは、長くリピートして使えるようなものを常に探している。なぜ、私がそんな風になっちゃったのかというとたぶんアメリカに行ったことが大きな影響。日本の大学生のころは新しいものに目移りばかりしていた。アメリカに行って、中古のものでもそれなりに値段が高いのがびっくりした。たとえば、中古の教科書なんてあっても友達や先輩から無料でもらうものだと思っていたが、アメリカでは40ドルの教科書を中古でも30ドルで売っていたりが普通。中古なのに高いなあという印象。

自動車ももうすぐエンジンをなくしモーター化して電化製品になる。家で充電で、ガソリンスタンドも不要となる時代がくるだろう。コンビニの駐車場がトイレと同じで、無料のガソリンスタンドとなる可能性もある。他の人と同じ感覚になると仕事というものは成り立たなくなるもので、他の人と違う感覚をもってやっているから違いが生まれ自然と残れてゆくのだろうと思うし、常に基本のことをしながら新しい流れを自分で作ってゆくような形だと流れに飲み込まれるようなことも少ないだろう。
2019年10月20日
今日は、集落の防災訓練、避難訓練、ドローンでの情報収集、煙体験、非常食試食、放水訓練の実演などを体験してもらったり見てもらったり。今日、本当にすごいなあとおもったのは、農家の親戚の78のおっちゃん、非常食というのがやはりそれなりの味なので、その味を批判するようなシチュエーションだたので私が非常食を批判したらアカンでというと、その意味を即座に感じられたところ。農家のおっちゃんだけに、コメの味にこだわってられながらも非常時の食べ物の本質に対する私の指摘に瞬時に適切な反応。頭が下がるくらいにすごすぎるのである。多分、非常時にはあるだけの自分のコメを無償でみんなに出されるようなおっちゃんなのも私は分かってる。突っ込んだ私が自分の中で少し後味悪かった。

1990年代に、日本のコメ不足の時に、タイ米を輸入したことがあるが、日本の国民がコメ不足で食べるものに困っているときに、一番味が合いにくいタイ米を、外米はまずいという印象をあえるために輸入した日本の農業行政、たぶん、それがカリフォルニア米だったら、外米はおいしいということで日本の農業行政が揺るがされるという危機感だろうが、日本国民が食管制度のあおりでコメ不足なのに、まだ、メンツにこだわる農業行政というのは、メンツが先に立って目の前の人の命の危機すらも見えなくなることがあるのを私は心配する。ネッスルが震災の時にミルクを提供しようとしたがそれがコナか生かで日本の国が断ったということ。ネッスルからすれば今までで日本だけというあたり、国民が食べるものに飢えてしまっている状況でまだ、違法か、人が死ぬかで、違法であることを盾にする。一方で、放射能汚染の基準値は即座に20分の1に引き下げて電力行政は違法でなくする。

おっちゃんはそういう馬鹿どもと違って、食べ物のありがたみを作っている人。町の農業総代なんかもされてる方で、腰も曲がっても地道に毎日仕事に励んでおられてすごい人。また、私の一言にも適切に反応されるあたり、怖すぎるほどに人間が出来ていて本当に見習いたい人間性を持っておられる。私もハイレベルなものをつくってたいという気持ちはあるけども、やはりものをつくる本質というのは、偽装などは別としてほかの人が正直につくったものを馬鹿にするまでになるとどうなのかなあと思う。

日本の人にしても中国産だと高く買わないけど、日本の業者は中国という要素を消してヨーロッパ産に化かす風潮があるけども、ヨーロッパのブランドの多くが中国産でないともう本国では高品質なものはつくれないのは、日本も近いところに来ていると思う。糸関係なんかも、日本の糸も中国の糸の水準に落ちてきてしまっているし、シルクなんかでも量産の紡績糸は国内銘柄も一つ残っていたけども品質面からして中国銘柄に負けてしまっていての判断が業界でもあったりする。中国の業者は自分仕事しているから自分の糸に誇りを持っていて、ヨーロッパの糸と化かすことはないのだが、かつてのヨーロッパ紡績企業のブランドネームがそれについて、ヨーロッパの糸として化けて流れるとか。日本の業者やヨーロッパの業者の産地偽装での金儲けの標的は日本や中国だったりする。

中国の展示会でも、イタリアブースで中国のバイヤーたちがイタリアの生地メーカーの生地にあふれかえっていても、その生地が中国で作られているものだと知っているものは少ないだろうし、それを知っても、ヨーロッパ生地としてうればもうかるとなれば知らないふりで、イタリア生地としてながし、中国の消費者にはイタリア産の生地を使用しているということになる。イタリアで一番有名な生地メーカーが林与の生地を3年以上にわたって、60点、70点ほどサンプルが欲しいというリクエスト、日本でも3mで10万円クラスのイタリアで一番有名な生地メーカーでも、単なる世界一のサンプル泥棒に過ぎないあたりがヨーロッパ生地の現状の一つ。そして一番イタリアで有名な生地メーカーはサンプルリクエストしても生地は買わないというサンプル泥棒としての日本の生地メーカー集団としての定評が日本のアドバイザーも含めあって、私の中では、イタリアで一番有名な生地メーカーは世界で一番の生地サンプルのパクリのが仕事のパクリ屋さん。イメージと生地メーカーとしての本質と差が激しすぎる。世界的に大手の生地開発は他企業の種をパクるのが仕事みたいな辺りで成り立っているのが至極残念そのものだが、業界の世界的な大手にパクられるようなものをつくれるくらいでないと小さな企業としても難しいのだという繊維業界の現実。
2019年10月19日
昨日の夜には、シャトルを挟む問題が解決できたかと肩の荷も落ちて、ちょっと休憩気味に朝を迎えた。今日はよいスタートを切って午前中いい感じで動いていたと思いきや2度3度シャトルを挟む問題が、どうしてもシャトルの杼替のカムがうまく止まらず、杼箱の高さが若干高めに、シャトルはうまく杼箱に入らず、ピッカーがそこを打つとか。

犯人は誰だ?ピッカーの2本あるロッドの片方がグラグラしているのが気になって、それが回転したときに弓なりが山なりになって、シャトルが戻るのを邪魔する問題があるのに気がついた。で、ロッドを固定するために、ロッドのお尻をビニールテープできれいに巻いて、ロッドがぐらつかないようにロッドを固定したら、非常に安定して動くように戻った。

一度ピッカーを挟んでしまったときに多分、ピッカーのロッドが歪んでしまったのが原因だろう。他のところはほとんど触っていない状態でその原因に気がつくことができ、シャトル織機の他の部分の調整が崩れることなく、元の調子に戻ったことは幸い。

午後からは巻いたビームを織機に載せてつなぎ始めた。今日は半分くらいまで終わった、明日は、避難訓練だけども終わってからつないで月曜日から織り始めることができるだろう。織っているものがきれいに織れないと織らないほうがましなことが多い。織り上がったものが問題が多いときほど何倍もの苦労をして織っているのだが、努力を評価してもらえ、問題の多い布を喜んでお金を払って使っていただけるということはほぼありえない。

自分が織ったボロボロの布をどう活かすかを考えるのは林与自身であることも多く、染めてみたり、縫ってみたり、捨てずに割いて紐にしたり、つなぎ布にしたり、量が多い場合には生地としてそのまま生かして自分が使う方法を考えることもある。問題があるときに1m織るのに何時間も使っていることが多い、ある意味、自分に取ってはより価値のある仕事の記録。
2019年10月18日
今日は朝から調子よく動いていた織機が噛んでテンプルバーを固定する鋳物などが割れてしまって頭の痛い話。鋳物を上手に溶接できるところはもう少なくなっているとのことで、やっぱり溶接も自分でやったほうがよいのだろうかと資格を取ることも考える。周りには資格を持っている人が居るのでその人たちに頼ることもできるがガス溶接ということでそれなりに設備が必要。織機を修理するだけに溶接設備を持つのもとおもうが、鋳物だけでなくステンレスも溶接したいと思う案件があったりして設備を持ったほうが良い気がする。

スタッフの子と二人で、作業が続く、午前中は動画にとってスロー再生して原因を考える。大体の問題はスロー再生を見ればわかることが多い。今回の問題は、たぶんこれだと思う調整方法が通用しないタイプ。午後からも引き続き作業を続け、結局夜7時半まで、シャトルを20回くらいは挟んで杼箱も何度も外して修理しながら原因を考える。杼箱の周辺の問題なのか、それとも杼替メカニズムの問題なのか、結論はベロではないかという私の予測。

ベロとは板バネのことで、板バネの力が弱く、杼替えするときにカムが勢いがつきすぎてオーバーランしてしまうのが原因ではないのかと。とりあえず、板バネを2重にするなどして、タイムアップで、一旦切りはつけて後は、林与自身の宿題。織機の修理というのは相対的に考えることも大事だけど、絶対的に考えることも大事。私が織機が動いているときに、絶対におかしいと思うことや、気持ち悪い感じなどは、絶対的なところで、相対的な世界というのはほかの織機などとの比較で考えてゆくあたり。
2019年10月16日
そろそろ太陽光発電の実態が見えてきたあたり、儲かるという想定で付けても設備投資費用と撤去費用、メンテナンス費用を考えるとトントンな程度で、業者が一人勝ちのモデルが多いようである。電力会社が太陽光発電を自分でしないあたり商売としてはメリットがないというあたりだろう。これからはそういう太陽光発電した電力を大型のリチウムイオン電池に蓄電して家の電力を賄うというモデルが増えてくるだろうけども、それもどうやら業者の一人勝ちに終わりそうな流れ。これもまた電力会社が各地に蓄電システムを作って電力を供給しようとしないことからも、商売としてはメリットがないという話だろう。

大型のリチウムイオン電池の寿命は順当に使って3年から5年くらいで、80%とかに落ちてくる。それが100万円ほどする代物だから、100万÷5は年間20万円の電気代なら回収できるかもしれないくらい。年間210000円÷1kwあたり30円=7000kwほど。一か月あたり、580kw程度のお家なら電気料金がうまく行けば基本料金くらいで賄えるようになるとかだろう。問題はエコの観点からみて、エコなのかどうか。リチウムイオン電池を5年で取り換えることの環境負荷は小さなモバイルバッテリーの比じゃない。でも、リチウムイオン電池も寿命が10年とかになれば、それを15年使えば環境負荷は小さくなるだろう。基本、電力の発電に依存せず。一生で数回のリチウムイオン電池の交換で済むなら自分の家の電力を太陽光と蓄電システムで供給できるのは良い話じゃないかと思う。

よくあるビジネスモデルで、プリンタは1万円で、100枚も印刷すればなくなるインクがが6000円とか、プリンタは2万円でインクが1万5千円とか。関わったらプリンタビジネスのカモ状態とかも多く、数枚の書類をつくるためにインクセットを新しく6千円で買ってセットとかもよく見るが泣ける光景で、そんなプリンタはやっぱり使い続けることはできず、買い替え対象になってしまってエコじゃない。互換インクでプリンタを長く使うのがエコだろうと私は思っているタイプなので、プリンタの寿命までプリンタを使いたい派。多少かすれても許容範囲で冊子を作ったり、既成的な概念を超えたことをするところにエコな世界があることも多い。

小学生の頃にコーラーの瓶の10円での買取制度、小学生ながらにすごく感心した。処分するのに困る瓶をちゃんと買い取れる制度。今はリサイクル料をとるとか逆の話。コーラーの瓶の場合も最初に瓶のリサイクル代金10円が含まれているだけなのかもしれないが、昔のほうがうまく物事が回っていたと思う。今のスーパーやコンビニじゃ対応もできない話。小さなお店でも、いちいちレシートを出して対応していたらお店も成り立たない、返金にレシートなど不要だった時代のシステム。10円で買い取る手間というものを掛けても回収してその瓶を洗浄して再利用する。今は缶でも瓶でもペットボトルでもゴミでしかないけども、1回使うだけに作る。中身の価値とそとの入れ物の価値、そして運搬とか販売とかの価値。飲み物というのは中身を買っているんじゃないと思うのはその辺り。また、味を工夫した清涼ドリンクよりも、水やお茶のほうが売れているというのも、飲料メーカーにとっては厳しい時代だろうと思える。

太陽光発電で大きな問題となるのが太陽光パネルや設備の廃棄物問題。国がだらしないことして被害者を増やし訴えられたPCB問題と同じく、太陽光パネルには有毒な物質が多く含まれる、カドミウム、シリコンなど、将来的には水銀やPCBと同じく、古い太陽光パネルも強制的に買い替えさせられるような話になるだろう。水銀も目の敵にされているがLEDの中にもシリコンなどが含まれ環境負荷に対する評価は微妙なところがあるが、LEDの寿命は5倍くらいあるあたり、消耗品のような水銀を含む蛍光灯よりも環境負荷は小さいだろう。太陽光パネルにしても、国が法をつくると1軒当たりの撤去処分費用が100万とか200万とかになりがち。太陽光を上げた家は太陽光パネルの撤去を迫られて撤去できなければ売却するとかの話になったときに売りにくいとか。将来は、無料で貰ってくださいの寿命の来た太陽光パネルのついた家も増えるだろう。結局、太陽光発電も、トータルでマイナス運用も国の法律次第ということになる。作るよりも処分するほうが金が掛かる時代、成り立つのは儲け話で持ち掛ける業者だけという詐欺的な想像を国が支えてしまってのエコ推進はエコの概念としていかがなものか。
2019年10月15日
小学校のイジメ問題でも、どうしようもない年寄り連中というのはいるもので、そういう連中が牛耳ってるとやはり駄目で、そういう連中を直すことは難しく排除するしかないだろう。ほとんどの判断が間違った方向に動いて、権威的で隠匿的にものごとを進めようと企む。教育の現場で目も当てられないような行為だが、私も昔、小学校の偉そうに説教する校長があまりにも力が足りないのを実感して、まともな子供たちが本当にかわいそうだなあと思ったことがある。そんな校長はいないほうがマシというものである。

繊維業界も酒を飲んで仕事みたいな時代があったけども、酒の絡まないSPAの物づくりのほうが成長したのもそのあたりが理由だろう。まともに変わってゆくときに、まともな流れについて行けるのかというと、なかなかそれは難しい。酒を飲んでばかりいた人間が仕事ができるのかというと体力的に弱いだけでなく、精神的にも弱すぎて一つの作業も我慢してできない。それだけでなく周りもそういう人間ばかりを増やしてしまう。大手SPAが若い世代を中心に健全な精神でのものづくりで伸びているのは日本の繊維業界にとって悪いことではないと思う。

大手SPAにしろ正規雇用を基本にしはじめて、あと30年経てば60歳を超えた人が大勢を占める会社になる、その時には旧来の繊維産業と同じく、仕事が面倒になった世代が若い世代を食いつぶすような構造が生まれるだろう。日本的な旧来型の体質になってしまうと終わりなのである。優良企業的な社員の時間給5000円を超える商社とかは20代30代が活躍する職場というのは、40代で早期退職や出向が当たり前だったりする。そのホワイトな5000円の時給がどこで生まれてくるのかは、下からの吸い上げによるブラックな要素。ホワイト企業がブラックな要素の吸い上げで成り立ちがちなのは、ごく当たり前のことだが、どうしてもカネという視点からすると見逃しがちのあたり。

繊維関係では、実際に現場で仕事をする人の数というものが少なくなっているが仕事をしないで指図する人ばかりが増えて、そこに余計に負担が掛かってくる。指図するのは5分10分だが実際に仕事するのはその10倍とか何十倍の時間が掛かるものである。実際に仕事している人というのはなんとか成り立たせるようなエキスパートだけど、指図する人というのは作業を一つに固定したがってそれが失敗のもとになりがち。たとえば、断水の地で、自衛隊が水の供給をするというのを現地の人間が受け入れられないとかバカが起こるのもそのあたり、人が多くて余計に本来の目的が達成できない話。できる人間なら指図するときに、自衛隊と町の両方に指図出してどっちかがうまく行かなくても早く水が届くようにするのが大事。水がダブって文句いうやつがいたら馬鹿。ゼロの可能性がワーストで、ダブるのは対して大きな問題ではない。指図している人間にとっては自分が仕切れないことにムカムカするとかの辺りだろうけど、そんな輩は向かないので最初からそういう立場から外しておくべき。

大川小学校の問題でも、津波なのにマニュアルに従って山に逃げずに飲み込まれる。正しいことをしても駄目なときが多いのも想定をしておかないといけないし。悪い結果が置きたときにも、自分は責任がないでは、マニュアルそのものが諸悪の根源で、現場の個人だと適切な判断ができるが、人の命を考えていない人間がマニュアルのほうが大事となると緊急時には会議室で決まった話に縛られて現場で津波に襲われて死んでゆくとか、津波のときに閉門作業で危険をしらされていない自警団が津波に飲み込まれて死んでゆくとか、マニュアルや指図作ろうとする人がなぜマニュアルや指図をつくろうとするのかは、結果が悪いときの責任逃れするためだったりもする。緊急時にマニュアル通りにうまくいくことはまずないから、最新の飛行機でも1度ならず2度落ちる。飛行機に問題がないという想定でのマニュアル。飛行機に問題があるときにマニュアルは意味がないのである。大津波が来るという想定のマニュアルならよいが、大津波を想定していないマニュアルなら、大津波が来たときにはそのマニュアルが人の命を奪うこともある。情報を握っているものが正しく情報を流さないとならないのに、その情報を流さずに人の命を奪ってしまう。マニュアル作ったものが責任感じてたら、自分の責任認めるだろうけど、責任感じない人間がマニュアルを作っている。
2019年10月14日
水害で思い出すのが、私が3歳の頃、記憶では雪一面になった道を2つ上の姉と二人で三輪車で出陣した。いつもよりも広くなった広い道、それが雪ではなく、台風で一軒隔てたところに流れるアンコ川から溢れ出した水で集落に水が氾濫。家から50Mほど離れた角の深みにはまりこんで、姉が家に助けを呼びに行ったのだが間に合うはずもなく、遠くの方からそんな天候の中を親戚の20代の女性が見ていたことで、拾い上げてもらって命拾い。それ以来、水泳は苦手なほう。

今回の台風でも平地でもやはり危険だなあと思う。アンコ川も直線的に改修されて氾濫しにくくなったが、どの家も70CMほどは上がったところに家が建てられているのが昔から水害の危険に面してきた集落の姿。台風のときなどには、道が水路に変わる。農村というのは村中に水路が張り巡らされ成り立っている。何十倍もに水が増えたときにはあふれるのも仕方のない部分で、水を絶って農業を諦めるか、それとも水と付き合うか。

自然からすれば平地というのは水害時には水が溜まる場所、川にしても普通なら川底に石が溜まって、側面の土も川底に溜まって、平たくなって、川の流れというものが固定的ですらないのが普通。昭和の時代に、池や沼地が埋め立てられて農地や宅地に変わっていった。水害は例外的なもののように思えるが人々が作り上げた文明のほうが例外的なもので、その上に人々の日常の生活が成り立っているだけのことなんだなあと、今回の台風をみて思う。

救助の際に、ヘリから人が落ちてなくなったということもあったが、救おうとしても失敗することも当然あるというところ。隠したりせずに自分たちの失敗を認めるも立派だと思う。ヘリで救助するのだから当たり前に落下事故は起こりうるということも想定はしておかないといけないことだとは思う。実は一人より、二人で作業をすると余計にこういう事故が起こりやすいということも現場ではよくあること。一人で作業するよりも二人で作業するほうが確実だと思うかもしれないが、二人で作業するほうが緊迫した中で伝達という部分が増えてくるので、事故は起こりやすい。

今日も集落で防災訓練があったが、字の防災担当は自警団ではなく、80歳近い方々の防災チームで動いてもらうのも気の毒な気もする。でも、仕方のないことだろうと思う、私も50歳だが、若い世代に助けてもらうようなことを考えていても次がいないという田舎の事情は、早く理解していないと若者の田舎離れは加速する。何事も自分たちで解決してゆくことが大事で、立場の弱い能力の高い若いものに雑用的なものごとを背負わせてばかりでは全体的な集落の力も落ちてしまうだろう。農業やってる親戚のおっちゃんとちょっと話しした78で背中が曲がっていても仕事されている、若い頃は勢いもあった方だけど年取って静かに仕事や世の中の雑用部分を黙って支えられていて立派だなあと思う。曲がった腰は健康の証でもあるのかもしれないと思う。もうひとり近所に曲がった腰のお爺さんがいてその方も勤勉な方で立派に蓄財もされて小さなことも自分でいろいろと動いておられる方で、普通のものはなかなか足元にも及ばない。
2019年10月13日
川というのは低いところを流れているというのは逆であることが多い。川が高いところを流れている場合が多いのである。それは古代から治水工事をやってきた結果、人が済んでいて農業がおこなわれてきた地域の川というのは、天井川となっている。人が住んでいる平地というのは、治水し人工で作り上げなければ、川というものは常に低いところを流れ安定せず、沼地を伴って存在するのである。山があり、ほとんど平地がなく湖が広がるとかが普通で、台風なんかが来て雨が降れば自然と平地というものは川の一部として機能するのが自然の姿。古代の統治者たちが山の上に住んでいたのも、日本の自然からすれば災害が一番少ない場所だったからというあたりであろう。

滋賀県は琵琶湖を持つが、本来は自然の中で平地という概念は持たないほうがよいくらい、山か琵琶湖かだけの世界が自然の滋賀県。江州とよばれるのも、琵琶湖に切り立った山があるのが江州の風景なのである。人の力というものは自然の風景を完全に変えてしまうほどに大きく、だが自然の力がそれをリセットしてしまうほどの力を持っていることは自然なのである。今回の台風19号では決壊せずに済んだ川もあったが、決壊寸前だったというだけでかなり弱ってしまっているだろうなあと思う。台風の進路としては珍しく関東を襲ったが、気候の変動でこれからの台風は関東を襲うものが増えてくる可能性は高い。家が浸かってしまうとか人生ではありえないほどの被害を被られる被災者の方々。自力で立ち上がるのは難しいほどの話だろうと思う。

これから電気自動車の時代に移るが、電気自動車はバッテリーが水没すると爆発するというのが当たり前。そういうデメリットはニュースにはされないのが行政も含んだ産業振興の構造。2年前の神戸での自動車火災もあり得ないほどにひどいものだったが、ニュースでその原因なども伝えられないまま終わるのが危ない話だと思う。電気自動車にも通常のエンジン自動車にはない大きな危険性があることを消費者が知っておくことは人命を守るうえでも大事なこと。電気自動車は水没するだけで爆発し火災につながる危険性が高いのである。必要なものかもしれないが、そういう危険性は隠匿され推進されるべきではない。
2019年10月12日
マイクロビーズ問題を考えるときに、自然に帰るプラスチックというのは、衣類に関してはやはりあんまりよろしくないものなんだなあと思える。プラスチックはプラスチックとしてしっかり長持ちしないと、洗濯するたびにマイクロファイバーが流れ出し、水生生物の体内に蓄積されてゆく。そしてそれが食べ物として人間の体内にも蓄積されることになる。環境破壊問題を論じるこういうロジックが私は好きじゃない。人間に被害がくるから環境を守れというのと、人間のための環境破壊というのは表裏一体の同質の考え方だと思うから。人間の都合を優先する考え方こそが自然破壊の元凶だろうと思えるのである。

環境問題を考える国が戦争大国だったりもして、環境が環境として論じられるのではなく政治問題として論じられ始めるとややこしいのが原発とか、世界的にも環境問題の観点から考えると一番やばい原発が地球環境を守ると世界的に推進されたこの20年ほど。日本の原発も人の力の足りなさがあってメルトダウンしてもチェルノブイリ化しなかっただけ、人の考えることは放射能の海への流出を止めてチェルノブイリ化の方向。そして、こんどは、トラック輸送でそれを日本中にばらまくような計画とか。できないことをその場しのぎの金儲けばかりに利用してしまうのが日本で、そういう連中も原発利権問題の一つ。

日本がみえていないのは、福島のような問題があったのに、その後も国を挙げての原発ビジネスを世界に展開しようともくろんでいたこと。東芝がつぶれたのはそういう国との癒着部分で成り立っていた部分が大きかったから、天下りの受け皿の一つが消えたことは良い側面である。日本は原発のメルトダウンでも露骨に国民に隠す体質でチェルノブイリ以下、地下水から放射能が漏れだすような人の能力の問題がなければ石棺化が必要になったのである。6か月後にレーダーが311のあとすぐに放射能漏れを感知していたという公表。日本の政治家や原発行政、電力会社にとっては、人の命の安さというのはどうしようもないレベル。原発の安全を守る保安院が水蒸気爆発と隠匿発表。メルトダウンしているのに、原発内に知らされずに残された現場担当者。福島の所長は、原発事故とは関係ないということだが他から見れば被曝が原因とみられる1年での死に方、癌での死に方が速すぎたから原発事故とは関係ないという。なにも思い当たるフシのない癌での急死とは、塗り固められた綺麗な原発だが、海外は途上国ですらも日本の原発はダタ同然でも要らない判断。
2019年10月09日
自分で作業をしているとうまく行かないことが多い、ほかの人に頼むということも普通は99%の人がやってしまうこと。自分でできることであっても99%の人がほかの人に頼むのが今のものづくり。ある生地のお店の女の子がどこか縫製できるとこないですかとかの話、みんな学生の時にはミシンも使ってた人たちなのに大人になると他人事。自分が縫製すれば済むだけだけど、自分で手掛けて売る大事さとかも積み重ねないとと思う。

私が思うのは自分ができて自分がもっと高度なことをするならありだろうけども、できないのに頼むのは単なるお客さんでしかないなあと思う。若いころ年配の人が簡単なことも面倒そうにいうのが多くて、頼むのが本当に面倒で自分でやったほうが簡単だけども、仕事なのに面倒だとかほかの人にやってとか、そういう人というのは結局は養われる側で、簡単なことも最後は嫌がってやらない。

昔、親戚のおじさんでも仕事に来ても半分以上の時間外でタバコを吸っていて、私がまともに仕事したいと思いながらやることだらけでどったんはったんしていながら、タバコを吸っているので織れた布をたたむ仕事を頼んでも、わしがやるのかと、先代と同じレベルの仕事の感覚で、仕事を何十年やってても仕事の基本も理解できない話。年取って一番できなくなってそれでいて他の人に仕事の面倒をみてもらってがみえてずに勘違いな態度。田舎の爺さん婆さんの世界で、そういうどうしようもない世界は解決は難しく、なくなったほうが良いのである。

日本のものづくりというのは途上国以上にヤバいと思うのはそこで、田舎的なものづくりというのは腐ってしまっていることも多く、やらないだらしない。経験者が失敗ばかりでそういう経験が何十年というだけでいつか成り立たなくなる。私が年配の人間に厳しいのはそこで、この仕事に入ってまともだなあと思うのは少なく、他の人を喰うだけの人が多すぎて、日本の繊維産業の縮図そのものなのである。

繊維をプロモートしようとするひとでも、実際には繊維業界におんぶにだっこされて、養われている側が多い。出荷の梱包ひとつでも上手にできなくてもよいけども、やろうともしない人が、繊維業界を仕切ろうとしてはだめで、FAXひとつや、指図一つで仕事ができているかのように思っているのをみて本当に大きな子供だなあと思う。

大手のSPAが元気にものづくりできるのも、実際は素人だからというところ。ほとんど良い状態のものに文句をいってやり直させるだけのことが素人のものづくり、そんな人たちが軽くしか関わっていないからまともなものができているだけのこと。実際は、それで生きてる本当の人がつくったほうが売れたりする。変な形のパンツが格安に流れてしまうのもそこ。安いからうれるだけでそんな変なコーディネイターがいないほうが高く売れる。メーカーはまともなもの持っていって、デザイナーがそれに味付けで安物になってしまうんじゃあないかと思うことも多い。

日本の大手の電機メーカーも近いモノづくり、企画する人がお客さんのように仕様だけを出して、それを形にするのは別の人というのはありかもしれないけども、部品の一つ一つはそれなりでもそれを統合すると問題がみえてくるものである。そしてその問題解決もその部品の担当にダメ出しや変更、改良を強いるとか。そうじゃなくって仕様通りにつくって後で問題が出てきてきたときには企画の問題なのであって解決する力が必要だけど、いろんな要素をくみ上げた時の問題が想定できる人でないとパンクしちゃうだろう。でも、企画するっていうのはそのくらいの覚悟がないとと思う。
2019年10月06日
今日は、自治会の運動会、自治会といっても200軒ちょっとの集落で、参加人数は400人程度だろうか。隣のおっちゃんが気配りタイプなので、7時集合の話で6時40分出発が、なぜか6時半くらいに先に運動場に行かれたような話。気が焦ってしまうんだろうなあと思う。

私の場合には、行って実際に物事をするのかどうかの部分が大事だと思っているので、運動会にしても普通の日常と比べるとリクレーションそれほど大した1日でもないが、行事になると田舎の人は張り詰めすぎていて、来年、再来年は体育委員も当たるけども、6人もいればほとんど準備なくてもできるだろうし、準備の時間もあるのだから。

昔はこういう行事になると仕切りたい屋がいて、指図したがりタイプもいたけども、今は集落も落ち着いて、ごちゃごちゃいうものもいないので、変に気を遣わずに行事が進む。まあ、林与の先代辺りも集落で一番の酒びたりみたいなタイプだったので、そういう一人が居なくなると全体も健全化の流れに変わる。運動会といえば朝からおっさんらがビールばかり飲んで口うるさい説教とか聞かされたりと若い者にとっては嫌な気分の田舎行事という要素が今はない。ビールも昼に缶ビールひと缶程度、この10年ほどでだいぶ雰囲気も変わったように思う。
2019年10月05日
農業や織物というのは慣れの世界だろうと思う。それほど大したことをやっている訳ではないけども、正確さが要求される力の入れ方一つにしても慣れている人というのはほんのわずかな力で済むし、慣れでほとんどの作業を考えもせずにやっているだけの部分がある。完璧にこなすことが大事で、完璧に100点でできずにやり直しとかだと、最初からやり直すとか、ほかの人がより難しいやり直し作業や片付け作業をこなす人が必要なことになる。

経営なんかもその感覚でやっていると、経験が長くなればなるほど力を抜いて経営することになって、うまくできているようにおもうけども、実際は軌道修正も難しくなって成り立たなくなった時には、経験は長いのに、ゼロからスタートみたいなことも難しい体質になってしまっている。

日本の繊維業界も中国などの織物を品質が低いと笑っていたことが多かったけど、日本が自分でものづくりしなくなって中国のお客さんとなってからは、新しいものも中国から出てくるし、日本の一流メーカーの工業製品が中国製が大半になってしまった。日本の一流メーカーもなくなっても実質はもう中国メーカーだったというあたり。最終製品自体は組み立て作業で、ようは、そのパーツの部分をどれだけ作れているかというところが大事なあたり。

最終製品を自分の名前でつくるばかりにあこがれてややこしい部分をほかの人に頼んでいるといつのまにか、その人はいなくてもほかの誰でもよい話で、メインはややこしい部分をやっている人なのである。タイタニック号も、石炭を24時間炊く仕事の人はちゃんと炊いていたのに、一番花形の航海士がミス。航海士も石炭を炊く仕事をローテでやってたら、そんなぬるさはなかったろうにと思う。石炭投入のおっさんのほうが重労働で大変な仕事。

今日は午後から明日の運動会のテント立て、20人ほど人が集まるので1時間ほどの作業でそれほど大変な作業でもない。人が多かったころの神社の祭りと同じく、田舎の農業の作業や織物の作業に近いだろう。こういうのが成り立つのもあと10年あるかないかだろう。

慣れで作業している人というのは、テレビを見ながらのながら作業みたいなもので、仕事だけど仕事に思えない程度の作業の繰り返し、そこで成長が止まって年を取るごとにスピードも遅くなってできなくなるが多い。慣れで行う作業で余力を生み出して機械化するとか高度なことに移っていかないと仕事としては成り立ちにくいのも当たり前の話である。機械化すると作業をもっとしなくなるので、機械化したときにより余力を高度なことに向けられるとよいのだろうがと思うが、それは、ほかの作業を並行してするとかでも十分だろうと思う。

機械化してしまうとどうしても気が抜けてしまうもので、そうなると通用しなくなった時にはもう人材面がどうしようもない状態であることも多い。経験者が、ゼロからの人にも負けてしまうのはそういうあたり。
2019年10月03日
ヨーロッパのリネンの有名な国のブランドさんや糸商さんと話して、ヨーロッパもモノづくりが本当に難しいのを感じるばかり、イギリスの一番有名な生地ショップさんや、オランダの一番著名なデザイナーといわれるデザイナー、フランスもいろんなアパレルさんとコンタクトして、なかなか良い素材が国内では見つからないという話。でもでも、世界でも一番くらいに無茶苦茶お金を使ってでも特別なものを作りたいのは日本人だったりして、私のお客さんの生地屋さんは自分の思いを詰め込んで予算度外視で生地をヨーロッパ企業に発注されているところが多い。日本に来ると、現地の生地代金と同じだけの航空運賃が掛かるのが普通で、普通に販売しようとすると元の仕入れ値の3倍くらいになって売るのも難しい。

現地で1000円の生地が日本では3000円、現地で2000円の生地が6000円でも苦しいくらい。だから、ヨーロッパの業者さんからすればヨーロッパでも普通のリネン生地しか普通には出回っていないので、日本のものづくりを評価して、日本から生地を買いたいと思う要素があるんだと思う。生地を買うも作るも同じ思いなのであって、林与のお客様というのはかなり無理して自分が在庫抱えながらでもヨーロッパの企業ににオリジナル生地を発注されている方も多い。林与の生地の原価のほうがヨーロッパの仕入れ値より高いといわれることも多いがそれは当たり前なことで我慢してもらわないとと思うところがある。海外の展示会に行ってもヨーロッパの生地よりも高いといわれるのだけど、それが少し高いじゃなくてヨーロッパのリネン生地の2倍とかも私自身は分かっている。ヨーロッパ企業がヨーロッパで本当に作っていたら林与と同じくらいの生地値になるのが普通だけど、なぜ、ヨーロッパ企業の生地が1m1000円で出てくるのかというあたり。ヨーロッパの銘柄のリネン糸にしても、実際にはアジアや旧共産主義国でつくられていてオブラートに包まれているだけのこと。

自分自身が働かなくなった先進国の人間が繊維の世界を食い物にはするだろうけど、結局は、新興国や後進国のお客さんになっているだけで、ものづくりは新興国や後進国がやっているだけのこと。私自身は自分が働いてなんぼの世界なので、そのからくりが薄っぺらすぎて、イメージだけのこだわりやエシカルナことを一番に嫌う。問題があってその問題を解決するために日本人で週末働ける人がどれだけいるのか、ほとんどいないのがこだわりを謳う日本で、それを自分の中じゃなく外に求める。

ある加工工場さん朝の4時5時から従業員が出て仕事していることがあると、私がその話も普通にがんばってるなあと思うのは自分が徹夜でも工場の床で寝ても普通だから。コンビニでも24時間の時代に、定時にあこがれていて誰がその人の一生の面倒を見てくれるのか。国は取るだけで面倒をみるなんてしないし、企業が面倒をみられることもない、お客さんが誰が頑張ってるのかみていてくれるだけだし、ぬるくやってしまっていては厳しい現状を受け入れて働いている人たちに追い越されてもしかたないだろう。大手SPAとは違うモノづくりがないと日本のものづくりは残れないという当たり前のことを認識しないといけないのだが、大手SPAの物づくりが理想のものづくりで真似をしようとすると、評価される余地差裏もなく早くやめたほうが無難だろうと思う。大手SPAもエシカルナことを謳うが、それ以上のことを当たり前にこなすのが日本のものづくりではないのかと、大手SPAのものづくりがまだまだと思えるくらいでないと駄目だろうと思う。金じゃない尺度がないと難しいけども、自分が苦労して働いて損をするのもあっても、別のところで補うという感覚がないと難しい。

新しい今までないような生地一つつくるのに100万くらいは掛かるのが普通だろうし、最終的な消費者というのはもっと大きなものを掛けてできたものだから価値があると思って高い値段を出して買うのが普通。日本の一般的なアパレルさんではないけど一流どころの繊維企業は間も入らずに直接の仕事で本当に覚悟しておられるのを感じる。間が入っても問題はないのだけども、間が入る分だけちゃんと覚悟して間を入れてやってほしい。間に入った人に値段が厳しいといわれてしまえば、私が本当にどれだけ買うのかも約束もしないのに値段の約束とかすらもが無理すぎて、日本の生地商社よりも、海外アパレルのほうが、日本のものづくりにあこがれていてもらえ、関税とか値段も、政治も絡んで大変だろうが我慢ももってありがとうございます、と感じる。

繊維の世界というのは政治家の利権じゃない世界、まともに働いている人間を評価できる世界がそこにあって、政治家の多くのような搾取や利権で成り立つのを一番に嫌うのが繊維の世界で、繊維の世界の温かい人の世界を感じるところなのである。私自身は本当に一人、今はもう一人の経験半年の女の子がメインの会社、それもわかってでも、自分は違うんぞでないと趣味の繊維の皆様にも負けてしまうのも当たり前に思うのが日本の繊維の世界。私が本当に厳しいのはそこで、趣味でやっている誰よりも過酷な試練を20年、30年乗り越え場を作る。本当にこの世界でやっていこうとする素人の人にでも間違いのない道を説くことができるのが私で、何億円もの貧乏くじでも自ら引いてそれがうぬぼれた世界を正すこと。別に自分がどうとかどうでもよくって、たぶん、比叡山の修行僧が子供に見えるくらいの厳しさがあったりもして、7日、土の中でこもって眠らずに素人でも死んでもよいから光があれば成し遂げるくらいは、覚悟している。実際7日くらいなら寝ずに働いたことも数回もあって、今、50歳でも覚悟決めれがというか、覚悟決めなくても7日間なんとかできそうであったりして、ほんとうに厳しい話だけど念仏唱えて7日と実際の仕事して寝ないで7日とではどちらとい話。書いてしまって競う気持ちがとおもわれるかもしれないけど、修行僧以上の覚悟もないと田舎の小さな機屋すらもが成り立たないのが日本で、それでいてエシカルナことを世界でも一番に日本が謳ってビジネスとして成り立たせているのが、日本の営利主義の原発問題と同じで最悪のところ。関西電力の電話窓口の人に、原発の根本的なやってる人の責任すら感じてない問題で時間使って電話料金上がってもよいですかといわれれてそんな認識なら私は電気料金上がってもよいので原発やめろ、一か月2倍の電気業金でも気持ちの悪い連中が偉そうにお前らは金が大事だろう見たいに損得勘定が当たり前でエコを語る関西電飾を人間として正すのは当たり前。東日本大震災の悲劇、まったく、感じてもいない電力会社。多くの人が悲劇にあっているのに、利益優先でそれしか見えない。べつに利益優先なら安全を謳わなければ整合性もとれるのに、原発が爆発しても、電気料金が上がりますけど、あなたは原発反対でそれでもよいのですかは、アルバイト窓口の素人ばかりが、関西電力の重役たちがとれる手段なのが情けなさすぎ、対戦で15歳とか16歳のの若者たちを特攻させたような日本の腐った日本のジジイ連中の本質。早く亡くなったほうが若い世代を食い物にする連中が消えることは日本の将来のため。

助役の問題みると、海外だと、放置社会、自由経済、自由契約、脱税問題、贈賄問題、それが旧共産主義以上にとがめられないのが日本の自由主義社会で、国民が奴隷というだけを容認の行政なら、それはそれで、笑って馬鹿にしているような旧の共産主義社会の本質そのもの。トランプも旧共産主義的な政治手法だというのも、自国ファーストな、不利になればアメリカが他国に強いてきた自由貿易を否定するようなスタンス。インディアンとの24ドルのマンハッタン島取引の正義の原点すらも脅かしてしまう。力なのか、でも、次はないよねで、まったく反対が正義になってしまうような正義すらもの薄っぺらさ。まともな人間を犯罪者にしてしまうほどの危うさがあるのが、一般的になってしまう。ボーイングの件にしても、責任を逃れるために情報すらも流されずに、何百人も死んで、しかも、メンテナンスの問題にされたとか人間じゃないレベル。正義というのは力だけの問題なのかというあたり、それはまさに現代社会が否定する旧共産主義の体質そのものなのである。

私はいつ消されようがよいけど、いうことだけは書いておく。日本の国会議員であろうが大臣クラスであろうが、身分惜しさに保身的な愚かな振る舞いが多すぎて田舎の機屋の自分が死んでも次の世代にまともな感覚を申し送りたい覚悟すらもない。早く、政治と宗教の免税はやめるべきだろう、政治と宗教が一番、儲け感情だけが当たり前になってしまって、まともに働いている人たちから巻き上げる日本の2大業界で腐りすぎている輩をも存続される原動力。自分が支持されなくなった時に野垂れ字ぬ覚悟もなく、政治家になったり宗教家になったりで国から金が舞い降りるでは、本当の人間の生きざまを左右する政治と宗教がそれではだめだろう。それにひきつられて、司法もなびくとか、日本ほど奴隷制度が法律で守られやすい国はないのではないか、ママパパ企業の商店街がつぶされて、つぶしたコンビニが24時間は過酷だとか、日本は法律があってないようなものそのもので、成り立っているものをつぶすのに加勢して、ぎりぎりまでやっている人間でもつぶして法律的には正しいというだけのこと。途上国のオーガニックの世界を過酷だというけどもそれ以上の過酷な現状が日本の政治や行政ガラミで、どうしようもない輩が公務員として楽に仕切って国民を奴隷使いなのである。民間人と民間人の戦いではなく、。法律に守られた支配階級と奴隷階級の戦いそのもの。私自身は、単に、限界までいろんなことをやっている人をなんとか成り立たせてゆくのがエシカルナことじゃないのかと先進国のあるべき姿と思っている。でも、先進国ほど、自分が働かず管理とか融資とかで、途上国を下に置こうとして、日本の場合は逆に下に置かれて、それの穴埋めを日本人がするとか、相手にはただでカネを上げると言いながら日本国内ではちゃんと資金運用しているみたいな偽装が国政レベルでも普通で、よくありがちな日本国民には対借款の免除の話。最初から成り立たない話が裏で話はできていてそれを分かって日本の優秀な公務員が仕組んでいるだけのこと、悪いのは返せない途上国じゃなく仕組んだ優秀な日本の公務員たちというだけのこと。
2019年10月02日
となりのおっちゃんのUSBメモリが認識しない問題で、おっちゃんが8GのUSBメモリを新しく買って自治会の役のデータを保存しようとしているのだが、隣の家のパソコンがそのUSBのデータを認識しない。2014年ころのWINDOWS7のパソコンなので、私のレッツノートとさほど変わらないパソコンなのだが、一般向けのパソコンなので、それが私が苦手とするところ。OS以外にファームウェアっぽいソフトが裏で常に動いて全体を管理していたりして、それに慣れているとよいのだろうが、慣れていない私にはそれがすべての問題の原因。

自治会のパソコンも、警察の人が持ってきたDVDを認識しない問題など致命的な問題を抱えていて、私のノートパソコンは、パナソニックの変なソフトさえも使わない素うどんみたいなパソコン使用で使っている。だからこそ、問題が少ないのである。ファームウェアは作った人しかわからないようなソフトウェアで、仕様すらみえないし、不具合があってもその対応は難しい。人の問題であって、飛行機が落ちてもそれがハードウェアの問題ならタカタのように世界の3分の1のシェアを持っていようが、エアバックが何十万人の命を救っていても100人の命を奪えば干されてしまう。

一方で制御プログラムの問題だと、それで500人が死んでも、プログラムの改善で何の問題もなかったかのようにプログラムを更新したから問題ないでしょうみたいな対応が許される。ハードウェアもソフトウェアも、基本的にはハードウェアの一部であるのがソフトウェアだけど、頭の世界の人というのは責任が被らないように逃げる。モサントを批判しながらもGOTSがまさにフォルクスワーゲン状態なのは、日本のGOTSの認定委員が私を軽く考えすぎていて、ボロボロを見せたのがヤバすぎる。

日本のGOTSの認定委員が、エシカルなことは面倒くさいんです、化学的に問題がなければそれでいいじゃないですかとまさにモサントなのだ。ドイツはヨーロッパでもGOTSの存在からして、オーガニックやエコを世界的にリードしてきたのだが、フォルクスワーゲンと同じどころか、権威主義や無責任主義があって、自分たちはボランティアだから、問題があっても自分たちに責任はないみたいな上から目線で一番ダメな糞すぎる輩が理事長や認定委員やってたりどうしようもない。

この20年以上、普通に大気汚染するクリーンディーゼル車で世界中の何分の1のシェアをエコを謳いに利益を上げてきたのがフォルクスワーゲン社。エコの概念をまともに考えていたら一番ダメな地球環境を破壊する旗振り役なのだ。本来、ディーゼル車というのは、大気汚染問題で規制されるべきなのに、それを金もうけのためにクリーンだと偽装して20年も大気汚染し続け利益を上げてきた会社がドイツのフォルクスワーゲン。人の心をもてあそぶ極悪企業。ヨーロッパの似非エコ推進は本当に腹が立って、オーガニックコットンの問題でも、GOTSの認定オーガニックコットンが敵視している遺伝子組み換えコットンが高確率で混入してしまっている危険性の問題も、GOTSは綿花レベルで遺伝子組み換えかどうかの判別は不可能という風に逃げて混入問題を管理もできずに認定してしまっているのを認めるようなスタンス。フォルクスワーゲンとGOTS、同じヨーロッパでエコを推進してきた組織、同じ穴のムジナになってはならない。

私もGOTSの認証のあるオーガニックを使用する立場であり、それが通常のものと違うかどうかわかるあたりがオーガニックかどうかの私自身の判断基準だったりもする。GOTSの認定委員のおっさんはボケていて普通のと糸とかわらないというけど、それは普通とおなじ作り方してオーガニックでもなんでもないから。インドでは遺伝子組み換えでは儲からないからオーガニックコットン栽培なら儲かるというビジネスモデルで、種子にすら厳密な制限がなされていないというか、食べてもいけない農家が新しい概念を理解もせずに便乗しているだけが多い。

カルガモ農法で、農協の肥料の袋から適正に配合され濃縮されたNPK肥料撒いているのを農家の人は自分が面倒みているから正直に普通の肥料やらないと実もならないという。虫も生きることのできない砂漠で大量のオーガニック栽培考えてみるとそのからくりも普通にわかるだろう。そういう正直さがなくなって、消費者だましがフォルクスワーゲンとか国レベルとか認定機関の権威主義。合成繊維が5%とか入っていてもオーガニックと呼べるとか、認定機関が偽装してどうするんだよの世界的偽装のレベル。

私がオーガニックリネン正直につかっているとそれを買われた業者さんからクレームが来るんです。普通にはない問題があると、でも、正直にオーガニックの糸つかってやってるからそうなんです。それがなくなるとその糸は、偽装だろうと私が疑います。織るのも3倍くらい手間が掛かってるとかもあって、オーガニックの糸だからしかたないと覚悟して織ってます。私自身は、そういう糸の問題を文句言い始め普通の品質を求め始めると偽装につながるので言わないことにしています。オーガニックリネンの場合、問題も多く品質は落ちます。2000年ころオーガニックリネンが出始めたころのオーガニックリネンは別物でまた普通の糸とは違うオーガニックらしい別の特徴をもっていました。それもわかってるので書いておきますが、あれから20年近い、もうそういうの知って記憶にあるの私だけかもしれない。