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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年8月
リネン日記:34
2020年08月12日
アメリカやフランスではマスクの義務化に反してデモなどの抗議が起こっている。やはり、マスク不要論を言っていた国には政治的な危機感からの思惑があったんだろうなあと思うのはそのあたり、マスクで新型コロナでもある程度は防衛が可能なのに、政治家そのものがマスク問題を避けるために不要論を放った。社会を守ることを考えている人ほど義務化されなくても自主的に感染防止をしているのに、それを馬鹿だと笑う行為が世界中で起こるが、結局、義務化しないとマスクをつけないで、マスクしている人を攻撃するような体質があるから義務化が必要となってしまうのだろう。コロナに感染することよりも、マスクをつけないことを大事にするという価値観も価値観の一つで、アメリカ大統領もその最たる例ではあるだろう。大人というのは子供以上にやっかい存在なのである。

日本では、国がマスク不要論や害悪論を流す中も、マスクの義務化もないけども多くの人が自衛のためにマスクをつけて家族を防衛。本来の社会機能的なものが働いているような気がする。法律が必要もないのである。一方で、国はGOTOトラベルみたいな、反対の行動を推し進める。一方で、お盆の帰省は慎めとか。典型的に駄目な日本政府。政治献金が落ちないと気が済まないのだろうが、人々の健康よりも、政治家の小金を優先していると、経済状況も悪化するばかり。結局、コロナを放置の体制では、オリンピックはほぼ中止だろうと私自身は考えている。海外から、日本のタイプと違う、志望者率の高いコロナタイプが持ち込まれたら、重傷者は少ないとは楽観視もできないだろう。

結局、原発も爆発するけど爆発するまで推し進めるのが性なのである。コロナも日本では政府の考え方では爆発するだろうと思う。私自身は、政府が法律をつくってマスクを義務化するようなことは好きじゃないのだが、アメリカやフランスのように自由の国では、法律で縛らないとコロナの感染を抑えるのは難しいだろう。

日本が開国したときや、戦後なども、風土病といわれた伝染病がいろいろと西洋医学によって解決されたケースもある。そのときに、強制的にいろんなことに従わされて病気の撲滅が出来たのである。

日本脳炎というウィルスがあるが、「一般に、日本脳炎ウイルスに感染した場合、およそ1000人に1人が日本脳炎を発症し、発症した方の20~40%が亡くなってしまうといわれています。また、生存者の45~70%に精神障害などの後遺症が残ってしまうといわれています。」である。一方コロナウィルスの場合には、世界的には、感染すると1000人あたり200人が重症化、そのうち50人が亡くなるという病気。蔓延させることは防がないとダメなのである。

整合性的な部分は大事で、その大きな流れの中でそれぞれが成り立つための自由度も必要だろうと思うが、成り立たないときにはそれを支えるために国が人々の生活を援助するべきだろう。最低限の生活ができるように国民を支援する、それが国家の最低限の役割なのであり、今こそそれを実行するべき時なのであろうと思う。

自分で生きていける人は大丈夫だけども、社会制度に依存して生きていくように国民を縛ってしまってうまくいかなくなったときに、自分で生きろでは残酷すぎる話だろうなあと思う。この新型コロナで全国の1000万世帯が控除後ではあるが年収100万未満とされることが公式に発表もされた。コロナ以前の昨年の統計なので、コロナ後にさらに世帯数は増えているだろう。
2020年08月11日
倉庫に眠っていた布の一つを布公房DENさんの北山さんが気に入って使ってくれて、その生地を使って附田洋服がすごく人気で、また同じのができないかの話。その頃の糸からして違うからあのしなやかな今のリネンにはない風合い。染めた染工場もいまはもうないだろう。残念な話だけども昔のリネンの風合いを今のリネン糸をつかって出すことは難しい。

たぶん、加工は同じような加工をすれば、加工としては同じに近い加工だろうけども、加工にしても今と昔は違いがある。それは加工工場の技術の方に聞いても今の加工は昔よりは問題が起こるのを抑えるために控えめ。本来なら思いっきりの加工をするほうが良いのだろうけども昔ならそれで行けたが、今は染なんかも弱いことが多く、加工工場も加工温度を昔のようには上げることができないということ。

林与も、一度、いつも染めている染工場がいっぱいで、リネンも染められるという京都の染工場さんで反応染料で染めたが、加工を通すと3分の1くらいに色が落ちた経験がある。加工工場さんは70度の温度で処理をされるが、京都の染工場さんでは50度の温度でしか湯煎されていないということを知って、色落ちの原因が手に取るように分かった。落ちて当たり前なのである。

落ちて当たり前なのだけども、3分の1までに色が落ちるというのは繊維と染料が反応もちゃんとしていないような状況で、色が落ちた話をすると逆に切れられてしまっていて、技術的な相談も無理だと思いそのサンプルはあきらめたが、仕事が欲しいということでリネンも染められますといっておられてお願いしてもやはりこういう問題を一回一回乗り越えてゆけないと技術的な壁を乗り越えるのは難しいだろうなあと思う。昔だと中国の染がそんな感じだったけども、今は日本の染でも得意分野が異なればそんな問題は起こりうる。

別の話で、麻でも、生成りをそのまま染める染というのは一般の人が一番思いつきやすいことなんだけど邪道ではあり、どうでもよいものならそれでいいけども、ちゃんとしたものを作りたいなら止めておいたほうがよい話。色はきれいに染まらないし落ちてゆく。海外のリネンだと案外ありがちなトラブル商品の作り方なのである。

リネンのキナリにしても、あの色というのは吸い上げた土からの養分の色で、太陽に当たったり水でさらされたりして抜けていきやすい。耐光堅牢度が弱いのがリネンの生成りで、本来は色むらも起こりがちなのである。大麻なんかの生成りは全長が2mを超えるので、上部と下部の色の違いも著しく、紡績したときの色や品質が安定しない問題を抱えている。
2020年08月10日
今日は京都の事務所に行って知り合いの伝手でにモデルを頼んでマスクの撮影。あまりデジカメを使っていなかったので本体は思っていたことろにあるのに充電池とその充電器が見当たらなく、本格的な一眼レフのは使うのやめて、予備でもっているスマフォで撮影することに。スマフォのほうがきれいに撮れることも多いのでスマフォを侮ってはいけないのである。

久しぶりに行った京都の事務所だったけども、作業場的によい感じの空間だった。事務所の周りの建物もいろいろと新しくなって、裏もきれいに整備されたりと、まだまだよくなっていく場所なんだなあと思う。昔は、3条通りを挟んでいろは旅館があったのだけどもう新しい建物に変わって。隣の建物の下もカフェになっていて、ちょっと気晴らしにうろうろするのにもよい場所だなあと改めて思う。

京都の事務所に分厚い無垢の木の板がテーブルの上にあったが、あれは林与のものではなく知り合いの人のものなのだが、木のインパクトがあってあの板がいいねと思った。大事のもののようで、ミカンを剥いた皮を直接置いたら注意された。超巨大なまな板みたいな板なので・・・

そのあと、知り合いの知り合いである関塚さんという草履作家さんが岩倉の山のほうでアトリエをされていてイベントをされている最終日だということで、突然だが伺った。何人かの作家の方との合同展の形で、信楽の方もおられたが信楽のイメージとは異なるモダンな創作。フランスの方も木のテーブルや椅子などを作って出されていた。

古着を専門で出されていた方もあり、その中にビンテージのリネンのスリーピースが目に留まった。リネンの25番手くらいのキナリでしっかりとした生地。この色味というのは、倉庫に残っているルブランの生成りのいろとそっくりで、同じリネンでも今のリネンとは全く異なる世界。このリネンはふっくらと柔らかいのではなくソリッドな硬さをもっている。よく一般に言われるビンテージのリネンについてだけども、多くのものが実際にはコットンで、ビンテージリネンでもリネンはらしいものが多かったりする。

世の中の流れで新しくつくった服よりも古着のほうが見直される時代になってきた。古着というのは今の服にない価値がつまっているようなものがあって、日本の着物のそうだけども、今つくろうとしてもつくれないものや何百万円の価値観がそこには詰まっていると思う。

サイダーを販売されていて、それが日本のサイダーだそうで、4種類あったけども、それぞれが別の会社のもの。一般にうられているサイダーというよりも、レモン水そのものみたいな味で、大人の味。小さな瓶の一本だけども飲みごたえがあった。
2020年08月10日
戦後というよりも戦前の特徴だと思うのは、身の回りのものは小さなころから買うのが普通じゃなく、作るのが普通だったので、戦前の人のモノづくりというのは個性がある。小さなころからデザイナーみたいな生き方。

昭和40年代くらいからは、テレビ文化まっさかりで、時間があればテレビを見るのが普通になって、個々の人間が生み出すものも少なくなってしまったと思う。サラリーマン化が進んで所得が増えたこともあって作るよりも買う時代に突入。

自由にいろんなものを生み出せる人は少なくなったと思う。ミシンなんかもJUKIかBROTHERか、自動車も各国に数社の大手メーカーが、それも各メーカー似通っている。メーカーがオリジナルを生み出すではなく、共通仕様に向かう。今はMACもウィンドウズもほぼ同じような感じになってしまった。

デザインの世界も、絵心みたいなものがある人が少なくなったんじゃないのかと思えたりする。人の生み出す可愛さとかが昔のデザインにはあった。ディズニーのCGアニメーションの世界はあんまり好きじゃない。オリンピックのマスコットなんかも、コンピュータソフトで簡単に描けそうで単純すぎて可愛さがないのである。

対象や昭和の広告のキャラクターとか、絵心があって面白いなあと思う。金鳥の蚊取り線香のマークが何で鶏なのかも、鶏の匂いを蚊が嫌うからみたいなのとか、単なるデザインではなく一つのロゴにもストーリーがあって面白い。

2020年08月10日
私自身、いつも思うのが今動くか動かないか、今動かなければ将来も動かないだろうし、今動けばその経験は将来に生きてくる可能性は高い。動くといっても、他の人に動いてもらうと費用も掛かるし、それが毎回の事になるので、動くとなったときには、自分のできる範囲で自分が動くということにしている。自分が動ける範囲でやるので、できる規模なんかは限られてくるけども、こってりと経験できるし、やるもやらないも自分次第だと思う。

プロの人が趣味の人よりも上手かというとプロの人の場合には設備が整っていての部分が強みだろう。趣味の人というのは設備が整っていないのでいざやろうとすると苦戦することが多い。まあ、設備から手作りとかDIYでやっていくのが良いんだと思う。ゼロから、こってりと経験できるから。

昔と比べて、道具をつくるにもいろんなものがタダみたいな値段で手に入ることが多い。中古で使えそうなものを買ってそれを活用すればよいのである。新品を分解するとかはちょっと気合がいるだろうけども、中古でいくらでも手に入る分解してもよいくらいの値段のものを手に入れて、それを試してみるということが良いんじゃないかと思う。それでうまくいけば、それでモノづくりをして儲かるなら新品のちゃんとしたものを購入すればよいと思う。

プリントなんかでも、型紙彫ってやったものというのは、完璧な設備や機械でやるのとは違って、味があって悪くないと思う。まあ、絵を描くのとコピーするのとの違いで、手描きの絵に愛着を感じる人も多いだろう。林与のシャトル織機で織る織物にしても、洋服になったら耳の部分は使われることがすくないので、あんまり分からないかもしれないけども、シャトルで織ったものを欲しがってくださるマニアの方は多い。

私にとっては、シャトル織機も設備というよりも生地を作るための道具であるし、私の手や頭や体、足も道具といえば道具だと思う。普段右肩でビームを担いでいて、おとといたまたま左肩が気持ち悪かったので、刺激を与えようと、左肩でビームを担いでみた。左肩の筋肉はビームを担いだことがないのでウブなんだろう、担いだら痛くて痛くて、右肩とは大違い。ビームを担いだことのない人が初めてビームを担ぐときに感じる痛さ。

作業する時には必ず利き手を優先して使うようにしている。右手でやろうが左手でやろうが同じとは思わない。布の厚さを見るときにも、右側を右手で挟んで、左側も右手で挟んで厚さが大丈夫か確認する。多くの人が右側は右手、左側は左手で挟んで布の厚さをみようとするけど、同じ手で確認しないと違いなんて分からないだろうと思うのは私だけだろうか。

織物というのは、規格があるけど、規格には縦インチ何本、横インチ何本とか。横の打ち込みが同じだと同じ厚さに織れるのかというと、密度の高い織物だと経糸のテンションで打ち込み密度は変わってくる。テンションを強めれば打ち込み密度は上がる、テンションを下げれば打ち込み密度は下がる。ドロッパーの前に畔棒を入れるのは、糸のテンションを上げるためである。ドロッパーの後ろに畔棒を入れるのは、糸同士が回転して1本になって、ドロッパーに引っかかるのを防ぐためである。

麻織物の場合には糸が切れやすいのでドロッパーの後ろに畔棒を入れる必要はそれほどない。整経の時に、上の畔下の畔を取って整経しておくことが基本だとはおもう。切れにくい糸の場合には、糸が引っ張れても切れないので織れている織物の糸が1本細く吊れてしまうような現象が起きやすいので、ドロッパーの後ろにも畔棒を入れてあげるべきだろう。

富士吉田の前田源さんから聞いて謎がとけたのが、なぜ絹織機は後ろが長いのかという問題。ビームからソウコウまで2mほど後ろがながくとってある。それは昔はシルクはフシが多かったので、そのフシを織りながら取るためだということ。綿織機やスフ織機は、後ろが短いのはフシを取る必要がないからということ。今の時代には絹織機はフシを取る必要がないので別に後ろが長い必要はないということだろう。

織機は小さければ小さいほど手も届きやすくなり扱いやすくなるのだが、それをやるとビームに巻く経糸の長さが限られてくる話になるから、小さくできないんだろうなあと思う。織機というのはちょうど車1台分くらいの大きさがある。林与の工場の中には、30台くらいの織機があるから、車を30駐車できるような工場のスペース。

織機は床にアンカーボルトを打って固定するのだが、固定していないと振動で浮き上がって動いてしまう。織機の場所が自動車を駐車場で入れ替えるように自由に動かせたら織機の入れ替えも楽だろうなあと思うけども、なかなかそうはうまくはいかない話。


2020年08月08日
朝早くに動き出して昨日始めた整経を終え巻き取り、今は、整経屋さんというのが消えてゆく運命にある。整経という作業も単純そうに見えるけども、織る人よりもしっかりしていないと整経の失敗は致命的な失敗につながる。

あと、整経の作業はやった作業を確実に記録しておかないと、次の時に同じものを作ることが難しい。糸の管理や糸の計算ができる人でないと整経はできない。このあたりが、整経作業は工場の中でもできる人がやっていないとあとあと大きな問題につながる。プロの整経屋さんという仕事があるのもそのあたりが関係している。整経の負担が亡くなれば、織物工場は仕事量は半分以下に減るだろう。

また、経糸をつなぐ仕事も専門の業者がいたりする。この作業もなければ織物の作業量はまたさらに半分に減るだろう。麻織物の場合には加工だし前の検反作業や補修作業が織るのと並行して行われる。織物工場で実際に織るという部分はメインのように見えるが本当に一部の部分でしかなく、糸切れで止まった織機を再開する作業というのは車を運転するのと似たような感覚で、誰でもが携わりやすい仕事。

もちろん、糸調子などの調整は含まれるので、それが上手な人と上手でない人の差だけでも、大きな差となる。今織っている織物も、耳までもが大事な織物。織物を織ることは簡単でも耳まできれいに織るとかなってくると何倍も難しい仕事となって、できる人とできない人の差が出てくる。

織れば売れる量産の時代というのは、作業的な負荷の低い織る部分の仕事のウェイトが大きくなる。それが小ロット生産の時代に移行すると、織る部分の仕事のウェイトは極端に減って、全体の作業負荷は何倍にも増すことになる。
2020年08月07日
シャトルの耳が揺らいで食い込む問題、織機に調整を掛けるがなかなか問題は消えない。そこで一休さん。なぜ、きれいに織れないかを考える。一つの結論にたどり着いて、新しいシャトルを使い始めたのが原因だったようで、古いシャトルに戻したら、それが正解で耳がきれいに織れ始めた。

1mも織れないどころか、織れば織るだけ問題の織物が織りあがる。何時間も考えていろいろと織機を触って解決もしない、解決もしないどころか、織機の調子は崩れてゆく。原因が分かって、織機の調整を最初の状態に戻す、今までの苦労は何だったのという話。でも、原因が分かってよかった。もし、分からなかったら他の織機に移動させて織っていただろうけど、その織機もつぶれてしまった可能性すらもある。

普通の織物を織っている時には、耳の部分は使わないので耳の食い込みは無視できる程度の問題だが、林与のリネンキッチンクロスは耳までリネンで織っている。それだけできれいに織る難しさが何倍にもなってしまう。こだわる人にとってはそういうところにあこがれを持ってくれたりもするもので、苦労のしがいもあるというものだが、時折の食い込みは味として受けれてもらおう。

2020年08月06日
昨日は、加工から定番のソフト仕上げが上がってきたので、ネットの溜まっていた出荷などを行う。手伝ってくれているのは夕方まで普通に工場で働いていてくれた女の子、気の毒だなあと思うのは、林与の身内が仕事っ気がないので、私自身が一人いろいろ抱えているのを家のものでなく仕事始めて1年ちょっとの女の子が、素直に働いて仕事を前に進めてくれること。若い人というのは偉いなあと思う。繊維の世界では新興国が日本を軽く抜いてゆくのを林与の中に感じることも多い。

日本人でもう器用な人というのは少なくなったなあと思う。器用というのは結局、仕事経験の豊富さで、仕事経験が少なくなり、一回一回の仕事の深さもなく、経験者ですらもそれほど器用じゃないということも多い。新しいものを生み出していくという力のある人は経験者にほど少なかったりする。逆に、20代の人のほうが新しいものを生み出して行く力を持っていて、私が若い20代が、何十年の経験者を1日の仕事にしても、軽く抜いてゆくのが今の日本。そういうのに恐怖を感じないと、いけないんだろうと思う。そしてそれをつぶすでなく、経験者たちはそれ以上に高度なことを当たり前にやってこそ経験者。

長年の経験者が、仕事面倒がってるくらいなら、次の世代にも害だし、早めにやめたほうがよいだろうと思うことも多い。今、日本人が働くことが、世界からあまり期待されなくなってしまって、結局、日本人が仕事できなくなるほうに日本の政府も誘導で、自分で自分の首絞めて気が付いた時にはもう手遅れ。政治五流が独特の汚さで、経済一流を、食いつぶしてしまった感がある。経済一流というのは、結局、経営者がではなく、現場の人が高度なものをつくる力があったということでそれがちゃんと働いているものに帰ってきたということ。ところが今は現場で働くものは底辺で、国がそれを吸い取ってしまって、政治力のまったくのなさから、国民が働いて納めた税金を世界にばらまいて良い顔するだけの政治家。

全国5000万世帯のうち、1000万世帯が課税収入が年100万円以下の世帯。物価や、医療費を考えると、途上国よりも生活してゆくのは難しい国になってそれを見えないようにしているだけのこと。戦争のときに軍部の上のものは安全なところで偉そうにしていて、国民の命がタダ同然で犠牲になったが同じことだろう。公的な扶助という名目で吸い上げて正しく還元すらしていない、老後の資金を奪う詐欺と同じようなことを、法律作って国や行政がやっては詐欺師よりも悪質だろう。

行政は、エシカルなことを考えるよりも、自分たちの取るばかり考えているのをやめて、恵まれない人たちに分け与えることを考えないと。分け与える何倍も一部のものが取って、取った後の残りを多くに少しだけ分け与えるようなこといつまでもやっていては、途上国にありがちな役人天国構造のまま。そんな役人たちが愚民教育的に人々をどんどんと食べていけないほうに誘導、給料が上がっても実際の手取りは増えず、上がった分どころか、その2倍を社会保険で国が取るとかありえない話。厚生労働大臣のやってる仕事って労働者を幸せにもしないし、じゃぶじゃぶの医療費づけそんなもの。国を破綻させれば破綻させるほど濡れ手に粟な儲かる連中がいるから止まらない。医科大学の理事長の賄賂問題みても厚生労働省や医療行政の汚いイメージが汚いまま、税務署が脱税で動いているくらいなのに、文部科学省や厚生労働省が問題だとして動きもしない。この国の大臣や役人たちは本当に無能で汚くなりすぎたが、そのくらいで成り立っているのが今の日本。途上国にありがちな、行政による汚染拡大を止めないと。日本は食いつぶそうとするばかりのものたちが多くて、これから生まれてくる世代が法律に縛られ搾取される奴隷階級ではかわいそうすぎる。児童労働よりも醜い話が日本の行政では普通の感覚。
2020年08月04日
2月にヨードのうがい薬の500ml大きなのを買っておいた。他の消毒液が品切れのなか、ヨードのうがい薬だけは売れ残り。普通に風邪の予防にも効くからコロナの予防とか滅菌にも効くだろうと。

なにが本当に効くのかは分からないけども予防ってそんなものだろう。意識というのは大事だろうと思われる。風邪にしても風邪薬はないと言われる、結局、自分の体の免疫力を高めることで治癒してゆくような話。

ヨードのうがい薬は新型コロナの治療薬としては意味はないだろう。中国でももちろん一番に試されたと思う。うがい薬としての効果はあるだろう。あまりさわぐことではなかろうと思う。

新型コロナの問題は、医療崩壊につながるというところ。これが完全にインフルとは異なり、病院が感染源になるというあたり。普通のインフルではこれはないが、新型コロナではこれがあるから、武漢、イタリアやスペイン、ニューヨークもそうだが、一人の感染者が何百人に感染を広げるという怖さがあるのが新型コロナの特長中の特徴。
2020年08月03日
昨日の夜は、徹夜モードで作業、追加で加工の生地を朝一番に投入。朝、スタッフの子が来てくれたのと交代で休む。体を休めることのできる幸せ、交代で作業ができるというのは急ぎの作業を進めていくうえで小さな工場の場合には本当に役に立つ。急ぐことを直線的に急ぐこともできるから。

ここ数日、仕事の問い合わせなんかもあって、午後に出荷に絡む整理するとやらないといけないことがリストアップすると10数件溜まり始めている。

単純作業というのは軽くみられるのだが、単純作業くらいができないと高度な作業とか総合的な判断というのは難しいだろうと思う。いわゆる意識高い系が実際には役に立たないといわれるのもそのあたりで、実際の単純作業を効率よく正しく頭で描くように自分自身で進めていける人というのが本当に必要とされる。

学校なら暗記力が大事だけど、仕事は暗記力はそれほど大事ではない。全部記録して確認するということが大事。頭のよいとかが仕事ではあまり意味がないのが、使える道具を使いこなして作業を進めていくということ、面倒くさがらず計算機使って計算とか、コンピュータ使って計算とか。効率よく仕事を進めていくために、道具的なものを使いこなして仕事自体を組み立てていく、そういうのができる人が仕事では強いんだろうと思う。

仕事には決断力みたいなものも大事だろうと思う、ベスト、セカンドベスト、サードベストなど、ベストな決断ができればよいけども、ベストの決断を取れないときに、セカンドベストな決断で進むことも大事で、何が大事かというと手法じゃなくて結果が大事だったりするが、作業している人というのは自分の一番簡単なやり方に固執して、いろんなやり方があってその中でどれを選ぶかということを考えられる人は少ない。一つの物事を進めるにもいくつものやり方があるけどもその中で一番間違いが少なく正しい結果が得られる方法が大事で、そのときに作業する人が確認など楽じゃないことをすればするほど作業の品質は上がる。それが苦なくできることが作業する人の高度な技術。

あれじゃないこれじゃないと時間だけすぎさってゆくのも決断力と行動力のないタイプ。決断できないならとりあえず行動してみてうまくいく方法を見つけるとかすればよいのにと思うことは多い。やってみてもうまくいくかどうかはわからないのに、やる前にいろいろ議論ばかりに時間を使っていても仕方ない。

あと、最初から成り立たないなあと思った案件は無理しないほうが良いだろうと思う。自分だけの問題でなく、難しいのは他の人の問題であることも多いから、自分がやろうとすれば逆にできないことはないだろうけども、自分にじゃなく相手にそこまでの覚悟があるのかの話は多い。仕事の場合、一つの仕事の決断一つに迷っているような相手だと毎回それの繰り返しで、実際の作業はその何十倍も時間使うので、自分が物事を決断できる人と仕事したいと常に思う。

織れるか織れないか分からない糸に何百万掛けるとか、売れるか売れないか分からないものに100万つかうとかも当たり前なのが、仕事を頼まれる側の機屋の普通の世界。自分のお金を使って掛けることに意味があると思うが、他の人のお金で賭け事して儲けるようなこと考える人が多いのが繊維の世界で、偽装や偽物なんかもたくさんあふれるのがそのあたり。自分を掛けることのできる人間はまだましだが、山師が多いのが繊維の世界だけでなく、日本にありがちなあぶくの世界。
2020年08月03日
麻織物に携わろうとすると根気みたいなものが必要で、うちの父親も母親も無理なタイプで、それで面倒なのを他の人にやってもらうのが当り前でやってしまったからそういう覚悟というか忍耐力がないとなかなか麻織物の仕事は難しいだろう。父親にしても母親にしても田舎の人なので、計算が得意とかもないし、飲んで仕事が父親で、食べるのが大事が母親で、自分が仕事するは無理なタイプ。

若い子に仕事を教えるときにも父親とか母親のような感覚だと仕事はそもそも無理なので、あまり仕事が無理な人には仕事を強要することも苦痛だろうから、やる気のある人だけで仕事をするのが一番だろうと思っている。仕事っ気のない人ほど、関わると致命的にやらないで投げ出したり文句言って偉そうにしてつぶすことが目的になってしまうから、最初からそういう自分が成り立たせる気持ちのない人というのは関わらないほうが良い。

経営者タイプの若い人がいたとしたらたぶんやめておいたほうが良いと思う。前澤さんなんかでも早めに身を引いたからよかったけど、続けていたら大きなマイナスだっただろう。自分が手や体を動かして働いているうちは繊維の感覚もぶれないが、それをしなくなった人というのは、人にものを頼むことやしてもらうことが仕事みたいになってしまって早く他の人にポジションを譲ったほうがよいかもしれない。仕事がめんどくさそうな話はそういう人から出てくる。



2020年08月02日
昨日からスカッとした夏の空、梅雨がようやく明けたという感じか。それとも、おととい久しぶりに台湾料理のお店で辛くてニンニクたっぷりのニラレバを食べてスタミナが付いたせいか?台湾料理にしてもあの辛さは辛いというよりも、痺れるような辛さで麻な感覚がある。

今日は軽やかに動ける感じ、太い糸でも切れることは切れるのでそれを縫って直すのは織る以上に時間もかかることもあったりでも、それをするのとしないのとでは大きく違う。布というのは縫う苧から来ているといわれる。私はたぶんそうだろうなあと思う。地機が腰機を指すとされるが、地機というのは元来は経糸を地面に張って、それを横糸で縫って布を作ったのが始まりだと思う。効率は悪いが誰もが思い浮かべることができ、一番簡単に布をつくれる方法。麻に縦糊を貼って一気に織ることも可能だ。中国なんかの村では麻を手で織るときに縦糸の糊付けはそんな感じ。アンギンなんかは上下方向に経糸を張るけど、地面と水平に糸を張る地機と似たような構造。

このカラッとした夏空は、麻を織るにはあまりよくない。湿度が低いから。細い番手の麻を織るのに適したのは雪に包まれた冬だと私自身は思う。今は雪が少なくなってどこで織ろうがそう変わらない。麻織物を織るというのは気温の下がる夜や、気温の低い冬場の仕事のイメージ。昔の出機さんが、織る場所は、太陽に向かって南に向いた玄関に近い出居の縁側が機場。冬場は、前栽の雪と面していて手もかじかんだだろう。

織物というのが自分たちの着るものをつくる手段だった。現金収入のない農村では着るものを買うということはせずに、家の中で織物が作られ裁縫されてが100年前までは当たり前だった日本。今は田舎でも普通に現金生活で、食べるものも着るものも居住にひつようなものもすべてお金がないと難しい。農村でも場所によるだろうけども、湖東地域の場合には、山側の地域は水利なども豊富でコメが確実にたくさん取れて豊かだった。

逆に琵琶湖に近いと農業用水の手配が難しく台風のたびに害で稲が全部倒れて水に漬かってしまうしまうとか、母親の実家が琵琶湖の近くだったからその生活は子供ながらに違いを感じた。農家でもあるけども、漁業的な生活をしていたのが琵琶湖の周辺で、食の恵みを琵琶湖や愛知川から受けていた。

琵琶湖の周辺では江戸時代には荒い織物が盛んに織られていたという記録を読んだことがある。蚊帳なんかもその一つだろう。今は平野が広がっている湖東地域だが江戸時代くらいまでさかのぼると。能登川あたりまで内湖として沼が広がっていた。安土なんて安土城の周りまでが琵琶湖だったんだから驚きそのものである。愛知川の土手の外は比較的住める場所ということで、愛知川の氾濫を抑えるために土手を盛り上げていってその土手の外側に人々が住んだ感じ。天井川である土手の裏側近くは土地が比較的高いので土手が決壊しても水には漬かりにくいという感じだろうか。母親の実家はそんな風な場所で、田んぼはもう少し低い場所にあるが、それが琵琶湖の水面と数メートル違いくらいに近い。江戸時代に愛知川がどこを流れていたのかは正確な記録にはたどり着いていないが、もっとぐねぐねと曲がりながら山から琵琶湖に向かっていたと思われる。

地元の緑に見えるような中を走っていても、埋め立てられた土の上を走っているんだなあと思うと、人の力というのは自然すらも変えてしまうので欲というものはほどほどにしておかないとダメだなあと思う。もうこれからは人も少なくなるのだし、いろんなものを有効活用しながら社会的な負担を軽減していくようにしないと、スクラップアンドビルト型や強制リサイクル型の経済優先型エコでは、結局自然は減っていく一方になろう。
2020年08月02日
昨日大阪の会議の前に、兵庫県のある商店街のお店に立ち寄った。昭和40年代の趣があって、今はシャッター街。そこでの雑貨屋的なお店を今もやっておられるものの、商店街ではお客さんがいないので、本町センター街でも別の商品を扱っておられるという話。本町のセンター街もだいぶ空き店舗が増えてしまって、一旦、お客さんが消え始めた場所というのは商売が普通に成り立つ場所から、商売が普通に成り立たない場所に変わってしまうものだなあと思う。

地の利的な商売をするなら場所は本当に大事だろうと思う。同じ観光地でもメインのお寺や神社に近ければ近いほどおみやげ物屋さんや飲食業は成り立ちやすい。逆にお客さんの導線から離れてしまう一つ裏の通りはまったく飲食商売は成り立ちにくい。普通に普通のことがうまく回る場所というのはあったりもするものである。コンビニなんかでも、成功する成功しないは、場所的な要因が大きい。

私自身、商売の話ばかりしているみたいだけども、本当に成り立たせるかどうかというのは、本人の気持ち次第だと思うことも多い。田舎のコンビニで売り上げがゼロでも自分が自分の蓄えを崩してでも続けていこうと思えば続けていけるし、コンビニのオーナーになることが夢ならそうやって実現することも悪いことではないだろう。

商店街のお店の店長が、商店街がシャッター街なのは、蓄えもあるので自分たちと会わない人が入ってくると困るから売らないのだといわれていた。シャッター街で大変だろうなあと思ってばかりいたが、シャッター街のままのほうが問題も少なくてよいという考え方もあるんだなあと知った。
2020年08月01日
今日は大阪夕方からテキスタイルマルシェの会議があって、1年半ぶりくらいに皆さんとお会いする。会議のあと、このコロナでいろいろと状況も変わってしまい、林与の近況報告や皆さんのご近況などをお聞きする。

テキスタイルマルシェの多くの企業さんもアパレルをメインとしておられるところが多く、アパレルメインのところはどうしても受注状況がばったりとか半減とかで苦戦。新型コロナ需要で、マスクや防護服などを手掛けている企業さんもある。実店舗でやっておられるところも再開をされてもなかなか難しいようなところもあるお話。

でも、皆さんお客さんからの仕事が減ったからすることがないというようなタイプの方ではないので、自分で仕事を生み出していくような前向きな会社さんがほとんど。織物を作っていくというのは右から左の仕事ではないので、こういう社会が複雑化して問題を抱えた時のような状況を、以前から日ごろ抱えて動いて成り立たせているような方が多い。

最近、設備を入れられて元気にされ、また、次に新しい設備を入れると前向きにおられ、このコロナの中でも生地も順調に売れて出荷が間に合わないほどだと、繊維業界に明るい話題を呈される社長さんもおられる。織物ではないけども、同じ繊維業界の中で、こういう落ち込むようなときにも元気にされているのは、普通じゃない考え方で普段から前向きに動いておられるからだろうと思う。