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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2021年1月
2021年1月
リネン日記:25
2021年01月28日
林与の裏の田んぼが宅地開発されるということで今までそれほど気にしていなかった境界の確定の話などが必要になってきた。林与の家は出てゆかれる人の土地を買ったりしての番地なので、いろんな番地が混在している。それなりに、番地がどこからどこまでかは確定しているものと思ってはいたけども、建物を建てたのがその番地の安全な部分に建ててあるので、その建てたものを基準に境界を決めてしまうと結局は安全に立てた側の面積とかが狭くなってしまう。

今回は自分が境界を決めたいということではないけども、昔だと隣近所との境界は、測量もせずにここからここまでみたいな感じでアバウトにやってきたのだが、今は、宅地開発の会社との話になるので、はっきりと決める話。話合いで変な形のを長方形の形に近づけることもできるので悪い話ではないだろう。自分の所有面積をしっかりと確保できるように境界を決めるのが一番正しい方法ということになる。昔の地形というのは現状に合わすしかなくなってきているので、現状の地形をもとに、自分の所有面積をしっかりと確保できるように境界を決めるのが一番よい方法ということだろう。
2021年01月26日
DENの北山さんが生地を買いに来てくれて、話を聞いているとやはり長浜の商店街もコロナでそうとうお客さんは減ってしまっていて、普通だと経営が成り立たない話なのだが、東京のイベントでは、うまく受注ができているということで助かっているというお話。

富士吉田との取り組みの話もされていて、その中では富士吉田の機屋さんがこのコロナで大ピンチのようである。アパレル向けの仕事をしている機屋関係は今は非常に厳しい状況。林与もここ数年はアパレルの比率を30%以下くらいには減らしていたので、それが今の状況を乗り切るのには役立っている。

このコロナの状況で、アパレル関係の企画が少なくはなっているけども、企画があっても数量が付かないと、サンプル量産ともに仕事しても2回のダメージに終わってしまう。昔のように何十マークもやっているとしたら、仕事しても、サンプルと量産で何十回のマイナスのダメージということになる。それは、機屋だけに限らず、染色工場や加工工場さんに取ってもダメージという結果になってしまう。

先日の米原でも、キッチンクロスは多くの人に喜んでもらえた。多くの人が興味を持って欲しいと思ってもらえるものを自分で作れる力があるというのは幸せなことだと思う。そういう力があるから私自身仕事としてやっても当たり前に成り立つんだろうと思う。考え方が普通とは違うの塊みたいなところで成り立っている。そういう普通と違うことができるのが大事だと思っていて、また、そういうのに多くの方が興味を示していただけるんだろうと思う。

仕事で接する人でも業務的な人が多い中で、考え方が普通とは違うタイプの人がおられて、それは個人作家さんだったり、ブランドのデザイナーさんだったり、経営者の方だったりで自分で自分の世界を作っていける人。それは母親が子供の為に夜なべして何か作ったりするのと同じ感覚なんじゃないかと思う。実際、米原のイベントでも初日に60枚くらいのキッチンクロスで、次の日の分が亡くなったので、夜中に裁断と縫製してまた70枚作った。2日目もすべて無くなって、自分が企画したことがうまくできて喜んでもらえて良かった。初めてのリネンのキッチンクロスという人も多かったので、使ってもらえるのが楽しみである。
2021年01月25日
延長されてこの3月末までは雇用調整給付金があるという話を加工工場さんに聞いた。雇用調整給付金がなくなると、繊維関係の会社の多くが雇用を維持できなくなるだろうと思う。アパレル関係は特にものが動いていないから。動いていたとしても流れる量が減って利益が上がっていないものが多いだろう。

縫製関係の会社では少し仕事が戻ってきたという話を聞くことが多いが、海外の縫製工場でやっていた仕事が、海外出張できないから、国内にシフトされた影響もあるのかもしれない。

林与の仕事関係のお客様は例年通りに仕事を発注くださったところが8割方で、一方で、取引先の二つの会社がコロナ以降、倒産あるいは更生法適用。手形や売掛金は大きな金額ではなかったので問題なかったけども、コロナの影響というのは特に高級アパレル関係がダメージを受けている。

もし、林与がアパレル向け生地100%でやっていたら、このコロナの情勢では、会社を回していくことは難しくなっていただろうと思う。コロナ前から、ここ数年アパレル業界は落ち込んでいて、消費税増税のあとは完全な不況モードで国内の生地生産は大幅に落ち込んでいた。さらにコロナで都市部の店舗は閉鎖で、去年の春夏物は残り、それを今年の企画として使うところも多い、今シーズンの国内のアパレル向け生地生産は壊滅状態。

4月以降、社員を抱えている繊維関係の会社では、雇用を維持できなくなり廃業やリストラが行われるだろう。多くの人を抱えている会社ほどその雇用の維持が難しくなってくる。私みたいなタイプだとコンビニのアルバイトでも別に構わなかったりするけど、そういう柔軟性も働く人に必要じゃあないのかと思う。繊維関係でも、アパレルや売り場にいる人が、製造の現場などに入って見たりすると、今まで自分がやってきたことはほんの一部だったのが分かると思うので、柔軟性が大事じゃないかと思う。

繊維関係の転職で多いのが、生地問屋さんなどが廃業して、他の問屋さんに移られたり、また、自分で問屋業をやられたり。生地問屋さんの方も、生地の製造の現場に入ったりして見られると良いのではないかと思う。また、他の業界に飛び込んでいくのもよいと思う。

私も、会社が家族経営規模に戻したときに、大阪の若者ばかりのソフトウェアの会社、またそのあと最先端のコンピュータの製造工場の3交代を経験した。繊維業界とは違ういろんな感覚に触れることもでき、繊維業界よりも一つのミスも許されないみたいな緊張感があった。そういう経験も今の織物の会社の経営には生きているところがあって、そういう経験がなければ繊維業界的な概念で経営を捉えてしまってできることも駄目だと思ってやらないことも多いだろう。

ソフトウェアの会社は、能力主義で、能力がないと残れない。コンピュータの製造工場は、スクラップは反省書だが、社員の福利厚生もよかったが結局数年後閉鎖になる運命。繊維業界のような人間関係で成り立つみたいなところがないのが印象的で仕事をちゃんとしないと残れない厳しさがある。繊維業界でそれをおっちゃんおばちゃんに強いても絶対に無理だろう。伝統系の田舎の織物業界というのは3Kのように言われるけども、ありえないほどすごく緩い業界だと感じる。

人間関係で成り立つ社会というのは、外の人間関係のない社会では通用しにくいもので、外の人間関係のない社会でも通用するように、人を育てていくことが大事だろうと思う。
2021年01月25日
事務所の10年選手のFAXコピー機が、スキャナーの調子が悪く画像がやや黒っぽく映る。保守契約してあるのでメンテナンスサービスの人に来てもらうが、もう部品が手に入らないかもという話。白黒のFAXコピー機でも業務用というのは新品の契約だと50万円以上したりするもので、部品がまだあることを祈る。立ち上がりが早く操作がシンプルなので好きなのである。

部品が手に入らないなら、手持ちのカラーの複合機で代用する手もあるのかなあと思う。今のところ、カラーコピーしか使っていないがFAXも大丈夫だろう。A3のカラーレーザーの複合機が欲しかったので、出物があったので3万円で手に入れたものだけど、今のところ互換トナーを入れたりして格安モードで使っているけども問題はない感じ。保守も入っていないので維持費も無料だし、立ち上がりが30秒くらい掛かるのを除けば、プリンターとしても使えるし、ドキュメントの保存もUSBにできるし、コンビニのカラーコピー機以上のことはでき悪くはないのである。

怖いなあと思うのは、そんなA3のレーザー複合機が中古だけどきれいでカウントも少ないのが、わずか3万円で手に入ったこと。日本じゃあもうものづくりは難しいなあと思うのもそのあたり。

そのレーザー複合機は、保守契約も入っていないし、さらには、トナーも互換トナーを使って気軽にカラーコピーが使えたらなあと思うことを実現した。コンビニのカラーコピーなんかもトータルで考えると安いけども自分の好きな用紙を使ったりとか、自分のやりたいことが出来なかったりするので、自由に使えるカラーコピー機が欲しかった。もし何かあって動かなくなったら自分で治すしかないけど。

2021年01月24日
繊維の業界では女性の方が代表を務められていることも多い。男が社長になっているのと違って、扱うものに思い入れを持って経営されている方が多いなあと思う。男の場合には、業務的に家族を支えるに働いているというケースが多いだろうと思う。

私自身、繊維の世界は自分には向かないんだろうなあと思いながらも、繊維云々というのではなくって人生観とか仕事観とかそういう部分で、繊維の仕事が他の業界の仕事と共通するところがあるなあと思っている。コンピュータプログラミングの世界と織物の世界というのは非常に似ていて、出来上がった織物というのは、ソフトウェアの動いている画面みたいなもの。

私の場合には、ものづくりが普通と違う部分があるのだけども、私を取り巻く背景みたいなものがありえない状況だったりするから、普通に仕事するなんて言うことは別に大したことでもないと思っていたりして、仕事で仕事するのを迷っている人とかには、普通に仕事したらいいだけじゃないのかなあと思うことも多い。

目の前の問題を自分で解決できるタイプの人と、それを解決してくれる人を探すタイプの人に分かれる。私自身も仕事でも初めてやることが多かったりするけども、一か八かでベストと思う方法でやってみるしかないと思って、そこにお金と時間を使ったりする。失敗するかどうかを見るためにお金と時間を使うのである。みんなそれをしないで解決してくれるプロを探そうとするからなかなか仕事が見えないんだろうと思う。プロがやっても同じことで最初の1回をやるかやらないかの違い。

織物を企画するのにデザインだけじゃなく、計算力みたいなものは必要で、糸量を計算したり、糸本数を計算したりできないと、なかなか、織物を企画するのもイメージだけに終わってしまう。学校で勉強するとデザインとかの部分が中心なんだろうけども、最後、物性検査を通るとかの部分が非常に大事だったりするので、物性面を押さえた上で、デザインをしていくのが一番無駄がないモノづくりになってくるだろうし、既存の設備にあったものづくりに落とし込むことが現実的なものづくりで、実現性も高くなる。

いろんな制限や制約があるのを知っていくのがものづくりのプロの世界なんだろうと思う。知識だけが広い人というのもよく見かけるけども、何か一つの仕事をやろうとしても、いろんな制約も知らないと、その人自身の知識が一つの仕事をする上で制約となってしまうこともあるので、お互いそういうのを乗り越えていける人と仕事はしたいなあと思ったりする。

私は仕事についた時から、やっていることに関しては分からないよりも理解しておきたいなあとか、できないよりできるようになりたいなあとおもってやってきて、それが業界でとかいうより、どんな仕事してもやっていけそうな力につながっているので、新しい人にも同じようにいろんなことを理解してもらい、いろんなことをできるようになってもらいたいなあと思っている。

自分自身がいろんな経験をしてきたのでいろんな経験をすることの大事さが分かるけども、新しいことを経験することを拒絶するタイプの人は、経験者でも多い。それは若い時から新しいことをいろいろ経験してこなかったからで、一般的に、経験が長いはずの年配の人ほど仕事ができないといわれる残念な話もそこで、新しい仕事をする必要があるときに新しい経験を積む必要があるがそれに適応できないという問題。若いころからいろいろと新しい経験を積んで適応力を持っておくことは大事で、適応力のなさが仕事の出来なさにつながる人が多く。目の前にある作業も素直にやれないにつながったりする。
2021年01月18日
高宮の中山道沿いには、趣のある昔の商家のたたずまいが残る。2階建ての細長い窓のある土塀的な特色のある建物、大工さんが同じかその別れが建てたから似たような商家が並ぶんだろうと思う。

100年以上の建物が昔のままに残っているのは本当に希少で、リノベーションよりも、昔のままさらに100年後にでも残してもらいたいなあと思う。リノベーションしたら20年ほどは使えても、さらに何百万円の大掛かりな改装をする価値もなくなり、取り壊しになる流れだろう。100年保てたものをそのまま、次に残すほうが価値があると私は思うが、そのあたりが普通とは異なる私の判断。


2021年01月17日
昨日の夜も、ハギレキッチンクロスを用意して朝に洗いを掛けて乾燥するも出発時間までに乾ききらずにアイロンがけし始めるも時間が掛かるのであきらめて、会場でアイロンがけすることに。

会場について昼食を取ってから午後1時くらいから会場準備。電源を借りることができて、アイロンがけも順調に来場の方は昨日の2倍くらいか。リネンのキッチンクロスというものは間口が広いというか、7割とか8割の人が興味を示していただけるようなアイテム。また、男性の方でも年配の多くの方が、滋賀県での麻織物が残っているということに興味を持っていただいている。そういうのを簡単に味わえるのがキッチンクロス。

長栄座を含め、滋賀県の行政というのは麻織物文化の保存に対しての思い入れは強く持っていただいているのを感じる。もう実際に近江湖東産地での麻織物の生産というのは本当に限定的になってきているのを感じてしまう。イメージ、林与は細番手の先染め織物を織ることを得意とする会社。他に、広幅の白無地の量産が主体な会社さんがあったり、ラミーが得意な会社さんがあったり、綿麻が得意な会社さん、サンプルに特化した会社さん、着尺が得意な会社さん。着物系では伝統工芸的なものを残しておられるところがある。でも、もう6軒くらいとかの世界。日本の麻織物の本場だった、近江湖東産地での産業的な麻織物の世界は風前の灯状態が続いている。

私は、経験のまったくない人にでも、糸から織りあげるまでの織物をつくる作業を1週間から2週間あったらできるように教えることができるけど、その知識を得たとしても1回1回の生産の単純な一つ一つの工程が、作業する人の総合力みたないものを必要としており、あとはその人の人間性。目の前の糸や織機じゃなくって、知識や経験があったとしても、自分自身が前に動かして行くという要素が強くないと、毎回の1回の仕事が、正しい織物までには出来上がらない。そのあたりは最初から最後までをやる作家さんと同じだが織物の場合にはその工程が本格的で長い。そこが本当に一番難しいところだろうと思う。やったとしても迷いがあるうちはなかなか大した仕事にもならないだろうし。何十年の職人さんたちでもアーダコーダいってると大した仕事にもならず、なりあがってしまうと、意欲のある海外の仕事をしたいの人のものづくりに追い抜かれていくのもよくある話。

私が絣織物などを海外で展示していると、中国の織物関係の人というのは一生懸命にどうやってつくるのか知りたがる。自分ができないことを他の人がやっているときに、自分がそれをできるようになりたいと思う最初の一般的な素養みたいなものが普通にあって、面白い話だけど、布というのは言葉みたいなもので布というのは布つくりに興味をもっている人に語り掛けて布をつくる十分な経験を持った人が気づいて、最初から何十年の関係のような気分で布の話が出来たりする。

違う場所で何十年まったく接点ももたないながら仕事をしていながらも、追い求めているものは同じみたいなところで、一緒に長く働いて来た人と話すように布の話ができたりする。林与自身は小さな工場が自分の世界のほとんどだけども、その古びた工場の中でやってることが案外誰もができないことだったり。インターテキスタイル上海も数千社が出ていても、私もある年に勉強の為に1日展示されたものを見て回ってみるけど、麻織物に関しては、自分と同じ波長をもった布を展示している会社は2社、3社だけだった。そのうち2社は、林与のものづくりに同じ波長を感じて相手からもコンタクトがある。日本の織物に興味をもたれているのだから至極当然のことなのかもしれないけど、案外ものづくりの世界は狭かったりする。

私自身も麻織物に関する情報を発信して正しい情報も常に求めようとしてはいるけども、同様かそれ以上に麻織物に関係して特別の経験を持っておられる世界中の実際にやっておられるいろんな方が私に正しい情報をくださることに支えられているのが林与。滋賀県の田舎の小さな工場のおっさんながらも、世界規模的な麻に関する情報に関して不整合な部分は本当にないから偉そうに正しいとやって行ける。

あるとすれば日本の一部の大手糸商社さんのサラリーマン的な隠し事とか、糸を売りたいのに糸の情報を一生懸命に隠されていてもその程度の情報は糸を仕入れられているあなた以上にその会社の経営者やあなたが窓口にしている人と話も麻に関するよもやま話でしているから、その会社に対して別の中国の麻の紡績工場からの信用情報のリファレンスが私にあってその大手商社さんが大丈夫かどうかのアプルーバルしたのもその日本の大手糸商社さんの今後の世界的な活躍に期待するからだったりする。世界の麻の紡績にしても私自身の日本の業者さんをそれなりにプロモートしているのだから、偽装とか情報隠しとかは駄目だよと思う。実際はやってる人からの情報がすべてで、それを間に入る人が正しく伝達するか、化かして金儲けしようとするかの問題。

ある滋賀県の繊維の製品関係のメーカーさんに対してのリファレンスや紹介依頼があったときに、私自身、生まれてからまったく聞いたこともないけど、全国的に有名らしい。大手アパレルサイトでPRやTVショッピングされていて国内一貫生産の最高品質で全国的に有名になったらしいが、地元のその会社の経営者をしっている人に聞くと日本的に有名でも謳っていることが本当なのかどうかすらがあやしくてやばい話らしいとか本当のようで、逆に大手にありがちな繊維の世界の素人に近い感覚で、海外仕入れしたものを縫製はやってられるようだがメディアでは日本国内での一貫生産に化けているとか、化かして売る世界が普通なのが元気な日本の繊維業界。金融関係のひとも県内で元気な一押しの優良なよい企業だと林与に紹介したいという話だったけど、本当の情報は地元の信頼できる人から聞いてしまってて、金融機関がそういうイケイケの会社を優良企業と考えてしまっているあたりからして、まともな繊維業界を育むことは難しい。仕入れたものが簡単に謳いだけで10倍に化ける世界がそういうところにはあって、その一番の謳いが一番怪しい世界だったり。林与でも謳いだけ騙せば、簡単に利益を上げることはできるけど、そこを踏み外せば、別に繊維業界にいる必要もなく、詐欺電話の知識や判断力の浅い一般の人を騙してなんぼの世界と同じ。

日本の繊維業界はそれなりに狭くって、ものづくりなんてどこでもできるようなものじゃなく、それなりにやってるところは構えてやってるけど、商社やブランドなんかが化かして売るの路線に走ると、1で仕入れたものを10で売る世界。生地商社を出られて独立された方がそれが自分の仕事と偉そうに言われていたが、厳しいという話があれば、まともに受けて、作る側はなんとかその人にも利益があるように値段を下げて下そうと考えている。小さくなってしまった日本の繊維業界だけど、生き残っておられる方の感覚が騙したものが勝ちになるのが日本の繊維業界なら早めに終焉したほうがよいのではないかとも思う。普通に中国原料仕入れで国内縫製とかでよいじゃないか。
2021年01月17日
仮想通貨には本当に気を付けたほうが良い。通貨の根本は借用書であって対価を返せる後ろ盾がないと無尽蔵な偽装通貨と同じ。投資的な変動制の仮想通貨というのは返さない可能性もあるもの。通貨本位制の仮想通貨は、例えば同じ金額の預金を確保してある前提で発行されるのだが、そういう通貨本位制の仮想通貨と変動制の仮想通貨との組み合わせがやばい。

ビットコインというのは得体のしれないものながらブロックチェーンというもので偽装などができないしくみ、通貨本位制の仮想通貨は企業単位が発行できるようなもので、実際に預金を確保してあるかは、日本の豊田商事事件と同じようなもので外部の者が分かる話でもない、そういう不透明な仮想通貨が大量にはこうされビットコインと交換されることによって、ビットコインの相場が高く取引されて、相場は偽装されて、そういう裏側をしらない、たとえば日本人が何百万円の現金でビットコインを買って、ビットコインを、得体のしれない発行しまくれる偽札のようなものと実際の現金の媒介手段とさせてしまうような裏側が危惧され始めている。

一つの会社じゃなくて国が発行している通貨ですら、借金ですら。デフォルトがあれば価値はなくなるのに、一つの会社が発行する得体も知れない仮想通貨がビットコインを動かして、ビットコインのブロックチェーンを信じている人たちから実際の通貨を抜いてしまうような話。日本政府にしてもビットコインや仮想通貨を通貨として認める側だけども、ビットコインなどを介して、日本円が無尽蔵に発行できる後ろ盾のない仮想通貨と交換されてしまう可能性もあるわけで、恐ろしい話なのである。

FXなんかも相場があるようで、自分が信頼してお金を預けるFX業者とのお金の取り合いであるという現実があってロスカットビジネス。先物取引などでのよく聞く話と同じ、儲かっているうちは現金化させずに追証地獄にどうやって落とし込むかがビジネスの基本。2年前は1月3日、今年も1月4日、日本の商いが薄い中、日本の個人投資家がロスカット狙われた。胴元からすれば、匙加減で、お客から預かったお金を狩りたい放題の状態。裏側知らずだと、自分がさばかれるために自分からまな板の上に乗って行くようなもの。
2021年01月16日
昨日、本麻が加工から上がってきた、色味がズバリになるか心配をしていたけども、ズバリでよかった。加工前に糸で比較していた時には若干赤いかもとおもって心配が続いていたけども、経糸の黒というのはどうしてもモミが入ると色が汚染をするから赤味が打ち消され茶色味に変わったようである。サンプル時の生地と同じ色味にズバリで大満足。

せっかく仕事しても上がったものの色味がズレてしまうと悪い結果でしかなくなる。過去のサンプル生地から色をとったりすると、どうしても染色ロットの関係や、加工ロットの関係で、色味が本生産の時にずれてしまうことがある。

たとえば10年前につくった本麻のロイヤルラミー糸と、今のスーパーロイヤルラミーが同じ色に染まるのかという問題がある。染料だってメーカーが同じ染料を続けているかどうかも怪しいし、メーカー染料の色の廃番も頻繁にある。

原色をそのまま使っているとか以外で、3つの染料を配合したりして色をつくっていたりすると、廃番になる確率も高くなり、同じに染まるというのは奇跡に近いことだったりする。また、20kg、30kgで染めるとの、3kgとかの染では窯の大きさも違うし浴比なども変わってくる。同じに染まることのほうが奇跡かもとおもうが、ほとんど同じ色味に染まりあがってくるのでさすがだなあと思うことも多い。

同じものを同じにつくるというのは、何か一つでも要素が変わると極端に難しい話になってくる。今のように、スポット的なものづくりが多くなってくると過去につくったものとは背景が変わってしまっていることがあり、自分の推測なんかを信じて一番正しいと思う組み合わせで作ってみるしかない。織物も織った加工前の糸の色と加工後の糸の色では違うのは当たり前で、それがどう見えるかは想像で加工前にどの糸を使うかなどを決める。林与のなかで、染料が廃番になったとかで廃番にしてしまった色もあったりで、近い色で代用するしかないことも多いけど、答えが本当に正しく出るかどうかは、整経している時も織っているときも加工に出すときも胃がキーとなる思いの時がある。一つ色がブレてしまえば1か月とかの仕事がやり直しもある。加工から上がってきて結果が正しいかどうか分かるのである。

今は本当に、先染めのチェック柄などは減ってしまっているけども、麻の先染めというのは本当に希少なものになってしまった感がある。縦も横も色が同じなら同じ糸を使えるのかというと一般的にリネンの場合にはイエス、ラミーの場合にはノーである。ラミーの場合は毛羽が多いので強い糊をつけておく必要があり、強い糊のついた糸というのは横糸に使うには不向きなので、横糸は無加工(無糊)の糸を使うのが正解なのである。リネンも番手やロットによっては、いろいろと前処理的なことをしてから織ることもあったり、レピアでおったり、それが難しければシャトルで織ったり、その時々に応じて、正解を見つけるしかない。織れないときには、調子の良い織機に経糸を載せ替えて織ることも多い。

林与には30台くらいの織機があるけども、その設定はどの台も異なっていて、縦本数が違ったり、高密度用だったり、定番ストールに特化した織機だったり、いつどの規格の注文が入っても機を載せ替えることなく、調整を掛けることなく、織ることができるようにしてある。一つ一つの台を一つの織物規格に特化させているような感じ。普通は同じ規格の織物なのでうまく織れることが多いが、織れないときもあってその時は糸の問題や糊付けの問題を疑ったりすることができる。少ない人数でいろんな規格の生地に対応するためには、いろんな縦本数に特化した織機をたくさん持っていることが得策だろうと思う。

30台織機があっても、そのうち動いているのは5台から6台くらいで、順番に縦をつないだりして準備も並行しながら5台とか6台を動かして行く、遊牧民のように仕事に応じて使う織機が変わってゆく。1年経つと同じお客様の同じ仕事をいただくことも多いので、1年に1回しか動かない織機もあったりするが、1年ぶりでもちゃんと動いてくれるんで、昔の織機ってすごいなあと思う。
2021年01月15日
今日は明日からの米原でのロビー展示のための準備。例年参加させて頂いているイベントではあるものの、今年はコロナの影響で少ないだろうと思う。残しておいた大きめのハギレでキッチンクロスを縫製して熱湯で洗いを掛け乾燥。お好きな大きさのを自由に1枚プレゼントして、来場される方に、リネンのキッチンクロスを体験して頂こうと思っている。

滋賀県の人でも、近江湖東産地で織られた麻織物を実際にお使いいただく機会というのは本当に珍しいことだろうと思う。昨年はパープルのギンガムチェックのキッチンクロスをプレゼント、今年は白いキッチンクロスをプレゼントの予定。コロナのステイホームでキッチンクロスなどの家庭雑貨も今は人気は上昇中。

他に、公演の開始前や合間の時間に、手織り体験ができるように、簡単な手機を2台持ち込む。あとミシンも持ち込んで、キッチンクロスか、マスクをつくるところを実演しているのを遠巻きにみてもらって、繊維のものづくりに興味をもってもらおうと思う。今はコロナで、手織りや縫製なども人気で、手織りや縫製が簡単にできることを知ってもらえれば、ステイホームの時間を楽しく気長に作業に取り組んで過ごしていただけるきっかけになるのではないだろうかと思う。

少し、雪の心配があって、彦根より北の米原は結構雪が積もる場所。この2日間、車で荷物を持っていくので雪が降らねば良いと願っている。
2021年01月14日
ある展示会の英語の冊子を作るということでプロの翻訳がキッチンクロスを、意味も考えずにチンにこだわれば鉛のクロスに化ける。それに違和感がないのがプロの翻訳の世界で、業務的に低度の機械翻訳しているからだろう。訳も分からず業務的に機械翻訳したのをそのままな世界でお金をもらうプロの世界。

日本のプロの世界というのがその程度になってしまっていてそれにお金を払うのが無意味。お金を払ってプロが翻訳したものを、根本的なありえない間違いだと指摘する力が依頼者なければ、繊維業界の普通の正しい情報伝達も難しい。

翻訳代を払いながらリネンキッチンクロスが鉛のクロスに化けてしまう話。私自身は英語に関しては知識があったから指摘ができたけど、そんなレベルなのが繊維の情報で、プロ的な他人任せだとどんどんと意味も分からずに説明して化ける世界。

リネンキッチンクロスが鉛のクロスにかわって違和感もない世界、というのは笑えるよ、それで頼んでお金払ったお客が側が、翻訳の誤りを指摘して校正して正しい情報に。お金貰うのはこちらじゃないのかと思うけど、その程度が今のプロの翻訳の世界。素人の趣味の人の素人翻訳の方がましだったりも当たり前。

小さな文字のLAGERがLAGARなんてのも気にすることない程度の話。日本人にとっては分かりやすいジャパニーズイングリッシュで間違ってても正解で良いんじゃないのか。アパレルでよくあるのが、英語表現としてはおかしくても、文法的にただし日本語英語は許容範囲だったりして、日本人が読んだときに通じれば逆にそれは文字に込められたコンセプトを伝えるのに意味があるかも。

よく、海外の人が漢字の意味も考えずにタトゥーをデザインとして取り入れているけど、あれはあれで、タトゥーのような一生ものでもそれほど深い意味を考えずに気に入るか気に入らないかの世界は海外ではゴロゴロ。日本人は几帳面すぎることが取り柄でもあるけども、労働人口も少なくなってきて新しい企画をするというのは、趣味の人よりも時間を割けないような状況でものを生み出して行くのが今の制限ばかりのあるものづくり。まともに行くほうが難しいことが多いので、自分がやらずに他の人がやる話にばかりなって、結局、ものづくりの髄は海外でもやるが多い。

アパレルでよく引っかかるのが、ケアラベル。日本向けのタグの1字まちがい。「あ」と「お」を間違えたり、lと1を間違えたり。誤植レベルの問題だけども、そういう小さなミスが全部のタグの取り付けを国内でやり直す需要とかがけっこうあったり。商品を作るよりもタグに力を使ってしまうような話で、正しいことなのだろうかと思える。
2021年01月13日
コンビニで発売の期間限定ビールが小さな印字のミスで発売が中止になりそうになったが、一転して発売されることになった。本質の部分には影響を与えないことでも100点ばかりを要求していては、今の働く時間もが限られた社会では成り立たせることも難しいだろう。ベストを尽くしていても失敗したときに修正が難しい時にはそのまま行ってしまうほうが笑い話で済むことも多いだろう。

織物なんかでも、上手な人がつくればほとんどキズのない織物が織りあがるけども、下手な人がつくれば仕事しても売れるレベルのものが作れないことがほとんどで、そういうのを自分で直したりする人だと直すことの難しさや手間が分かるので上手に織ることを心掛けるようにもなる。他の人に片付けてもらっている人というのはいつまでもなかなか難しいまま。

小さなミスなんかは誰かがリカバーすれば済むだけのことでそれを責任問題にしていればうまく行くこともうまく行かなくなる。新しい企画なんて言うものはそういうことが多いのが当り前で、何人もが確認していてもミスというのはありうる、英語のスペルミスなんてアパレルのアイテムには多いもので、スペルなんてデザインととらえて、だれもそんなのを気にしてはいないくらい。

以前展示会の案内状のはがきにスペルミスがあったけども、それを訂正して新たに印刷しなおすよりも、展示会の案内というところは十分に満たしているので、わざわざ刷りなおすもったいないことをするよりは、そのままGOしておられることに好感が持てた。

本質的な部分が大事で100点じゃないこともいろいろやってたら普通にあるだろう。近所の野菜農家が今年は野菜が豊作だろうからか、収穫したものを捨てておられた、豊作の年の野菜というのは収穫もされずにそのままトラクターで粉砕されてしまうこともある。そういうのを農家の苦労に報いるようなプロパーな値段で流れていくような方法があればよいのにと思う。よくありがちなのがタダで分けてほしいみたいな話で、それが本当に役に立つのかというと都合よく他の人がやっていることを利用して得するみたいな独りよがりな考え方で好きじゃない。

野菜は、農家から出荷されるときに不揃いなものは弾かれて、また、選別機関で選別され、スーパーの店頭に並ぶものは見た目がきれいなものだけ。そしてそれが売れ残ることがある。そういう売れ残りの部分に関しては大量廃棄にはならず安く飲食店などの業者がまた活用するがあるんだろうけども、そういう流れだと、やはり形の良いものだけを作ろうとすることになる。だから農薬をたくさん使っての生産が安定する量産タイプになってしまう。道の駅なんかは、やはり作り手がそのまま物を並べるシステムなので、不揃いなものまでたくさん並び、まだ弾かれにくい。画一化的な品質管理が、値段を2倍3倍にしながらロスを生み出すことは一つの価値観ではあるけど、別の価値観があっても良いと思う。フードロストはすなわち100点以外はダメダメの70点を認めない安定志向な社会の裏側。

道の駅に並べたからといって必ず売れるということもなく、その苦労のほうが大きいこともあるだろう。近くのスーパーが地場野菜を売るコーナーを持っておられ、そこは好評のようであるが、そこにもいろんな農家の苦労、スーパーの苦労、そして消費者の思いがあって成り立つようなものだろう。

東北大震災でも学校給食には放射能汚染地域の食材を活用する話でも、国会議員や公務員の食べるものに積極的にそういう食材を動きをするのかというと、高級な安全な食材が当り前。先も長くない人間がこれからの世代に良い食べ物を回し自分たちが日本のしわ寄せを受け入れることをしないのは正しいことなのか。日本の政治や行政というのは、後進国の児童労働に通じるものがあるなあと思える当たり。
2021年01月13日
今日は朝から加工出しの準備、何種類かを織ったのを3種類の加工に分けてトータルで1000mほどの加工出しなので、結構、加工出しの準備に時間が掛かる。午後2時過ぎまで倉庫で作業をして、スタッフの子もお昼遅くなって疲れただろう。一緒にお昼焼肉に行ってから、加工工場に向かう。思いっきり焼肉を食べた後は寒さも疲れも吹っ切れて、逆に動きたい気分で加工工場の反物をカートに移す作業なども苦にならない。

1月の年明けといえば例年だと加工工場は生地であふれているのが普通なのだが、今年はコロナの影響もあってさすがに例年の半分よりも少ないくらいだろうか、アパレル関連の不況の状況を感じる。他の加工工場もアパレル向けがほとんどないといっておられたし、染色工場も12月に入っても年内もそれほど埋まらない程度といっておられた。

店舗要員の多いアパレルというのは、体制の維持すらも難しく、例年の量産を裁くことが見込めない状況では新規の企画どころではない状況だろうと思う。世界的な勝ち組だった大手のSPAが廃業や更生法の適用など、2000年以降のデフレ不況の後、元気だったところですらもが成り立ちにくくなっておられ、外出する機会も少なくなって、アパレル業界もカジュアル化が進み、高級アパレルと呼ばれる市場は出番が少なくなってしまっている。

そういう外の状況が見えていると残っていくためにはやらないことよりも、いろんなことをやってみようかと思うわけで、林与の場合も普段納期に追われるばかりが続いていたけど、少し落ち着いてきたら定番の在庫が少なくなった分を作っておこうとか、やってみようと思っていたことで出来ていなかったことをやってみようとか、また、新しいことをやってみようとか。
2021年01月12日
技みたいなものは高いほうがよいのかというと、高く持って行こうとすると他の人が対応できないことが多く、高い方に持っていくと自分以外がまったくついてこれない状態が生まれたりしてというケースは多々ある。作業している人に水準を合わせてできる仕事のレベルで仕事を成り立たせてゆくというのも、中もそうだし外もそうであることは多い。

とことんやる人同士の組み合わせでものづくりをすると簡単に高い水準のものに到達するというのは私も仕事で経験していてそれが余裕をもって笑って仕事していけるような理想だけども、そうなってくると本当に特殊な世界に入ってしまって、今の日本の流れとは外れてしまう。

その日にその場で説明してできる程度のことをうまく組み合わせて成り立たせるというあたりに落ち着いてしまう。仕事をする以前の地力みたいなものがあるかないかが結局は大事なところで、地力のある人というのは言わなくても正しく仕事をするし、地力のない人というのは仕事自体に抵抗があるが多い。

私も仕事を始めた最初から職人さんたちが面倒がることでも普通にこなしていたし、こうやったほうが上手にできるのにと思うことも提案はするが受け入れられることは少なくて、全体として仕事の内容を高度なところに行けないという問題も常に抱えていた。自分が初心者の人に仕事を教えるときには、高度なものづくりに近づけるような手法でのやり方でスタートできるので、仕事というのは素直さが大事なので逆に経験がないほうが良いなあと思えたりする。

私自身も経験を積んで失敗の少ないベストな方法を選んで仕事をしているつもりだけども、臨機応変的にいろんなことを試してみるのが職人的じゃないところで、自分が一緒に仕事する相手に応じて、仕事のやり方を変える。私のいうことを理解できてそのままに動いてくれる人と組んで仕事する時には自分が一人で仕事する何倍ものスピードで正確に仕事ができるのだが、なかなかそういう人というのは稀でそういう人に出会った時にはすごいなあと思う。多くの人というのは仕事の時でも仕事をすることに集中できない要素を何か持っていることがほとんどだったりする。

昔、他の会社の人だけど、同世代の人で仕事の終わる時間がくるのが待ち遠しいといっている人がいたので、仕事の中でできることあったらいろんなことをやったほうが良いよと親身な話をしたけども、なかなかそういう感覚に陥ってしまっている人というのは変わることは難しいもので、本当に残念だったけど繊維の仕事を去られてしまった。目の前にものごとがあってもやらないやりたくないというので食べていこうとしても、やってても難しいのにやらないで成り立たせるというのは、方法論を論じているだけの理想高い系に近い気もする。

最初に戻るけども、技の極意にたどり着くなんてことは孤立を招くので私の場合でも仕事じゃなくて趣味の世界として別口でやるみたいなこところ。仕事は仕事で好き嫌い関係なく当たり前にこなしながら、特殊な織物というのは仕事とはせずに自分自身で高めて育んで自分の余力の範囲で残しておこうと思う世界。一方で、そういう高いレベルのものごとだけを仕事として目指す人も多いけども、そういう人ほど当たり前にいろんな壁にぶつかるばかりで食べていけないことも多かったりするので、それぞれの状況に合わせて成り立つような方法を模索して成り立たせてゆくのが正解だろうと思う。

産地を代表する近江上布の織元だったころの林与というのはその作業をしている人たちに地力があったんだなあと思う。ものもない時代に今よりも高度な織物を道具も作りながら手作業の世界で生み出して行く。布の価値というものが詰まる要因がそこにはあって、仕事に対する意気込みみたいなものが、単に技法ではなく、多くの人を魅了するような力のこもった布を生み出すんだろうと思う。アーティストと同じく、布からそれを作る人々の人生観が伝わってくるように思う。農業だけでは食べていくことが難しく、生きてゆくためにも仕事を人々が欲した時代で、田舎のおっちゃんおばちゃんが世界を魅了するような布をつくることができたのが60年ほど前の戦後の時代。

私自身も、必要なら1日24時間あれば、自分一人で糸を整経して布を織出すまでを一人でできるが、働いている人や頼んだことの失敗を乗り越えるときには誰かがそういうことができないと全体の普通が成り立たなかったりするから、繊維の仕事というのは海外に行っちゃうんだろうなあと思う。
2021年01月12日
卓上の小さな手織り機を探していて、たまたま、リジッドタイプじゃないのが見つかって手に入れることができそう。こちらの織機は、世界で一番細い1000番手を超えるリネン糸を織りあげるプロジェクトに使う予定。

38cmくらいのハンカチくらいの大きさの非常に薄い織物が織れるだろう予定。記録によると昔600番手を超えるリネン織物が洞窟の中で織られたそうだけども、洞窟の中で織らなくてもよい1000番手超えの織物を織ろうと考えている。

糸は自分でつくるので太さが今一つ一定でないけども、ハンカチを織りあげて密度計算して糸の番手を割り出す方法で、1割くらい細めに計算すればだいたい正味の番手くらいになるだろうと想定。
2021年01月11日
今日は月曜日なので仕事していて、糸を巻いてくれるおじいさんのところに糸を取りに行くと走っている車の数が少ない、そうか成人の日の連休なんだと思う。糸は色糸は巻き上がっていたけども、経糸に使うシルクの糸はまだ途中。まだまだ、寒いしあと数日巻いてもらったら経糸に使えるだけは巻き上がるんでもうちょっと待とう。

成人の日が中止になって、楽しみにしておられた新成人の方や親御さんには気の毒な話ではある。若い人たちというのはコロナに感染してもそれほど悪化はしないことがほとんどなのだが、感染した場合にも無症状で動いて回ることも多いので、家族の高齢者の方や、持病を持った方に感染を広げてしまうこともあるだろう。

多くの人々が交わる様な場所というのはやはりウィルスの拡散の機会になってしまうので、札幌の雪まつりなんかもコロナの当初のときに、全国にコロナ感染を広げてしまった典型的な例なので気を付けるべきだろうと思う。それにしても、まだコロナが騒がれてから1年しか経っていないのに、コロナが騒がれ始めてからの、この長い一年は何だったんだろうと思う感がある。

2011年の東日本大震災のときにも、大きな不幸の中で、1年ほどは人々の感覚すらもが変わって失われていた温かさを取り戻したような気がした。今回のコロナも命の危険という大きな問題に直面することで逆に人々がマテリアリズム的な感覚から脱して、本質的な価値観を再認識するのであろう。
2021年01月11日
昨日の日曜日は、ネットでいろいろと織物の道具に関しての調べもの。いろんな特殊な工程がある織物を作るときに、それぞれのステップで作業をするためには設備が必要で、その設備をどのように構築してゆくか。

今の時代に、大掛かりなものは必要なく、手持ちのものをうまく工夫して自分で改良を加えられるような形で設備を作ってゆくのが理想的。織機もそうだけども、誰か他の人がメンテできるのかというと自分がメンテするしかないし、同じように自分がやりたいことをするのにも、自分自身が道具からつくってやっていくのが、長続きしそうな形。

私自身は仕事というのを現実的にとらえているので、自分で自分のつくりたいものをつくれる環境を構築して、自分の世界をつくっていくことが仕事だと思っている。それなりに長く続いている織物の世界だけども、分からないことがあったときには、たぶん、それは他の人もやったことも考えたこともないだろうから自分自身で解決していくしかないんじゃないかと。

最初に戻っていろんな特殊な工程のあるものづくりというのは、一つの要素だけでなく、いくつもを組み合わせるので、それがうまくいけば普通ではなかなかできない織物が出来上がる。今回やろうとしているのは具体的には、広幅絣織物の量産的なことなのだけど、型紙つくり、横糸の種つくり、捺染、蒸し、洗い、巻き返し、織、織物加工まで、それ用に自分一人でも全工程をできるような道具を本生産向けに用意する段階になっている。

昔のように鍛冶屋さんや大工さんが普通にいてくれたら簡単にできることも多いのだけども、まあ、とりあえずは出来合いのものを購入して分解したりしながら組み合わせて、最終目標である本生産を成り立たせる。それがうまく行くようなら設備には改良を加えて行けばよいだろう。

この程度でも十分に世界的に珍しいアパレル麻織物の世界。試作までは数年前にこぎつけているが、お客様に実際に買っていただき愛用いただくものなのでその本生産となると品質を高めるためにもやはりそれぞれの工程を設備からブラッシュアップする必要がある。
2021年01月10日
本麻100番手みたいな織物は、本質的に高度な織物なのだが、それを作れる人というのが本当に大事で、今の糸という要素も含めると、視力や体力や気力の面で何十年の職人さんでも作るのが難しい織物になってしまっている。若い人にそれを作れる人がいるのかというとできたとしても、なかなかその仕事に満足できる人というのは少ないだろうなあと思う。

そういう織物をつくれることがすごいことなんだけども、なかなかそういうのを評価できる人も少なかったりする。私も若いころに本麻の整経なんかを当たり前にしていたけども、それは本当に高度な整経の世界で、若いころだったからそれが当り前の仕事みたいに毎日こなせていたのかなあと思う。難しいことを成り立たせるのが仕事だと思っていたからたいていのことはこなせていた。

経糸一本の間違いにとやかく文句をいっているような人では整経なんて何百本もの糸を正しく引きそろえることは不可能で、そういうのを経験すると人生観の違いすら感じることが多いものである。織物の世界にしても小さな世界なのだから一生懸命にやればよいだけだと思うけどもなかなかその小さな世界のなかでも、しょうもない人間関係を持ち込んだりすると仕事しないものとするものができて、逆に年配のものほど実際の仕事ができないやらないとかが普通になってしまうので、人間関係があるとしたら年配のものほど偉そうに胡坐かいているんじゃなく、率先して仕事をする手本を見せないとと思う。

昨日は、中古で買ったシャトルの加工。10数本のシャトルの新品を中古の出物で手に入れたが手持ちのシャトルの木管を挿すには、3mm程度受け口を削る必要があって、ミニルーターを買ったのでそれで、受け口を少し削ってちゃんと管が収まるようにした。1時間ほどの作業で、10数本のシャトルを削り終え大満足。

そのほか、昨日は、織物の道具に使うテスト中のアクチュエイターのスピードの計算を誤ったようで、アクチュエイターを分解して別のモーターを直結してさらに速度を何十分の1に落とすテスト。昇降圧回路とスイッチも組み合わせているので、思い通りに動くようになった。アクチュエイターのモーターやギアは外して使わない形だけども、アクチュエイターのスピードを10分の1に落とすためには、これが一つの正解だろう。1秒に10mm程度のカタツムリのスピードで動いていたものが、1分に10ミリ程度の目に見えないほどの遅い動きになってテストは成功。
2021年01月09日
寒さが本格的、工場の中もストーブ1個で寒い。本来なら動いて作業していると寒さも少しは和らぐのだが、年明けから4日間、本麻の黒の立ち上げ。これが本当に糸が細くて繊細で見えなくて壊れやすくてぐちゃぐちゃなのを1本1本直す作業。

こういう織物でも、ほとんどの場合はいつかは織れるという自信があるのだが、この本麻の縦黒は韓国の輸出で2年前に相当苦労した経験があって、あの時は縦が白と黒の1本1本で、織れるまでの相当の苦労。今回の糸も2年前に予備として作った糸で、糊付けに関してもそういう事情も説明して強めにつけてもらっている。

織物というのは一つキズがあったりするとなんでキズがあるのですかみたいな話があるけども、本来はまともに織れないような状態から二人掛かりで何時間もの手術をして普通に織れるような状態に持っていく話。一旦糸がきれると10本まとまって切れることなんてザラで、それをまた直して織ってゆく。スーパーロイヤルになてってからは経糸に使うのが難しくなっているのは事実で、その理由は想像するに単純な話なのであるけどもスーパーロイヤルという糸の目的がニットであることからして織物用途ではないので仕方あるまい。織物に適したラミー糸というのは繊細な毛羽でモヤーと覆われていることが大事で、スーパーロイヤルはスカッとしすぎているのである。

スーパーロイヤルという糸は麻糸としては着物用途にも使われる糸で高級な糸なのだがそれをアパレル向けに使うというのは贅沢といえば贅沢で、でも、今は基本的にそれ以外のチョイスというのが今はないのである。昔よりも糸の強度はかなり落ちて織物として織るのが限界に近いほどに難しくなってはきた。麻糸を縦に使う場合には白限定にする場合が多いと思うが、どうしても高級なイメージというのは、黒とか濃紺とか、絹麻と呼ばれるような光沢感を醸し出す色味が必要。

縦白を縦黒にするだけで、コストは2倍、織る難度は3倍から5倍くらい増す感じ。そういう中で本麻の濃色織物というのは生まれ、人目を一段と惹く織物として存在する。日本で織れるところはもう少ないと思う。需要にしても超高級織物向けなので流れる量も少ないので林与が細々と織っているくらいの量でも十分なのかもしれない。もう50年以上のロングセラーの林与定番のアイテムで、日本の麻織物の一角を代表するような顔の織物。損得度外視で、今もそういう織物を織っているだけでも麻機屋らしくてよいんじゃないかと思う。

今日はお昼時、スタッフの子が、近所のお家の水道が破裂して大変と連絡、たまにしか家の方が戻ってこられない空き家のお家で外部にあるお風呂のボイラーの配管が寒さで凍って破裂して水が噴き出していた。バルブを閉めるだけで水が止まったのでよかったけども、次に使われるときには配管の修理から必要でたまにしか戻ってこられないお家だけに気の毒ではある。まあ一本塩ビ管を直せばよいだけだろうと思う、メモを残しておいた。それなりに今年の冬というのは寒いということだろう。

留守のお家と言いながらも、その家に住まれていたおじいさんというのは亡くなられたけどもその家の仏壇の中におられて、代々の感覚からすれば家としては生きている。そこにそのおじいさんの居場所があり、家族の方がときどき戻ってこられるというだけでもその家の存在の意味はあるだろうと私は思う。私の家の周りには過疎化や高齢化が進み、そういう家が増えてきた。昔は栄えた集落であっても一旦その流れに向かい始めるとひと世代で過疎の村と化する。若い世代や次の世代に居場所のある集落づくりというのが大事なんだろうと思うが、先代なんかの考えをみていても、時代についていけなくなってもそれをそのまま次の世代に背負わせようとする風潮があったりするので、なかなか次の世代というのは真逆の価値観を両立させないと駄目なので成り立たせるのは難しいんだと思う。早めの世代交代というものも大事に思うのはそこで、一つの繁栄した時代を引きずっては逆に衰退に向かってしまうものである。田舎においても、二つの価値観を両立させるためには、田舎の家という概念と今風の時代にあった自由な生活というものが別にあったほうが両立はさせやすいであろう。お互いを尊重しあうことが大事という結論なのではある。

寒い中で何千本もの糸の問題を乗り越えているとちょっとした問題なんかは大したことのないように思えるが、人というのはどっちが正しいとかどっちが上か下かで争いがちで分かち合うことが大事なんだろうと思う。なかなか、年配の人でも、織物の仕事のような地道な作業をできる人はいないので、私が本当に自分自身の考えが一番爺さんに思えてしまって、年配の方々の言っていることのほうが軽く聞こえてしまい、もっと自分たちが覚悟決めてやったほうが良いんじゃないかと思うことも多い。若い人がちゃんと我慢して仕事できるのに年配のものが仕事を嫌がったりも普通だったりで、そういうところから改めていく必要もあるだろう。、
2021年01月08日
時計というのは必需品なのかどうかというところ。パソコンにしても同じくらいに、スマートフォンが、タイマーも、アラームも備えて、認証においても常に必要なアイテムとなった今、時計の将来はアナログカメラのような道をたどってゆくのであろうと思う。

逆にマニアにとってはアナログカメラはあこがれのアイテムにしても安く手に入って良いんではないだろうか、シャトル織機なんかも同じで、織機自体を手に入れることは無料に近いけどもそれを維持していくとなるとジャンクのコピー機をメーカーも対応できないのを自分で中古の部品を取って修理して正しく動かしていくのと同じような話。

構えてのものづくりがなかなか難しいのは、地元で縫製して販売されている方が織物を自分で織りたいといわれて中古の織機の出物の話を頼まれて、実際にその話が半年にあっても応じることは難しいという話。織機があっても整経ができなければ駄目で、整経するためにはチーズワインダーなどの設備も必要。

織物というのは場所も人も必要な構える話で、たとえば新し人が設備を譲ってもらってスタートしたとしてもひとつの織物を自分で織ることもなかなか大変な話だったりする。織物の価値観に対する意識改革も必要で何が織物の価値を生み出すのかというあたり、デザインしてもそれを形にする部分の大変さをデザインしている人が経験すれば、頭の中では何千ものデザインができても、一つの織物を形にするのはそれよりも大変だという当たり前のことが分かると見えてくる世界もあったりする。

一生の感覚の違いを埋めて共有するということは難しいことも多いけども、昔、大学生の時に、良い先輩の導きで京都の有名なお寺に週末お世話になったことがあって、そのお寺の住職様は昔浮浪者を経験されていたというのがあって、まさに人生修行というのはそこで普通だと逃げたいような境遇になぜ自分から突き進んでいかれたのかというあたりが、人として超えた世界。そういう方ほど、まさに人じゃない仏の道に近いのであって、大学生だったちゃらんぽらんな自分からするとまったく理解できない超えられない世界に思えた。

宗教とかそういう話じゃなくって、自分が人としてを捨ててどこまで他の人の人としてを守れるのかの話で、それが超えた世界でよく、エシカルな話で林与もみていただくことがあるけども、エシカルなことを本当に考えて共有してほしいと思うのはそこ。エシカルなことを謳う人ほど浅いというのも実際だったりしてエシカルが商売の道具になってしまっているのがオーガニックの世界でなんで児童労働レベルの覚悟もないオーガニックのプロばかりなんだろうかと思う。仕事も正しくできない人の面倒を代わりにちゃんとみてあげるのが本当のエシカルな世界だけど、一つのちょっとした自分がリカバーする力持てば簡単に解決できる問題でも責任問題になるのが普通の商売の世界。そういう価値観を共有できない世界とは、相手と同様の対応に留め距離を保っておくべきだろうと思う。