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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2021年3月
2021年3月
リネン日記:18
2021年03月29日
昨日は天気も良く、田んぼ道を走ってスクワット50回とか腕立て伏せとかやったら、今日はやはり筋肉痛で脚が痛む。日ごろから適度に運動をすることは大事だなあと思うが、いつも工場の中を立って動き回っているのでそれが運動のつもりだったが、学生時代に当たり前だった運動も今となっては怠けた体では翌日がきつい話。

70くらいの人たちが早朝にウォーキングしているのを徹夜とかで仕事していると明け方に見かけたりする。10数年前に、倉庫に糸を探しにいったときに、90過ぎられたお寺の老僧が朝の4時くらいにウォーキングされていたのにすれ違ったことがある。年を取られてからは普段は隠居されていて表にはでられなくなったのだが、全身を包むかのような一見だれだか分からないような風貌で歩かれているのをみてお人柄のようなものを感じた。

人目をはばかりながらも自分が自分のために体を動かすことを心掛ける。都市部だと、案外大きな公園なんかも多く、昼間にたくさんの人がウォーキングしてたりするもので、逆に田舎の方がそういうのやってると目立ってしまうようなところがあり、人目をはばかって健康の維持。

1週間に一度くらい、天気の良い日には1時間ほど時間を見つけて、体を思いっきり動かしてみようと思う。筋肉が今からでも復活するのか、筋肉を傷めてしまうほうになるのか、わからんけど。若いころは気合で、100何十キロのビームを肩に担いで階段を下りたりもできたが、右肩を脱臼してから無理しなくなって、右肩が回復した今は90kgとか100kgが限界、この先どんどんと重いものを運ぶのも難しくなっていくだろう。

織物の仕事というのは、繊細さだけでなく、力仕事の部分もあって、忍耐力も必要、あと計算とかもできないと。総合的なバランスが必要だったりして昔の人のように自分の生活を買い物で補うではなく、自分で育てて食べるようなのに通じるところがあって悪くないんじゃないかと思う。

会社の横を流れる安壺川、なぜか春なのに魚がぜんぜん見当たらない。それが本当に驚きで、子供のころから春先に川を眺めると、小さな魚の黒い背が普通に見つけられたものだが、いないんだわ。代わりに、ジャンボタニシだろう、それが本当にたくさんいる。
2021年03月28日
あるドラッグストアーで、自分の計算では多分2000円分くらいを買っただろうけど、1000円みたいな話で、安すぎるんちゃうの計算しなおしてみの話。すいません、間違ってましたで、そんなんで得しても何の意味もない話で、ちゃんと計算してもらって、正しく払うほうが、自分自身が後悔することもないから、商売している人間だったら普通の事。

人というのは間違うこともあるのがふつうだけど、意図的に間違いを誘導したり、間違いを意図的に葬るのは一生の航海。大人なんだからお互いを考えて正しい方向に導くのが良いんじゃないかとおもう私の考え。

自分の損得じゃなくて、相手も普通に成り立つのを考えて成り立つようにもっていかないと、仕事自体をやめたほうがよいというよりも、小学生の子供のモラルもなくなれば、はずかしくてほんとダメだろうなと思う。

2021年03月28日
ささえあえるような世界というのは、他を食うような人がいない世界でそういう世界をつくるところから始めないと。支えあうような概念を利用して営利目的なのが国連も絡むSなんちゃら、国連が募金詐欺で自分の生活費では駄目で、集めた金がちゃんと困っている人に渡らないと。

ほんと、世界レベルで偽善がまかり通って、命が偽善家たちの食いものにされるのは残念。Wなんちゃらって、どうなの、自分の活動費を募金で捻出して、本当に集めたお金、アフリカに送ってるの、1日100円で救える命の金を自分たちが活動費に使って、本当にいくらのお金がアフリカの100円で救える命に回ってるの?

日本のマスメディアに何千万円使って、一日100円で救える命をダシに、偽善家たちがビジネス、ほんと今の日本や国連レベルが気持ち悪い。国連職員が有能ならボランティアしないと思うけど、無能な一年何千万円も食いつぶして、途上国の何千人の命すらもが、その人たちの給料で消えてゆく。
2021年03月28日
インターンの学生の方が4月の中頃から会社に来てくれるので、住む場所ということで、まあ、愛荘町の一番便利そうなあたりに住む場所を準備。会社からは5分ほど離れているけども、車も運転できる方なのでお昼ご飯も帰ろうと思えばかえって食べることができるし。

正式に決まった3月20日過ぎから物件探し動き始めて4月1日から借りる形なので、どたばた。不思議だったのは、別の仲介会社に聞くと、この物件は空きがないという話だったが、契約した仲介会社ではずーっと空いたままということ。

仲介会社というのは仲介手数料の家賃一か月分だけでは満足せずに、結局のところ自分所有の物件の空きを埋めたいとか付帯費用で利益を考える。いろんなネットワークで仲介会社同士がつながっていて本来は、どの仲介会社にいってもどのネットワークの物件でも借りられそうなものだけど、業者都合が入って紹介してもらうことが難しいのも今回よく分かった。そして、地元にある賃貸物件の多くは仲介会社経由でしか借りにくいことも。

個人レベルで知らない人に自分の所有物件を賃貸するということは今は本当に難しくなってしまっているんだろうと思う。
2021年03月26日
いろんなことをするときに昔だったら分業みたいのが一つの方法だったとは思う。そういう機屋さんほど今の時代では難しくなってしまっているのが普通。自分の中で仕事が回せないと難しい。また、自分自身が仕事できないと工場の中の分業も難しい。

する作業はいっぱいあっても人はいても、必要な作業をこなせる人がいないような状況というのが、繊維業界にはよくあるパターン。林与の家でも、私以外は作業ができない、先代も作業は難しいタイプだったので、良い時代が終わった後の今の時代には通用がしにくい。

自分が作業をしていないと他の人に作業の仕方を教えることができず、どうしても分業的に仕事をさせてしまうことになる。そこは我流の宝庫であって、我流で考えずに慣れで仕事をするので、新し仕事や他の仕事ができないタイプの人が出来上がってしまうのである。仕事をしてもらおうとすると作業の改善なんかがほんと難しいし、やってほしい作業手順を説明してもその通りにやってもらうのは難しく、まったく違う風にやって同じやんとかいうけど、そのやり方だと失敗しないようなチェック機能が働いていないのが分かってなかったりして、失敗してやり直すとか、さらには、高度な作業にはいつまでも発展しない。

自分の仕事はこれだけみたいな感覚と、その仕事を他の人がやろうとすると手を出すなみたいな感覚が見え始めたら、かなり危うい状況ではないかと思う。全体的な仕事が見えなくなって、個の都合で仕事をしだすことになって、人が多くいても一番必要な作業をできる人がいないとか、人がいても準備してあげないとできないのと、また、それを片付けてあげないとできないというあたり。

若い人がなぜ貴重なのかというと、普通になんでもこなせるから。年配者や経験者というのは、先代もそうだったけど、作業一つでも、ワシがやるのか?みたいなどうしようもない錯覚で仕事に残っていたりするので、なにからなにまでやってくればかりで支える次の世代が大変だったりで、よくある繊維企業の末路みたいなのが残念過ぎて。もっと高度なことを田舎企業でもやり続けていないと駄目なのに、考え方からして次の世代におぶさる様な形。時代が変わると偉そうにしていた人たちが一番できない人になるのを見てきた。地道に仕事をできる人がやっぱり強くて、仕事というのは種を撒いてもうまく行かないことが多くて、10回に2回3回のチャンスを生かす博打的な要素もあるけども、同じことをやっても、人が違えばまったく違う結果で、やっぱり地道に信念を持ってやってる人が強い。

林与のプロジェクトのアイリッシュリネンプロジェクトや、超細番手リネンプロジェクトや、高密度リネンプロジェクト、シャトル織リネンプロジェクト、ストールやキッチンクロス、ハンカチプロジェクトなんかも、先代が亡くなったときに、立ち上げたプロジェクトで、日本の繊維業界が安い物に流れるばかりの2000年以降に、一石を投じ多くの方が賛同くださり皆さんに助けていただいた。

繊維業界でやっていこうとする次の世代の人にそういう重荷的なものは気の毒でしかないけども、経験を積めば自分が苦労すれば、何十年の経験者を1年2年で超えていけるのが繊維業界。知識とか経験の長さじゃなくて、一つの仕事でどれだけの自分の力のインプットができるかが大事だと思う。

今、残念なのは、本麻系、なかなか昔のようには普通にものづくりが難しくなって、そういう問題をクリアしていくような余力すらがどこにもないのも分かるし、クリアできないと量産も難しい話で、昔だと普通にクリアできたことでも余力のない今の時代にはクリアすることが難しい。働く時間が海外よりも短くなって海外のほうがクジラの規模で、日本の小さくなった日本の繊維の現場の仕事も取りに来ていて、日本の繊維業界全般的な流れとしては差し出してしまっているような感もある。

ケアラベル一つ、なんで、厳しく守らされてきた日本の繊維業界が、ヨーロッパ基準に合わせないといけないのか、それは政治力や、海外生産をプロモートするため。自動運転自動車も政治力がなく、すべて基準はアメリカ基準。信念のない政治家の先生たちが、自分可愛さに日本を身売りが続く、法律も身売り的なものが多く、エコの概念すらもが商業的過ぎて一番アカンやん。トランプ、グレタ路線とは違う、日本の昔ながらのエコ路線こそ、本当のエコの概念で、麻織物の価値観も世界共通でそのあたりに通じる。

今日も私は一日、かせをチーズアップする作業。自分がそういう作業をするとチーズアップしてもらう人にも感謝の気持ちが芽生えてくる。私の代りに時間使って仕事してもらっているんだと、やってもらえる限りは仕事があればやってもらいたいなあと思う。

残念なのは、おじいさんが期待しておられた別の二つの業者さんの仕事が消えてしまったこと。最後まで私は頼める分は頼んで、できない分は自分でやればよいと思っているようなところがあって、おじいさんがどうしてもできなくなったときには私がお手伝いして片付けそういうのの心配や迷惑は掛けたくない。商売とかじゃなくて信頼がある。林与のリネンなんかもそういうおじいさんの手でかせからチーズに巻き上がっています。林与がかせ染めにこだわるのもそういうおじいさんの支えがあるから。それは分業かもしれないけども、一生懸命な分業だと助けてもらってありがとうで宜しくお願いしますの世界。
2021年03月24日
数年前、アイリッシュリネン140番手や現行のリネン150番手を先染めで織るプロジェクトの審査の際に、手に入った糸を染めて織っただけで何が新事業なんだと言われたけども、普通は麻業界でもありえない世界で本質的に超えた世界だから、審査員の先生にも理解は難しすぎるし説明も難しすぎる。林与の求めたい世界を、そういうタイプの審査員の先生に説明するのは難しい。

審査員の先生と私の人生観というか世界観が違いすぎて、多くの消費者が憧れる麻織物やリネンの世界感の否定から始まってしまっていて、その程度の方が審査されているなら審査通らなくても別によいなあと思う。あと、自分で売らないで他のプロに任せたらというアドバイスもあったけども、おっしゃるような販路は普段から持っているけども、自分で売るのが一番動きやすいからというあたりの理解がないと。

現行のリネン150番手の糸ですら、世界の紡績工場で紡績できる工場は2社で、その紡績工場にも在庫が100kgとかがあるかないかの世界。それを手に入れることはなかなか難しいのだが、まあ、それができるとして、果たしてその糸が織れるのかの話。普通の麻織物を織っている工場だと無理な話なのである。しかもそれを先染めでやるとなると何倍も難しくなる。そしてそれなりの密度。

自分の中で一番難しそうなところを超えてやるから新事業なのであるけども、海外の展示会でも普通は70番手、80番手どまり。それを150番手と一気に世界最細番手で先染めでしかも自分なりに密度を混める織るに挑戦してやったからよかったんじゃないかと思う。

自分の中でも一生にそう何回も挑戦のできることでもないけども、そういうのを麻織物やっているならやっておきたかったから、やれて本当によかった。たまたま、環境もそろっていたからできたことで、何か要素が欠けていたら出来上がらなかったこと。

カシミアの糸は1kg数万出せば手に入るけども、リネン150番手の糸は1kg数万出しても手に入れることは難しいし織ることはさらに難しい。じゃあ、本来は、いったい何に使う糸なのかというと、ハンカチ用の生地とかを手織りするために使う糸なのである。

麻織物の世界にいて、そういうことも自分自身経験ができたことは幸せの一つで、審査員の先生がみても何を喜んでいるのかという世界だろうけども、そういう世界に挑戦するとか、そういうのをやって喜べるということが普通にはないだろうから。そして織って、番手自慢しいているだけではダメで、その織った布がそれなりに素敵に見えないと駄目だろうとは思っている。それなりに素敵な上等な布に見えるようにするのも大事な要素。
2021年03月23日
価値観というものを統一しようとする人がいるけども、価値観というものはそれぞれが異なって当たり前だし、価値が合う人同士がものごとを成り立たせればよいわけで、価値観が違えば接点というものを無理やり作ろうとするといろんな問題が出てくる。

繊維関係でよくある価値観のギャップが、アパレルさんが上で、問屋さんがその次で、メーカーがいて、下請けがあるような構造。お互いが理解しあって対等に物事を進めていかないといけないけども、なかなかそれが難しくなるとそういう関係は逆にないほうがよいかもしれない。

織物メーカーにしても、縦の系列でやっていけるような企業さんもあれば、縦の系列に縛られて成り立たない企業さんもある。うまく行ける時もうまく行けないときもある。そういうときに柔軟に対応して、固定概念にとらわれずに、温度差がないような人とやっていくのが一番健全だろうと思う。

昔のことだけど、良いものが扱いたいということで、話を聞いていくと結局糸代にもならない値段でただで布を分けてほしいに近い話。最初から接点をつくらないほうがややこしくない。ほんと、自分は利益目的で仕事するのに、無料で分けて貰える布はないかみたいな業者さんもいたりする。仕事の考え方やスタイルがまったく違って、逆にあなたの売っている商品の在庫のものをただでくれませんかみたいなこというとびっくりされるだろうけど、同じこと。それが分からない人も多い。

繊維の世界では、B反や売れ残って処分に困っている生地を処分したい企業さんもあるだろうが、染や加工を失敗した生地や、物性の悪い生地など、その在庫を自分が抱える覚悟があればそういう生地を集めることはできるだろう。合成繊維系は特に今は処分するのが難しくなっているので、そういうのを覚悟決めて最後自分がお金払って処分する覚悟があれば、たくさん、在庫を持つこともできるだろうけども、1本の反物にしても1立方mともなれば、合成繊維系は、処分に1万から2万円くらいは掛かるから、倉庫いっぱいだと1億とか掛かることになる。

林与も、麻100%やリネン100%にこだわりを強くして、普遍的に価値のあるような布を作るようにしている。綿麻の布なども風合いなど悪くないけども、林与にたどり着かれるお客様というのはどうしても麻100%やリネン100%へのこだわりを持っておられる方が多い。

こぎん刺しの布も、耳糸に綿の糸を使用すると切れにくく織りやすいのだが、作家さんがリネン100%にできればしてほしいということで耳糸もリネンを使用した。キッチンクロスなどでもそういうご要望は多い。耳はゆらいだり食い込んでもそれよりもリネン100%みたいなものへのこだわり。お客様の価値観だと思う。

ちなみに、通常は、麻やリネンの織物でも耳糸は綿糸を使うのが普通で、着物なんかでも普通に綿の耳糸をそのままフチに使って着物が出来上がる。素材麻100%の表記は可能。なぜ耳糸は綿糸なのかというと、レピアの場合だと反物の中央と比べて片側がオープンなので、その分密度を混ませないといけない、シャトルだと密度が耳そばは混みがちなので切れ易いから。テンションの調整は筬への糸の通し方で微調整。綺麗に織れればそれが答え。
2021年03月23日
今の車にはオプションのACコンセントをつけてある。便利だなあと思う。駐車場などで、ノートパソコン使って仕事していて、バッテリーが少なくなったときや携帯に普通に充電できるのが一番ありがたい。情報がどこでも普通に取り出せるような環境というのはありがたく、それができないと仕事一つの確認が難しくなる。

今、会社の電話が調子悪く、新しい電話を新調中です。30年使ったビジネスフォンともとうとうさようならです。ビジネスフォンからは卒業して、家庭用電話の子機を増設して対応しようと考えています。今までどおりうまく行くかどうかわかりませんが、一回変更してみようと考えています。30年動いてくれたビジネスフォンには感謝しています。

30年って、人間でも非常に長い期間なので、そんな長い間使えるようなシステムってやっぱり、良いものだと思います。途中、ビジネスフォンの買い替えや点検の怪しいあっせん電話などありましたが騙してまぜなぜ売りたいのか、今はそういう業者が多すぎてほんとどうしようもない世の中になったものだと思います。

電気の低圧契約や電話の契約のことなど、特にインフラ系の詐欺電話が増えていて、それも、大手企業がちゃんと自分で仕事をしなくなったことが一番問題だろうとは思います。



2021年03月21日
昨日、倉庫のシャッターを開けているときに、香水のようなにおいがして、梅が咲いているのに気が付いた。もうすぐ4月なんだなあと。まだ、桜ではない。

4月から新しいスタッフが増えるのだが、卒業式でいろいろと表彰をもらったということですごく熱心に取り組んで真面目な子なんだなあと実感。そういうのを大事にするタイプの人は私的には好印象。私が、学生の頃に先輩や友達と遊ぶのも学生の大事なことみたいなこともあったので、今の学生というのは昔よりも厳しい時代に生きるために精神的に磨かれているんだなあと思う。

また、インターン生も学校を1年休学して、林与に4月から数か月来てくれるということで、自分で布を一から最後までつくれるようになって好きな布をデザインして洋服にしてみたいなのがインターンの記念なればよいだろうなあと思う。

学校の先生の紹介で、4月からまた新しいことにもチャレンジできそうな気分でいて、楽しみにしている。若いうちに苦労して間口もキャパも広げておくことは大事だと思うし、いろんな経験を積んでおくことが将来のためになると思うので、いろいろと経験をしていただこうと考えている。

先日、他の会社を退社されたお若い方も退職のお電話いただいたが、若いうちにいろんなことを経験してもらいたいなあと思う。なかなか、年を取ってから経験することは難しいので、鉄は熱いうちに叩けで、自分自身を磨いてほしいなあと思う。私も、いろんな経験を積むように誘導してくれた方には非常に感謝をしていて、難しそうにみえることでも実際にやってみると難しくないことも多い。
2021年03月21日
今は情報社会だなあと思う、私もたまたまコンピュータが得意だから正しい情報を自由に探してこられるけども普通の人というのはそれがなかなか難しく、正しい情報をもっていないことも多いだろう。今はオレオレ詐欺も多いけど、情報を十分に与えないことで、善良な人間が食い物になるようなケースが多いんだなあと思う。農家の立派に仕事されている同世代の方でも自分らは業者に対して弱いといっておられたのが正直なところだろう。

林与の家もヨジヨモンじいさんが、若いころから苦労して近江上布の織元になって貧しい農村を豊かな村に変えてきた。村の人たちは基本、家族みたいなものでその家族をたぶらかして騙そうとするような外の人間と戦ってきた。親父の世代の歴代の区長OBの方々、7人8人と話をしても、私の曲がったことが嫌いなのを分かってくださって、それは行政的な形的なものではなく、本当に村の人々を自分が犠牲になって支えてきた人たちの気持ち。

私は普通の人以上にまたプロの人以上に情報を得る力があり情報を生み出す力もある。でも、そういう力は悪用はしたくない、地道に真面目に生きている人たちを守るために使いたい。やさしさや人情が一番大事だと思うし、情報を操ったり隠したりして人を騙したりするのが一番切らないタイプ。地道に仕事や生きている人を守りたいし、そういう人を騙そうとする人間や会社があれば、喧嘩売ってきたのが普通に分かるけど、情報が得られないとそういうのが普通だと思って全部取られるのが、田舎の人の素人的で寡黙で従順なのを利用して、プロの業者がずげずげと弱肉強食的に食うような世界。

あのどうしようもない郵便屋役の爺さんが一番賢いのかもしれんなあと、窓口なのに分からんふりして、責任逃れするときには一番に簡単に逃げる。認めで良いので押してほしいと、土地案件の申請なのに何も説明しないで判を求める。でも、最初から尻尾が見えてたから。
2021年03月20日
10年前の3月11日に大震災が起こった。多くの人が津波に飲み込まれなくなった。水害や津波の時にはまず高いところに逃げるというのが大事で、マニュアル通りにしていたとかはどうでも良いこと。マニュアル通りにやって多くの人が死んでしまっては、マニュアルが多くの人の命を奪う結果になる。

原発も同じで、メルトダウンを水蒸気爆発という政府や東電の責任逃れのデマ。放射能レーダーが放射能漏れを捉えていたのにそれを隠匿したのが政府や東電。数か月後に発表、意味がないのである。人の命をその程度にしか考えていない連中が原子力発電を推進しているのである。せめて正しい情報が伝わるようにしないと健康被害を隠匿する話にもつながる。

東円堂の玄関口はどこも道路から70cmほど高くしてある。これは経験上、アンコ川が氾濫するとここまで水が浸かる可能性があるという経験から、そういう過去の経験が忘れ去られたときに、何百年かに1回大きな水害が襲う。
2021年03月20日
垂れている蜘蛛の糸の意味が分からずいい加減なことをすると蜘蛛の糸は切れる。自分たちがぶら下がっている糸を出す小さな蜘蛛をあしらおうとするようなことをせねばよかったろうに。蜘蛛の糸が切れてしまったときにはただ元に戻るだけ。悲しい気持ちで眺めるが仕方あるまい。
2021年03月20日
この10日ほどごちゃごちゃがようやく落ち着いたので、かせをチーズに巻いてくれるおじいさんのところに行くと、おじいさんが入院。10日ほど前は元気にいてくださって、巻くから持ってきてといってくださったのに、救急車で病院に運ばれたというようなお話。

糸を巻くのは自分でもなんとかなるけども、おじいさんのほうが心配になり、石が胆管に詰まったようなお話で、1週間くらいで退院されるそうと聞いてまあ良かった。おじいさんも、私が糸を巻いてほしいと頼んでいたことを病院でも心配くださっているみたいで、本当に申し訳ない。退院されても無理してもらうといけないので、今回は自分でチーズアップすることに。

いつも気持ちよく仕事をしてくださって、仕事があることを喜んで、自分の身の丈というものを割り切って生きてられるようなところが好きで。いつも行くと、80過ぎておられるのに、家の奥で電気部品の組み立ての内職みたな仕事もされているようで立派な人だなあと思う。

そういう人でないとなかなかこういう糸を巻くような地道な仕事というのはできないと思う。大きなものを求めずに地道に生きていくような美しさ、時折入院されるけども、グランドゴルフが好きで体を動かすように努めておられる。
2021年03月19日
織物の世界というのはやっぱり仕事らしい仕事で良いなあと思う。地道な仕事で地道なことをやっていることが評価される。5年ほど前に仕事を織物工場を廃業された社長は、お話しを聞いているといろんなことを一人でされていて、自分のお葬式のことまでもノートにまとめて、息子さんが自分の葬式で困らないようにノートにまとめておられた。

でも、その方の眉間には大きな川のような堀の深いシワがある。温厚そのものに見える人だけども、自分自身との戦いを常に乗り越えられているのがその眉間のシワ。人生観からすべてが他の者が敵うような人ではない。

昨日は小銀刺用の布を出荷。せっかくつくるのだからなるべくお客さんの思い通りの布になるように努力。出荷前には織キズを縫って直す作業。でも小銀刺しをされている方のほうが、私よりもひと針ひと針時間をかけてつくられるのも分かっているので、大事に使ってもらえありがたいなあと思う。

自分の手を使って生み出される方というのは、口の長ける方よりも信用ができる。自分の手で生み出されている方というのは言葉も本質が多い。織物の世界というのはコピーができない世界なので、10m織ろうとすれば1mの10倍時間と労力が掛かる。その辺りがやはり良いのかもしれない。麻は特に糸が高価で生産効率が悪いので、たくさん売れたから簡単に安くできるようなこともない。だから、麻布には普遍的な価値があるんだろうと思う。また、麻布は他の天然繊維の布よりも長持ちするので、より手間を掛けてある昔の布のほうが価値がある。

生産効率を求めた織物よりも、生産効率を求めてないシャトル織機での織物のほうが、手間が掛かり価値があるように思うが、そういうのをただのウンチクだといってしまうと、終わりだろうなあと思う。布の世界というのはお客さんに一番のセールスポイントとして語っていることすらもがまったくの嘘であることも多かったりするので、そういうのを見抜けるかどうか。化かそう化かそうとする話は多いけど、私自身は、化かさないことが大事だと思っている。布自身が語ればよいと思っている。が、自分自身も語りすぎとは思っているが、ものそのものよりも、ものをつくる人のほうが大事だと思う時もある。自分がつくることが一番大事だなあと思うのもそのあたり。
2021年03月18日
先日、農業の方と話をしていて、同じ物事でも運があればうまくいくし、運がなければうまくいないとおっしゃっておられた。そうだなあと思ったことがあって、まあ、運にも味方されているのかなあと。

農業にしても織物にしても地道な仕事で、自分の体や体力が資本。頭よりも自分がそれが仕事と思ってどれだけ地道にやって、農作物や織物を作ってそれを評価いただいてみんなに喜んでいただいて成り立たせていくだけのことで、覚悟が一番大事だなあと思う。

ある商店のメルマガが届いて、覚悟という言葉に私が反応してしまった話。人の覚悟こそがすべての本質。覚悟ないなら駄目で、覚悟してもらう必要もある話を持ち掛けるのが私だったりするから、田舎の50過ぎたおっさんの覚悟だけど、麻織物なんて、日本中の話で、残っているのが、覚悟の問題だけのこと。新しい人でも覚悟決めておられるならそれが本物だと思うのも、ずーっとやってるような語りのだらしないどうでもよい話だと消えたほうが良いとも思う話も多い。

一からでも数か月あるなら、麻織物の基本を素人にでも教えるし、経営者が麻織物の基本を知ろうともしないで語るのはどうなのと思う話もいうのが私で、経営者自身が最底辺の仕事くらいはいつでも自分が背負う覚悟ないと、ものづくりの意味も分からない話。敵対するじゃなくてそのあたり覚悟のすり合わせがいつもできていないなあと思う印象。綺麗に見せるだけが消費者に伝わる印象のすべてじゃなくて、本当のものづくりの世界をやってるひとなら分かる話もあって、そういうのを消費者に語るのが大事じゃないのかと。

ある繊維大学で織物を教えられている先生にも、機結びや縦繋ぎが織物の基本だよということを教えるのが私で、そういう先生が縦結びを一生懸命に覚えてくださっていようとするのをみて、この先生は本物と私が判断する。生徒に教えられているような先生が織物の基本くらいは軽く乗り越えられないと、生徒にも教えるは難しいのが当り前で、そういう先生が素直に基本を覚えようとしてくださる姿勢ないと、その方の生徒には教えておられても本質は伝わらないだろうと思う。

ある織物の社長が私に、従業員から自分が織ると問題が起きるので社長は織らないで下さいというレベルは、織物工場の経営者としたら本当にしっかりとした従業員を持っておられ幸せな状況。私も何百メートルの仕事でも、キズ一つ作ると、自分がつくったキズのことを思い出すほど一個一個を覚えているようなのが当たり前だが、それでも麻織物はなかなか問題なしにつくることは難しい。

昨日も、表面だけ、取り繕って進められて、裏が騙し騙しで進んでいるのに雷を落とす話。表面を取り繕って浅い世界で、本気で考えている人間をあしらって、無視、無視ですすめられているのに、激怒そのものを見せても、推し進められるのが気に入らなくて、寒いから体を震わせて話を終わらせたい代表。農業や織物の人がどれだけ地道に寒さや苦労を乗り越えて、自分が前線で説得する覚悟あるのかと思う。雪も降っていないのに自分が寒いからと、自分が相手にしたい私がとことん話ししましょうとしても、寒いから言われるのは、自分が説得して回る覚悟だといわれる話なのに、ギャップが大きすぎてあほらしくなる。自分が説得して回るという人が、私一人すら、自分が寒いからで逃げてどうするの。私も農業の人でも、風や寒さ位当たり前に余裕で話したいのに、それも自分が寒いから早く切り上げて逃げようとされている。

織物でも覚悟決めてやってるし農業の方も覚悟決めてやってる、自分が最底辺も当たり前にする覚悟がないなら、話し合いには応じられない話で、なんで、他の人が我慢できる程度の寒さのなかで多くの人を集まられても自分が寒いから逃げる程度で自分がみんなを説得して回るは喜んでしますといわれるのがアカンだろう。最底辺の仕事くらいを自分がやる覚悟がない人間がいたら終わりだなあと思う。
2021年03月17日
私自身はみんながうまくいくことを願って協力も努力もしようとするタイプの人間だけども、そういうのを落とし込めるようなことをするとか軽く考えるタイプの人がいたら、軌道修正のためにチャンスを与えるが、そのチャンスを押しのけつぶしてこようとする人がいれば、本当の私のなかの鬼の部分が出てくる。

情けや困っておられる方に協力は大事だと思うが、そういう情けや協力したことを仇で返してくるようなら、相手が誰であろうがそういうのとは徹底的に話をつけようとするタイプ。公の場でそれをやると相手が筋が通らず傷つく話だから、そういうのをなるべく避けようとして最初にそういうことが起きないように注意も相手に与えるもするけど、押しのけてそういう結果に持っていかれるのが残念。

すべてが台無しになる話。なんで、そんな軽い気持ちで平気に無理やり、気持ちも持ってやってる人間にマウントしてやってしまうのか。大事な案件で自分が分からないとか、責任のない立場だといったらそういう人から順番に話の舞台から消えてもらわないと駄目な話。

私も自分の中の鬼の部分は常に封印をしているけども、私の鬼の部分が出てきた時には、曲がりすぎたよほどの状態で、他の人が止められるような話でもなくなり、公の場でも曲がったことを平気で押し進めようとするならそれを正すような話。綺麗に見えることほど裏が曲がってしまっていることが多いのも事実で、それは日ごろの繊維の仕事にも共通することかもしれない。公の場で曲がったことを平気で当たり前に言ってるのをとがめるのも私の中の鬼の役目で、でも、そういう場所でも、駄目なことを正そうとする私の気持ちを当たり前に理解してくださる方のほうが多いのが救い。それがなくなれば終わりだろう。
2021年03月05日
昨日、ようやく機もできて通し終わって小銀刺用リネンの織出しが完了した。ちょっと耳そばが切れ易くて難儀したけどもようやく今朝落ち着いて一気に織れそうな状態。織物というのは、織り子さん的な織るだけの部分というのはそれほど難しくなく、正しく織れるようになるまでのところが案外苦戦して時間をつかうことが多い。二人掛かりで数日、1mも織れずに準備とかも普通の話。

小銀刺しの布は普通の布とは織るときに異なることがある。それは筬の糸の通し方で、普通は筬一目に2本の糸を通して織るのが普通の織物なのだが、小銀刺用の布の場合には、筬一目に1本の糸。なぜ、普通の織物は筬一目に2本なのかというと、織ったときに打ち込んだ横糸が戻らないようにしっかりとホールドするためである。それでは小銀刺の場合にはなぜ筬一目に1本通しで織るのか、それは荒い織物であり、用途的に刺しやすいように碁盤の目がしっかりときれいに出るようにするためには1本通しが適切だと私は思うから。

昨日は、糸商さんから問い合わせがあって太番手の織物を織れないかというようなお話。林与でも織れないことはないのだけども、織機の特性などもあって1回何百メートルの量産は難しかったりする。100メートルとかだと織れるけど結局、毎回100mの整経で繋いで織ってやっていると、特別な値段が通る様な用途用でなければコスト的には難しいのではなかろうかとお伝え。織物としてできないじゃなく、コスト的に高くなって量産が成り立ちにくいだろうからみたいなお話をさせていただく。器用な織機であってもそれなりに得手不得手はあったりするもの。
2021年03月03日
先日、新しく作ったシャトルが届いて1個は使ってみたが、他の18個のシャトルの確認ができておらず、今日、仕事が終わってから管を挿して検品してみた。手作りだから形がどれも微妙に異なる。とくに、シャトルの管の受け口の形状はどれも微妙に異なり、ここの部分が一番大事な部分でここが管にピッタリと合わないと問題が生じたりしやすい。18個を20分ほどかけて確認してどれも個性はあるがすべて合格。

麻織物は、経糸が切れやすいのでシャトルが壊れやすい。シャトルが壊れるのは木製だからだけど、壊れないような丈夫なシャトルだと挟むと織機が壊れることになるので、まだ、シャトルが壊れるくらいがバランスとしては良いのだろう。

今日も、シャトル織機では織るのが難しい横糸に生成の織物。なぜ難しいかというと生成の色ムラで織段ができやすいから、2丁、3丁使って織ることで、色ムラを目立たなくする方法もあるけども、なかなかそれでは問題の吸収が出来ないことが多い。シャトル織機で、レピアのように生成の織物を織ることは案外難しい。

経糸においても生成りは厄介で、ワンロットの糸でも上手にまぶして使ってあげないと、箱から出したまま順番に並べて使ってしまうと縞模様ができることが多い。同じ生成りの織物で同じ糸でも、使う人によって出来上がり方は変わってくる。白よりも生成りの織物のほうが織物としては難しいのである。

普通は、番手が太くなるほど、色ムラがひどくなる傾向がある。太い番手の材料ほど一般的にはグレードが低く、1回に使う量も多くなるので、色ムラの問題が起こりやすいのが普通。まあ、ヘンプの生成にくらべると色ムラの程度はましではあるけども、ヘンプの生成りは、紡績の1錘の中でも色ムラが激しい。なぜかというと、ヘンプの場合、1本の茎にしても長すぎて上と下ではかなり色が違うから。一錘で紡績された糸でも、色が白くなったり黄色くなったりが普通なのがヘンプの糸。