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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2021年5月
2021年5月
リネン日記:24
2021年05月30日
普通じゃ、麻織物というのは難しい仕事なんだなあとつくづく思う。予想外の問題が付きまとう。綿やシルクの織物だと起こりにくい問題が多く起こる。通常は2割ほど多い目に織るような想定で材料を用意する。1割くらいはキズロスなどでなくなり、1反くらいは、もしもの時の1反として用意して、とか。

問題が起こったときには、もう一度作り直せばよいというのではなく、同じ問題が起こる可能性もあって、また、やり直したとしても納期のあるものなどは、その仕事だけをやり直すので、他の仕事が雪崩式に遅れてゆくので、仕事というのは1回でなんとかなるように、必要量プラスロスのさらに2割ほど材料を多めに投入してすることが多い。

ウィスキーじゃないけども、天使の分け前みたいなものがあって、糸というのは箱から出したときにすでに5%少ないとか(公定水分率の問題なら実長がなければならないのだけどもない話がほとんど)、染から上がってくると綛上げしたりしているのでさらにロス、綛をチーズアップするとさらにロス、整経するとさらにロス、織るとさらにロス、加工するとさらにロス、傷以外でもロスは見ておかないといけない。

麻織物なのでベストを尽くしても50mとかだとキズが含まれてしまうことが普通だったりするものの、基本、クリームの一番おいしいところを選んでお渡しするような感じで、仕上がった一番状態の良いものをなるべく選んでお渡しするようにはしている。手元には、その残反や、製造途中のたくさんの片づけものが残ることになる。捨ててしまうのは簡単だけど、林与のもったいない精神が働いて、手元には中途半端な状態のものがどんどんと増えてくる。試作品の生地とか、最終バージョンではないので、打ち込みがいろいろだったり、調整途中の生地だったり、生地を試作する時には、想定している規格だけでなく、自分なりにいくつかの別バージョンを手元につくってみておいて一番いい感じのバージョンを採用するようにしていたりするので、そういうのができることがつくれる現場をもつ強みだと思う。

そういう亜種を捨ててしまうのかというと、自分自身の記録としては貴重で、しかも、本生産よりも何倍も時間を掛けて数メートルを織っているので、本生産の仕事よりもプロとしては意味のある資料であったりする。その資料だけでなく、その資料を触ってどの風合いや感じが一番良いのかを自分自身が感じられる感性があるのかないのかが、なかなか現場で織物を作っている人にもいないのが実際で、何百回とか、ものものづくりをしていく中でそのたびにいい感じなのかどうなのかを判断する経験を積み重ねて、自分なりに布の良し悪しの基準があることが大事であろうとは思っている。
2021年05月29日
今日、スタッフと話をしていて、1か月前のことが遠い昔のことのようで、時間がすごく早く過ぎてゆく、私も同じ感覚で、いろんなことを詰め込んでやっているので、時間のたつのがすごく早く、私からすれば慣れているはずの仕事でも、新しいスタッフとインターン生とでする仕事というのは新鮮である。

仕事というのは、本来は落ち着いてしたいものであるけども、時間に縛られてしまい追われることが多い。スタッフも、リネンデニムの染まりあがった綛の糸をチーズアップするところから始まって整経の準備作業をしたり整経作業もできるようになって、縦繋ぎを初めてタイイングマシーンでやったり、シャトル織機で織るを経験したり、そして仕事のゴールの検反作業を終えて出荷作業の一連の織物工程の本生産を2回経験した。

納期があるなか1回で正しい答えが出せないと駄目だという厳しさを、自分で引っ張っていっていってくれ、やりましょうと自分で目標を立ててクリア。予定通りに仕事がリネンデニムの仕事は2回、回った。リネンデニムだけでなく、並行して、キッチンクロスやストール生地なども初めて本生産を織る経験をこなしてくれた。今の織るのが難しい、本麻の黒も経験をしてくれ、本麻の黒を正しく織れるようになるのももうすぐだろう。この前まで林与いてくれたスタッフの女の子が、私がほとんど教えることなく本麻を最初からキズなく織ってくれていたのは本当に珍しいことだったと思う。今の染めた本麻の縦はこの10年ほどで、昔の職人さんでも正しくは織れないほどに織るのが難しくなってしまっていて酷な話。

できる人というのは初心者で分からないことが多くても乗り越えて、最初からやるみたいなあたり、言動に違いみたいなものを感じる。私も経験者ではあるが力強く応援してもらっている感があり作業の中の力仕事やより高度なことを全力でやらんとなあと思う。
2021年05月28日
スポーツというのは織物とは関係がないように思えたりはするものの、織物にはスポーツ系の人のほうが向くなあと思う。スポーツ系というのは動くことを面倒には思わないから。私の両親にしても、スポーツなんかはしないタイプで、織物作業も面倒がってしまってて商売にはしていたものの難しいタイプである。

繊維の世界でも、昭和のころの飲む付き合いのおっさんぽい商売みたいなのが、昔は主流だったが、今は繊維業界も女性が主役となって若い人が活躍するというのが当り前のイメージ。どちらかというと私もおっさんなのである意味厳しい時代に突入したが、私のお客さまの多くも女性の方がほとんどで担当も若い方が多い。

仕事で私とはぶつかって私とはご縁がなくなる場合も過去には5件程度ではあるけども、そういう方も私とは違う路線であっても、強い覚悟で繊維業界に残って、自分自身の路線で、繊維の業界で仕事を成り立たせて続けていてもらいたいと思っていたりはする。

今の仕事全般にしても、ネットやコンピュータが使えないと、昔でいう読み書きソロバンが出来ないみたいな状態である。自分の中に情報を蓄積して活用できる人と、他の人が情報を蓄積してそれに依存して仕事をしている人とでは大きな差が出来てしまって、正確に経験が生きてくる経験者タイプの人と不確かなので経験が生きてこない初心者タイプの人に分かれる。年配の人というのは慣れで仕事をしていることが多いので、今の時代の多種多様なモノづくりについていくことはなかなか難しいものである。コンピュータなしに書類や電卓での管理でもよいのだけども、先染め織物などは莫大な計算量があったりするので、エクセルなどの表計算ソフトで、ホワットイフアナラシスと呼ばれるような、生産量を変更したら一度に自動に再計算してくれるような方法を活用しないとついてゆくことは難しいだろう。

先代もそれなりに計算は強い方だったけども計算機の世界と、表計算ソフトの世界では、同じ時間でできることの差が大きすぎると思う。その分を実際の作業の時間に使うことができたりと、計算しながら作業を進められるような人材が必要で、自分で計算しながらその計算が合っているのかも作業している途中で間違いに気が付いたりして補正ができたりと、分業だと起こりやすいうっかりミスも少なくなる。

私自身、指図しても、指図を用意する時間もないのでその場でしっかりと確認をすることなく指図をしてしまうことが多く、自分自身が一人で作業している時よりも、他の人に指図をして仕事してもらう時の方が指図ミスは多くなる。本来は作業する人が自分自身でする仕事のデータなどを管理して2回目以降は同じものを同じように作業して作れるようになるのが理想的な職場。そういうのがなかなか難しいのが、人が多くいた昔の分業で成り立つ繊維の現場で、今はそのくらいは最低できないと仕事をしてもらうことも受けることも難しい。決められた時間の中で正しく1回で仕事するというレベルでないと通用しないのは、なかなか厳しい世界である。
2021年05月26日
昨日の夜、工場に入ってシャトル織機の一つを動かそうとすると、パンパンにまかれすぎた状態の織られた織機についている布を発見。外そうにも外れないほどパンパンにまかれてしまっていて外すことも難しい。調子よく傷も少なく織れていて下ろすのを忘れてしまったんだろうが、これはこれでどうやって外すかが問題。

夜一人で、布をほどくこともできないので朝みんなが来たら解決しよう。一人で問題解決を抱えずに、分散してみんなが問題解決を自分たちでできるように持っていこう。そうすることで同じような問題が起こりにくくなるだろう。




2021年05月25日
午前中、奈良からミルツルさん夫妻がお越しになられて近況をご報告。林与がやせたということを久しぶりに会われた皆さんは言って下さるけども、食べるものはたくさん食べているのと普通の人以上には動いてはいるので遅かれ早かれの問題なんだろう。

近くのジーンズ屋さんが自分で生地もおりたいという話をされているのをお話しするとミルツルさんも同じ思いがあるということで、私なりに正直な見解を聞いてもらう。今は戦後ひと世代守ってこられた機屋さんが終焉の時期で、そういう機屋さんから一切合切を譲ってもらってやらないとうまくはいかないのではないだろかと自分の経験も踏まえて思う。

綺麗な織機を数台手に入れたからと言ってうまくは回らないのが機屋で、織る部分というのはほんの一部のことで、織物を織るためには整経も必要だし、チーズワインダーなんかも必要。機の種も何十と必要で、機をつくるにはリーチングマシンが必要であったりと、分業が成り立たないのでやろうとすれば、どんどんと抱え込んでいくことになる。

ある場所にあった織機でも、譲ってもらった後に何十年も入れてから動かそうとしたけども一度も動かなかった織機だったという話で、処分したい織機というのはそういう事情があったりして、そこの会社さんが入れられる前にすでにその前の会社さんでも動かなくなって手放されたということだろう。

林与に来て、設置してから動かそうとして、職人さんに任せるも何か月たってもおれないままで、織らなければならないものの納期が迫ってきて、私が織機を見ると、すべての部品はついていてそれなりに動いているけども、消耗していて、正しくは機能しないような状態。そういうのは、何かが壊れたとかではないので、職人さんでも普通はなかなか原因を見つけるのが難しい問題。

本来は織機メーカーが存続していれば原因も簡単にわかり対応もできるのだろけども、現場の人間が織機メーカーの織機をつくったメカニック以上のレベルでないと、織物業も続けていくのは難しい話につながる。織機を維持していくのはフェラーリを維持していくような世界になってくる。

フェラーリが何百メートル、何十キロ走るために、メカニックが必要で、それと同じで何十年前の織機で織物を何百メートル、何千メートル織るためには同じようにメカニックが必要。メーカー不在のアンティークカーのメンテみたいなもの。
2021年05月23日
デニム織っているシャトル織機が、今朝からシャトルを挟む問題。あれほど順調に動いていた織機だけに、この修理というか調整は失敗すると全く織れなくなる可能性があって、今朝からじっくりと原因を検討。

キッチンクロスを織っている織機も織機が調子悪くなった原因が、部品が壊れたというわけでもなく、杼箱のシャトルを押さえる金具が汚れて摩擦力が大きくなって、打ち出す力が弱くなったといたというような普通だと気が付かない原因。

何年も、何十年も織機を使っていても気が付かない原因というものがあったりして、怖すぎる話ではある。それに気が付いていないと、別の問題のないところに調整を掛けてしまって、織ることはできたとしてもそこからの仕事は地獄モードに突入。

お天気もよいし、気分も晴れ晴れで、今日はゆっくりと時間を取って織機の調整に時間を過ごす。雨が降っているとやっぱり気分がすかっとしない。梅雨の合間の晴れを楽しむ。
2021年05月23日
フィンランドのアーティストからリネンデニム白の注文をいただいて、その方が染めて使われるという予定。今考えるのは、やっぱりコロナのことで、フィンランドのコロナは大丈夫なのだろうかと。

今日は、織りあがった真っ白のデニムの生機を洗いに掛ける。丁寧に洗い掛けしてゆくと、はじめは硬かった生機が、だんだんと柔らかくなって、滑らかな面が出来上がってくる。加工もこだわりで水とナチュラルな加工材料のチョイス。

そして、乾いた布を確認するとあんまり見かけない表情の布で面白くこれでよい。
2021年05月22日
新人スタッフは本当に真面目に働いていてくれるけども、経験が浅いから織機が動かない原因がまだまだ分からなくて、それが本当に簡単な問題で織機が動かないのと戦って悩んでいる。そんななん十分も格闘する状況で、私にヘルプを求めると私が1秒で解決とかがよくあったりして、なんとか自分で解決できるようになろうと、私にヘルプを求めないで自分でできる限り解決しようと頑張ってくれている。私も何時間も格闘することがあるので、何十分も自分が迷いながらも立ち向かうは自分の経験と被って、頑張ってほしいなあと思う。

私は私でプレッシャーだったりもする、呼ばれて当たり前にすぐに解決できるくらいでないと経験者としては失格だと思っているから。呼ばれたらお前駄目だろうといってから、答えも分かっていなくても焦りながらでも考えて答えを考えてその場で答えを見つけるくらいでないと。それでも、10回呼ばれて8回、9回は、その場で解決してるんじゃないだろうか。でも、そのうちにその差も埋まって来て、社長が織るとキズができるから織らないで下さいとか、こうやって織ればキズできないんですとか、言われるくらいになるんだろうなあと。

やる気満々なのが、ほんとにうれしくて。失敗してもいいから、正しく仕事しようとする意地があるから任せたい。自分で解決しようとおもって社長を呼びたくなかったけどやってみたけど無理だったから悔しいけど呼んだんですみたいな、意地だけでなく仕事の本当の意味が分かっている素直さ。20代前半で仕事の話も、私と対等に話もできて確実に私を抜くだろうなあと思うどころか、もう素直さや姿勢では超えているだろう。私自身、自分で出来る限り考えられる限りをやって無理だと仕事だから助けを求める。

一方で、しょうもないレベルの助けが必要なのは私で、他の人に助けを求めるのは悔しい話と思いながらも、会社の中では、私の携帯電話やコンピュータがどこにあるのか分からない、どこかで見なかったかと自分の携帯電話一つのことで助けを求めてばかり。逆に、それが若い人に簡単なことも助けを求める老いた証というか、広範囲にカバーしようと思いながらも、自分のことすらが普通くらいもできていない甘えというものだろう。

私自身が背負うものが10人分以上くらい過ぎて、自分のことが二の次になってしまって、全体をなんとか成り立たせようと自分のことは二の次、三の次。自分のこともちゃんとできてないおっさんで良いんじゃないのか、それで世の中がうまく回るならと思う。でも、世の中をつぶそうと自分のことしかみえていない人たちがいたりすると警告をならす、それが例えば自分の親でも親類のひと世代前の人にでも、自分が犠牲になってそれが人生ならそれでよしだが、自分のことが一番を偉そうに言ってしまっている年配者たちが多いのが本当に残念で、それが次の世代や若い世代を食いつぶす今の時世。世の中なんてどうでもよいといっている若者とまったく同じ年配者たちであふれていて、そういう連中に説教されるのは御免だけどやめてほしい。
2021年05月19日
最近、体調があまりよくないけども十分に人生経験もさせてもらえたし、あと10年か20年生きられるなら、自分自身もいろんな重いものを背負ったままだけども、他の人が同じ重いものを背負うことのないように、なんとかいろんなことに尽くせたらよいなあと考えてはいる。特にこれからの人たちが今の日本の国の中のどうしようもない状況に引きずられることなく、海外相手に強く生きてもらいたいと思っている。若い人たちにこの国の中の問題を解決させようとせずに、若い人たちを食い物にしてしまう構造を何とかしないと。

好待遇の上の者から戦場で一番前線で戦うように持ってゆけば世の中綺麗になるのでは、仕事でも好待遇の社長や経営者が一番先頭の兵士くらいは覚悟していないと駄目だろうと。それを見習って次が育ってゆく。それは命を捨てろというよりも、自分の命を犠牲に他の人の命を守る様な気持ちがないと上に立つ資格はないだろうし、そういう気持ちもないものが上に立ったら、下の待遇の悪いものが犠牲になるだけの世の中。

地位や待遇が上の者は消耗品で良いと思う。それでこそ、名誉や待遇に応じた平等社会。そういうのを覚悟して社会に尽くさないと、のほほんと好待遇で偉そうにして一番安全なところで、他の待遇の低い者に責任を背負わせて生きているのを肯定していては、いくら法律に守られていようが人間としてはいかがなものか。自分が覚悟ない人は上に立たないほうがいいし、責任ある地位につかないほうが良い。そうでないと、多くの下になる人が犠牲になるだけの社会が生まれる。

日本にも10人くらいの大臣がいたりするけど、その人たちが市中に投げ出されて自分で自分の生活を支えて生きてゆく力があるのかというと疑問で、学生の新卒よりも厳しいだろう。お客さんからはクレームだらけ。そういう人たちが国民の生活を吸い上げて国政でどうする。せめて馬鹿にされがちなファーストフード店やコンビニでアルバイトできるようなレベルをもって、国政に当たってほしい。何も仕事しないほうが日本の国民には害が少なくて済むのにという大臣が多い。国民を犠牲にするばかりで大臣というのは意図的なんだろうか。小学生でもといったら小学生に失礼なくらい、小学生のほうが普通に正しいこと言うし、まともに世の中や国や他の人の事考えているだろう。
2021年05月18日
意味が不明なのが、エシカルなものを安く提供するみたいな話。安くするくらいなら高く提供してその分を実際に苦労している人たちに上げたらよいだけだよ。エシカルなものが安くなっては、エシカルなものまでが一般的な商業主義の過当競争に巻き込まれる。

そういうことやってると挙句の果ては、本物か偽物なのかが分からなくなる。本当にエシカルなのかどうかも、結局、利益のほうが優先になってしまってエシカルを謳いながらも責任や苦労は他人任せ。

エシカルを支えるためには自分が寝ないでも仕事とかしないといけないのに、そういう他の人を自分を犠牲にして支える覚悟もなくエシカルを謳いながら、現場の苦悩を食い物にするエシカルなことで利益を上げる概念。

強いてエシカルとは以下にが、まさにエシカルの問題の基本。オーガニックの世界というのは、強いられたとしても何百万円の年収があれば喜ぶだろう。が、オーガニックやエシカルを謳っている人が何百万円の年収が当り前で、それが、実際に苦労している人たちから吸い上げることで成り立つ、オーガニックコットンの世界が質的にも遺伝子組み換えコットン的な感が方に変わってしまって本当に残念。

オーガニックなんて自分自身が実践していくものやのに、他の人を仕切って強いているだけではダメで、自分がぎりぎりまで末端で働いて末端の苦労を分かち合うことが大事。それこそまさにエシカルな社会。上から目線な階級社会的なエシカルは早めに捨てたほうがよいだろう。
2021年05月18日
CDCがまた、マスク不要で失態を作る。ワクチンを接種したらマスク不要とかを推奨するような話だが、さて、ワクチン打ったかどうかなんて外見では判断ができない。結局は、マスク不要論でコロナを風土病化したい流れなんだろう。

CDC的な考え方ではコロナを撲滅は無理で、CDC的な考え方がコロナを存続維持させる。そしてそれをワクチンで対応しようとする。ワクチンが人の命を救うからワクチンを否定する気はまったくないが、利益が見え隠れして、マスク不要論をばらまいたCDCが、まだ、指針作っているのが、権威主義的でまた安易なワクチンでマスク不要論。

基本的な感染症予防でマスク着用しているような善人がマスクを着用していることで攻撃されるリスクも増やす。アメリカがコロナで世界最大級のコロナ被害国で悲惨な目にあったのはCDCの存在が一役買っている。予防というより無謀なCDC。

コロナが蔓延する流れのなかでアメリカ国内のコロナ調査もしなかったCDC、結局、製薬会社がワクチンをつくれるまでは広めることを推奨してしまうような対応。被害が広がり莫大な金が製薬業界に落ちるようになって利益誘導ではダメだろう。予防しないといけないのに広めて利益誘導。
2021年05月17日
私の場合、どうしても仕事していると納期とかに追われてしまって自分の周りが見えなくなることが多い、今日も思ったのがちょっとこの作業は難しいかと思い込んで自分がやってしまっててアカンなあと、できることはちょっと大変そうなことでも、どんどんと新しい人たちに覚えてもらってできるようになってもらわんと、最初にそういうのを躊躇していると結局次も同じで。

仕事する機会があるんだから本当の生産を任せてやってもらうということが大事で、それが次の世代の人たちのやった実績になる。初めてやるのやから分からんことも多いし、大変やろうけども、分からないことでもやってやれないことはないみたいな感覚をつかんでもらうのが大事だろうと思う。

今、アパレル業界で何十年の経験者がリストラにあっているけども、結局は、自分がやっていこうとする人だと独立してもやっていけるだろうし、他の会社や業界に行っても通用するだろうし、リストラしないといけない傾いた会社を立て直すことも可能だろう。大事なのは、地力があるかどうか。地道に続けてゆくようなぶれない姿勢が大事だと思う。

今日も、工具を探していてモンキーレンチ取って来てというと、えっ、私が?とならずに、取りに探しに行ってくれる。そういうのができるタイプの人とできないタイプの人があろうかと思うが、そういうのできるタイプの人がやはり動けて仕事もできるタイプだろうと思う。

私自身、自分が一人の時にはもちろんモンキーレンチを探しに自分自身が行くのだけども、新しい人と作業している時には、ある場所が分かっていても自分が取りに行った方が早くても、自分が行かずに新しい人に頼む、偉そうにするとかじゃなく、モンキーレンチが何なのかとか、どこにあるのかとか、どういう修理に使う道具なのとかなど、を知るきっかけになると思う。さらに、分からないから見ているだけじゃなく、手伝うために動くという姿勢を身に着けることになる。その次のステップとして自分一人でやっていくというようなのに繋がってゆくんだろうと思う。
2021年05月16日
先代のころに綿の糸の仕入れ先の一つだった岐阜の糸商さんからはがきが届いて、昨今の事情でこの6月末で廃業するという連絡をいただいた。この10年くらいはお取引がなかったので、最後の詳しいお話を聞くこともできなかったけども、コロナで取引先が困難になられたとか、困難な状況が多く、糸商を続けていくことが難しくなられたのだろうと想像する。

普通だと、高齢であることや跡継ぎがないことが廃業の理由になったりもするが、細かい事情が掛かれずに仕方なく廃業ということで、このコロナ禍の繊維不況に起因する廃業に思う。

テキスタイルマルシェ企業さんの多くも、常に種を蒔いておられるような企業さんばかりなのに、今のコロナの影響で1年前は大丈夫でも、2年目の今は、今までにないほどの厳しいなあと思うような状況。仕事があるのが当り前だった繊維関連の企業さんにとってはまったく先行きが見えない致命的な状況だろうと思う。2か月後に迫ったオリンピックも中止の可能性も高く、やっても問題が山積みで、中止なら遅くなれば遅くなるほどダメージは大きくなる、早めの判断が求められたろうと思う。上層部は、コロナと戦って勝とうと考えているが、国民は犠牲を被るばかりで、負けを認めてコロナ対策するとかがよいんじゃないだろうか。

国民のことを考えない人たちが、国をボロボロにするならボロボロにしてもよいだろうけど、結果に対しての責任をとってほしいものだが、国会議員を辞職したとか笑える程度の責任感で、それは一般の人の普通の苦労もしらない程度の責任感。今の小中学生のほうが厳しいモラル。
2021年05月16日
今日は、テキスタイルマルシェチームのZOOMミーティング。久しぶりに顔をみれてよかったなあと思える方々。私自身は会議中もZOOMがなんで画面が切り替わったりするのかもよく分かってはいなかったりだが、スタッフは学生時代もZOOM授業で慣れているということで準備してもらった。

こういうのができんと今の時代にはついてゆけないということなんだろう。初めてZOOMを使ってみて、テキスタイルマルシェチームはみんな対応しているあたりが、今時のことも自己解決して対応できるので、前に進みやすいんだろうなあと。

皆さんの近況をお聞きしていると、繊維関連はやはりコロナの影響を大きく受けて不振状態。林与もアパレル衣料関連は店頭がやはり昨年の影響や今の緊急事態宣言の影響もあって動きはありえないほどに低調。衣料用の素材に特化してた昔なら、見本はつくるも本生産が数がつかないという流れで、見本でマイナス、本生産でもマイナスみたいな状況となってただろう。アパレルでは普通だった展示会ベース受注と呼ばれる概念が非常に難しいというか成り立たないのがこのコロナ禍での状況。

今、ワクチンなどの普及がコロナの拡大を抑えることが可能になりそうな状況ではあるけども、ワクチンを打てばマスクは不要とか、またCDCがやっちゃってるから、混乱は必至だろうなあと。CDCも一連のコロナ対応では、マスク不要論や害悪論やったりCDCの存在すらが多くの犠牲を生むことに。政治的になりすぎてしまっているのだろう。
2021年05月14日
5月に入った時には今月は誕生日の月だなあと思っていたが、あわただしく過ぎて、朝起きてメールやメッセンジャーでお誕生日おめでとう。今日は14日で、誕生日と思い出す。月日が早く過ぎすぎて50過ぎても中身はまだ学生時代で止まっているようなところがあって、今も若い人と一緒に仕事していても自分の中では学生時代の仲間意識のようなものがある。

私なんかよりも仕事をしようとする意識は高いような気がする、正しくしようとする意識も問題を乗り越えようとする意識も高いと思う。私も、若いころからそういうスタイルだったので多くのことを自分がやって乗り越えてきているので8割9割の大丈夫なところは無視して、1割2割の問題にみえるところだけを徹底的に考えるから、早く答えにたどり着けるんだろうと思う。

今日は縦繋ぎでタイイングマシーンでつなぐのが難しい問題でタイイングマシーンの刃が折れてしまったりや、シャトル織機のピッカーの水平の鉄の棒がかなり歪んでしまったりと、呼ばれていってみるとなんで?と思うことが多いが、そういうのは初めての人には起こりがちが現象で、それが起こる前の違和感に気が付いていなかったりしてそのままで起きてしまうとか。

仕事をしようとする姿勢には間違いがないのでそこが一番大事なところで、覚悟決めてわからないところがあったらわかるようにして意味が分かって作業を進めてゆくことが大事。作業を進めるときには違和感を感じることが大事で、そのためには、徹底的に作業手順の揺らぎをなくすことが大事。何十回やっても毎回同じ結果が出せるように作業を最適化することが大事で、何十年の職人でもそれができている人とできていない人とでは、作業の正確やスピードが大きく違って、作業してプラスの人と作業してもマイナスの人に分かれる。最適化された手順での作業は無駄がないし間違ったときには違和感を感じる、キーボードに例えるとブラインドタッチしてタッチミスしたときに、ミスしたことを感じるのと似ている。ミスしたときにはいつもと違う気持ち悪さ。

織機を動かしたときに違和感を感じるかどうかが大事で、織機が動いている音で違和感を感じることも多い。目ではタイミングを追うことができないが、音だとタイミングを追いやすい。音が悪いからといって、機械が壊れているというよりも、ピッカーの棒が汚れて摩擦が大きくなって戻りにくくなって、シャトルをきれいに叩けずシャトルのスピードが落ちて挟むとか。完全に壊れているとかじゃないので、そういうメンテに近いような問題を大きな問題が起こる前に防げるか。
2021年05月13日
物事というのはタイミングが本当に大事で、思い切って大人買いするようなことも大事だったり、勢いのあるときにほど奢っていないでその金銭的な余力で種を蒔いておくことが大事で、勢いのなくなった時にはその時間的な余力で種を蒔いておくことが大事だなあと思う。

良くないパターンが本業で儲かってそれを金満なものに垂れ流してしまう駄目な成金パターンで、経営者としては典型的なカモパターン。そして仕事がなくなって厳しく緊張しないといけないのに、もう本業も以前の厳しさに戻れなくて、良い時代の昔話ばっかりで、仕事に対する本質がない。

地道な仕事をやってない人というのは、いつまでも地に足がついてない、今は、70,80の人がふらふらしてて、最後まで地道なことから逃げるような話。次の世代をどう食いつぶして生きてゆくかみたいな、これから生まれてくる子供たちにどう自分たちの将来の面倒をみさせるのかばかり考えている今の日本。

考えているレベルはウイグルの人口抑制の問題と同じやで、生まれながらに公務員や、今の世代や引退世代の奴隷では次の世代は気の毒。



2021年05月12日
インターンの女の子が、手織りの研修を終えて楽しかったといっていた。手織りだと失敗したと思ったら戻ってやり直せるのが安心だと。一方で、林与の仕事は一回勝負のことが多いのでプレッシャーがあると。

今日も、スタッフがまだまだ慣れない整経作業で本生産の整経。部分整経でひとバンドごとに整経順番にやってゆくのだが、その次のバンドを始めるときの目合わせがまだまだ慣れていないのでうまく行きにくい。

私も最初の時に目合わせが広く間が開いたり重なってしまったり、機械的に送りを送る方法をやりたくって仕方なかったが、機械的に送りをつける方法のほうも案外広く間が開いたり重なったりするので、自分の目を信じての目合わせの方法でやっている。

整経作業というのは目合わせの失敗で、隙間ができたり重なったりして、巻き取りに苦戦するようなら織るものもうまく織れなくなってしまうので、人間の作業の精度が高さが大事で、整経を失敗すると交通事故の物損事故くらいのダメージで何十万円から100万円とかの失敗につながる。

整経を外に出している企業が、整経をしてもらえるところがなくなってきてといわれるのもそれも分かる気がする。たぶん、普通の織物作業の感覚だと10回に3回は失敗に終わるだろう。サンプルなどの時は、糸を割ったり残った糸を片付けるで、織物を織る以上に整経作業のほうが手間と費用が掛かる。

先染めの色柄は簡単にシュミレーションできても、実際の織物が同じように簡単には作れないのはそのあたり。また、整経の一回の失敗で全部の作業がパアになるも普通。昔と違って今は一回の材料を正しく準備して一回で上手に使えないと、失敗したから他の仕事で挽回するというのも難しい。一回勝負で何でも正しくこなしていく力がないと食べていくんが難しい繊維の現場。同じ繊維業界でも日本の繊維業界の現場は昔と今ではまったく違う業界になってしまっている。
2021年05月12日
昨日は、インターン生が1本の整経が終わって、巻き取りを私が行う。整経の荒巻作業を確実に教えてから、次の難関の巻き取り作業。麻糸というのは切れるので巻き取り作業が難しい。巻き取り巾に合わせてのフリンジの調整などミリ単位の調整が必要で、そのあたりが経験と勘で、微調整もひつようだったり、巻き取り作業の中で、補正が必要だったり。それを教えるのは教えるが、聞いても意味がわからないだろう。

最初に聞いても意味の分かっていないことというのは、次に聞いても意味が分かっていないままということが多く、聞いた本人が分かろうとする様な努力がないと、いつまでも分からないままだろうと思う。それが結局出来ないままにつながる。

スタッフは今日はキッチンクロスの縫製と加工。ミシンのアタッチメントを使った縫製を経験。アイデアはいろいろと広がっていても現実的な一つ一つに甘さがあるように思うので、そういうところを実際の作業をこなしていくことで、自分の手の世界が売れるレベル品質に近づく。
2021年05月10日
今日も母親にいうのが、私が2歳3歳のときにちゃんとしないさといって今も少しの仕事も面倒で嫌な親の世代。田舎社会だと自分の子供が自分のもの感覚で自分たちの面倒を見させる役。自分の子供だけでなくほかの家の子供が自分の面倒をみるとおもってたりが普通の感覚で、逆にその辺りはわきまえるべきなのになあと思うことも多い。

戦争なんかも田舎ほど、地域の子供を自分たち可愛さに差し出した親が多いのも田舎のどうしようもない人たちで、人間味が足りないというか自分可愛さが立ちすぎて、自分の子供を犠牲に差し出して生きるどころか、ほかの家の子供までもが自分の道具。

それが地域社会的な和の精神。90や80の人がほかの社会から見ればどうしようもない腐ったような奢った感覚で自分が地道にものごとするじゃなく、ほかのものにやらせるというのがよいことのように、子供未満だったり。

私が20代の時にマルチは駄目だよと教えてあげたひとでも60過ぎてまだ人としては周りを考えていて、その上の世代で学校の先生もやっていたような人が世間知らずでほかの人を利用して自分ために子供たちが自分の考えた通りに動くとの想定で、それ以外だとその子供や親を批判する。

学校の先生でもない一般が引いてしまうような世の中。普通に仕事持った人が無理してそれを支えているのに、そういう人の代わりにはならずに、新しいことを立ち上げてほかの人を指揮しようとする。自由な時間があってうらやましいなあと思う。

ほかの人は自分よりも下で自分のために動くという感覚の公務員や先生たち、きれいすぎて恵まれすぎて浅すぎるような人生で、自分がほかの人のために働くとか底辺を経験するとかの覚悟すらもなく、上から目線。

母親にしても、自分自身が働く覚悟もなく、自分たちは大変だから子供を4人産んだとか、アホなこと一生言ってないで自分ら1日でも働けばよいのにと思うが、やらないひとというのはどうしようもない。

30代の時に、3日寝ないで立ち仕事で、4日目の朝7時に交代で昼12時まで寝るを1か月やったこともあるが、朝10時になると母親が、あんたいつまで寝てるのおじさん来ているわよ、の世界。家の中でも理解しあえない世界があってどこまで吸収しようとしても追い込んでくる。あんたちゃんとしなさいの人たち。
2021年05月09日
権力主義というものに近い世界に支配欲がある。同じ会社同士なのに大きいところはなぜか繊維関係もマイルールばっかりが多い。しかも、日本の時給の一番高いといわれる商社関連のMなんとかリンクさんも支払いが納品仕切り後の6か月後とかで、あなたの会社は非人道的なことはやってませんかみたいな誓約書を求めてくる。

CSRってそんなもので、一番間に入ってMぬいているだけのものが、偉そうに仕切って、繊維業界の地獄を作り出している。その勝者さんも間に入れたくないけど、ブランドさんから頼まれてその商社をいれてほしいということ、直接の仕切りのほうがなしな世界が、繊維業界にもあって、商社がなんで仕切るのかと思う商社がつぶれれば被るのは機屋で、商社こそがちゃんと支払うかどうかの信用を機屋が審査するのが商売の常識の話。

ちゃんと日本の時給が一番の商社がエシカルなことできていますかという話で、見た目のよい給料が末端が犠牲になって吸い上げているだけのこと。そんな商社には入ってもらわずに直接に決済もしたいなあと思うのは当たり前。個が責任を持ちたくなくなると自分の責任を保険でカバーしたくなってくる。そういう保険掛けている人とは本気の仕事はしたくない。

あるオーガニックやってる商社の代表の方と話をしたときに、商社がリスクを被るのが当たり前でそれが商社の仕事という話。まともな商社感覚の人だなあと思ったが、本と珍しい話で、損も普通に自分が被るのが商社の仕事でなければ、商社の意味もあるまいし、P仕切って偉そうにする意味もあるまい。そうでなければ存在が邪魔で私が個人の信用と信用で商売を進めたほうが本当の商売。

商売するなら自分の財産くらい常にかけて商売していないと無理な話で、自分が商売で儲けたいのにほかの人の経験や財産によがっての商売ならかかわってもらわなくてもよいし、あなたは私が阿那賀に対して何ができるのかを求め約束させるけど、そういうあなたが何の約束の覚悟もなく、私に近づいてくるのが今のウイグルの問題そのもので、日本国内がウイグル化してしまって、海外に逃げているから、本気で大手の人たちも自分がウイグルの人の覚悟以上に日本の繊維考えてやりませんかの話。