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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年2月
リネン日記:23
2020年02月05日
外とものごとを前に進めるときにも力のある人と仕事をすると普通できないことを実現してもらえ、それが特別な物事をするときに成り立たせるために必要なすべてだなあと思うことがある。これはきつい表現かもしれないが、取り組む相手が会社を自分が動かしている人と言われて縛られて会社の仕事をしている人では、できることの範囲はまったく異なり、できるできないの判断も同じ会社でも正反対だったりすることが多い。林与に頼まれてこられるお客さんのほとんどが経営者の方が企画のトップの方で、オリジナル生地の制作や新しい生地の制作など、それ自体が特別な依頼なのである。私が思うのはそういうのに応えて仕事をしているのであるから、相手の会社さんも特別な対応が必要であろうかと思うことが多いが事務的に対応されるとかになると、普通の生地をお勧めするべき会社さんなのかと思うことも多い。

普通に思えるかもしれないがオリジナルの生地などを考えられているときに、再現性を確保するためやトラブルを避けるためにはサンプルの段階や生産の段階で糸から抑えないと生産が難しくなることが多く、何百キロの糸を先に買い込んでの対応となることが多い。そういうのが分かってる相手とそういうのが分からない相手では、企画の話しすらもが難しいところがある。それができないとみんなを巻き込んで、糸が手に入らないで終わることが3回に1回くらいは起こる。3回に1回も企画したものが糸が手に入らないからつくれないとなると、仕事そのものが成り立たず、できますよと注文を受けることも難しいのである。

実際、他の会社が企画した糸も支給の仕事の場合には、サンプルなどをつくっても本生産のときに糸が廃盤になってしまったり、糸が手に入らなかったりで、流れたりすることも多いのである。糸からして普通の糸しか使えない話になってくる。糸というのはトンで作ってそれで終わりということが多い。たくさんあるようでも人気があれば人気のある色がまず消えて、人気じゃない色などは大量に残るので、その全体の糸の生産が継続するのは色単位の少量生産でコストも合わずに難しいということで一度の大量の生産のあと廃盤になったりするのである。

そこまで踏み込んで企画をしないといけないので、何十万、何百万円を用意して材料から押さえないと企画が企画として提案できなかったり、立てることもできないのである。自分だけじゃなく、お客さんの考え方も大事で、必要だったら買いますとか売れたら買いますという一般の消費者感覚だと、企画に乗ることも難しい話が多いし、そういう方というのは大きなものを背負ってやっている人に対しても、リスクも背負わずにマイルールばかりを強いてこられるケースが多い。

仕事というのは物の売り買いだけじゃなく、覚悟が同じ人がやっていると成り立って特別な世界も作りやすいが、自分のことばかり考えて覚悟なく都合よいことばかり要求してくる会社さんなどとは特別なモノづくりも難しいという結論になったりする。こられたときに会社の大小関わらず、話して覚悟ある方なのかない方なのか、私と同じタイプなのか逆のタイプなのかが結局、一緒に仕事するときに大事な問題となることがほとんど、方向性が一緒の方なら問題なんかも助け合って解決ができるだろうけど、方向性が違うタイプの方とは、問題そのものよりも、その問題を解決する姿勢の違いから異なってできる提案からも変わってくる。

日本の場合、会社が大きくなるほどに会社の中のルールがごちゃごちゃあったりして柔軟な対応もできず、そういうルールから外れないと特別なものを作ることもできなかったりする。繊維業界じゃない他の日本のトップ企業の方も会社のルールを外れたところでものづくり、オーダーメイドの第一人者の方も会社のルールに従っていると難しいので自分が抱えて生地を仕入れられたりとか、特別なものが出来上がってくるのはそういう特別なことを覚悟してやる人があるから。会社に迷惑かけることもなく、自分が覚悟決めて自分でリスク背負っているようなまさに経営者的な人がいて、特別なものができてくる世界があったりして、そういう人とは特別なもの一緒に動きやすいのである。そういうことやるのって大変だろうなあとはおもうけど、やっていく必要があるだろう。

特別なモノづくりにあこがれておられながらも形にもならないのは、構想だけで自分が覚悟決めて動かないからみたいなところも多い。覚悟決めて動いて失敗なんかをして損もしてお金をつくっていくことの本質みたいなところから、他の人に依存しないで自分で抱えてやっていくみたいなところがないと、自分の思うことを他の人がやってくれて自分が儲かるみたいなことを考えていると、フロックで1回くらいは誰かにやってもらって成り立っても、やってる人を食いつぶして終わりとか最後はいろんな人から煙たがられて相手にもしてもらえないとか。
2020年02月03日
今日、ある社長さんと電話をしていて、私も知っている何店舗も持っておられた会社さんがいくつかのお店を閉じられたというお話。商売がうまく行って店舗が増えていたというよりは、別の部分でお金が回っていてお店を維持しておられたのだろうかとも思えるふしがあった。他の人が地道にやってこられたことなのにそれを自分がやっているかのように語られて、本当に背負ってやっている方がお怒りなのもよくわかる。

一回一回の仕事で苦労されているのはその電話でお話している社長さん。実際、その方は手の世界の方で、いろんなものを自分の手で生み出されている。そういう方のやっておられることを、自分が責任もってやっているみたいな話で自分のものを売る語りにしてしまうのは、駄目なところだろう。私も最近は疎遠になってしまっている会社さんではあるけど、買うから作って作ってで話にのって作ったら買わないパターンとかも多いので個人のお客さんでももうちょっとちゃんとしている。

私生活も素敵を見せておられるが荒れておられるようにしかみえなくて、なんで自分の本業が難しくなっておられるのに贅沢ばかりされているんだろうかというのが目につきすぎて、ものづくりにお金がつかえないのもそこで普通より安いものを最高級のものに化かすしかない商売に傾いてしまわれた感がある。買って、作ってもらって食べて、生きている人が、ものづくりを上手にできるのかというと難しい。ものづくりというのはゼロからでも自分が生んでいく世界だから。自分が一枚の布を縫って、その縫ったものを売って、一般のお客様から1000円頂くことに価値を感じることができなくなると、他の人に地道な仕事させてそういう地道な作業で生まれた1000円を浪費してしまうような経営者になったらあかんと思う。

散財するのをすごいことのように勘違いしてしまうのは、自分が生み出すことができないタイプとか他の人を支えるために自分を犠牲にすることができないタイプの人だから、あるコンバーターの方にもコンバーターを軽く見てますねといわれたことがあるけど、荷物一つも自分が受けずにファックスで出荷くださいの指図ばかりで、自分が原反を触ってすべて見る覚悟もなければ、覚悟を決めた人間からすれば辞めたほうが良いと思うのもそこ。その人の原反を触ることもいやがってが当たり前だと同じ対応なら同じ程度の覚悟のものしかできない、それでよいのかという話。覚悟決めて仕事している人間に、林与さんはコンバーターを軽く見ていますねで何ができるのかを聞くと、プレゼン、納期管理。私からするとサラリーマンじゃないのだから、私の仕事を指揮するなら私以上にしっかりと補える力も必要。

その方を紹介したA社が私に恐縮されて紹介をいただいた経緯があって、紹介いただいた方の困られたときに親身にその方の立場になって助けたこともあるし、私自身は日本の麻業界のために犠牲になってもの覚悟もあって、他の自分とは別の協会や組合の困りごとでもだれも解決できないときには自分の会社のことなど捨ててでも助けてあげる覚悟もあったりして、実際、自分の会社がボロボロになってもそのたのまれた方のこと考えて動いて解決した問題も多い。そこまでやる人間はいないから、だからだれも私には強いこと言えないのである。残念なのは林与さんはコンバーターを軽く見てますよねという言葉、コンバーターの仕事を軽く考えていないから私がお金の面倒は企画の面倒は物流の面倒は誰が見るののという話から。大きな問屋さんでも私から逃げられるのがそこで、実際の仕事の責任から逃げてどうするのという話。裏では実際に正しく仕事をしようとする加工工場の社長とも喧嘩になる話であったりもするレベルの解決になる。その加工工場の社長でも別に自分が死んでもよいくらいで覚悟決めて仕事している私だから許してもらえるけどのことも多いが、自分やお客さんの都合だけで動いて一つの者の面倒を観る覚悟もないレベルだと、何億円もの覚悟もへっちゃらで、本当に覚悟決めてできるかぎり働いて日本の繊維業界を覚悟決めた人間が背負っていく状態にもっていきたいと思う。途上国が覚悟決めて工場や人の面倒まで国規模でみるのに、日本は工場や人の面倒までみているものに偉そうに国民の生活から搾取の議員や公務員が食いつぶしてまさに人権侵害の江戸時代。それで最近も従業員の面倒をしっかりとみなさいみたいな公務員的な態度をしめされた会社に苦言。

その会社さんは倉庫での荷受けもできたら送ってくださいとか本当に思いやりのある企業だから、逆にそういう国や大企業程度の体裁になびいたようなことをやられるのに苦言を呈するのもそこ。もっとしっかりと人のことを考えてゆかないとこの先の日本のモノづくりは難しい。自分なんてどうでもよい人が日本を支えてきたのに、自分の保身ばかり、贅沢したいばかりの人が、お前が悪いみたいに働きも責任も負わずに、働いて責任追っているものを叩くようなことが多すぎるのが今の日本の流れ、なにがブラックだという話、働かない人間が責任追わせて、日本で一番給料の優良企業とみなされる高い財閥系が、弊社にファクス送ってくる文面が、自分が納品後締め過ぎの6か月後の決済でしかもCSRとして、林与がちゃんと社会的責任を果たせていますかの文書に同意しろと。私のお客さんからちゃんとお金貰えなければこっちがお金ももらえない話すらも含まれて。児童労働の働かない親そのものが日本のホワイトな世界で、そこから正して行かないと。

林与は私自身が覚悟決めて普通の職人の10倍ほどの仕事はこなしているから成り立つけども、普通の田舎の地場産業を支えるおっちゃんおばちゃんレベルだとまったく無理な世界。今は若い人が携わろうとしても地場産業も、他でアルバイトして趣味的に支えるのが精いっぱいなのも、ホワイトな社会がそういう風に見下すところで成り立っているから、私は仕事なんて等価交換くらいにしか思わない覚悟でお客さんが成り立つことも考えてやっているし、仕事のお客さんが自分の本当の責任をもって仕事する部分やらないで、日本の諸悪の根源が現場にあるみたいな指摘は解せないことそのもの。テレビニュースになるようなことは、繊維業界にありがちなホワイトに見せたい人が多い、裏側のブラックなのである。ホワイト感覚がブラックというのが日本の繊維業界の実態で、贅沢三昧の人が多いのも事実。

なんで繊維業界がこれほどに苦戦なのに、日本一の金持ちが繊維業界の大手SPAの代表だったりとか、何千億稼いだ繊維販売の社長が引退とか、昔だったらありえない世界が、日本の繊維業界を食いつぶしていたりもする話。何兆とか何千億あれば、何千社、何万社の地道な繊維の仕事を救えるのだけど、道具にしか思っていないところが今の勝ち組の日本の繊維業界のブラックそのもの。その感覚で仕事するお取引さまには私が警笛流すのもそこで、海外の児童労働と同じで自分の世間体やルールばかりで自分が利益を上げるのにそれを成り立たせる覚悟もなく、自分はホワイトでもブラックを作り上げてしまっている元凶じゃないですかと、本当に体制もあってまったく親身な会社に対してでもそういうホワイト気取りな文章を見せられるだけで警笛を鳴らす。

日本の行政のように自分は違法行為が当たり前でも罰されることもない、これは中世の奴隷制度や魔女狩り的な制度、魔女狩りの有名なボストンでも魔女がなんの仕事やってたかというと織物の地道な社会貢献的な仕事、差別の目でまともな人をどこまでも追いやるのが魔女狩りで、今の日本のホワイトな社会に共通するところで、国会議員が本当の不透明なことばかりで実際に犯罪で牢屋に入るひとばかりだけど罰せられないだけの世界をつくりあげては、将来の子供たちが希望するのもなりたい仕事が公務員とか、昔の奴隷制度を形を変えただけの再来そのもの。昔も奴隷制度が法律だったけど、法律が奴隷制度に近寄っているのが不気味。働かないことがホワイトなんて、その働かない人を支えてゆくのは、法律の外ですべての責任を負わさR田、24時間働かないといけない、コンビニ店主だったり。苦労知らない国会議員とか裁判官とかホワイト作って、同時に本当のブラックな奴隷制度をつくて責任逃れな世界。

私みたいなまともな国民の一人が問い詰めると首相や国会議員でも逃げるのが日本の現実。議員さんで私くらいに覚悟決めて日本を支えてゆくならよいけど、日本から搾取して偉そうなことばかりでだと、一番身近で気の毒だけどいいにくい町会議員であろうが、町長であろうが、県知事であろうが、国会議員であろうが、総理であろうが、本当に自分はどうでもよいくらいの社会貢献の意覚悟決めなさいよの話。自分自身を捨てる覚悟もなく保身だとどうしてもとるばかりのきれいごとでホワイトなことも法律作って瀬金逃ればかりのホワイトで、地球温暖化問題でDきないといったトランプのほうがまともだったりもするから、トランプのような糞でも正直者で八兆美人で責任逃れの日本の総理や大臣クラスでも一般の人にも劣るのがそのあたり。力になびくだけの日本の総理ではこまる死んでもよい覚悟で、大臣辞職とかどうてもよいことで性人被ったは駄目、せめてそういう連中が国政から去る、すなわち国会議員を辞職が当たり前でないと日本のまともすらもがつぶされて沖縄の玉砕で、一般国民が命捧げても指揮するものが命惜しさに、一般国民の命を犠牲にさせるような。本当の奴隷社会。

日本で一番大きいオーガニックコットンの世界が成り立つのも、謳われている意気込み買って一般消費者が覚悟決めて買ってるのに、その協会の理事長が、私がオーガニックコットンの認証でも合成繊維がオーガニックコットンして認証されてしまっている現実を電話で話しているときに指摘しても、それは企業がやっているだけで私の責任ではないと逃げられるのが、一企業の責任感もない人間がオーガニックコットンの権威として10年以上にわたって日本の半分以上が偽装なオーガニックコットンの世界を成り立たせてこられたのが分かる。だまされた消費者の気分分かるのかの世界、そこには認定だけの責任逃れの高飛車なものと、実際の現場の正直なものととの本当の苦悩の世界。謳いが綺麗な世界ほど偽装で消費者騙して成り立っているというのも本当のところで、私自身の覚悟についていける理事長なら認めるがオーガニックに関しても協会レベルでも責任逃れの理事長が多い。理事長がどうしようもないので副理事長をやっておられた方にその理事長の対応をいうと、あきれられた始末だけど、その副理事長のたいおうすらも、その福利地上の会社に6か月前に消費者をうらぎてるだけなないのかといって、やっと6か月後に日本最大のオーガニックコットンの世界のだらしない問題を、オーガニックコットンの世界でもない私が解決する社会。営利目的ならオーガニックややめたほうが良いと思うのもMその世界で、世界一厳しいのGOTS認証に警笛をならすのが林与だったりもする。GOTSの日本の認定委員がドイツのVWじゃないけど、どうでもよい世界で、なまった英語を聞いているの眠くなるんですよとか、偽装は認定しているものでなくて企業が勝手にやってることですから私は関係ないですの認定の世界が日本の最大の10年大量に流れてしまったオーガニックコットンの世界。こういう権威気取りの輩を早く干さないと日本の消費者あ普通のを一番特別なものをして高いお金はらって本来その輩や組織が一番駄目だと敵対している遺伝子組み換えの偽物つかまされるレベル。私が世界で一番厳しいみたいのが日本の農業行政レベルのオーガニックだと素人だましの一般的にいわれる化学肥料があたりまえで宇田地だけで量産して金儲けの世界。オーガニックがそこまで落ちたらほんと消費者を裏切るだけで利益を上げて普通の化学肥料の程度仕切って特別な世界い偽装してはダメだよ。私が話して一言の答えで偽物か本物かが分かる世界がそこにあったりして、世界や日本オーガニックを仕切っておられる人でも一般の消費者レベルの覚悟もない人が多かったりして偽装をどこまで法律や基準でごまかすかで必死で情けないレベル。日本のオーガニックコットンを10年以上仕切ってこられたMさんでもサラリーマンレベルの責任逃れ、信じて買った消費者は騙されただけでよいのかというはなしで、本気にものづくる考えている人間からしたら敵対するほどの人間。日本のGOTSのお若いU代表が真摯な態度で私に接してくださるあたりが消費者騙で終わらせるのか本当に消費者に自分が責任もってオーガニックを謳えるのかのせめても救いレベル。消費者騙してなら日本最大のオーガニックコットンの理事長でも、GOTSの認定委員でも一番の糞だと叩くのが林与。似ててもらっては困るのだけど、私は消費者を騙したくない人間で消費者騙しを一番に嫌う。実際のオーガニックの技術はKさんだけど、電話くださいも電話すらもしない、オーガニックで食っていくだけのしばまたの寅さんジジイでサラリーマン生活がながすぎて、サラリーマン根性で消費者騙してよいのかとも思う。日本のオーガニックコットンの最大の世界。

私自身がオーガニックリネンがオーガニックリネンの糸を消費者として苦労して織っているのも知らないで、オーガニック謳いたいなら薄っぺらい自分の言うこと聞いてみたいな覚悟もないクズが日本最大のオーガニックコットンも理事長、ほんとうに気の毒だったのは同じいべんとでそれを信じて看板掲げてやっておられた方が私の本当の話聞いて次の日には自慢だったGOTSのオーガニックの認証の機を私のこと信じて下げてしまわれた話。それを見るのの渡司指針の苦痛で、やってるものが本気にならないとオーガニックの世界なんて待織れないのだが、責任感もなく食いつぶしてなんぼのやからが日本のオーガニックの権威の席では働かない児童労働の親と同じレベルオーガニックコットンが普通のコットンと品質が同じとかいわれるレベルでオーガニックを扱うのが理事長でもオーガニックコットンを知らない素人の世界で、コンベンショナルとか、GMOコットンが混じっているどころか合成繊維がオーガニックコットンで売られているのも、それは業者の責任で自分の責任じゃないで、認証をされているようなレベル。その程度の協会だと林与から逃げないと偽装を叩かれ、オーガニックな協会自体の消費者騙しな偽装問題につながる。アイリッシュリネンもそうだけど、本気で信じて高いお金払った人が騙されたよくある素人だましの繊維の世界。
2020年02月01日
明治時代に、農村としてはそれなりに恵まれた土地だったけども、現金収入のない村人たちに現金収入をもたらしたのは織物業。與次右衛門爺さんは、若いころから親父が酒飲みで苦労をしていた。今もその時の酒代のために親である勘平爺さんが林与の家の土地を担保に裏の小さな家の人にお金を借りた借用書が残っていたりするほど。まさに毒親をもった與次右衛門爺さんだが、農家ができることといえば、農家の家の仕事としてやっていた機織りを本格的な商売とすること。

明治のころの見本帳というのはシンプルなものが多く、柄も素朴で、初歩的なもの。それを発展させたのが、その息子の与一爺さんで、絵絣を巧みに発展させ、絣業者としては産地で一番くらいの規模で近江本麻絣上布で名を轟かせた。豊国村が豊かな村であったのも織物があったから。本格的にやっている出機さんは、当時の大学の初任給以上のものを工賃としてもらうことができた。学歴よりも実力があればの世界である。

今の時代に当時のようなものを作ることができるのかというとそれは難しい話で、人としての生き方が厳しかった時代だからこそできたものづくり、今のような生活スタイルではそういうものをつくることは難しいと思う。近江上布の1反を織るのに一か月とか言われるが、当時の人は、一晩で一反を織りあげた世界である。それほど仕事があれば幸せだった時代。今は、仕事が苦痛でしかないほど豊かな暮らし。仕事があってもなかなか仕事ができる人がいないというのも織物業界では多く聞く話だが、織物の差は人の差とか、織物の違いは、人の人生観の違いみたいなところ。同じものでも作る人によって、上等品にもなれば、材料費にもならないマイナスのものにもなる。

同じ時間仕事しても、プラスとマイナスの世界が、今の織物の世界にもあって売れるものができてようやく成り立つ世界で、だらしなく売れないものつくってしまえばその分マイナス。最初からできる人は最初からできるし、最初から駄目な人は最後まで駄目みたいなところがあるのが織物の世界。仕事というのはやっているから上達するとかではなく、慣れてしまった後は緊張感がなくなり逆にだらしなくなったり落ちていく人のほうが多い。織物の世界でも20代が一番真面目に仕事できて、30代になるとだらしなさが出て、40歳すぎるとなかなか仕事が難しくなり、50代だと20代の半分くらい、60代になると3分の1くらいしか仕事ができなくなるものである。

もちろん、例外的な人もいて、それなりに緊張感をもって仕事している人というのは時間と関係なく仕事を仕事として正しくでき答えを出せるタイプの人で、時間で働いている人を支えていけるような人だったりする。1個いくらの世界を正しく成り立たせることができるほどの力がある人。けど、今、そういう人ってどれほどいるんだろうかと思う。私自身でも精いっぱいやってても成り立たせるのは難しいなあと思うことも多く、週40時間程度の仕事で食べていくレベルなんて逆に多く人を抱えれば余計に難しい話なのである。これは自分の会社というだけでなく、繊維業界全体として人を多く抱えすぎで指図する人は多くても実際に仕事をできる人は限られている問題があって、作業している人の手で生まれてくるものにすべての人の生活が懸かってしまうだけでなくその家族の生活までもが掛かってくる。

あるお店でたくさん店員さんがいるが、その店員さんの一人がお店に置く商品を縫製できる場所教えてくださいと私に聞くが、私の答えは、家に帰って1日10枚でも自分で縫ったら簡単にできるよ、という答え。私もミシンはほとんど触らないけど、米原のイベントでの60cm角のキッチンクロスでも、1時間に裁断から初めて縫製まで5枚くらいは縫う。布が豊富にあふれているお店で、店員である自分がそういうのやると、売るものにも自信も出てくるし愛着も湧いてくる。繊維の世界が好きな人だとそういうの普通なのだがそれができないとなると向いているのか向いていないのかの存在。そして向いている人だけがやはり残れる世界なのである。店員さんなんてお客さんがいない時間ができればミシンで縫えばよいだけのことで、それでこそお店の専門的な価値も上がるというものだろう。

これと同じことが学生レベルのものづくりの話。学生さんとお話しするときに将来の夢みたいなものを聞くとこんなことをしたいというイメージがあるし、なんでもやりますみたいな話になるけど、実際に、その一つ一つのことを目の前にすると、私がやるの?みたいなタイプの人が多い。やってないからなんでもできるとかやりますがいえるけども、やってみるとなにもやらないタイプ。大人になったときに自分が解決できることは自分の力で解決してゆかないと他に解決を求めていても結局は難しく成り立たない話も多い。他に縫製を出すとすれば縫製工場で働く一人の作業工賃や、縫製工場の間接費用、運送費、梱包時間、伝票関係のことすべて時間的なコストとして商品の値段として跳ね返る。それを自分が作業して捻出してゆくか。自分がすると面倒な感覚で他の人に頼んでいるとどうしてもコストが合わない問題が生じてくる。

働き始めた若い時からすでに自分が解決するというのができないままのスタイルが身について、人に解決してもらうので食べていくスタイル。繊維業界には本当にそういう人は多いもので、実際にものを作る部分をこなせる人の比率は非常に低いのが日本の繊維業界の特徴の一つ、そういうところから解決してゆかないと難しい問題である。ある方の紹介があって教えてあげてほしいという話、私自身は自分もその分野はほとんど仕事やったことがないけど1回でも本気でやろうとしたからそのものづくりのあらすじくらいは説明できるが、自分が仕事としてするのに教えてもらえるのが当たり前で聞くばかりの人、この人では仕事は無理で触らないほうが無難だと思う。ダメ元での試作一つに自分の一か月の給料くらい捨てられるのかという問題。知識から足りず、本人が経験積むために費用が掛かる話、それで食べていこうと仕事して、その人がその人自身の20万、30万ほどの儲け考えて、100万、200万の仕事しようとすると、本生産の作り直しなどになると300万、400万以上に失う可能性のほうが高いだろう。作り直しても売れない販売断念のケースもある。一つの仕事に対してだけじゃなく総じてそういうスタンスでの仕事なんだろうと思う。本当にやりたい人というのは直線的にものごとを進めることができるが、見て回るだけで自分自身の行動を伴わない人も多い。売れる顔にするにはそれなりにやり直しなんかも必要で一発勝負でできる人とできない人とではプロとして残っていけるか残っていけないかくらいの差がある。費用が2倍掛かることをやっても商売として成り立たせるは難しいから、結局、一回勝負でやれる人がコスト面でも生き残れる話。繊維業界全体が人は多いが生き残りにくい体質になってしまってる。

繊維業界というのはかつてないほどに本格的な繊維不況の到来、特にアパレル業界は不況そのもので年10%規模で縮小しているところも多い。アパレル売り場の大きい百貨店などは店舗閉鎖も多い。アパレルさんとのお付き合いも断っているわけではないけども比率を減らして、林与に合った会社さんとの取り組みに変えてきたこともあり、仕事は手も足りず忙しくで暇ないことがありがたい。昔の良い時代の仕事のレベルだと今の時代にはまったく通用しないというのを割り切ってるから、分からないできないで終わらないで売れるとこまで、通用するところまでやれば成り立つという世界。まだ、やりたいことも山積みだがとりあえずは外のお客様の仕事を優先して自分のやりたいことは後回し。いろんな意味で余力ができたときに自分のやりたいことをやってみる程度が一番よいのではないだろうと思う。

ひと世代前の人が使ってきた織機をみると、なぜ織るのに苦労されていたかがよくわかる。ここをこうすれば簡単に問題がなくなるのにとか、なんでどの台も大事なものを外したり壊してしまっているんだろうとか、問題が起こるのも当たり前も見えてくる。今の時代の糸は本当に織れない糸であることも多いのでそういう糸を織ることで一から織機を調整しなおすことで見えてくることも多いのである。まったく織れないが、織れるようになる瞬間というのがあって、それは意図的に生み出さないと訪れない瞬間であったりする。また、傷になった反物を自分で縫って直すとか経験をしないとなかなか織るはできても正しく織るには到達しないことも多い。今は、もうそれで食べて行ける時代ではなくなってしまった。

織物の真ん中にループができる問題なんかも、カラミのところまで糸が届いていないだけという話で、レピアオープナーの位置を右にずらすだけで解決する問題なのだが、何十年織機を調節してきた人でも原因が分からず、説明もしてレピアオープナーを右にずらすだけのことで、位置を動かしてくださいというけど、どうするの?という質問、何十年もレピアオープナーを触ってきた人でも初心者と変わらないほどの呆けたような話のことも多い。理解はしにくい問題だけども、そういうのは基本の基本の話。それがわからないと問題のないところを触って織機のバランスを崩してもうこれ以上は調節できないからこの織物はループが出るで終わり。

別の出機さんの工場に行って、織の経験もない私が、その問題を仕事始めて半年くらいの時に織機もほとんど触ったこともないのにそのとき織機の動きをはじめて見てループの原因を説明もするが、経験者程メンツが立ってしまって初心者にいうことなど聞きもしない。機械屋さんがくると私のいうのと同じ結論で、耳のカラミソウコウがなぜ絡む必要があるのかという基本的な問題に過ぎない。経験者の問題を抱えながら次の世代というのは、気を使って手加減しながら仕事と接していかないとならないのが疲れる業界ではある。田舎独特の年功序列的な偉そうなひとが多く、気の抜けたようなところがあって、普通新しい人がやっていけるような業界ではない。織機の問題を抱えていても解決してもその原因を聞いても隠そうとするのも、力のない人にありがちなパターンで、原因をはぐらかす。教えることで自分の仕事がなくなるという心理が働くんだろう繊維業界にはそういう人というのは多い。

大したこともない経験だったりする。同じことを日本で最大規模の大手の商社のイタリアの社長をされた方がいってられたが保身のサラリーマンそのもの。部下には仕事をおしえないと、その理由は仕事を取られるから。大手企業の役員クラスがもうサラリーマンだったりで、肩書だけで生きているみたいなところ。繊維業界のアドバイザーとして動かれていたがまあ肩書だけの人で仕事ができないタイプの一人。本当に仕事を自分でやってきた人というのは、武藤さんという方、自分でヨーロッパの市場を開拓されて自分の人脈を日本の繊維業界のために惜しみなく放出。あの方に及ぶ方はおられないと思う。企業自体は業績は別として評判がよくないところがあり損や迷惑を仕入れ先に被せる形が多く、武藤さんに続くみたいな人がその企業にも増えてほしいと思う。勝ち馬に乗りがちな、ある繊維の業界紙が持ち上げて、日本の地道な繊維業界を逆につぶしてしまうのは駄目だろう。まあ、林与自身、そんな業界紙とは縁を切ったような形でその業界紙を支えるのも難しいレベル。広告出したら記事にしますよみたいな、ゼニゲバな業界紙で、戦争でもうけるゼニゲバな武器産業みたいな商売スタイル。

その新聞社の記者の人にも、その新聞社の商売スタイル改めないとダメですよと、繊維のゼニゲバニュース発信を叩く側。そういうのがまともな繊維業界をつぶす活力になってしまう。広告目的で金取るための取材なら日本の繊維業界を正すためにも来てほしくもない。対照的なのが業界で定評のある業界紙。広告すら一度も出したこともないけど、林与の本気なスタイルを大事に思ってくださって、本当に小さな林与を心意気買って大きな記事にしようと持ち上げてくださり。繊維業界のまともじゃないのと、まともな部分感じるのもそのあたり。そういう業界紙は記事の信ぴょう性で成り立つ。繊維の業界紙でも両極に分かれるのもその辺り。マイナスな業界紙に広告出している繊維企業さんに警笛を鳴らすべきなのかとも思える。その業界紙もkさんという真摯な記者の方がおられて、その方の記事にしたいという意気込み買ったのが間違いだったのかと思うほどゼニゲバなメディアなのを知って、林与が取材してもらうことすらに今は難色を示す。繊維業界を食いつぶすメディアとして業界内に警告を鳴らすことも必要だろう。広告出しておられる企業さんが逆に哀れで気の毒なんだわ。広告出したら記事にしますがという話ばかりのゼニゲバな記者の業界紙。取材に時間使うすらももったいない話。その繊維の業界紙の記者の目にはドルマークが書いてあるのかと思えるほど。そういうゼニゲバで取材してたら、地道なところからは相手にもされなくなりますよという記者にも忠告。