for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2021年2月
2021年2月
リネン日記:12
2021年02月26日
今日は午前中に出荷を終えて、私は朝パン1枚しか食べていなかったので、お昼は、スタッフの子と一緒に、近くのすたみな太郎で焼肉。朝食べたパン一枚が、運動誘発性小麦アナキフィラシーが起こり始めてちょっと体力が落ちたのと,寒い倉庫で出荷作業だったので、思いっきり焼肉をいっぱい食べて体力を回復する。焼肉を思いっきり食べた後は、体を動かしてもパワーにあふれていて動くのも気持ちが良い。

私自身、ここ数年ほどは体調があまりよくないのを感じてはいるのだが、今日のように食べたいなあと思う時には思いっきり食べて、動けるうちに仕事もなるべくしておこうとは思っている。以前感じていた、脱臼だとおもうが1年近く肩の上がらない違和感は今はもうなくなって重いものをもっても痛みも感じなくなった。治ってから右肩だったか左肩だったか思い出すのも難しい。

私の小麦アナキフィラシーは、パンがすべて駄目ということではなく、日本のコンビニのサンドイッチは一度もアナキフィラシーがでたことがない。ただし、中国のコンビニのサンドイッチではアナキフィラシーが出た。マクドナルドもX、丸亀もX、袋物のパンもX、でも、平和堂のパン屋さんのパンではアナキフィラシーを経験していない。

運動誘発性なので、食べる前とか食べた後に運動をしていなければよいのだけど、出荷とか焦ってやってる時には相当の運動量なのだろう。その後に1枚食パンを食べるだけで、10分もしないうちにアナキフィラシー症状が出始める。動かなければよいのだが動いてしまう。

中国の展示会にいったときにも、浦東国際空港についたときに、食事もとらずに仕事してそのまま中国だったので、ようやく、サンドイッチを買って食べた。パンを食べたのを知っていたので、安全にタクシーにのって会場について、ゆっくり行こうとしても、会場周辺には荷物持って金をせびろうとする連中がいてゆっくり行くこともできず、力いっぱい荷物を引っ張ってしまてて、ブースについたら、皆さんと普通に挨拶もできないような呼吸困難症状のやばい状態。
2021年02月24日
ASABANの青山さんがご友人の方と麻組合で3日間の手織り体験に来られ夕飯をご一緒。なかなか実際にやってみると織物というのは手間が掛かるという話で、でもそういうのが私は織物の仕事が仕事らしくって一番良いところなんだろうなあと思っている。

昔はテレビもなかったし、ある意味、織機が娯楽みたいなものだったんだろうとおもう。一生懸命につくればみんなから評価してもらえるしまたお金にもなった。今は、仕事みたいな概念になってしまうと働くことが悪いことのように思われるけども、だれがそういう風にしてしまったんだろうかと思う。趣味の延長がプロの世界でその道で食べていけるようになることが本当に悪いことなのだろうか。そんなこと言っているとプロとしてやっても趣味の人にも及ばないだろうなあと思う。

織物を含む繊維というのは間口が広く、本来は多くの人の生活を支えられるのだが、時間に縛られてしまうと繊維の現場作業で食べていけるような力を持った人というのは本当に限られてしまうと思う。昔だとずっと仕事ができたけども、働く人が年を取るとどうしても若いころの3分の1くらいしか量もこなせなくなるし正確さも落ちて失敗も多くなってくる。それを直すのが若い人の仕事になってきたりもする。

時間的な縛りをなくさないと、なかなか、年配の方がまともに仕事できるなんていうことは難しいところがあって、今日も、織物は初めての方だったけど、年配の先生が自分がやってみて頭と体が全然マッチしていないとおっしゃってられた。頭では分かっていても体がその通りには動かないのが普通だったりするもので、職人というのは一般的に慣れでそれを考えずにできるようになっているというだけのこと。

慣れでやって成り立つとよいのだけど、今は、慣れだけでは難しく、いろんな問題があるときには、どうしてもそれを解決する力が必要だったりして、それを解決してゆく力がないと仕事をやっても問題ばかりになりどんどんと仕事は減ってくる。

私にしても織物を企画したりすることは、仕事と思えないほどにいろんなアイデアあるけども、今のように昔普通にできたことも、どんどんと普通にできなくなって問題が増えてその問題解決も時間にゆとりなくできなくなっている状況では、難しことすらも日本ではなく、海外の経験の浅い人たちが時間使ってやるようになってしまう流れ。

プロの世界は、海外に昔の日本があるような感じになってきて、仕事を探ししたいという国がやはり自然に伸びてくるように思う。仕事を面倒がっては駄目なんだけど、日本中に仕事を面倒がる風潮が広がってしまって、日本の繊維業界というのは難しいなあと思う。それが今というのではなく、ひと世代前からの話なので、私が職人の親方クラスである先代や別れで始められて先代世代の方も、もうちょっと仕事に対するちゃんと正しい考え方もったらというのもそこ。働かない親方たちが自分たちは特別みたいなうぬぼれで成り立ったときに終わりで、外から見れば一番のカモでできなくなってさらに次の世代に自分のできなくなったを片付けさせようと食おうとしているからジジイらいい加減にしろで私が切れる世界。どうして日本の繊維はそこまで落ちたんだろうと思うが、それが親方日の丸てきなものに乗ろうとする考え方じゃないのかと。ひと世代前の親方クラスが自分が地道に働いて自分を成り立たせてと思う精神が無くなりすぎて、仕事の簡単なことも面倒では親方クラスが仕事が面倒では今の時代の問題は乗り越えられない厳しい話。
2021年02月24日
昨日、サンマを近くの天平フーズ系列の五個荘食堂で久しぶりに食べておいしかったので、今日も夕飯は魚にしようと思って平和堂の中の魚屋に、ブリのアラがなかったので、シシャモを2パック。40匹くらい入っていて1パックが200円。お店の人もこれは安いからぜひかってという本日お勧めのアイテムだが閉店間際でかなり売れ残っていた。ちょっと痩せ気味なシシャモなのが残念だが、そういうのこそ誰かが店主の意気込みに応え買って楽しめる気もして2パック買った。採れたシシャモが常にベストば状態ばかりじゃないし、外れっぽくってもシシャモを大事に思う気持ちは本当に大事だと思う。

家に帰ってフライパンでパター風味のマーガリンで適当に10匹くらいづつ焼いて適当に醤油をかけて食べる。シシャモらしい、ニガさもあって、それが白身だけを食べるよりもカルシウムやほかの分からんものも丸々食べることができて良いんじゃないかと。10匹づつ焼いても4回食べられて、一パックでも十分楽しめていい感じ。

焼くにしても、フライパンじゃなく、コンロで網で焼けばもっとよかったろうけど、炭火ならもっとよかったろうけど、IH使ってフライパン。それで本当にいいのじゃと思う。持続可能というのは、自分ができる範囲で自分のことには贅沢もせずに、できる限り自分が生み出すものや働く人を支える環境を維持するためにお金を使う。

しょうもない話だけど、貧乏な学生のほうが社会人以上に自分で生きていく力を普通に持っていたりして、貧乏な学生に精神的に負けるようで、良い生活を求めていては誰も心にも響かないし、そういう人を他人事に応援する人はたくさんいても、実際に自分が雇って家族も含め一生の面倒を約束してくれる人というのはほとんどないだろう。

私も多くの繊維関係のブランドのオーナーさんや経営者と話すけど、みんな他の人を支えるために働いているような人がほとんどで、自分自身は他を支えるマイナス覚悟の持ち出しでやってられる方も多い。働かずして他を食うばかりを考えるのが今の勝ち組的な考え方、私自身はそんな働かない勝ち組になりたくないなあと思う。苦労してなんとかなっていけばそれでよいし、次の世代にしても、他を食って成り立たせるが当り前のビジネスライクだと日本の地場産業的なものは偽善的で最後終わるだけのこと。地場産業が同情を集めるならそれなりに覚悟して働かないと、偽善的に同情を煽って働かずして覚悟もせずに成り立つだけでは、最終の消費者が満足するものもできないばかりになる話だろう。

最終消費者にとって、まともなものがつくれなくなったら林与でも終わりだと思う、その戦いは業界の中にあったりもするので、まともなものをつくろうと自分が問題を解決する人が集まってものづくりしないと駄目だと思う。最終消費者にとってまともなものをつくるろうとする感覚が本当に大事で、それがみんな自分の狭い責任逃れの範囲で責任逃れて海外のモノづくりにも負けてしまうような話が今の日本のモノづくり。自分がそれで食べていくなら覚悟決めてやらんかなあ。
2021年02月19日
今日6時過ぎに豊満神社の横を通ると、豊満神社が全体がエレクトリックパレード状態。初めて見たけど、どうなったのと思った。神社中を電飾で飾ってクリスマスどころじゃないイルミネーションなのだが、神社も今はイベントというとこういう方向性なんだろうなあと感じる。春節のイベントをやられているんだろうと想像。





2021年02月19日
林与のことではないけども一人の繊維産業を盛り上げようとして動いている方がコロナの影響もあり事務所を閉じられた。実際に自分でやってみると繊維で自分自身を成り立たせていくこと自体が難しいという問題があろうかと思う。今は、繊維業界が活況だった昔と違って、売れるようなものをつくったとしても海外から似たようなものが10分の1の値段で大量に数か月あとには出てくる。

ゆえに、日本でモノづくりをしようとすると、ニッチェ的なものづくりになるのだろうけども、ニッチェな世界というのはターゲット自体が大きくないので、なかなか織物の世界のような組み立てじゃない世界だと、小回りが利きにくい。それをどう小回りを利かせるのかというところじゃないのかと思う。

力強く力のあるものが動いていくしかないだろうと思う。ある別の若い方が小物づくりで自分のブランドを立ち上げられたが、裁断や縫製なんかにしても量がまとまらなければなかなか一つ一つを頼むことは難しい。自分で裁断や縫製するとかが一つの方法で、それでよいと思う。でも、なかなかそれを自分でできる人はいなくて、作業は他の人にやってもらうというのがスタイルだと、最初に数がまとまってつくるはできても、そのあと追加でつくるとか簡単なことも前に進まないことは多いだろう。

例えば、素敵なお店が上手に売れているように見えても、その売上以上に地代や人件費、広告費などのコストが掛かっていることも多かったりする。そういうのを小さな規模のものが理想としてないものねだりしても仕方ない話。小さいなら小さいなりに自分がものづくりしてそれを売る様なスタイルこそが持続的な形だろうと思う。自分でそれをやっている人というのは長続きするもので、分業的な形を求めると一つの要素で突然問題が起きて解決できなかったりしてできなくなったりするものである。

私自身は、大きくやることがすごいことだとは思わないし、自分自身が切り盛りして続けていけることが大事だろうと思う。大手の有名な家電メーカーなんかは、優秀な人が集まっていても会社が傾くと廃業という形も多く、結局、大きくなると薄っぺらくなりがちで、誰でもができるような仕事が増えてきて、素人でもできる仕事のスタイルを目指すことになる。私もコンピュータの製造現場で働いたことがあるが、誰でもが同じようにできるような工程管理に落とし込み、これが世界最先端の製造現場なのかと逆に思う。

そうなってしまうと、人件費の安く、すべてのコストが低い海外での生産が一番うまく行きやすくなり、日本でのものづくりは断念する方向になる。結果、社員の福利厚生なども非常に高いレベルの工場ではあったが、その数年後には閉鎖されてしまった。工場が閉鎖されるような状況に陥っても、だれか、一人ががんばるとかでは無理なレベルで、たどり着いた結果ともいえる。
2021年02月17日
いろんなことが難しいのが今の日本。不景気になるとものが安くなるのかというと反対に高くなるとか。不景気のときには、柔軟な労働力の移動が大事なことの一つだろうとは思うのだが、労働を硬直させてしまう制度があって、不景気の時ほどものは高くなるみたいな普通はありえない話。

不況な時には仕事を生み出す力がないといけないのだけども、今の職人の世界も1時間いくらのサラリーマンの世界が普通で、これは今に始まったことではなく、ひと世代前の仕事がなくても給料がもらえるサラリーマン職人が当り前になった昭和の時代から。食べていくのが難しくなったときに働いて食べていく道を模索するスタイルが消えてしまった。

昔いつも閑散期になると電話くださる社長さんがおられて仕事探ししておられ、従業員を抱えておられ仕事なく大変なのが伝わってきた、そういうのに応じて閑散期にお金を使うのも厳しいけど仕事をなんとか作ろうと林与も昔は動いて来たが、林与も外の世界にいくとそういう仕事をさせてほしいみたいな業者さんがすごく多いので、それが本来の自分が仕事して食べていくために必要なスタイルだとも思う。なんでも一生懸命にやりますみたいのがなくなるといろんな問題も乗り越えていくのは難しいだろう。

創意工夫とか試行錯誤みたいなのがなくなるとできることもできなくなって、人の力というのは同じ設備や環境でも違いを生み出すためには大事だなあと思う。林与の設備にしても一番新しい織機でも40年選手だったり、あとは人の地道な力でしかないと思っている。

今話題の仮想通貨なんかにしても、日本で仮想通貨が生み出されるのかというと、それは無理な話で、多くは中国の1kwが1円の水力発電の電力を使って、中国製のマイニングに特化したマシンから。日本で高圧で、1kwが安くても13円とかではそもそも競争にもならない話。低圧や家庭100vの値段ではやるだけマイナスな話。でも、それが今の日本のものづくりに共通するような問題。

国レベルでなにやっても成り立つような基盤をつくっていかないと、役人や殿様商売型の企業だけがゴミも出さず利益を集めて成り立つような今の日本ではダメだろうと思う。トータルで成り立つような社会を目指していかないと、もう器用だったり忍耐強い人も少なくなって、頭だけじゃなく器用さと忍耐が日本のお家芸だったのに。
2021年02月16日
年末くらいからは工場が寒かったんで、アラジンストーブタイプのストーブを一つ工場に置いて焚いてその上に水を入れた鍋、蒸気で工場を温める作戦。それだけではもったいないので、札幌のコトコトコーンポタージュ缶を入れておく、スポーツのように織機を動かして少しの休憩にそれを飲む1杯100円もしない贅沢だが体も温まり癒される。

大人というのは小学生の子供よりも恵まれていて、小学一年生が毎朝雪の中でも2kmとかを歩いて登校、大人にはできない子供の我慢の世界。学校でも新しいことを1教科だけでなく、5教科、しかも家に帰って宿題まである。大人よりも酷に毎日を生活が小学生の世界。

仕事なんてそれにくらべれば大したことないなあと思うばかり、仕事のことなんてメモすればそれでよいし、暗記する必要もない。仕事だと計算機を使って計算もできる。大人になるとその程度のことも面倒になり、小学生中学生に負けることも多い。子供たちは体を全力で動かしてスポーツなどにも励めるけど、大人になると動くのも面倒になってそれで普通。

流しているだけで毎日が成り立つ大人社会と厳しい現実に直面する小中学生、逆でないとあかんのとちがうと思うけど、やっぱり、年取るほど偉そうにするだけで高負荷は若い者にばかりいってしまう。これから生まれてくる世代が今の日本の年金問題を解決してゆく生まれた時から保証人かわいそうやないの。この50年ほどで、世界でも本当に珍しいそういうのが普通な国になってしまった。

これからの世代は国際競争の中でそういう重荷を背負って競争。なぜかへっちゃらな年配者たち、おかしくなりすぎな感覚が普通になってしまって、若い世代も同じような感覚になってしまうと要求して他人に押し付けるばかりの社会ができあがる。小中学生のように素直に地道にものごとに取り組むことが大事だと思う。

海外でも児童労働問題があるけども、子供は素直にできるけど、大人は役に立たないという大きな問題があって、大人がまず働くようにならないと駄目だろうなと思うが、日本も例外ではないと思う。責任逃ればかりの国の役人たちが国民に要求ばかりでは頭が良い意味すらもなく悪知恵だけが目立つ。
2021年02月12日
仕事の問題で謎なことがあったけどもようやく今日の昼前にそれが謎解けた。もしその謎が解けなかったらまた何週間も失敗するテストを何度も繰り返す話で、解けたことによりピンポイントで解決に向かって動ける。
2021年02月10日
ある工場の社長も担当の方はすごくキャパを持っておられるのだなあと思う。前向きに仕事を進めようとされているのが分かるし、仕事をしていただくほうもありがたいなあと思う。ある材料が廃版になって、新しい材料でそれを置き換える話。

テストからということで仕事を自分で作ってゆくという意気込みが似ていてありがたい。その常々において他ができなくなったことでも自分はできる工夫をして生き残れる形だろうと思う。外の要因は難しくなる一方だけどそれに飲み込まれてしまうと、できないかやったとしても最後大きな問題が残るだけとなる。問題にならないように落ち着いて前向きに対応をして行かないとすべてが出来なくなってしまう。

特殊なものをやっているということをよく理解もいただいていて、その工場も特殊なことということで緊張をもって動いていてくださる。それを通常の工程に入れると機械が汚れるということで、林与でその問題は解決するなど、できる方向を探して動いているからできていたりする仕事。

柔軟性こそが仕事のすべてで柔軟性を欠いてはできることもできなくなってしまう。
2021年02月10日
昨日、仕事が終わる前にスタッフの子がレピアの筬とテンプルの間で指先を挟んで出血、病院でみてもらってレントゲンも取ってもらって消毒もしてもらって明日は休みにして様子をみてもらう。

私自身織機は危険なものだとは思っているのでいろいろ危ないとかいうことも多い。二人で織機を動かしながら扱うのは危ないことだし、一人で動かすのが基本は安全。動かさない状態で、作業するときは二人で作業すると効率のよい作業もある。織出しの作業など。

他の業種と比べると織物関係も労災など掛け率からうると、事故率は全業種の中でも低い方だが、全然安全にみえる整経機の巻き取りですら、私の工場ではないけども3人亡くなられた工場もあるとか。回転が逆なのと機草を入れるときにエプロンが巻き込まれてしまってとからしい。昔の機場のおばちゃんたちはエプロンしている人が多かった。

工場作業では一番、フリースみたいな上着が安全だろうと思う。フリースの首の紐は短くカットしておかないといけないけど。でっぱりがすくなく引っかかりにくく。髪の毛も機械に巻き込まれないように結わえるかが大事。前後の往復運動よりも回転運動が安全に見えて危険ではある。
2021年02月09日
親からは田舎のしきたりみたいなことや業界の古いことは親が教えられても、外のルールは外の人が教えてくれたみたいなところがあって、狭い世界に縛られていると外で通用するような人間はできにくいだろう。そういう田舎のしきたりみたいなことや業界の古いルールはいつの間にか消えてゆくようなものでそれに次の世代を一生懸命にさせるよりも、自分自身が新しいものごとに挑戦して仕切り屋のいないところで、ものごとをやっていかないと立ってゆくのも難しいであろうと思う。

業界でもなんか前向きにやろうとしたらこれは駄目あれは駄目とか他人が口を出してくることが多い。嘘とか偽装は駄目だろうけど、ほんと前向きな期待されるような新しいことをやろうとしてもやらない人からこれは駄目あれは駄目が多い。人間関係を勝手に作ってしまっていて、お前はワシよりも下だぞ見たいな感覚がそういう人には充満しているんだろうけど、そんな程度の人のいうことを聞いていたらその程度に終わってしまって、自分自身がその程度のことをいって次の世代をつぶすことになる。

糸を自分が輸入することにしても、糸商から自分を通して買ってくれの話があったけど、糸商の話を聞くと小回りが利かない話ばかりか、私が覚悟して仕入れる話なのに便乗して他にも売るみたいな話だったので私自身が覚悟決めて動く意味がない。世話になっている糸商さんでも従来の糸はそのままのルートで特別な糸は自分のルートで仕入れることに。残念ながらその糸商さんもその後に廃業されてしまったが、やはり自分の思ったことが自由にできないと今の時代には通用しにくいものである。

京都の問屋さん関係ももう20年前に取引していたそこそこの規模のところはすべて業を終えられた。そういう時代が見えないと、お世話になっていたのに残念な話ではある。先代でも問屋さんにいって修行してこいみたいな感覚だったが、そういうのに違和感がないと次の時代には残れないのである。売り先がなくなったから売れないで終わるとかじゃなく、普通に、自分で作って自分で売るという当たり前の商売の基本の部分に戻ってやっていけばよいだけのこと。そのためにはそれができる力のある人が必要になってくる。

一つは田舎という立地で消費者の方とは遠いけども、時代の流れはネット社会で世界中の誰とでも家にいながらコンタクトを取れるような話で、そういうのについていかないと田舎の繊維の仕事すらも難しい。小さい枠のなかの序列に縛られていては小さい枠すらも消えゆく運命。小さい枠を意識せずに外と自由に交流してやってゆけないといろんなことは難しいものだと思う。
2021年02月01日
今やっている物事を大事にしていくことというのは大事だろうと思うのだが、関係のない世界の人から見れば、今やっていることの大事さも見えずに新しいことばかりで振り回して、今やっているものごとの大事さを見る目がない。

中山道の高宮の旧商家のたたずまいにしても、あれほど文化的な価値のあるものはないだろうけども、普通に壊してしまう話やリノベーションの話。私が廃墟的なものに魅力を感じるのは普通とは違うのかもしれないけども、新しく普通に作れるものよりはそういった同じようにつくることが難しいものは価値があるだろうと思う。今、作ろうと思ってもなかなかつくることは難しいのである。

こういう私のものの見方というものは織物の仕事でも価値観的なものに生きてると思う。衰退する業界を駄目なものとみて新しい業界をもてはやすみたいな一般的な考え方じゃなく、衰退することというのは逆になかなか難しいことなので、みんなできなくなってゆくのに、それを続けてやっていける部分にある意味強さがあるようにも思う。熟練者がやっても初めての人がやっても同じ土俵でやれる人だけが残れるみたいな。登山しないけど、登山と似ているかなあ。自分が自分で登らないといけないあたり。車で登ってはそれは別の意味。

以前、ある若い女性の方が夏の炎天下を、別の織物工場から林与まで10kmとかを歩いてこようとしてやるなあと思った。2時間歩くのが平気な人というのは、気合からして違うようにも思う。そういう人だと仕事も別の感覚でみることができて、いろんなことが簡単だろうと思う。スポーツの世界だと普通でも仕事の世界ではなかなかそういう気合のある人というのは珍しい。普通の繊維業界のおっちゃんおばちゃんらでは敵わんだろうなあと思う。