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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年10月
リネン日記:22
2020年10月03日
京都の加工工場の方が来られて、加工業だけでなく消費者をターゲットとした商品展開を考えられている。新しいことをしないと昔のままでは成り立たないという、本業を守るためにも新しく副業的なことを伸ばそうとされている。

ものづくりの考え方からすれば、売れるものをつくればよいと考えるけども、売れる売れないなんて時と場所によって変わるし、デザインやアイデア的に売れるものというのは半年1年で安い物が、海外や日本の大手によって似たものが海外でつくられて淘汰されてしまうのが普通なのが繊維の世界。

笑える話だけど、12年ほど前に、リネンコート自分たちで1から作ってヤフオクで1万円以上で販売したら、半年で6000円で、大手のSPAのM社がそっくりな形のものを販売してきた。それが日本の大手SPAのものづくりなんだなあと割り切って生きるしかない。

自分たちが作る現場や人員を持たないとどうしても企画しても監督していようが人々の人生の責任を被る覚悟もなくで、真似したものをつくってと海外の業者に頼んで似たようなものを安く出してくる。大企業なんだから、そういう素人的なものづくりやめないかなあと思うより、今の繊維の日本企業というのは、40時間の労働では海外のモノづくりの人たちに負けてしまっていて、売れ筋を真似して安く作って並べて儲けるしかないコンビニ商法になっていることがほとんど。

それは消費者にとっては便利なことであるけども、アートとファッション、さらにはモノづくりを考えると、著作権とか商標とか意匠とか、考えた時に本当にほどほどにしておかないとと思う。

アジアやインドの恵まれない生きるも難しい人が自分の手で生み出したものをちょっと手を加えて、自分が作ったもののようにいうエシカルナも多く、自分が手を動かしてその人たち以上にその人たちを助けないで上から目線のエシカルが、何百年の歴史をもったその国の繊維産業を本質的に駄目にしたりも多い。

インドで一着の服を最初から最後まで作れる人を、一つの工程を担当する単能工にするのが、今時のモノづくりで、本質的な服飾産業の深さからすればそれは何百年の歴史をちょっとした快楽的な待遇でダメにしてしまうだけのこと。インドのものづくりが日本や先進国の資本で普通に落ちてしまうのが本当に残念なことなのだが、そういう意味が分かる人というのは少なすぎる。

最初から最後まで洋服を作れる人というのは本当に希少で、それを単能工にするのが今のSPA的なものづくり。貧困であろうとも仕事に意味を感じてやっている人たちを、搾取的に利益誘導して搾取されていてかわいそうみたいに、その場しのぎに食いつぶすのはやめないかと思う。

日本人も同じ以上の苦労を覚悟して支えてあげるのが本当のエシカルなんだと思う。私からすれば自分が死ぬのも、トランプ氏が死ぬのも、アフリカの子供が死ぬのも同じ感覚。各国の首脳が一応にトランプ氏がコロナ感染というだけで、気遣いするというのもまさにBLM問題と同じ話。トランプ氏が世界の一番恵まれない人を救うことを考えていかないとアメリカファーストというのは、命を失う弱者を生み続けるだろうと思う。日本だと与党だけでなく野党も同じで、自分が恵まれないその人たちと同じ以上の苦悩を日本の政治家として受ける覚悟がないと、与えられた特権すらもがそういう搾取階級を生み出すだけのことで無意味だろうと思う。

戦争するなら戦場で一番に命を捨てて戦う覚悟がある人間が戦うべきなのだが、貧しくて市民権を得たい外国人が傭兵的に戦うとか、裏では命を犠牲にさせる搾取で、世界平和という大義、そして原油利権で国家予算規模の何兆もの利益を原油ディベロッパーが享受する。戦争というものは経済の為に人々の命を犠牲にしてなりたつもの、敵は外にいるのではなく中にいて一番安全なところにいるものが戦争を先導して多くの犠牲を生みながら利益を得るだけのこと。

大きな命や戦争の話に名たけども、繊維の世界の前線に立つものとそれから利益を得るものとの違いもおなじことで、私自身、自分の親の先代が働くということの意味もはき違えて、自分が普通の仕事も覚悟せずに、寝る時間をどこまでも減らしてこれ以上は無理で、糸を割る一番簡単な仕事を頼んでも酒を飲んでテレビみているばかりの親が、ワシがするのかとほざいたのが、今の世界の縮図だろうと思う。

トランプのコロナ感染に気を配るよりも、アフリカのコロナ問題を解決するべきだろう、力もない人や子供たちが当り前にコロナで死んでいる。人の命の重さに、強弱がありすぎて、それがBLM的な問題の本質だと感じる。トランプ氏が自分の命や家族の命のように他の人の命を考えられればと思うが、それこそ基本で、その基本すらもがないあたりが、多くの人の対立を生む原因。日本でも同じこと。
2020年10月02日
日本の社会だとどの業界でも過去の栄光があれば死ぬまでその業界を牛耳るみたいのがあって、経験の長いのものがどうしても蛇の世界を作って新しい世代を挫くが多い。

なぜか、布の世界でも実際に作業をしない人のほうが偉そうにいることが多く、そういう偉そうな人というのは作業することが面倒な話が多く、その辺りから変えてゆかないと、海外のモノづくりとの差異はないのではと思う。海外の資本主義的なものづくりがそんな感じそのもので、企業のトップが自ら手を動かして作業をする精神がなくてはモノづくりはアイデアとか発想だけの形式的なものに終わるだろう。

東証がシステムダウン話題になっているけども。一つの賭場が一日閉鎖されただけのこと、騒ぐ必要もあるまい。そういうのが起こる想定があるのが普通なのだが、そういう想定もなくみたいなのをどうして求めるばかりなのか。

運営している東証の受け答えは冷静で隠し事もなく正しく思えるが、マスコミ関係者がどうしてもパニックやあとあとの問題を生み出すような下手糞な対応を求めている気がしてならない。コンピュータが落ちるなんてことは普通のことで、その落ちた時の対応をどうするのかを考える必要があるのだが、落とさないことばかりに議論が行って、逆に、アメリカの証券取引所で運営側の機関投資家がコンマ何秒一般の顧客よりも有利に先に取引できるような仕組みで、何兆円も儲けるような世界が生まれても叩けない体質になってしまっている。証券取引所にしても胴元が成り立つことがすべてのような賭場の部分。

投資家の欲を成り立たせるために国が年金で株価を支えるようなところにまで来てしまっていたりと、本来の目的すらも逸脱されてしまって、欲の世界を守るための位置づけ。欲で借金を背負うことで経済が回る部分があって、自分の老後が安泰という欲を利用して公務員が吸い上げるチャンスやそれを溶かしたりするチャンスが生まれる。国民を騙すような法律ができてそれが正しいというボタンの掛け違え。騙したい連中にかかわることなく生きるすべがないものかと思うが、騙すことも一つの法律で守られた権利になってしまって、国民を騙す一番の詐欺師というのが政治家だったりで悪徳商法がかわいく見えるくだいである。