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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2020年10月
2020年10月
リネン日記:22
2020年10月31日
くら寿司に行くとガチャで1回くらいは当たりが出る、みなさんもご存じかと思いますが子供でなければ、当たっても本当にどうでも良いようなものなのだけど、まあ、外ればかりで帰るよりも、1回行くと1回当たるくらいがもやもや感が残らない感じ。当たりももうちょっと役に立つものだとよいなあと思うことも多い。

車で10分くらいのところにくら寿司が出来て、10年以上にはなるだろうけど、昔の当たりにしても、工場の中のどこかにあったりする。昔働いていた子が当たったポケモンシールを整経のノートの表紙に貼っていたりして、働いていた子はもういなくてもそのシールを見るたびに仕事のことや一緒にくら寿司に食べに行ったことを思い出す。

今日も、くら寿司に行って当たったので織機の上に磁石にくっつけたりもしている。当たっても大したものでもないのだけども、そうやって残しておくと意味があるような気もして見ると仕事中でもほっとすることがある。

私自身、くら寿司に行っても食べるネタはほとんど決まっていて、オニオンサーモン、鉄火巻、はまちくらいに赤だしで、満足ができるタイプで、ワサビをたっぷりつけてを楽しむ。くら寿司のワサビも最初のころに本わさびといっていたころのワサビはおいしかったので、くら寿司が他のところよりもお気に入りになっているのだが、今はワサビの味が落ちてしまったように思われて残念なところではある。

シャリとワサビと醤油があれば、ネタはなくても満足できるのである。昔はそういうおっさんも多かっただろうけども、だから、ものづくりなんかも味のある世界があったように思う。今は70とか80の年配の方にもそういうおっさんはほとんど見かけない。案外、そういう食に対するそぎ落としたような他の人からは引かれるようなテイストなどがある。

現代のアーティストがアーティストになれないのも普通の生活すぎてというところがあるんだろうなあと思うことが多い。求める人生観が普通で他の人が求めるような超えた世界にたどり着けるのかというあたりの問題。世の中、俗な話ばかりだけど、俗化してしまった感覚では逆に良いものは生み出せないだろうなあと思うことも多い。

今のものづくりというのは、売れ筋をみてとか他の人が作ったものを見て真似るとか、そういうのが本当に多い、ものがありあふれていると逆にそういうものづくりが普通で、ものがないところから自分が道具や材料をつくるところからが本来のアーティストの世界。ものじゃなく人という要素が成熟していないと難しいなあと思うのは、先進国よりも途上国の手作業からのほうが、味のあるものが生まれてくる。

繊維の世界だけじゃなくて、医療の世界でも、東洋医学と西洋医学というのがあって、先進国では西洋医学なのだが、実際、漢方やツボとかの東洋医学を西洋医学が合成して作って薬にしているようなのが現実で、医薬品会社もパクリ的なことで認証を受けるみたいな。

マスク何かも、理論じゃなく経験なんだよと思う。アジアではマスクでウィルスと戦ってきた経験があるからコロナでもマスクを当たり前につけるのが国民の知恵。医療関係者がマスクを否定しても、国民はマスクの経験を持って、マスクが自衛になるとマスクをつける。まさに東洋医学に通じる布マスクを否定したがる、サージカルマスクの西洋医学との戦いがそこにはあって、先進国きどりの国の医療関係者の質の低さがでてしまったのが今回のコロナの問題。自分が他の人を下に置きたいような連中が、人々が自分たちを守ろうとする普通のこともさせないようなマスクつけるなとやって、今は逃げている。日本の腐った政治の世界そのもので、弱者の命のかかわる問題も、政治家や権威主義の人間の欲と天秤に掛けられる。

すいません、ガチャのような軽い話題で入って、最後重い話になって、でも政治家ですらもが国民の命もどうでもよいのだから、そして片付けも国民に負担させて笑ってるだけ、だから本当に自分たちで気を付けないと。

イメージとしたらくら寿司のお寿司を提供する話は民間の話で、税金や消費税とって、くら寿司のガチャポンみたいなのが日本の政治で、国民にはうれしくもない当たりが来るだけ。税金や消費税が、政治家たちの為にあるという本質で、それで宝くじ的なガチャ的なものがGOTOやGOEAT、普通の頭で正しく使おうとしても、最初から無理と抜け穴ばかりで呼び込みはまさにマルチと同じレベルで、それを東大卒が集まる人たちがやってしまう。庶民的な騙されやすい賛同者をかき集めて、そのあとに、マルチ商法の現実を、改正とか節度とか求めて。最初に無理と成り立ちもしない豊田商事のようなことやるのが政府で、国民をお得だと煽りながら金かき集めといて逃げるのは駄目だよ。今回もそういう事態にならないか見届け判断を下すべきだろう。

そのために、マスメディア以上に厳しい目で、GOTOEAT試していて、騙されるの覚悟そのもの、現場のくら寿司の店員がかわいそうなくらいに、7時50分から8時の予約で、8時15分のテーブル案内。本当はくら寿司が守らなければ、ESPARKが守らなければいけないことも守れなく、農林水産省も認可で、現場に、暴動がおこる可能性も引き起こすケイオスがあって駄目。企画するものが本当に自分が出来ないことを企画しているのがGOTOやGOEAT、現場はかわいそうすぎて、なんでお寿司食べに行って、暴言沙汰になるくらいの修羅場を見るののはなし?

EPARKの予約の時間帯予約は待ち列の最初になるという話すらもが嘘で、行っても20分待ちで、他の予約が優先されている。これは予約を取る契約としては駄目な話で、嘘を農林水産省の業務委託の現場が普通にやって収拾すらもがつかないレベル。時間予約していてい飛ばされて時間予約すらもが成り立たず怒るのも当たり前で嘘ばっかり。嘘つかれてばかりで文句言いが悪いのかというと、怒ってたおっちゃんのほうが契約的には当たり前に正しいだろう。

契約を強いながら、GOTOEATや委託業者が契約違反で対応というのもお金儲けが優先しすぎていて駄目な話、現場が本当にかわいそう。怒っているおっちゃんがたぶん法律的や契約的には一番正しいし、現場も正しいが、統括している農林水産省やその委託業者が、現場の人間よりも高い給料や待遇ながら、平日の5時や6時までで対応すらも逃げている。そこに大きな問題がある。頭の良い大卒が集まってザルだらけのどうしようもないキャンペーンをつくる、成り立たないのも当たり前のキャンペーンで成り立つほうがおかしい話。

私自身は、1時間待つのも平気だが、そうやって細かな予約も手間でも細かくさせておいて予約通りにやらないお店とか国とか、その間の業者とか。都合がよすぎる話なのである。予約キャンセルが問題になっているけども、それと同じ問題を国や委託業者がやってしまっている。ザルなものをつくって、ザルの問題を他のものに投げかける、一番駄目な連中が罰せられないといけないと思う。特例的に問題があるとかじゃなく、全体的な問題そのもの、やっている連中がザル作っている。
2020年10月30日
暑かった夏も終わって、思えばもう10月も終わり。仕事をしていると1か月というものはすごく早く済んでいってしまうものである。追われていると逆に日が経つのは早いものである。

それでも、アパレル関連の会社が仕事が激減している流れの中で、やらないといけないことがいっぱいあるというのはありがたいことではある。先日も、2年ぶりかに京都の芸術系の学校で染色を指導されているお客さまとお話して、2年前よりは少しは落ち着いて仕事ができるようにはなってきてますというご報告。

自分のことだけでなく、お知り合いのみなさんが元気に仕事を続けておられるのを聞いて、お仕事のつながりが少なくなっていても続けておられるのを聞いてほっとするのである。飛ぶ鳥を落とす勢いのところほど数年後には跡形もないような状態になっているとかも多いのが繊維業界。地道なところは長続きするけども、華やかなところというのは大きくなって最後には限界が来るとそこで終わり。ゼロからでも育てていけるようなビジネスモデルが大事ではないのだろうかと思うが、華やかなものに人は集り、廃墟が待ち受ける。その廃墟に思えるようなものの中にも芽生えるものがあってそこからでもまた育てて行けるのだけども、そういう芽というものは満ち足りた社会に育てられるよりも、満ち足りた社会に食われてしまうことが多い。

私自身、仕事を続けていられるのも、いろんな偶然が幸運的に重なっていて何とか続いているだけだろうなあと思うところがある。どの商売でも初めて数年で仕事がうまく行かなくなってやめられてしまうとか、何十年やってこられたところでも、5年、10年後にはもう辞められてしまったとか。特に繊維関係で人が多いところは1年ごとに会社全体が年を取っていってしまう感じで、慣れの感覚でやってるだけだと、どんどんと普通の仕事も難しくなっていくだろう。そういうのを多く見てきた。

何十年の職人さんでも自分ができることを次の人に教えることができる人だと一人前なのだが、そういうタイプの職人さんというのは少ないもので、一番よい方法を他の人に教えられるくらいだと、逆に若い人に新しい方法を求められても素直に従って出来たりして、日々高度な仕事につながるもので、出来上がるものも高度なものとなってくる。

自分よりも次の人に上手になって自分がより高度なことをこなせるようになるのが理想なのだが、仕事が慣れのレベルで止まってしまって、その慣れのレベルがどんどんと落ちていくというのがよくある話でよく聞く話。
2020年10月30日
この仕事をしていて大事だなあと思うのは、動くこと。仕事ができる人というのは、たとえば、どこどこに何がある、というと、すぐに取りに行けるのだが、どこどこに何がある?と聞いても、あそこにあるわよ、みたいなタイプの人は多い。

この仕事をしていても、糸の場所をしっかりと分かっていて自分で取りに行ってまた自分で残ったら返せる人と、それができない人とでは、その人が仕事をするのにもう一人必要かどうかという問題になってくる。単に糸を扱うだけでなく、ロット管理などのことも含むと、そういうのができる人というのは、本当に一部の人だけで、そういう人が仕事をしていないと仕事はやったらやるだけ、問題が残っていくことになる。

林与にも一杯糸があふれていて、それはロットごとに袋に詰められている。いろんなロットを一緒にまとめてしまうとゴミになるので、混ぜることはしない。同じ色の糸でもロットが違えば違う糸という概念がないと、この仕事は難しいだろうなあとそういう他の人の糸の世話をするのができるかできないかで、仕事ができる出来ないが変わってくる。

織物の仕事というのは単に織るだけでなくそういうのができないとなかなか難しい、手機さんでも、何十年やっている人が糸を間違わないために、こちらでもったいないのだけども、わざわざ新しいビニール袋に使う配色ごとにマジックで番号も書いて分けて渡しても、ビニール袋を農業かなにか他の用途につかいたいからと次の時にいったら、全部の糸が一つの箱にはいってるとか、そしてどの糸をどの織物に使うかわからないとか間違うとかが、年配の職人さんにはよくある話で、心配ばかりしながら仕事してもらうような状態。経験者ほど世話をしないと成り立たないような状態が普通で、若いものにやってもらわないと仕事ができない。

先代も同じだけども、自分が社長というのは考え方や判断すらも間違って、面倒な計算や面倒な仕事組なども耐えることができないので、どんぶり勘定で仕事を台無しにしてしまうタイプ。つくれば売れる時代の人たちというのは、売れなくなった時には変わらないといけないのだが、驕ったままでやって馬鹿にしていた海外の織物に追い抜かれたというだけのこと。プロが素人に負けるがあたりまえが繊維の世界。
2020年10月29日
ヘンプというのは自生するくらいなので農薬の必要もないので、オーガニックなのであるけども、一方でオーガニックヘンプと謳われないのは、あえてオーガニック栽培をする必要もない部分があるからだろう。

もう一つ、オーガニックと呼びにくいのは、ヘンプの植物自体が毒性を持つ部分があるから毒性の検査の必要なものが、オーガニックの概念とは馴染まない部分があるからなんじゃないかなあと思う。

日本も戦前は大麻が至る所に生えていたといわれているけども、前後GHQの指導により、大麻草は撲滅された。そもそもその大麻草というのは、インドのような毒性の高いものではなく、交配によって無毒に近く品種改良されたものが昔に中国から日本に入って来たものと考えられる。

栃木県などでは大麻栽培がおこなわれれていて無毒に近いものではあるが、たとえば、鳥取での村おこしでその無毒の株が植えられて隠れ蓑になって、毒性のある大麻が栽培されてしまっていたようなことが疑われている。その場合、鳥取の無毒の大麻は、有毒の大麻と交配して優勢遺伝して有毒化してゆくだろうから、花粉も2km飛ぶとか言われていて、有毒なものを誰か悪い奴が育てていると、無毒の大麻を育てているつもりでも、有毒なものを育ててしまうことになる。無毒大麻にしても健全にオーガニック栽培というのは難しいのである。

中国では大麻が大量に栽培されているけども、その背景にはマリファナなどに対しては非常に厳しい法律があって、それ故に産業用大麻が成り立っているように思う。日本では神宮大麻などはこのままでは消えてしまうと危惧されているけども、一部の限られたものだけが限られた用途のためだけに栽培を許可されるのがやはり安全だと思う。日本の麻業界も、素材としての戦後大麻を封印したような感があったが、大きな変化だったがそれを受け入れた。今また、中国などから糸を輸入して大麻が、エコな素材として脚光を浴びてはいるものの、大麻が栽培上はオーガニックながらその毒性からオーガニックとはみなされないあたりが繊維用途の大麻の悲しい側面である。
2020年10月28日
以前、日本の亜麻栽培の事を少し調べたことがあって、軍需や資材向けに亜麻が北海道で栽培されていたことはしってはいた。また、最近のことになるが亜麻実油を取る目的で、北海道で亜麻の生産があることも聞いてはいた。

数年前に、北海道で亜麻を育てておられる方が、亜麻を紡績するのを日本で出来ないかという相談を受けたのだけども、アパレル向けの亜麻糸というのは、できないこともないだろうけども、コスト面で生産量もすくないから、海外の5倍とかの値段になってしまうのも普通だろう。それをやられるとその人の地道な活動が成り立たなくなる話で、いくつかの方面はご紹介したけども、紡績は海外でやるのが普通にはやはりコスト面での優位性がある。

今日、12月の会社訪問の件の事前打ち合わせで、北海道で亜麻を育てて糸を紡いで自分で織られて作品を販売されておられる方の存在を知った。日本も明治になるまでは、そういうのも普通で、自分で糸を績んで、織って、家族の着るものを作るというのが、農家の人だったら冬場の仕事として出来たりした。そういうのを今の人がするというのは成り立たせてゆくのは大変なことだろうなあと思うが、そういうものづくりを求める人というのは多いだろう。京都与謝野でも、自分で綿花を育てて糸にして織物にされている方にお出会いしたけども、どれだけ時間があっても足りないだろうなあと思える世界である。麻組合さんでも手績みの糸を作られるところからやっておられたりするので、時間との戦いを覚悟して、出来上がったものにしても売るのがもったいないと思えるくらいの話だと思う。作った人が一番その価値を感じていて、そういう価値を理解できる人に買って使ってもらうのが一番だろう。

私自身も、日ごろの頂いている仕事に追われているけども、時間ができれば林与の近江上布絣柄の広幅ブロジェクトをまた手掛けてみたいものだと思っている。数年前にやった広幅プロジェクトも、型紙彫るところから捺染して織りあげるまで1柄2日でやるとか。それよりも、染を覚えたり道具を作るのに試行錯誤したり。どっぷりと浸れば他にないものが自分の手から生まれてくる。

イタリアや中国の展示会で、自分の手でつくったものを展示していると、今はファッションの世界というのはデザインだみたいなところがあるけども、デザインだけじゃなく人の力を感じる布みたいな要素を感じてもらえるものである。
2020年10月26日
武漢でロックダウンが行われたときにあれは中国だからできることと驚き、欧米では個人の権利が優先されロックダウンなどは不可能だと思っていたが、実際にヨーロッパの都市やニューヨークでも行われた。コロナに対する警戒心も時とともに薄れ始め、欧米では個人の人権意識や自由な行動が優先され始め、世界レベルではコロナは以前以上に拡大のスピードを増している。

ヨーロッパでは、フランスやベルギーが危機的な状況。EU圏では、人の動きを遮ることができず、気温の低下とともにコロナが活性化しているように感じられる。まだ、11月、雪が降るようになって年明けとか2月が一番気温も低くなり重傷者も増えるであろう。

コロナというのはまだ未知のところがあり、ヘルペスウィルスのように一生体内から消えることなく、体力が落ちた時に体内に潜んでいるコロナウィルスが活性化して症状を表すというようなこともいわれていて、今まで回復したとされる人でも、陽性化する可能性もあるとされている。感染した人が回復しても免疫も長くはもたないとされていて、2度目の感染もあるということが言われている。中国武漢では2度目の感染が特に危険だとされていた。

中国武漢の場合には、あの体育館のような施設の中がコロナウィルスであふれていてクラスター状態になって、多くの患者がたくさんのウィルスを体内に吸い込んだと考えられ、それがあの多くの人が死んでしまうような重症化の悲劇につながったと思う。

コロナ対策としては、重症化させないためには、空気を入れ替えウィルスの密度を下げ、個を空間的に隔離することが一番大事なのである。ダイヤモンドプリンセス号であれほど患者数が増えたのは、やはり、人の交流が多かったからではないだろうか、船員を介しての感染もあったろうと思うが一切それはない前提で検査もせず。屋形船もそうだが船の手すりなど湿ったり濡れた状態だと多くの人が間接的にだが、多くの人に触れると同じことになる。取っ手のついたドアなども外気を遮るために船や屋形船には必須だろう。寒い時には特に毎回多くの人が取っ手を触って開け閉めすることになるから。

あと人だけでなく、たぶん、船の場合、ネズミがコロナウィルスに感染してコロナウィルスをまき散らしている可能性も高いだろう。ハタンウィルスを見ると、ネズミというのは宿主になり、その種類により、コロナウィルスを変異させる可能性もあるから怖いのである。コロナウィルスが、ネズミから人に感染するとすれば非常に危険であるが、コウモリからとかネズミ、蛇からの感染が発端だとされているのがコロナウィルス。
2020年10月23日
今日は、スチールラック2つ設置してL40番手の糸を片付け、先染織物の工場というのは糸であふれているもので、染めた麻糸であふれている。林与は特に染めた糸であふれていて、なんとかしないとなあと思うばかり。

染めた糸にしても同じ色でも染のロットが異なれば、原糸のロットが異なれば基本違う糸なのである。ビニール袋ごとにいろんなロットの糸があふれていて、そういう糸を捨ててしまうことはなく、基本、いつか使うように残しているのである。麻糸というのは何十年でももって、昔の糸というのは値段も高かったけどもその分品質も良いというのがよくあること。

今日も、昔の糸を箱に入直すときに触って、今の糸にないような感触を感じたりした。それは撚糸だったけどもふわっとしたありえない落ち感のあるリネンの糸の感触。25年前の糸で、10kgちょっとだったけども、1反50m分ほど特別の反物をつくるときに使おうと思う。

リネン生地というのは、年月がたって良い風合いが出てくるものである。今日上がってきたリネンにしても、加工上がりでパサパサしていて好きじゃないことがあるけども、それを林与で何年か寝かせると湿気をすって風合い的にいい感じになることも多い。よく、加工から上がってきていまいちだなあと思った布が、倉庫に寝かせていると数年後におやこれはと思うこともあったりすることも多い。

生地になってからも繊維というのは生きているのであり、一年もない草の命よりも、糸や服になった後に何十年もの寿命を持つものなのである。

2020年10月22日
アメリカ時代に、サンディエゴのルームメイトたちが、私よりも英語も上手で行動力もあったことが、私の今の行動力にもつながっている部分がある。逆に勉強とか英語力はどうでもよいのだと思い始めたのもその辺り、クラスメート4人で一緒に住み始めたのも、クラスが始まってから2週間くらいで、私がクラスメートのエトガーに今部屋を探している話をして、前から、後ろから声が掛かって、4人で一緒に済むことになった。

私がルームシェアしたオーストリア人のエトガーは私から見るとすごく親切な人のできたクリスチャンでコンピュータ関係の仕事をしてバケーションを取って6か月、サンディエゴに滞在。敬謙なクリスチャンで、人の温かさみたいなものを常に発信している人で、難しいことも言わない人間ができている人格者そのものだった。エトガーを怒らせた唯一の事件が、アパート内での4名で、ダブルスを組んだ国際テニス大会をやったのだが、エトガーの後ろで強烈なサーブをした林与のボールがエトガーの首の辺りを直撃。もちろん意図的ではなかったが、試合中止になり、テニスするのを楽しみにしていたエトガーが、もう二度とテニスを一緒にしようとは言ってくれなくなった事件。逆の立場だったら、味方のサーブが怖くてテニスなんかできなくなるだろう、分かるんである。

クリスティーナは、当時から付き合っていたディエゴと結婚して、クリスティーナは法廷通訳、ディエゴはマサチューセッツ大学の教授になり、プロフェッショナルな家庭を築いている。クリスティーナとディエゴは、今会うとなんでこんなに人間が出来ているんだろうと思うくらいに立派になられて、その当時から林与自身が成長しとらんなあと思うばかり。大学の先生だと留学生の世話をしたり、また法廷弁護人だと犯罪を犯した人の話を聞いたりと、いろいろと頭だけじゃなく、人を理解してあげる力が必要なんだろうなあと思う。クリスティーナの悲劇は、サンディエゴから引っ越ししようとして、メキシコの知り合いの車を借りて、引っ越しの荷物を詰め込んでサンディエゴの友達のアパートの駐車場に車を一晩泊めたら、その車が盗まれてしまって、借りた車は保険でなんとかなったようだが、今までの思い出の写真や身の回りのものがすべて失われたような事件があったそうで、20年して初めてその話を聞いたときにびっくりして、いろいろと小さいころからの思い出の写真をみせてもらったので残念に思った。

もう一人のジニーさんはアメリカ人と結婚をして、ニューポートビーチで生活を始められたが、音信不通になってしまった。アパートの最後は、エトガーが去って、私が去って、クリスティーナが去って、一番最後まで、アパートに残られて、片付ける約束だったのだが、それを正しくしなかったようで、アパートの保証人をしてくれたクリスティーナのお父さんにバッドクレジットが付いて、クリスティーナが新しいアパートを借りるときにもその履歴が影響して弁護士にそのバッドクレジットを消してもらう手続きが必要になったとかで、私も最後にエトガーのデポジットの返却分を建て替えしていたのに、ジニーさん側から電話で、私が退去して半年後に、アパートから2000ドルだったかの請求が来たから何とかしてほしいと言われて、内訳が、掃除もせずにとか、プールやテニスコートのカギを返さなかったとかで、それはその二人の責任だから自分たちで解決するべきだと、私とエトガーのデポジットの返却分はあきらめるけども、その2000ドルはなんとかジニーさん側二人で解決するべきだということになったのだが、クリスティーナにバッドクレジットが残るということは、そのあとアパートに対して支払いもせず問題を残したままだったのだろう。
2020年10月21日
私が女の人がすごいなあと思ったのは、高校の時、40人くらいのクラスで女子は10人くらいなのだが、その10人くらいが成績の上位7名、8名だったりする。私は最初それに気が付くこともなく、クラスの中で女の子が少ないのはやっぱり男のほうが勉強ができるからなのだろうかと思っていた。

ある日、クラスメートが、上位10人のほとんどは女の子だよ、といわれて、ぎょえー、普通に真面目におとなしくかわいく見えている女の子たちが頭も優秀、遊ぶのに一生懸命で馬鹿な事やってる男たちが馬鹿みたいな現実。

女の子たちというのは、男の子たちには見えない逆にすごいプレッシャーがあったんだろうと思う。ほんわかとした雰囲気の中で、それなりに自分でやってる人たち。高校3年の時にも、医学部を目指していた女の子がいてその子は授業中に受験勉強。

普段一言も話すこともなく親しくもなかったが、私がいつも分厚い英和辞典を机の中に入れているので、授業中、後ろから貸してほしいと頼まれた。頭の中にほとんど辞書が入っていて、ほんとに困ったから頼んで来たんだろうなあと。辞典に頼っている私とは雲泥の差。また、女の子だから、分厚い辞書なんて持ち歩くのがダサくて恥ずかしくご法度だったと思う。

授業を聞くのに必死な私と、受験勉強に必死な人。自分自身でやらないとダメなことを自分自身でやる力というのを感じたのもそのあたり。京大とか医大とか目指している人たちというのはほとんどがそんな感じで、教えてもらうじゃなくて、自分で求めて理解していく能力を養ってられたみたいな感じ。高校生なのにすごいプレッシャーの中でかわいそうなと思ったのもそこだけど、普通にみえてそれだからすごいなあと庶民的な林与は格の違いを感じたのである。

あと、大人になって、高校大学と馬鹿してた人たちが、社会人として優秀になられていることも多い。ヤフーのチャットで、夜中、インストールに関してのコンピュータのことを質問したら、ハンドルネームがアホなんとかだったのに、すごく親切に教えてくれた。この人すごくこんぴゅーたのこと詳しいなあと思った。京都の高校だということで、なんとそれが高校時代のクラスメートだったとかでびっくり。ハンドルネームの名前の由来も、分かる話なのである。

真面目ばかりじゃなくって、若いころに馬鹿してなにかに没頭していることも大事だなあと思う次第。なにかに没頭できる人というのは結局、何かの道を究めることができるので、仕事も無欲の極みみたいなところがあるから、成功しやすい。たとえば、体育会系の人にしても、何も考えずにとことんできるタイプが多い。そういう人というのは、大人になってからでも目の前の物事をやっていくのには一番迷いもなく強いタイプ。日本の社会において自分で仕事していくには、案外、このタイプが良いだろうと思う。苦手なことでもそれなりにできる人たち。とくに、仕事というのは頭で考えるだけじゃなく行動に移す必要があるから行動力というのはすごく大事だったりする。
2020年10月19日
土曜日仕事したあと、徹夜モードで、月曜日の朝まで織ってみる。与えられた時間は36時間ちょっとみたいな話で、1時間に2m織れると72m織れる計算で、60m織れればなんとかクリアか。他の2台の別の織物も動かすが、織機を3台動かすだけだと退屈なので、プログラミング言語のことを検索しながら。ながら作業だが、ながら作業にありがちな大きなミスを防ぐために、織機を動かすときに毎回、経糸の通し違いなども確認は怠らない。普通はながら作業すると大体が大きな失敗で終わることが多いものである。

プログラミングのほうが、覚えないといけないことも多くややこしいので、5分に1回、織機を3台動かすということはすごく単純な作業に思えてしまう。調子の良い織機を動かす作業というのは、運動のような感じ。いろんなことを毎日覚え、宿題もある小学生というのは大人以上に大変だなあと思う。なぜ、繊維産業が難しいのかはコンピュータ産業やIT産業が日々新しいことを覚えて実践なのに、繊維産業というのは慣れで仕事しているからだろうなあと思う。繊維産業でも、慣れてしまわないで新しい試みを実践してゆくことが大事だとは思う。

途中、睡魔との戦いが始まる。明け方冷え込むので寒さとの戦い、冬山用の寝袋を引っ張り出してきて、その上で作業。月曜日の明け方2時間くらい眠ってしまう。2時間ならまだ大丈夫、再稼働。

月曜日の朝、9時、スタッフの子が来てくれて機場交代で、私は昼間で眠る。月曜日なのでどうしても電話も多く起きて4件電話対応。午後1時に機場交代で私が織り始める。寝たのでかなり調子がよく、検反出荷をスタッフの子が動いてくれて、夜9時前の出荷に間に合った。

できるスタッフがいてくれて、私が夜織ることで納期などがクリアできるというのは本当にありがたいこと。スタッフも織るだけでなく、私と同様、検反や補修、出荷作業などもこなせるだけでなく、細かい注意点なども当たり前にくみ取って作業してくれるので、若いのに優秀だなあと感心する。

私自身が、コンピュータが得意なことなどは、織物の世界にも生きていて、仕事の組み立てや、織物の設計、糸量の計算など、織物業界の企画や現場の人が普通苦手とすることをできるあたりにつながっている。
2020年10月17日
先日、またもや4Kノートパソコンの購入してみた。4K表示は一般的な用途には向かない。FHDという、1920X1080くらいが、パソコンを一番使いやすい解像度だと思う。1世代前の4Kノートパソコンと比べると格段にスピードが上がっていて、ストレスが亡くなっている。

4Kというのは、表示自体も処理が4倍になるので、そこそこのCPUを積んでいないとダメだったりする。ただし、動画をみるだけなら、昨年の4Kノートでも十分なので、昨年の4Kノートは、展示会などでのプレゼン用に使おうと思うが、そもそも、4Kである必要があるのかどうか。

高解像度のコンピュータディスプレイというのは、なぜか、私にとっては小学生のころからのあこがれであった。できる限り高解像度のものが欲しいなあと思っていたが、4Kになって、お腹一杯に近いイメージで、これ以上解像度が上がっても人間の目がついてゆけないくらい。

恐ろしいなあと思うのは、そんなノートパソコンが、4万円から6万円くらいで手に入ってしまうこと。あとは速度が上がることくらいしかないのでそろそろパソコンメーカーも限界に来ているだろう、こんなパソコンであっても飛ぶようには売れていないのが悲しい現実だろうと思う。

4Kディスプレイの優れたところは、ワードのA4文章の2画面を同時に表示して編集出来たり、また、外付けの4Kディスプレイとつなげば、相当の情報量を同時に見ることができること。普通の画面の4倍、8倍の情報量を一度に見ることが出来たりする。同じ時間で、何倍もの情報を人が処理することができるのである。

私が中学の時に買った最初のパソコンは、カシオのポケコンだった。小さなプリンターもついていて、それが当時1万円。確か、12文字X1行とかだったと思う。でも、そこには今の時代につながっていくような夢があった。
2020年10月14日
反物を届けるために2か3年ぶりに長浜のDENさんのお店を訪れた。平日とコロナの影響で、観光客の方というのは少なめ。ゼロというわけではないけども少ないなあと思う。DENさんは、東京の百貨店イベントなどにも出かけられてオーダー受注をもっておられるので生産のほう忙しくされているようである。

アパレル関係はどこもが良くない話が多いがそういう良い話を聞けたのがよかった。でも、一着一着服をお店の中でつくっておられるので簡単な仕事じゃない世界。スタッフの女の子も初めてDENさんを訪れたので、裏の庭も見せてもらった。いろんな食べられそう系の草木が植えられていた、オリーブ、レモン、サクランボ、唐辛子、アボカドなど。
裏庭を見たのは良かったが腕を蚊に刺されてかゆい状態で、そのあと黒壁スクエアを軽く見て回って、最後大通寺を見て、帰路についた。

お店商売というのは、コロナ禍では大変だなあと思えるばかり、普通にお店を開いているだけでは、平日は観光のお客さんは少な目なので特にたいへんだろうなあと思える。数年前と比べると空き店舗をいくつか見かけるようになった気がする。

レストアされた町屋風のたたずまいのお店も雰囲気があってよいとは思うが、私的には普通の商店街の普通の八百屋さんみたいな昭和風の古びたお店が今も普通にやっているのとかが一番好きだったりする。小さく存在するならそういうのが大きなスーパーの食料品売り場と同じじゃなく対照的でよいと思えたりする。問題は、コンビニとは違って、常連さんが普通なので、一見さんのお客さんが入りにくいあたりだろう。自分が使わないとしてもそういう絵になるお店が残っていてほしいなあと思ったりする。

海外なんかに行っても観光地よりは、現地の人が食べる食堂的な場所が好きで、そういうところの庶民的な味が好きだったりする。食べて口に合わないこともあるけども、そういう味覚の違いなんかも新鮮で、味わってみたい気がするのである。

黒壁スクウェアにあるおみやげ物屋さんで、帆布を織る用のシャトルの管に興味を持った。なんでたくさん小さな穴が開いているんだろうと。私がなんでだろうと考えていると、スタッフの女の子が管が回っても光が通って感光フィーラーが検知できるようにと正しい答えをすっと言ったので、それだ、スタッフの子は自分のやってる仕事のことよくわかっているなあと。この前も丹後の八丁撚糸機を見た時に、水滴が全部の管に落ちていないのに気が付いて、その水滴が管が回るときに他の管にも飛び散って問題がないんだということも気が付いて偉いもんだなあと思った。
2020年10月13日
アパレルの大手5社で、3100店舗を閉鎖するというニュースが目に入った。3100人じゃなくて、3100店舗閉鎖。単純に考えて10倍から20倍のスタッフの働く場がなくなるのではないだろうか。店舗なんかも何の落ち度もなくきれいなお店が消えてゆくことになる。たとえば単純に売り上げが3分の1になった場合に、百貨店の中のお店よりも直営の路面店のほうが維持が難しいのではないだろうか。

アパレルも身内である従業員の解雇問題への対応でアパレルも服を作っているような状況でも今はないだろう。企画したとしても1つの企画あたりの数量が半分に減ってしまうと、製造原価は逆に上がることになる。サンプル、本生産の流れだと、生地からつくることは難しいだろう。また、閉店の大きな特損を乗り越えるためには、原価率を下げたモノづくりへの移行が必要になってくるだろう。不況時にあるデフレではなくスタグフレーション的な、売れないときに物価が上がる流れ。また、売れるときに大量生産で物価が上がるでなく下がる流れが今の世界経済。

日本のアパレルの原価的な下代は上代の3割くらいだろうと思うけど、在庫リスクとあとの処分を考えると成り立ちにくいだろう。素材にこだわりをもっていたブランドさんにしても海外のSPAモデルへと移行してゆくしかないような気がする。海外のSPAモデルの原価的な下代は10分の1とかが普通で、仕入れ値の10倍の値段をつけて、店頭に並べるものづくりしか選択枝のないアパレルも増えてくるのではないかと思う。

アパレル不況というのは当面続くだろうと思われる。同じく素材関係の不況も当面は続くだろう。国内が海外の大手SPAのようなものづくりを追うようなことをしても成り立つはずもなく、国内は国内でモノ作りが薄くなるほうに動くのではなく、モノづくりが濃くなるほうに動くようにしないとダメだろうと思う。

繊維業界というのは、どうしても古い体質から抜け出せず、権威主義になりがちで、もっと、原点に返って地道な価値観から再出発が必要だろうと思うのである。繊維の業界でもピンな人たちというのは古い体質ではなく、前向きに自分が手や体、頭動かして、トータルソリューション。古い体質のよくあるパターンが、具体的な仕事の話や問題の話をしても、うちのだれだれに言ってくれとか、自分が自分の会社の担当に話をするのもしようとしない程度だと新しいものをつくるとか問題を解決するとかは無理だろうなあと思う。
2020年10月11日
今年もお寺の裏にある林与の柿がたくさん成ったのだけど、残念ながら2年前の柿と比べると全然おいしくないのである。甘さが少なく味が薄い、2年前は12月に食べていたのに、今は2か月も早い1月に食べないと熟して落ちてしまう。数はそれなりに多いので、2年前のおいしい柿の反動が出ているのだろう。

まあ、それでも、1か月ほど前は、ヤツガシラに全部葉っぱをやられながらも、農薬どころか肥料も、害虫すらも柿の木のはっぱを享受し、その末に残って成った実で、オーガニック農法以上の自然そのものの柿なのである。子供のころには当たり前だったヤツガシラを柿の木にみたのが久しぶりで、安心をした気持ちすらある。柿を食べる害虫にみえても鳥などから食べられてしまわないように全身をとげで守っているヤツガシラ。葉っぱを食べつくすとヤツガシラも食べるものがなくなって消えてしまわざる負えない、あのあと蛾になって飛んで行ったんだろうと思う。

それが最高においしくないとかあっても、おいしいだけが価値じゃない、成っているだけは毎日食べようとは思う。最高のものを求めて普通のものを受け入れられなくなってしまったらそれはバブルのころの浮かれた価値観と同じで、現状を受け入れることが大事。柿をとってもレジ袋が必要なわけでもなく、手で持って帰って包丁で向いて食べるだけのこと。

リネンの糸などロットによって当たり外れがあるけども、外れのリネンのほうが問題も多くても手間が掛かっていて大変だった思い出は残る。そういう時に、傷になって織れないとか補修するために納期を待ってもらったりと肩身の狭い思いをしながらも、温かさをいただけたりでやってて良かったなあと。

また、野生の鳥たちが、熟した柿の実を食べる、その分くらいは当たり前に残しておいてあげる必要はあって、その残った分から人間が柿を取って食べる。自然を守るというのは認証とかそんなんじゃなくて、人間自身がある程度のあきらめをもって自然と分かち合う必要があるだろう。他の動物や植物と自然を分かち合うことが大事ということで、そこには、自然に対する権利なんて概念は必要がないだろうと思う。

人間同士だけで、自然の取り合いをしているから、自然そのものがどんどんと消えてゆく。人が手を加えないことが自然なのだが、私が90年代にアメリカにいた時に、ヨセミテ国立公園などの自然意識に関して知ったのだけども、自然に天災などで火災が起こった場合には、自然に消えるまで消さないとかいうほどの自然保護の意識。

商業的なものばかりではなく、人の手の加わっていない自然農法的な天然の恵みを授かるようなところも大事だろうと思う。品種改良などでかけ合わせがあろうとも、品種改良を進めるばかりではなく品種改良をバックするようなことも大事だろう。そしてそれを分かって、品質が落ちるのも分かって人間が取り入れて自然を守る。

私自身がオーガニックリネンを扱っていても、問題が多く、それは仕方のないことだと思いつつ、手を掛けて織っている。自分が手間を惜しまないで手を掛けることが自然と商業的な部分とを成り立たせるための部分だろうと思っている。オーガニックリネンにしてもオーガニックラミーにしても、強度と品質の安定性の面で織れなくなることも普通、それを手間を掛けることで成り立たせてゆくのも、オーガニックを支えたい気持ちをもつものだけができること。途上国の児童労働を嘆いていても自分がそういう子供の代わりにその程度の労働を当たり前に代わりにする覚悟もない人が少ないのがオーガニックのエシカル的の本質的な問題。

自分たちの老後よりもこれからの人の将来を考えてゆくべきだろう。自分たちが考えて生きてゆけるような社会土壌を残してあげるべきだろう。ボタンの掛け違え見たいなルールを残さないようにしてゆくべきだろう。PCBやアスベストなどを安全と推し進めたのも、学者たちでそれを認可したのも国で、オーガニックの世界も営利的になりそれと同じような感覚に陥れば、オーガニックでやっていることが、PCBやアスベストのような地球環境破壊につながる恐れも多い。遺伝子組み換え作物なども学者が生み出し国が認めたものだけど、もう、その責任から逃げだして会社は消えてしまった。
2020年10月10日
高級織物の代表の一つである丹後の絹織物の世界を見せていただいて、製造工程における織機に関する違いなど感じることができた。あと織機だけじゃなく、働いている方々の人生観の違いのようなところも感じた。それぞれが独自の環境の中で人生観で織物に向かい合っておられるんだなあと感じたのである、私自身の織物の価値観の位置づけみたいなものがそれなりに個じゃないといけないなあと思ったあたり。

絹織機の後ろが長いのは絹を織るのには適しているだろうと思う。シルク織物というのはフシなどの問題が麻と比べれば少ない分、逆にフシなどがあれば、それを織っているときに後ろで間引いてあげる必要がある。そのために絹織機は後ろが長いと聞いたことがある。また、今回丹後の整経機などをみせていただいて、ドラムの直径が大きいことが同じく気になった。どの織機の整経も機草をいれてビームに巻いておられるのも違いに思う一つ。この3つの私にとって違いに見える要素というのは、すべて共通の問題を解決するためにあると思えたりもした。現場で作業しておられる方が感じられない違いみたいなものがそういう織機の違いにもあって、絹の産地の高品質な絹の世界が守られている。高品質な絹織物を生む工程にたどり着いて今はそういうことを考える必要が少なくなって、現場の人もなんでだろうと思わないまま、それが普通のことになってしまっているのだろう。

西陣では西陣織物の生産が難しく、京丹後が西陣織物の本場であることなども、広い作業場を必要とする伝統的な織物のものづくりに理由があるだろう。市内の中心地で捺染をしておられた業者さんにしても、市内で続けることが難しく郊外に移られるなど、繊維業界の問題というよりも世の中の流れに繊維業界があおりを受けて追い出されてしまうということもあるんだろうなあと。一宮の有名な加工工場さんにしても、固定資産税の計算式が変わるだけで成り立たなくなるとか、外の世界が自分が構えないスタイルにどんどんと移行することで、人も、場所も構えている繊維業界が廃業に追い込まれていく問題。繊維業界の中の競争というよりも、繊維業界以外とスタイルの違いによる競争。

日本では労働集約型の製造業は難しいだろうという結論もあることにはあるが、人の考え方が異なれば、織物にしても誰でもつくれるということはないだろうと思う。技術はなんやかんや真似できたとしても、美観的な要素は人生観が表れるので、真似できない個の世界がある。また、金儲けでやってる人というのは続かないことが多いけど、損してでも続けている人というのは仕事に対する考え方からして違うし、その世界を自分がマイナスからでも作りあげる覚悟みたいなものがあって、そういうすべてを組み合わせれば、海外にはない日本の繊維の価値観や日本人の人生観らしい独自の価値観をもったモノづくりができて、つくるものも独創的なものだったりするだろう。
2020年10月09日
昨日は、京都から独立して裁縫関係の仕事を始められた方が、麻の風呂敷生地の確認に来られた。雨の中、多賀大社で、お参りと多賀大社名物のそばを食べた。私はてんぷらそば大盛、がっちり系の3玉分くらいの分量のそばが入っていて、出汁も多い目で、私好みの盛り付け感でうれしかった。

多賀大社も雨のせいか参拝客は少なめで、お昼時なのにそばを食べていたのは私たち二人だけ。換気をよくしてあるためか、肌寒い感じのソバ屋さん店内。私の着ていたのがTシャツに短パンと、まだまだ夏姿。それが一番の原因だろう。

その後、会社で風呂敷生地の確認、後染めにされるとの話で、風呂敷にすると2枚分染色テスト用の分を持って帰られた。そのほかに小物用に生地をみられ、目の詰まった派手目の小さなチェック柄がよいとのことだけども、なかなか小さなチェック柄の在庫が見当たらない。

夕刻には別のお客様から、本麻のチェック柄の件で問い合わせ。本麻のチェック柄というのは普通に見えるかもしれないけども、本麻で縦に染糸で柄を組んで使うというのは、もう過去の話になりつつあるくらいに、技術面でもコスト面でも難しい話になってきた。とくに、リネンじゃなく、ラミーの本麻のチェックは、柄が大きくなるといろんな問題も見えてくるし、配色によっては糸の収縮率の違いで、表情が変わってくることなどもあり、ものづくりのリスクも伴い、覚悟も必要な話。

ラミーというのはどうしても、柔らかくすると安っぽくなり、高級感や光沢感を出そうとするとどうしても硬さが残る傾向にあるので、そのあたりが、今の柔らかいものばかりがあふれている服飾市場では受け入れられることが難しくなってきた。風合い的には綿麻くらいを求められることも多い。数回着用され洗いなどが掛かると本麻の風合いが柔らかくなって馴染んでくるのだけども、一番最初の試着で硬さみたいなものを感じられ、柔らかいものはないかとおっしゃられる方も多い。一般的に、業者の方などは特にその傾向が強く、市場から硬さを感じる素材が消えてしまっているように思ってしまう。
2020年10月09日
池袋の暴走事故の裁判、被告は海外でのトヨタのリコール問題などにも詳しいはずで、そういう安全性を監督する国の一番上のトップだった人、内部事情にも詳しいから、事故がトヨタ自動車の欠陥だと言われてもトヨタも反論をしにくいのだろう。2008年あたりのトヨタ車は、ブレーキとアクセルの不具合の指摘は多く、特に海外では、トヨタの大規模リコールも行われ、2010年からはトヨタ全車種にブレーキオーバライドシステムが採用されることになった。日本国内ではあまり話題にならなかったが、国がそういうのを問題視しなかったことがあるだろう。

自動運転でも、5Gなど活用で通信テロが起こっても自動車メーカーの責任は問わないなど閣議決定されたりの裏ではそういう日本の技術のトップが、事故や問題が起こる想定もしながらメーカーを擁護する立場で問題が発生して大きくならない限りは、無防備な開発を許可する。国は違うがFAAとボーイングの関係も、飛行機事故が起きても、まず、飛行機を買って使っているお客の責任としてしまうあたり。JR西の事故でも、130kmでカーブに突入しても脱線はしないという前提で、置石説に誘導したり、100kmを超えるスピードでカーブに突入した運転手個人の責任にしてしまったが、それを回避するために自動ブレーキシステムを導入するとか。それよりも、最初の前提の130kmでカーブに突入しても脱線はしないみたいな感覚の安全意識を正すべきだろう。マニュアルにそって正確にしようとすると逆に事故が起こるということの典型だったりする。ダイアというマニュアルさえ遅れの問題が起こったときに無視をできればよかったという安全意識が必要だろう。よく似た脱線事故が台湾の高速鉄道でも起こった。自動ブレーキシステムが正しく働かなかったことよりも、遅れなどの問題発生時にその問題に合わせて対応できることが大事だろう。あまり、器機に頼りすぎると普通の想定がなく逆に危険である。

たとえば、自動運転車、安全装置がいっぱいついていて、安全装置を切らないとまともに走らないとか。自動運転車の安全性を語るときに、無事故で10万kmはしったと実績の裏には、実際は、安全装置を切って人間が運転していたので、メーカーが自動運転の事故ではないとか笑い話。自動運転車の開発の商売は、自動運転車を売ることよりも、投資家からの出資のお金が目的の部分が強い。話題性でお金を儲けるビジネスなのである。

今回の池袋の事故での違和感というものは、院長でもあった被告が自動車メーカーに安全な車を作ってほしいとか要求するあたりで、死亡事故の責任だけでなく、技術に関しても他人事のようなことをいってるような人がそういうのを監督する国の技術のトップだったということ。自動車に乗るということはそういうメーカーの問題も覚悟して乗らないといけないような状況を作り出す立場だった側が、自分が事故を起こしたときに自動車の欠陥の責任にするというのは矛盾があるのではないかと思える。

1980年代、スペースシャトル計画というのがあって普通に有人飛行、40年後の今スペースX計画。40年経って、あの頃の技術さえもない。スペースシャトルも相次ぐ爆発事故などで悲劇に終わったけども、今の開発のほうが、週40時間で、飛行機事故が起こっても開発した人の責任意識すらもない状況。最新の飛行機が、まともに飛ぶのが難しいような航空力学的に、昔よりもアンバランスな機体、それをプログラムでバランスを取って飛ぶようにしているだけのこと。根本的な問題を解決することを避けながら、全体の責任を統括する人も不在で、計器のメンテナンスの義務化をすればするほど、逆に取り付けミスなども増えて、墜落の可能性が高くなるような話。

1個の小さなセンサーの取り付け角度の問題で、飛行機が落ちてしまうような設計。メンテナンスする人も、もちろん初めての人もいるだろうし、絶対に正しい角度でしか取り付けできないような設計にしておかないと危なすぎるが、機体とセンサーを作る人は別で取り付ける人も別、お互いが分業で、センサーが正しく取り付けされるような設計の概念すらもがそこには生まれない。

それに張りぼて張りぼてで、安全機能をつけて、なんとか安全に飛ぶような話では、いつか問題が起きるのも当たり前で、ものづくりの根本から見直していく必要があるのだろうが、ボーイング社であっても、既存のモデルの保守と新しいモデルの製造保守を考えた時に、同じ機体が一番効率がよいという結論になるのだろう。

パイロットの判断で墜落すると分かったときに、墜落を回避しようとしても、安全装置が働いて人の力で危険から回避できないような最新の飛行機。自動化してブラックボックス化してしまうと人の力ではどうにもならないような化け物を生み出してしまう。落ちた飛行機をボーイング社ではなく、フランスで事故原因を究明したりしたことで、見えてくる真実があったりする。バードストライクが原因だとしたいボーイングが事故原因究明に関わるだけで事故原因の究明も難しくなるだけだろう。

リニアモーターカーの運転が2030年あたりに予定をされているが、今の新幹線を存続して新幹線の経営の悪化問題はどうなるのという問題も準備しておかないといけないだろう。航空業界でもセントレアなど、コロナ前でも便数が非常に少なく、航空会社のアライアンスで、出発便の掲示では1便が、4便くらいに化けでたくさん飛んでいるようにみえるだけ。経済が拡大する時よりも縮小する時のほうが難しいのだから、縮小時には、縮小時に合わせて成り立つ方法を考えていくべきで、無理な拡大政策をやらないほうが、重荷が増えなくてよいのである。儲けるために皮算用やって、予定通りにうまく行かなくて逆にその人たちの経営が悪化するを生み出してしまうと、それを打開するために外国人観光客の誘致など無理やりも多くなる。ジャパンディスプレイなんかも、液晶業界のダメージをさらに広げた典型で、海外の仕事したい人の本気のものづくりに、今の仕事したくない流れの日本のものづくりが通用するのかというと、ジャパンディスプレイだったはずなのに、税金を投入したものが他国に持っていかれ、他国の肥やしになってしまうだけ。
2020年10月08日
今までやったことのない失敗が月曜日にあって、織ってみても縦糸が出てきにくく、キズになる状態。それのリカバリーに昨日と今日、寝ている間も、どうやったらリカバリーできるだろうかと、整経からやり直すべきだろうかと案じていたが、今日、織ってみると出にくそうにしていた糸も昨日とは変わらないくらいに出やすくなって織れたものを確認しても問題が分からない。

丁寧な加工で仕上げる布なのでいろんな工程を経るのでたぶん大丈夫だろう。やり直すとなると、また、二人でやっても2日、3日のロスとなる。他の仕事も2日、3日できない話。それが回避できてよかった。まだ、経糸が残っていてやり直すという判断もできるので、気分的には、それもできない状況と比べると余裕があるが、通常のお客様のオリジナル企画の仕事は染糸なども注文量をこなせるだけのぎりぎりに近い量しか染めないことが多いので、糸から手配しなおして染からやり直すと、遅れを取り戻すために1週間2週間その仕事だけしかできなくなるので、仕事というのは並行して計画的にこなしていくのが一番よいやり方。

納期に追われたりすると、経糸なんかを最後まで織り切れば、次の仕事にも影響がないのだが、急ぐ分だけ織って、経糸を上げて後でまた織ろうとすると、一つの仕事が2度手間、3度手間、加工も2回に分けてとなったりですべてが成り立ちにくくなる。

織物というのは最終商品じゃないことが多いので、その後に縫製工程などがあって、そこの予定も変更になってくるので、予定通りにいくことが理想だけども、縦が細番手の麻の織物や、麻の高密度織物というのは予定通りに行くことはまずないことが多い。そこで、遅れを取り戻すために2交代で織ったり工場で張り付いて織ったりで納期を間に合わせることになる。

最近は、納期のある織物というのはなるべく少なめにして、出来上がったもの在庫してそれを買っていただくような流れに持って行こうとしている。そのほうが、生産の計画も柔軟に建てられるし、問題が起きた時にも無理せずにじっくりと解決が出来たりする。
2020年10月05日
今日はスタッフの女の子がメインで私がサブで京都の与謝野にお邪魔して、大江さんに案内をしていただいて、風呂敷のちりめん生地を生産しておられる丸仙株式会社さん、ネクタイ生地を織られている由里機業場さん、手機や金属織物をされているHARIGANEさん、そして、京都府織物・機械金属振興センターにお邪魔して見学をさせていただいた。

大江さんの旦那様には初めてお会いしてお話を聞いて、すごく、私と考えと似たところがあって、私以上に人生の早くからその方向で動かれて、迷いも少なくいろんなことを行動されて、シルク生地に落とし込まれて、奥様の大江さんもそうなのだが、技術だけでない、人を惹きつけたり、人が求めるような素材の味を生み出せるような感性を持っておられる。その強さというのは人生経験の強さなんだなあと感じるのは、同じような繊維業界にありがちな繊維業界のありがちな過去を背負って生き残られているというあたり、ご夫妻ともに素敵に見えるだけでなくとことんな超えた世界の強さを持っておられるのを感じるのが大江さんのシルク生地。私は麻の人間で、シルクとは別の世界に思えるけども、隙の無いような高級感とか、味の世界とかいうのは共通した価値観の世界があるので、天然繊維の絹、綿、麻の高級なテイストとか、逆の味とか、素材そのものでなく人々が素材に求める価値観や面白さにしても、突き詰めてゆけば共通な要素があって、ガチンコな世界の共通認識みたいのも感じさせていただく、でも、スタイルは正反対かもしれないけども、人生を見る目や繊維の世界の布に対する価値観に対する考えは同じところみたいな共通項。

丸仙株式会社さんでは、昭和の織物が良かった時代にタイムスリップしたような、味のある作業現場が残されており、八丁撚糸の工程や、整経の現場や織の現場、糸の糊付けなどの現場を見学させて頂いた。昭和の活況だった作業場のたたずまいが今も変わらないままに残されているのが本当に素敵で歴史遺産クラスというか歴史遺産そのもの。絶対に、失ってしまうと取り戻せない価値観がその現場には詰まっているからなんとかそのままの形を残していただきたい。なんか、昔の大勢でやってたときの大正とか昭和の戦前あたりの時代の林与の現場を見るようで、それを今の時代に残されているようなところが文化遺産クラスなのだが、それが実際の商売として続いているあたりは奇跡的なくらいにすごいほどの努力と苦労だと、時代の流れに合わせて設備を着ものからアパレル生地に移行したときに、近代化してしまった林与からすると絶対に残してほしい。設備や現場風景が今も動いて続いていることが、ありえないほどにすごいすごい価値だから。

由里機業場さんでは、ネクタイ生地を織られているジャガード織機を見せていただいた、華やかな柄の先染めなので林与の作業現場と似たようないろんな色の染糸が置かれており、15000本の経糸ジャガード織物を普通に織られているのが印象的で、自分用にいくつかシルクのネクタイをお土産に購入させて頂いた。2本は高級感のある落ち着いたジャガード、1本は華やかなピンクのボーダー柄と思いきや裏側にはジャガードらしいかわいい小柄が入っている。どれもシルク織物の産地産のシルクのネクタイを織られた方から買うという特別なお土産。家に帰って眺めても自分の選んだ柄には大満足して買わずに帰ってたらすごく後悔してただろうなあと思っている。

Hariganeさんは、明日からギフトショーに出展されるというお忙しい中、相当に手を掛けられた手織り織機の数々を見せていただいた。この方は織物の人というよりも技術者だなあと思うが、ご本人は建築家とおっしゃっておられる。機から自分で作られ、自分で糸から紡いでおられて、どれだけ時間があっても足りないことをやっておられるのだなあとやったら面白いなあとおもうことを現実の形に変えられていて、木棉から育てて、紡いで織物にするまで、一方で、金属織物も別の工場で手掛けておられ、やりたいことを自分ですべて形にできる器用さみたいなもの、また、まだまだ使えるのに機屋の廃業で廃棄されるような織機や機械を残して生かす力には感服するけども、それよりも、技術だけでなく、織物のいい感じみたいな素材を作るときに技術じゃなく一番大事な感性を持っておられるのがイコール人生観みたいなところで、素朴なもののなかに味わいや面白さを求めることができる深さ、それこそが生み出せる人の力、建築にも共通する人になじむいい感じがホームファブリックアイテムとして生まれる。

夕方前に、センターで検査設備や貸し出し設備などを見学させて頂いた。他産地の私が現場見学しても本当に丁寧に説明をしてくださり、働いておられる方の全力で支えたいという真心が伝わってくる。センターにはジャガードの載ったシャトル織機がたくさんあって、それが産地の特色を作り出して問題解決などにも役立っているのだろうと感じた。反応染料でのインクジェットプリントの試作ができるなど、そのための前処理、後処理の設備などもみせていただき。興味あった設備の概要を知って、これはなかなか維持すらも大変な設備だなあと思え、ローラーを丁寧に洗っておられるのを見たりして、もし林与がこういう設備を導入しても維持が大変で今の仕事も仕事どころでなくなってしまう可能性があるのも感じた。具体的に、置いてある機種など現実的な設備を見てタレレバの部分が現実的に見えた部分がある。zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz今日は私がメインじゃなかったが?京都の与謝野にお邪魔して、大江さんに案内をしていただいて、風呂敷のちりめん生地を生産しておられる丸仙株式会社さん、ネクタイ生地を織られている由里機業場さん、手機や金属織物をされているHARIGANEさん、そして、京都府織物・機械金属振興センターにお邪魔して見学をさせていただいた。

大江さんの旦那様には初めてお会いしてお話を聞いて、すごく、私と考えと似たところがあって、私以上に人生の早くからその方向で動かれて、迷いも少なくいろんなことを行動されて、シルク生地に落とし込まれて、奥様の大江さんもそうなのだが、技術だけでない、人を惹きつけたり、人が求めるような素材の味を生み出せるような感性を持っておられる。その強さというのは人生経験の強さなんだなあと感じるのは、同じような繊維業界にありがちな繊維業界のありがちな過去を背負って生き残られているというあたり、ご夫妻ともに素敵に見えるだけでなくとことんな超えた世界の強さを持っておられるのを感じるのが大江さんのシルク生地。私は麻の人間で、シルクとは別の世界に思えるけども、隙の無いような高級感とか、味の世界とかいうのは共通した本物の世界があるので、天然繊維の絹、綿、麻の高級なテイストとか、逆の味とか、素材そのものでなく人々が素材に求める価値観や面白さにしても、突き詰めてゆけば共通な要素があって、ガチンコな世界の共通認識みたいのも感じさせていただく、でも、スタイルは正反対かもしれないけども、人生を見る目や繊維の世界の布に対する価値観に対する考えは同じところみたいな共通項。

丸仙株式会社さんでは、昭和の織物が良かった時代にタイムスリップしたような、味のある作業現場が残されており、八丁撚糸の工程や、整経の現場や織の現場、糸の糊付けなどの現場を見学させて頂いた。昭和の活況だった作業場のたたずまいが今も変わらないままに残されているのが本当に素敵で歴史遺産クラスというか歴史遺産そのもの。絶対に、失ってしまうと取り戻せない価値観がその現場には詰まっているからなんとかそのままの形を残していただきたい。なんか、昔の大勢でやってたときの昭和中頃の時代の林与の現場を見るようで、それを今の時代に残されているようなところが文化遺産クラスなのだが、それが実際の商売として続いているあたりは奇跡的なくらいにすごいほどの努力と苦労だと、時代の流れに合わせて設備を近代化してしまった林与からすると絶対に残してほしい。設備や現場風景が今も動いて続いていることが、ありえないほどにすごいすごい価値だから。

由里機業場さんでは、ネクタイ生地を織られているジャガード織機を見せていただいた、華やかな柄の先染めなので林与の作業現場と似たようないろんな色の染糸が置かれており、15000本の経糸ジャガード織物を普通に織られているのが印象的で、自分用にいくつかシルクのネクタイをお土産に購入させて頂いた。2本は高級感のある落ち着いたジャガード、1本は華やかなピンクのボーダー柄と思いきや裏側にはジャガードらしいかわいい小柄が入っている。どれもシルク織物の産地産のシルクのネクタイを織られた方から買うという特別なお土産。家に帰って眺めても自分の選んだ柄には大満足して買わずに帰ってたらすごく後悔してただろうなあと思っている。

Hariganeさんは、明日からギフトショーに出展されるというお忙しい中、相当に手を加えられ多機能化された手織り織機の数々を見せていただいた。この方は織物の人というよりも技術者だなあと思うが、ご本人は建築家とおっしゃっておられる。機から自分で作られ、自分で糸から紡いでおられて、どれだけ時間があっても足りないことをやっておられるのだなあとやったら面白いなあとおもうことを現実の形に変えられていて、木棉から育てて、紡いで織物にするまで、一方で、金属織物も別の工場で手掛けておられ、やりたいことを自分ですべて形にできる器用さみたいなもの、また、まだまだ使えるのに機屋の廃業で廃棄されるような織機や機械を残して生かす力には感服するけども、それよりも、技術だけでなく、織物のいい感じみたいな素材を作るときに技術じゃなく一番大事な感性を持っておられるのがイコール人生観みたいなところで、素朴なもののなかに味わいや面白さを求めることができる深さ、それこそが生み出せる人の力、建築の世界とも共通する人になじむいい感じがホームファブリックアイテムとして生まれる。

夕方前に、センターで検査設備や貸し出し設備などを見学させて頂いた。他産地の私が現場見学しても本当に丁寧に説明をしてくださり、働いておられる方の全力で支えたいという真心が伝わってくる。センターにはジャガードの載ったシャトル織機がたくさんあって、それが産地の特色を作り出して問題解決などにも役立っているのだろうと感じた。反応染料でのインクジェットプリントの試作ができるなど、そのための前処理、後処理の設備などもみせていただき。興味あった設備の概要を知って、これはなかなか維持すらも大変な設備だなあと思え、ローラーを丁寧に洗っておられるのを見たりして、もし林与がこういう設備を導入しても維持が大変で今の仕事も仕事どころでなくなってしまう可能性があるのも感じた。具体的に、置いてある機種など現実的な設備を見てタレレバの部分が現実的に見えた部分がある。
2020年10月04日
トランプ大統領がコロナに感染して入院というニュース。誰でも感染して5人に一人が悪化するというのが、武漢、ニューヨークやブラジル、ヨーロッパのコロナ。日本のコロナはなぜかかなりおとなしいがそれでも高齢者の死者は多い。

日本の社会問題としては、ホームヘルパーが83歳の介護した人にコロナを感染させ死亡した可能性で4400万円の慰謝料を請求したような国内のニュースも出てきて、家族ができないようなことを善意をもってサービスを提供しても代わりに献身的にやったものが訴えられる世の中。それが病院なら訴えるもないだろうけど、弱いヘルパーだから、訴えられてしまうのだろう。

対策もしていてそれでも感染させてしまうと、代わりに面倒をみていた家族から訴えられる。一番、世話をしていた方が亡くなられて家族以上に悲しいのは世話をしていたヘルパーさんだろうとは思う。法律ができあがると頼むことが権利のようになって問題ああれば締め上げる。

私の祖母も最後7年間、老人ホームのお世話になってヘルパーの方が二人葬式にも参列くださったので偉そうなことはいえないのだが、身内でもなかなかできないことを他人が業務として覚悟して献身的に受けてくださるということはあり、感謝の気持ちしかない。

尊厳されるべき大人が長生きすることは子供が育つよりもややこしい問題が多い。たとえば、予防接種にしてもふつうに副作用でなくなる人はいくらかはいたりするがこういう訴えは認められることはない。国が浅はかなこともやったりはするので、女子に頸癌検診を受けさせて副作用で死亡というのを、日本の厚生労働省はアメリカでリスクから禁止されたものをアメリカの薬剤会社の商売を肩代わりして日本の医療関係者も潤わして日本人をモルモットのように下請けすることも多い。輸入血液製剤と同じビジネスモデルで、数年後にはリスクが高いことがわかったみたいに、結局、受けたものが被害者。ガンのリスクすら本当に低下するほどの保証もなく、逆にそのワクチンがガン以上の危険性を及ぼす可能性が高い。

健康な体にいろんなワクチンを接種させることが逆にどれだけ危険か、今回のコロナでもありえないことだが儲けるためにやってる製薬会社の薬の副作用を日本の国が製薬会社には問わないという姿勢、国もその責任を負う覚悟もなく紙の上の契約書がつくられているだろう。コロナに殺されるのか、ワクチンに殺されるのかの選択を、人の命を守らないといけない責任のある厚生労働省が責任感もなくやっているあたりが、カネミ油、水俣病、薬害エイズ、原爆訴訟問題の体質そのもので、本来は国民の命を守らないといけない立場のものが自分の責任を追及されると自分たちは正しい知識もなかったで責任逃れやってしまう。いわゆる国の責任逃れのために、被害者を苦しめるようなことがあるなら、最初からやらなかったほうが良いのじゃないかと思う。

繊維の業界でも、食べるものもチャンスもない貧農の娘さんに3年で家が建てられるくらいの待遇をしても叩かれるのが日本で、食べるものもなく命を奪うのが日本の国だったりで、富岡製糸工場のような、良家の娘さんだけを集めて素晴らしさを見せるような形で
、じゃぶじゃぶのものを国がやったが、まともなものも作れるはずもなく、その面倒も最後、そういうじゃぶじゃぶとは逆の精神でマイナスをかぶって成り立たせる民間が跡地でも保存して世界遺産とか。人一人が食べていけないのを法律優先してほったらかしとか、民間の責任だで終わり、上から吸い上げるだけでへっちゃらなのが、今回のヘルパーの問題にもつながる。

厚生労働大臣の全体でみると100分の1の待遇どころか厚生労働大臣も逃げるような現場の仕事と責任、掌る厚生労働大臣はコロナ問題から逃げていても成り立つが、現場の者は逃げることもできない矛盾。逃げて吸い上げてなりたつ政治と逃げることのできず国に吸い上げられる現場。階級社会の縮図そのものに思えるところがあって一番駄目な法律に守られた搾取社会の典型だろうと思う。末端の待遇をよくすることは社会的には難しいことで、簡単なのは吸い上げているものが現場を支える側に回れということ。そいうのを一番にする覚悟もないものが上に立っても一番無意味なだけ。