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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2021年4月
2021年4月
リネン日記:18
2021年04月29日
一昨日、昨日と1時間程づつシャトル織機を練習したインターン生が、今日はキッチンクロスの経糸の縦繋ぎも終わり、午後からシャトル織機の本生産の台を動かす。

無謀といえば無謀だけど、本麻の100番手の黒の台。本麻は切れ易く、しかも細番手の黒なので糸が見えない。何十年の経験の職人でも勘を養っていなければ織るのは難しいし、正しく織れる人は少ない織物。何が目的なのかというと、経糸切れの処理の練習をひたすらするのには良い。織物の仕事が何なのかが分かる。

仕事なんてやっているうちに見えてくるものがあって、やらない人にはみえてこないものがある。私自身はそういうあたりが布の価値を生む上でも大事で、よく、特別の布がほしいとか、手間の掛かる世界のモノづくりとかいうけども、普通の糸の切れない織物からすると何十倍は難しい織物。麻織物の中でも、リネンの40番手のオフ白クラスと比べると5倍、10倍難しく、織るのにも時間が掛かると思う。

3か月ほどのインターンの間に、このクラスの織物が普通に織れるようになれれば、一般的な仕事の質としては何十年の職人さんクラスでも難しい織物と分類され努力も伴うので、繊維関係の他の道に進んだとしてもこなしていけることは多いだろう。何十年の経験者が無意識にできることを20代の若い人がすぐに習得してできるくらいでないと、今の時代の繊維の仕事というのはなかなか難しいことだろうなあと思う。

何百本と糸が切れても、淡々とあきらめずにすごい速さで直そうとする行動力みたいなものがあれば、私にはそれがあったりするので、他の人にもそれがあればこの繊維不況の中でもできる仕事というものはいくらでもあったりするので、そういう実際の目の前のことに対して答えを出してゆける行動力を持つことが大事なんだろうと思う。
2021年04月28日
昨日まで原因不明のキズで苦戦していたスタッフが今日は一人でキズを作ることなく織れるように、しかも、今日2か所できた傷に関しても原因を私に説明してくれる。もう一台の本麻も、今までは縦切れで織機にべったりと張り付いて直していることが多かったけど、横糸を交換するだけで織れるような感じで、傷も少なく1日に織れる長さも長くなってきた。

並行して、今、加工のことにも取り組んでいて、新しいスタッフも一生懸命に作業。そして、インターン生は、今日は本格的な経糸つなぎ、そして、最後の1時間は、シャトル織機を練習。インターン生も本格的な仕事モードに近づいて、5月にはシャトル織機を自分一人で動かすようになっているだろう。

若い人の成長のスピードは速く、仕事を経験したもの勝ちのようなところがある。素直な気持ちで仕事に取り組める若い時にいっぱい経験を積んで自分が何でもする姿勢を身に着けてそういう姿勢が途中で止まらなければ、人生で自分ができることも人一倍になるだろう。

他の人がいなくても自分が仕事をできて、他の人にも上手なやり方を教えることができて、やればできるという自信とあとは自分がやるだけという覚悟。毎日、1時間程度は座学で仕事ができる人の考え方とかの話。目の前の仕事や作業をせずに、私の考え方を語ることで、自分たちの考え方との相違や違いがあることを知って考える機会になるだろう。働く側の立場の視点だけでなく、自分たちを雇う会社側の視点も、考えられるかどうかで、自分自身が仕事して自分に与える評価も変わってくるだろう。

しょうもないことをべらべら語って仕事していないように見える私が苦も無く実際の作業を器用にできるのをみてもらうと、最初ある力の差も分かり、そのひとつひとつの作業にある力の差を数日経験すれば若くても当たり前にこなして行ける分かるだろう。自分には無理だと思っていたことが数日で出来るようになり、超えられないと思った壁が数日で超えられるようになっていく。

若い人たちだから教えやすく、違うところは違うと指摘して自分が苦手な方法でも最終的に作業を速く確実にできるようになってもらう。習得すればそれが一番簡単な方法だと分かるだろう、私の作業の方法はそういうのの集大成みたいなもので、素直な気持ちがあれば同じようにできるようになる。

仕事なんて強制するものじゃないし、仕事する本人の素直に経験することと覚えたことを実践していく本人の覚悟が大事。繊維のような地道な仕事に向く人と向かない人があって、それは人生観の違いみたいな部分も大きい。
2021年04月27日
シャトル織機を織始めているスタッフが、織ることに自信をなくしている感じ。私が織ると問題なく織れるのにスタッフが織ると2メートル織らないくらいに一度目飛びのキズになる。私の織り方と新しいスタッフの織り方では同じように見えて何かが違い、私が確認しても違いが分からない。

一生懸命にシャトル織機を織ろうとしているのに、なぜキズが出るのか分からないから織ることに自信がなくなる。何十メートルかは余裕をもって整経をしているので、問題なく織れるように最初の今の段階で正しく織れるを経験させてあげたい。本生産をストップして、じっくりと何が問題なのかの検証。

なんとなく見えてきた問題の原因と、私と新しいスタッフの織り方の違い。今まで織った20mほどは、没にしてその生地を自分で使って何かつくればよいだろう。大事なのは、自信を持って織れるようになること。私の場合、時間がないので、織るときには直線的な作業で、縦切れ横切れなどを直すのは、普通の何十年の職人さんの3倍くらのスピードでは作業する。その結果、普通の職人の何倍もの経験を短時間で積む。新人の子とはたぶん10倍以上のスピードの差があるだろう。

そういう初心者と私のスピードの差を埋めるためにも、当たり前に正しく織れるというところにたどり着くことが大事で、私の言ったことを守って作業してくれているので、私自身もアドバイスしやすく、コツさえつかめば私と同じように織れるだろう。

とりあえず、今日は、何メートルかキズをつくらずに織れたので、明日もその調子で問題なければ、たぶん、正しいおり方にたどり着いた。普通の織物ならキズにならないのだけども、すべてのソウコウが毎回動かない綾織物。シャトルが移動するときに十分な初速がついていないと移動中の糸をすくってしまうからだろうと思う。それが起きないようなおり方に誘導できたかどうか。
2021年04月26日
仕事を初めて数週間のスタッフとインターン生、私が今考えていることはものをつくることじゃなくて、ものを作れるような人を育てること。ひと世代前の人たちもものをつくることはできたけども、本質には迫れなかったあたりがあって、本来の日本のものづくりの考え方みたいなものを養いたいなあと思っている。

私も日本全国で素材を別としても織物関係で接する方々というのは、その業界をつくっておられる方がほとんどで、私自身がそういうのを超えたヤバさがあって、そういうのを仕事始めて数週間の若い人たちに仕事って、本気でやってる人たちはそんなもんだよという正直だけども厳しさみたいなものも伝える。

私自身は、仕事を始めたその日から伝統工芸士や何十年の経験者の面倒をみる立場。日本の麻業界ではピンのものづくりの親方とされた先代でも自分の親なので親が傾いてしまっているときにその面倒をみる立場で、それは自分の親の親が苦労して田舎の人々を食べさせていくような精神で、そのさらに親のヨジヨモン爺さんにつながる精神。

ありがたいことにまだまだ粗削りすぎるけどもこの2週間3週間で、最初来た時よりも普通のサラリーマン職人の何年もの覚悟を持つように、それは日本の伝統工芸が業務的な損得に落ちて、他の業界の普通のサラリーマンの覚悟もなく、生き延びるみたいなのに繋がって、業界の先生たちが外の趣味の素人n人たちにも働くという自分の時間をどう使うかで楽して食べて意向だと通用もせずに終わってしまう様な世界を残念に思う。
2021年04月24日
今日はインターン生は、初めて経糸をつなぐ縦繋ぎの結び方の練習。縦繋ぎは何千本の糸を手で繋ぐ作業なのでスピードが命なのだが、その指の動きというのは習得しにくくて、苦戦する人も多い。

インターン生も最初は少し要領を得ないようで、ゆっくりと順番に糸と指の動きを説明してもなかなか同じようにはできない。私が教えているとプレッシャーがあるかもしれないので、スタッフが教える形に交代してスタッフの提案で糸も太い色糸に替えて、再度じっくりと取り組んでもらう。

現場に何十分かして、「できたか~?」と戻ると、ちょうどその時に初めてうまくゆるみのない状態で縦繋ぎが結べたタイミングで、「できた!」とできた本人自身が一番大喜びの時。よかった、よかった。

一度できてしまうと、もう次からは簡単で、あとは回数を練習して早くなることが大事。縦繋ぎは前かがみになっての作業なので、初めて1日掛けて数千本つないだ後は腰痛を経験する人も多い。何回か作業すると慣れて腰も痛くはなくなるのだけども、縦繋ぎにしても頭で理解するのと実際にやってみるのとでは違うし、実践的にやれるようになるという意味はまた別である。

最初から縦繋ぎが早い人が、縦繋ぎの仕事ができるのかというとそれもまた別の話で、覚悟がないと投げ出してしまう。地道に仕事だと割り切って坦々とこなして行ける人が残れる世界。1日8時間とか10時間、縦繋ぎを坦々とこなす仕事というのを経験してもらうことは仕事って何だろうかと考えることにもつながる。
2021年04月22日
2週間のスタッフが初めてタイイングマシーンで糸をつなぐに挑戦といっても、今日は、タイイングマシーンで糸をつなぐ準備を説明しながら、ある程度つなげるところまでいったら、交代の形で。麻糸はタイイングマシーンで繋ぐときに切れてしまいがちで、切れた時の判断を間違うと、繋ぎ間違えが多発することに。

なぜか、私は仕事の手順を教えてできる感じになったときに消えることが多い。私が横にいるとやっている本人がやらねば前に進まないという意識が減るだろうし、自分自身で分からないときにも聞くのじゃなくて考えてみることも必要だろうと思うから、自分で一回やってみて、分からないことがあれば、迷ってみればよいし、考えてみればよい。そういう中でコツもつかめてくる。

実際に、本生産をしている織物を初めての人たちに目を離して任せるということは勇気のいることだけども、いつかは私がいなくても自分で自信をもってやっていける力をつけないといけないし、新しいことをやっていくときには、教えてもらうじゃなくって自分自身が自分で生み出していくような要素が必要で、他の人がやっていることくらいは教えてもらうでなく、一緒に仕事して初めの一回で習得して次からは自分がやっていくみたいな人が次の主役候補。

教える側も多少の失敗なら自分が被って直して乗り越えて行ける力がないと難しいだろう。私自身、教えてもらって仕事をしたという経験よりも、実際に一緒に仕事を初めてやってそのときに次からは自分がやるみたいな感じ。一緒にやっているときも、経験者の人が苦戦しているのをみると、こうしたほうが良いのになあとおもうことも多いし、自分がやるときには、従来のやり方もできるだろうけど、より早く正確にできる方法でやって、より高度なものが作れるようになる。

ひと世代前の職人さんたちが超えられない壁を越えてゆかないといけないのが次の世代であって、通用しなくなった旧来の繊維の考え方にも理解を示しながら、それを被りながらも新しい物事を成り立たせてゆく。
2021年04月21日
今日は整経の一日、糸をカウントして割ったものの最後足りなくなってしまった。整経というのは、巻いていくほど荒巻ドラムの1周が長くなるので、糸のカウントを大きくしておかないといけないのだけども、今回は余裕を見ていても最後ほとんどの糸が10mから25mほど足りない大ピンチ。

糸をぎりぎり使いすぎないように余裕をみておいたので、その糸を急遽足りない分だけ割りなおして交換しながら最後にようやくゴールしたかと思いきや5mほどまだ足りない話で、最終バンド以外の他のバンドを2回分減らして対応。思った以上に糸を食ってしまう。でもその分、長くは巻けているはずなので、最後はそれなりになんとかなった形。

整経というのは、織るということよりも大きな全損的な失敗につながることが多いので、先を結果がどうなるかを読んで作業を進めないといけないことが多い。糸のロット管理なども大事な要素で、残った糸をもとの箱に戻したり有効に活用できるかできないかも作業する人の能力で結果が変わってくる。

手織りの時代には糸を粗末にすることはなかったが、大量生産の時代になって残った原材料や製品というのはのゴミのような感覚が蔓延して、お金だけを残そうとする企業モデルがはびこったことが、日本のものづくりが弱くなった一つの要素。欧米型の大量生産型のものづくりに移行して、日本の特色であるもったいないとかの感覚が消えてしまって、残ったら捨てるが当たり前になった。そういう感覚だと材料にもお金を使いたくなくなるし、つくるのにもお金を使いたくなくなる。それでいて、価値のあるものを生み出そうというのは矛盾ばかりではないのかと思う。

林与が、ものづくり企業らしい要素は、糸商さんや生地商さん以上に、糸在庫や生地在庫などを持っている部分で、それを自分がどう料理してゆくかがものづくり企業の力なんではないかと思う。残ったから使えないから捨てるようではものづくりの力が足りないような気がして。作る側が作られたまだ使えるものを気軽に捨てるようになっては、地球環境にとっても悪い話につながる。

2周分ほどいた数百グラムの糸でも数千円の価値の糸、なにかにつかえないかとビニール袋にしまって活用を考える。林与の倉庫に眠る1トンを超える戦前に績まれた手績みの糸や数トンのアイリッシュリネン糸。糸がというよりも原材料からして今ではもう手に入らなくなった別格の良質の糸。世間からすれば無価値に思えるかもしれないけども、そういうのを残しておいていつか使いたいと思う私にとっては大事な糸。希少な糸だけでなく、自分が良い糸と思って買った糸や良い布とおもう布の価値は私にとってはいつまでも普遍で、残っているからといって処分するようなものではない。今後はつくることはさらに難しくなる。

数年前にできたことが数年後にはできなくなるというのが今の日本の繊維業界で、海外もそうなのだが、子供たちが働いて大人が働かないような次世代依存型の階級社会が世界中に広がって、昔はできたことも今の人たちは禁じられてしかも、そのひと世代前の問題や社会問題の解決を強いられる。あとになったらというかそのときでも次の世代からすればうすっぺらい感覚の駄目なことするのを正しいと強いられてその片づけを次の世代が背負う。次の世代に背負わせるような感覚ばかりで生きてると次の世代が苦労する話。それが本当に今の日本の社会の問題だと私は思う。

私が仕事を初めて1年2年で、何十年の経験のある方が自分の面倒をみてもらわないと困るという話。次の仕事を始めたばかりの世代が何十年の経験者の生活やその家族の面倒をみるのも普通に受け入れ読みたいなだらしない感覚が蔓延していて、そのあたりから考えてゆかないといけない話。何十年の経験があってもその人たちというのは仕事し始めたときから面倒をみてもらう経験の積み重ね、それが長続きすることもない話で前の世代が解決しようとしない問題は、次の世代が取り返しのつかないほどの重荷を背負って解決してゆかないといけない話。

でもそれは、昔良かった日本の繊維業界ではよく聞く話で、日本社会の問題の縮図そのものだろうと思う。自分が他の人の面倒をみる経験がない人というのは、そういう仕事経験やそういう人生経験が長いほど人というのは変われないもので、そのあたりが働いて食べて行ける人と食べてゆけないひとの差につながる。それでも人の心を信じて支えて助けて見せようとするが、自分自身が自分の人生を捨てて寝ないで働いていてもそういうのにマウントしてくる経験者も多く、成り上がってしまって、まともに働く気持ちや、まともな仕事の感覚のなくなった経験者というのは手が付けられないものだなあと思う。
2021年04月20日
インターン生が免許はもっているけども教習所以外での車の運転が初めてで、住んでいるところから会社まで5分の距離を通うのも車が便利だし、夜道だと自転車よりも安全に思う。最初の一週間は車の運転を教えることも社会経験の一つで、会社の軽自動車を運転できるように練習。

1週間で自分で運転ができるようになって、駐車場のバックパーキングもできるようになったようで一安心。自動車が運転できると自由に動ける範囲が広がって、自分が運転して他の人を乗せる立場になれば、頼めば他の人が送り迎えしてくれる立場とは違う感覚も芽生えてくるだろう。

田舎というのは自動車がなければ行動範囲が狭くなりすぎて、社会生活も難しいことが多い。若いうちに自動車の運転だけでなく、自動車のトラブルなんかも乗り越えていくのも社会勉強の一つだろう。

私もアメリカに行ったときにホストファザーが、自動車を買うのを手伝ってくれたり、問題があるときに面倒をみてくれた、そして、自分自身が車のいろんな問題を乗り越えることができるようになり、今の織物の仕事にも役立っている。たとえば、自動車のタイヤ交換くらいが自分でできないと織機の面倒をみることはなかなか難しいんじゃないだろうかと思える。

インターン生から、自転車の傘立てが壊れた報告をもらったときも、私が直すのではなく、自分で直してみるように誘導、100円ショップに行って自転車用の傘立てを買って、自分で取り付けてみる経験。自転車のライトもくらいということで、100円ショップの自転車用のライトと電池を買って、取り付けてみてもらう。自分自身で取り付けてみるというところが大事で、できたことによって自信がついてくる。

多少の失敗は人生経験で、失敗して分かることもあって、失敗するのを当たり前に自分自身で乗り越えられるような経験をつけて、その次には他の人に対して教えるとか他のできない人の面倒をみられるようなくらいになると自分のことだけでなく世の中全体も見えてきて一人前。若い人たちは健全な精神を持っていて社会貢献したいと考えている人も多いけども、頭の中だけでなく、自分でものごとをする経験を積んで地力みたいなものをもって行動に移して行くことが大事だろうと思う。

お金を払って他の人にやってもらって解決という方法もあるだろうけども、自分の中に力をつけるためには、自分自身ができるかぎりの工夫をして自分でやってみて解決するという方法。ものづくりをしていく人だとそういうのが大事じゃないのかと思う。

今日は一日、会社外での社会経験。新しい人との接点も生まれて、他の人がしている仕事なんかもみえて、それを自分がやってみるということが大事。仕事というのは業種が違えど共通する要素があって、できる人の仕事というのはできない人の面倒をみたり、一緒に働く他の人の問題を解決するのが、できる人の仕事になってくる。
2021年04月20日
今日は、夕方、織り始めて1週間のスタッフが、織っている本麻でシャトルを挟んだということで何十本か切れた、初めての本格的なダメージ。シャトルを挟むのは仕方ないのだけども、切れた糸を直すときにまっすぐにつなげておらず、右の糸が左にいったり、左の糸が右にいったりして、それでは、そのあと織るときに糸がドロッパーにつかえて切れて切れての地獄モードに突入する。

切れた糸をつなぐので精一杯の状況。でも、注意してつながないと、完璧に用意され織れる状態を織っている本人が崩して、そのあとは織れども織れどもまともに織れない状態になる。糸が切れ始めると結び目が多くなるのでそれが余計に切れる原因になる。

ラミーの100番手では最高クラスの糸ではあるけども、縦繋ぎも難しいくらいに今の糸というのは織物の経糸には向かない。白い糸ならまだましなのだろうけども、染めた糸というのは本当に手ごわいものである。特に黒や紺の濃色というのは糸が見えにくく筬を通すのも難しい。

本麻の黒は、直す手間を掛けても、今日は1日に1mもまともに織れてはいないだろうけども、でも、救いは新しいスタッフの子があきらめずに前向きなこと。経験者でも普通は、右の糸を左につないだりしてトラブルのあとまともに布が織れることは少ない。でも、経験者のそういうのを正そうとしてもなかなか経験者というのは素直に正しいことをやってみるというのは難しいもので、それが経験者が仕事が難しい話つながる。案外、経験者でもやってない経験というのは新しい人と同じくらい多いことが多いものである。新しい人のほうが、素直に正しい努力をすれば経験者を超えることはそう難しくはないとは思う。

仕事というのは目の前の問題を自分が解決してゆけるかどうかで、問題を起こさないように仕事を進めていくということが大事で、そのあたりが同じ材料と織機を使っても、人が異なれば結果が変わってくることになる。人が異なるという意味は、人の考え方の違いがあるということで、毎回毎回、当たり前に仕事で結果を出そうとして結果を出している人と、結果を出せずに時間だけが過ぎてゆくのが普通の人では、仕事して食べて行ける人と仕事して食べてゆけない人の考え方の差があると思う。

食べて行けなければそれなりに節制すれば良いのだけども、仕事できる人ほど仕事に自分のお金を使うが、仕事できない人ほど仕事以外に自分のお金を使ってしまう。そのあたりも、仕事ができる人とできない人の差で、自分が仕事する用意を自分がお金や自分の時間を使ってするタイプなのかどうか、というあたりが経験の長さよりも質的なものが大事。

本当に残念なことがあって、木管が1個50gで段ボールが1kg、糸の入った段ボール箱を図ると総重量が10kgで、木管に巻かれたいとが20本あるとすると、糸の正味の重さは何キロですか、というのも、中学生くらいなら8kgと当たり前でないと授業にもついてゆけないレベルだけど、繊維業界の現場の何十年の経験者が今の小学生のできる計算が難しとか教えてもやろうとしない現実があって、外から見るとありない話だけどもそういうことも考えもしないので、そういうのを譲って次の世代が支えようとするけどあまりに力がなさ過ぎて、分かってほしいのは計算ができないことを馬鹿にするとかじゃなく、仕事してお金をもらうというのを軽く考えすぎていて経験を積んでいても食べていくことが難しい話。
2021年04月19日
昨日の午後は、ゆっくりと話ができるということで日曜日にお越しいただいた名古屋からのお客様。中国のブランドの企画を担当されていて、私も昔、接点があって実際に生地を使ってもらっていたブランドだったので、最近は、コロナでどうされているのだろうかと気には掛かっていたけども、こういう形で再び接点が生まれるとは不思議なご縁である。

その方も中国のブランドの中で、特色のあるそのブランドのものづくりにあこがれてそのブランドで働かれているそうで、今の中国のものづくりの中でもしっかりとしたテイストをもった欧米などの海外展開を主軸においたブランド。

中国は国外への観光などが難しく、中国国内での消費が順調で中国国内でも高級ブランドへの注目が高いという。上海などは東京よりもすでに地代や賃貸などが高く、物価にしても日本的な品質を求めると日本の2倍くらいの値段が普通であるという。

日本の昭和の高度成長期を思わせるような局面にあるのだろう。実は、中国の中というよりも世界でも最高級の素材を生み出しているのが今叩かれているウィーグルの人々なのだが、野麦峠と同じような背景があるように思う。

大手が使うBCIコットンをオーガニックコットンと呼ぶかは別にして、貧しい人たちが生きるために働ける環境を与えるとそれが悪いことのように言われがちで、叩いてばかりでは貧しい人たちは仕事もなく飢えて死にゆくしかないのであるが、それが正しいことのように自分が仕事やお金を与えて救う苦労もしないひとが批判するのは簡単できれいだけども、確実に仕事もなく飢えて貧しい子供たちも死んでゆく。

大手のつかうBCIコットンをオーガニックコットンと呼ぶことや機械化したことがオーガニックコットン?の手で積む価値を下げて、オーガニックコットン本来の価値を損ねてしまい、本来なら都市部のサラリーマンたちよりも収入がよかったのに、マスマーケティングが看板だけを利用して、本来の手摘みなどの作業をしている人たちの収入を機械化が奪ってゆく。なぜか、手摘みのような作業が過酷だから駄目のようなことにいわれ機械化が正しいことのようにいわれて、貧しいものが生きてゆくすべを許さない目線が貧しい人たちの地道な労働を評価しないあたりに通じる。

食べ物に困らない裕福な人たちというのはウィーグルの人たちが貧しいことを見下してしまっているのではないのかと思うが、世界最高級のものを生み出せる力というのは、日本で言うと伝統工芸士以上に優れた人たちであって、ゆがんだ眼をもって見下してはならないといえる。

実はそういう人たちの存在こそが脅威であり、給料を払って救う気持ちがない人が叩いていたりする。貧しい人たちが飢えて死んでゆくのをがんばって働いて、公務員や大卒以上の給料を得ることをよしとしない人たちがいて、野麦峠も叩かれた。プロジェクトXの徹夜は美談なんだけども、貧しい人がそれを超えるようなことをやると脅威で身分制度が崩壊することを危惧する働きたくない層が多いのではないか思ったりもする。
2021年04月18日
マネーの虎の木工職人のストーリーを昨日の朝、スタッフとみた。仕事って何かを考えるときに、なぜ、この木工職人がマネーの虎たちが競って出資したい魅力を持っているのかというところ。つくるイスやテーブルそのものも素敵ではあるが、やっぱり作り手の人の部分が大事でという結論。

ものづくりをしようとするときにものを作ろうとするけども、その前に人を作らないとと思う。普通じゃないものをつくりたければ普通に憧れていては無理だろうなあと思うのもそのあたりで、他の人よりも自分が普通とは人生観が違わないと、自分が手掛けて作るものは普通辺りに終わるだろうと思う。

ものごとをするときに普通の人の何倍も努力を惜しまないとかがないと、1回、2回はフロックで当たっても、継続的に続けていくことは難しいだろうなあと感じる。できることは自分の力で生み出して行くことが大事で、代わりにやってもらう人を探すんではなくて、自分で頭、体、手、足を動かして、器用にならないと自分自身の中を特別に変えていく。

やってうまくいってもうまくいかなくても、やってみることが大事で、失敗したなら失敗したで、うまく行くような方法を見つけ出したり、世の中というものを知ることができる。やらないで夢ばかりが広げるよりも、やってみて現実を知るのが実になる。そういう中で理想を追い求めて実際の行動を行っていくことがどれだけ厳しく難しいことかを味わってゆく。そういうのを普通に受け入れられるのが地力だと思う。
2021年04月17日
海外で児童労働の問題が反道徳だとしていわれるけども、日本の社会はまさにその典型でこらからうまれてくる赤ちゃんに自分たちの面倒をみさせようという日本の社会。これから生まれてくる赤ちゃんは今の世代の奴隷じゃないのだからとおもうけど、日本的な途上国の児童労働にも通じる勘違いの年功序列型奴隷制度。

途上国で、よくいわれるのが親が子供を産むのは自分たちの老後の面倒をみさせるためで、それと同じことを21世紀の日本が政策や法律でやろうとしている。楽して苦労もせずに生み出さずに次の世代を食いつぶすは、日本を食い物にできるアメリカのようにはいかないだろう。働かないアメリカのために日本の現世代は食いつぶされなくても次の日本の世代が食いつぶされる。それは日本の親が、親としての親の次の世代を守る本能みたいなものがなくなってしまっているということ。日本の現役世代が子らからの世代や次の世代を差し出して楽しようとしているだけで、人間としても褒められたことじゃない。途上国の児童労働させて自分が働かない親に被る話。それが日本の法律や制度で、正当化されるのが、日本社会や日本の政治や行政が卑しすぎるように思う。

少子化を心配するのが、高齢化社会を支えるため。これから生まれれ来る赤ちゃんたちは、生まれながらの奴隷じゃないのだから。日本の総理大臣や各省の大臣からして、これから生まれてくる世代を食いつぶす輩。環境大臣が、アンエシカルすぎて、それでいて、SDGSというのも、日本的な奴隷制度。何千万ももらってる環境大臣が育休で、それを年収何百万の国民が休むことも子供を産むこともできず支える身分制社会や奴隷制度そのもの。
2021年04月13日
今朝、この数日シャトル織機をなかなかうまく動かせなかったスタッフが、夕方過ぎには確信をもってシャトル織機を動かせるようになったのがうれしくて。実際にシャトル織機を動かしたのは1週間未満だけども、熱心に取り組んでくれて雪解けを迎えた感じで、織機を動かすときの身のこなしが軽く優しい。まさにコツをつかんだ感じ。

今まで、なかなか動かなかった織機が、糸を交換するとか糸切れを直すとかで自動で当たり前に動いてくれて、横糸切れの時にもキズを作らないように動かせようになると、そこからは、作業回数が何倍にも増えるので当たり前に織れるようになってくる。苦痛だった作業も、問題の原因が当り前に分かるようになるので、直線的に処理できるようになる。説明されても分からなかったことが感覚的に分かりはじめ、シャトル織機を動かすときに考える必要がなくなって、当たり前に動かせる。

私自身が、シャトル織機で織るを経験したのが40歳すぎての時だから、20過ぎの人がシャトル織機を扱うということは、私よりも20年早く経験を積むことになる。2か月、3か月もすれば、何十年の経験者以上に織機を動かすだけでなく、整経なんかもこなせるようになってくれるだろう。出荷や納品書や請求書を書いたり、ネットショップを運営したり、検反、修正など、オールマイティに動けるようなタイプの人というのは年齢関係なく場を作れる。外に出ても自信をもって説明もできるだろう。20代の5年というのは、30代から10年、40代からの20年に相当すると思う。

そういう若い人に私は冗談をかましながらも教えることは多くても、真面目に前向きに頑張ろうとする姿勢を、私は尊敬するのである。布の価値というのはそういうところで生まれるし、そういうのを消費者の皆さんも応援してくださるのだと思う。器用より努力タイプ、私自身がそのタイプであったりする。
2021年04月09日
今日は、新しい社員との話の中で身の丈の大事さ、包容力のある人ほど身の丈をわきまえて底辺のことを周りのために率先してやっているので周りから見ても普通に違うなあの話だけど、周りが本当のアホだとそれを馬鹿にして見下すようなこともよくありがちな荒みすぎた社会。

今日は朝にある業界の関係の方が来られるけども、誰が本当に責任をもつ代表なのかも分からないという話で言うことばかりがきれいで、代表の肩書があってもサラリーマンや責任逃れが普通の公務員程度にしか思えないというような、本当に失礼な話をさせていただく。代表だったらあなたが基本責任取る覚悟なないと駄目だよと。

取引には資格も必要なのに資格のない人が取引の説明をされているから、基本的な法律すらにも触れてしまっている話で、話をするレベルでもないのが本当に残念。間に入るなら、資格を取って取引を進められるべきではないのかと思う。無茶苦茶なやり方が普通みたいなのが接点を持つことが本当に難しい話で、全員の合意見たいものがあって場が作られ成り立つという基本が欠けているのだが、今まであったそういうみんなの合意みたいなものすらもそういう業者的な立場の人が関わるとすべて台無しなる。

今日は、新しい社員が、キーボートのブラインドタッチでの、aからzまでのタイピングが最初は、25秒だったのが10秒を切るまでに何十分かの練習で、最初は、ホームポジションを維持していないのと、左斜めに指が上下するのがブラインドタッチの基本でそれができていなかったのが、ブラインドタッチを覚える最初の内に直ったので、画面を見ながらのブラインドタッチの上達も早いだろうと思う。

昔、小学校3年のころ親がコンピュータを買ってくれなかったので、雑誌についていたキーボードの実物大のポスターを使って、ブラインドタッチを覚えた話をしたりもした。デジタルディバイドという言葉があるけども、次の世代だけの問題ではなく、親の世代が次の世代の方向性がみえていないと、親が努力をしないことで出来ないだけでなく、変な方向にひっぱっていくとこと次の世代が支えたり、軌道修正に苦労することになってしまう。

時代が変われば、仕事に必要とされた読み書きソロバンが、今は、パソコンや携帯に形が変わり対応できないと、なかなか仕事することすらが難しいという話につながる。別に手書きで文章をつくってもよいし、味のあることだと思うがそういうのができる人というのはもう希少すぎるほどである。
2021年04月07日
電気契約で、ネットで関西電力だと思って電話かけた電気会社が新電力会社で、契約の説明も電気料金が10%安くなるという説明で、今日も支払い方法の確認があったので、正確にはどういう関西電力の電気料金プランよりも安くなるのかと確認したら、結局、トータルで20kwから300kwまでは割高になる料金体系、詐欺そのものやん。

1か月500kw以上使ったら10%安くなるとか。それでいて、基本料金だけが10%安くなると説明しているはずだと、いやいや、先日申し込みの時の説明は電気料金が関西電力よりも10%安くなるという話で、確認しても最終的にそういう話。基本料金が10%安くなる話などない。

基本料金というのは340円ほどなのでそれが30円安くなって、1kw単価が5円高い料金プランで、関西電力より電気料金が10%安くなるという詐欺的な説明。どおりで料金をちゃんと説明できないわけで、kw当たりの単価などを問い詰めてみるとそんな話。

詐欺でなりたつ新しいビジネスみたいな話。今は、普通の新しい商売というのがそんな感じになってしまっている。人々が自分の生活を支える仕事というものがそういう他の人を騙してお金を稼ぐような話。そこで働いている人も消費者を騙していることは気が付いているだろうけども、会社自体がそいういう会社で、働いてしまうとそれで給料をもらって食べていくしかない。働いている人が自分が消費者を騙していることに気が付いていないともっと怖い話。金額にするとたいした金額ではないけども、20kwから300kwまでだと高くなるのに10%安くなるという謳いで勧誘して損をさせて儲けるような商売のやり口がすごく汚くて嫌い。

そういう詐欺的な業者でも、新電力として経済産業大臣から小売り電気事業の許可を受けている。国そういうのに認可を与えて詐欺の片棒を担いでしまって何をやってるのか。関西電力と契約した。こちらのほうがスムーズで料金も明瞭で結局簡単。
2021年04月06日
今日は電気料金の契約、新電力は駄目だなあと思うのが、電気料金がいくらになるのかを聞いても10%安いというだけの話。で、いくらなのと聞いても確認をさせても答えられない。大事なところを説明もできずに、分からないところがありませんかみたいな話。

それでいて、最後にキャンペーンがありますと、永年無料のウォーターサーバーをプレゼントらしいが、永年無料とか意味の分からない表現でそれこそ裏がありそうな話で断る。たぶん、自動的にミネラルウォーターの契約が最初にあるんだろう。

昔、南彦根に事務所をもってたときにも、富山の置き薬の会社の営業マンが一生懸命に営業で薬箱を置いてほしいと頼むので、使わないけど置きたいなら置いてあげてもよいけどと犯してあげたら、2年ほどすると、その本社のほうが使わないなら撤去させてほしいとか、ほんと自分勝手な損得での営業が多い。そういうのと付き合うのは本当に時間の無駄。

大人が仕事でやってるのに、悪意のある騙しばかりが潜んでいるのがいまの商売。そうでないと儲からない話なのだろうが、消費者騙しそのものを感じることが多い。


















2021年04月04日
インターンの方との初顔合わせ、学生さんというのはさすがにお若いなあと感じるが、学校を休学して弊社のほか1年のインターンを考えられている。普通のサラリーマン以上に覚悟のある話。私としては、学生の方だけでなく、社会人の方でも飛び歩いていて、面倒をみてもらうを探しているだけで仕事みたいな人が多いけども、そういうのは応対する側が迷惑だったりするので、自分自身が時間と体力を使う地道な仕事の積み重ねで布の世界の価値が生まれていくというあたりを人生の早い時期に知ってもらっておきたい。

高級ブランドにしても、最後に生地に求めるのはそこの部分で、そういう基本を抜きにしては、本物的なものづくりがまったくのホラ話に終わってしまう。よくあるラベルで金をうむような商売みたいになっては最悪の産地偽装やエシカル偽装そのもの。

繊維の世界では昔からそういうのが多くて、なぜ、林与が小さいのかというとそういうのが嫌いだから、地力のある人があつまって、自分たちで自分たちが働くことの価値を生み出して行くようなあたりを常に大事にしてゆきたい。

林与というのは繊維業界の中でも厳しいものづくりにみえるけども、何十年やっている人たちが繊維業界だけでなく、一般的な仕事としても難しいだろうなあと若いころから外の世界との比較で感じて、そういう過去の繊維業界の仕事がなかなかできなくなって難しくなった重荷を全部一人でも背負うのも辞さず、日本の繊維業界が昔を引きずっていては食べていくのが難しいのも当たり前だろうなあと思っている。

先代なんかもそうだが、なんで仕事すら自分でする覚悟なく偉そうにしていたのかが意味が分からずに、そういう経験者の働かないを代わりに背負って働いて片付けてあげるのが次の世代の仕事になってしまうと、まさに外を知らない文句言いで次の世代に集ってばかりのアカン典型。地力が低すぎて外の世界では食べていくのも難しいがそれの連鎖に頼って生きようとするが、気の抜けた看板商売というのは、海外の日本が馬鹿にしてきた人たちのものづくりにも負けてしまう。国内でモノづくりしても、昔の中国のような品質の安定が難しくなってきていて、手間を嫌がる損得ベースな海外的なものづくりが職人の世界にも蔓延。

技術を流出させて安く他で作りたいみたいな考え方が多く、日本の培ってきたことを海外でやって利ザヤを稼ぎたいというのが日本の繊維業界に蔓延している、それは大手のSPAの戦略と同じだが、自分さえよければそれでよいという安直な考え方。でも、国内でやっている人たち、特に生地問屋さんや産元が、平気で技術を流出してしまうのも海外の人よりも苦労をして仕事をする気持ちが無いからだろうから、取られて当たり前のような食べていくのも難しくなる流れ。

日本の大手SPAが元気なのも日本が培った技術を海外でアプライみたいなあたり。日本の大手繊維日本の国産の実質的な敵になるというのも皮肉な話で、繊維産業ではそれが成り立つような話で、自動車だと産業振興でも全く逆だろう話。
2021年04月01日
今日は、インターンの賃貸物件の入居時確認を行い、カーテン、冷蔵庫、レンジ、IHコンロ、ベッドなど、生活するのに必要そうなものが会社にあるかどうか、引っ越しが大変にならないようにとは思う。会社からも車で5分なので昼食なども帰ってとることも可能。

心配していた物件の内装もメンテが中古物件程度の状態なのでそれほど入居者が一つの傷もつけないようにピリピリする必要もないだろうと思える。広さも十分で窮屈なことはないだろうし、窓の外にはのどかな空間が広がっているので、窓を開けて過ごせば居心地は悪くないだろうと思う。

近くの会社の寮に入った新しいスタッフの子も転入の手続きなどが必要だが、転出証明書などがまだ手元に揃っていないので、揃ってから手続きするということに。水道の契約ができているのかどうかなど調べて、できていたようで電気と水道が使え、ボイラー用の灯油なども充填し準備して新生活がうまくスタートできるように準備。