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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2021年9月
2021年9月
リネン日記:13
2021年09月29日
なぜ海外で生産するのかは、自分たちが自分たちが仕事したくないから。本当か嘘かは別問題としても強制労働が起こるのも誰かが仕事しないといけないのに自分たちが仕事したくない人が増えて他の人に仕事をさせようとするから。

自分たちが自分で仕事したくない人たちが、その仕事を他の人たちにさせてそれでいて雇用を生み出し国際貢献とかの美談にもっていく。日本の大手が何千億の利益あげながらその利益が生まれる背景がブラックボックス的な本当か嘘か分からないエシカルなものづくりにつながってしまうエシカルだと一番駄目な話そのもの。

日本の最大手クラスですらも、エシカルを謳い消費者を誘導して利益を上げながらも、本当にエシカルかどうかもわからなく、海外のサプライヤーにまかせてあるで逃げて何千億利益を上げている話。そういうのが一番駄目で、それはエシカルどころか、エシカルが否定すべき世界。だが、それが日本の大手のエシカルのレベル。そういうのに日本の消費者が共感し感動しているうちはよいけど、いざ問題が起こると、謳ってきた人たちがサプライヤーにまかせていただけみたいな、普通の商売の損得レベルでエシカルを謳っていた素人未満そのもの。自分たちが働いてエシカルを生み出しておらず、結局は末端のオーガニックコットンを自分の手でつむ程度の仕事も覚悟もない人たちが、オーガニックコットンを謳い消費者をオーガニックの世界に誘導して、日本で普通以上の生活もとめながら利益を上げていただけの話。

日本の麻業界でも常にあるのが普通で、最近ではアイリッシュリネン偽装。2000年以降まったくアイリッシュリネン糸なんて手に入れるのが難しいのに、2000年以降も安いアイリッシュリネンが出回っていたのが日本の繊維業界で、私自身が中国紡績の中国糸のものだと断定するだけの話。そしてアイリッシュリネン糸はもう手に入れることのできない幻だったという現実が知れ渡る。素人の問屋さんとかブランドさんだとそういうものを求めて魚心水心で、売りにして消費者を騙してのよくある日本の繊維業界の縮図。

自分が働いて価値を高めるじゃなく、価値のあるものを求めて安く買いたたいたりしていると最後は偽装につながり、日本の百貨店業界が対策に困り果てたカシミヤ偽装などもその類の話で、今でもカシミヤなのかどうかは常にグレーな世界が存在していたりもする。

繊維の世界では検査証でも偽装するとかが常習化していることもある。絶対に通らないような検査基準があってそれを通さないと、納品できない生地となるときに、正直にいるか偽装に手を染めるのか。正直に伝えて難しい話を店頭までもっていってもらってデメリット表示で解決するとかが正しい手法。
2021年09月29日
世襲って、政治なんかをみているとほんと嫌だなあと思える。私自身もまわりからみれば嫌な存在だろうけど、私自身が普通の何倍もの苦労を乗り越えてやっているから、意味があるんだろうと思う。精一杯やって無理なら無理でそれは仕方のないことであろうが、できる無理もせずに普通にしてて周りが面倒見てくれないがおかしいはよくある食べてもいけない話だけど好きじゃない。

繊維の世界で良い時代の人たちからすると、今の時代の一つの作業が無理な話になるだろうけど、それを乗り越えられないと今の日本では繊維の世界で残っていくことも難しいだろう。

林与だけのことじゃなくて、招待もいただきある産地の工場見学をさせていただいたときに、ほんと大変だろうなあと思ったのは一番綺麗にみえる昔ながらの工場で、成り立たせるのが本当に難しいのではないだろうかと、働いておられる人の仕事に対する考え方などからしても思った話。残ってほしいのはそういう綺麗に見える現場なのだけど、仕事に対する考え方からすると本当に残っていくのが難しい話。

林与の先代夫婦、すなわち自分の親も仕事に対してまともに1時間働くのが嫌な人たちで、それをまともに働いたらどうなのかと説教するのが私の役目だったり、本当に自分の親にそういう話は厳しいことだったりする。働き始めた日から親のやってる仕事の糸や規格の計算などは普通に教えてもらわなくても理解できるところから始まってるけど、難しいのが仕事に対する考え方の問題で、やってる親たちが無理できないを無理して支えるのが仕事始めたばかりの次の世代。他の人に、これやっといてあれやっといてで仕事、まともに成り立つも難しいが良い時代の人たちの普通だけど、良い時代じゃなくなったあとの成り立たない繊維の世界。

やっている人たちが成り立っていないは本当に無理な世界で、せめて成り立つようにしないといけないのだけども、それが成り立たない繊維の世界の難しさ。無理をしなくなった日本と無理をしても仕事をこなしていく海外で海外が普通に日本国内の仕事も取ってゆく。できる仕事もできなくなった日本の仕事レベルでこだわりのものづくりをとかは無理な話で、働く人が普通の仕事するも難しくなって、こだわりのものづくりは無理な話そのもの。

世襲で繊維業界をやっていくときに、できることもなんでワシがやらんとあかんでは駄目で、それは駄目な偉そうに一番上にいる感覚の政治家たちに通じる話。やはり超えられない世界を普通にこなしているようなものが上でないと駄目で、仕事量にしても10倍くらいではない差がある話で、成り立たない田舎の商売に落ちるのか、いわゆる世界でも驚くような日本の卓越したようなモノづくりの世界なのかが、共存しているのが日本の繊維産業。自分が仕事をちゃんとする気のないものが寄生して生きてゆけるような業界や時代ではなくなってしまったのを分からないと駄目だよと、自分の親にでも言わないといけない厳しい話だったりする。ちゃんとやってても難しいのに、目の前のできることもちゃんとやらない人たちが生きてゆけるほど甘くはなくなってしまった、日本の今の繊維業界。やる人だけしか残れない普通の話なのだけど、そういうのが通じないのが日本の良い時代の繊維の世界の話で世襲のどうしようもない世界に通じる話。

日本人であろうが海外の人よりも器用でなくなってどうでもよい人ばかりが増えてしまったら、海外よりもまともなものが作れなくなるのは当たり前。日本の繊維業界も海外のものづくりを馬鹿にしていて、いつの間にか海外のものづくりよりもまともにつくるのが難しくなってしまったつける薬もなくなった感のある、地道じゃないゼニゲバ的な風潮があふれすぎ。仕事が面倒とか嫌とかなまともじゃない、昔でいう日本の政治三流的な考え方から改めないと。
2021年09月27日
この1週間ほどで、中国の不動産バブルの崩壊を思わせるようなニュースが入ってきている。中国が不景気になると日本の製造業もそのあおりを受けることになる。

中国はずーっと成長を続けているので、成長が止まって、バブル崩壊みたいなものを経験するのにはなれていないだろう。何千万もの借金をして将来値上がりするという期待でマンションを投資のつもりで買って、それが成り立たなくなったときに破綻する個人が増えてくる。

日本でも昭和の時代は土地神話というものが普通で、いくら借金をしていても土地を持っていれば土地の価値が上がり続けるという前提があったので、土地や家を持てば、将来は安泰なイメージが普通だった。しかし、今は、不動産は負動産と呼ばれるほどに維持するのに費用が掛かり壊すのも何百万も掛かる話。

世界的に見ても今は株高だが、中国の景気後退で一気に世界中が株安局面に陥る可能性もある。中国の恒大集団が破綻するのではないかと懸念されるが、破綻せずとも、不動産なども大放出され、中国の不動産相場は急激に下落するだろう。不動産が上がらないというのを知ったときに人々の熱は冷めて、働かないといけないという現実に立ち戻る。でも、それがなかなか難しい話で、中国社会も社会保障などが充実して、不景気になったときにはいろんな負担に耐えられなく、上がる一方だった給料も下がり始めることになる。

中国は日本の高度成長からバブル崩壊までの経験を3倍くらいのスピードで経験しているようなイメージがある。完璧な新しいパソコンが3万円で手に入るような今、もう中国でモノづくりしても利益を上げることも難しくなってきてしまっていて、大量に売るためには値段を下げ競争しないとならない状況。つくれば余裕をもって利益を上げられるような状況ではなくなってしまって、多くの人を抱える中国が窮したときには、世界中の物価もまた下落するだろう。
2021年09月20日
繊維って、なにかというと、布や糸のことと思うかもしれないけども、直接的に繊維という意味は、食物繊維に関して言うとセルローズ繊維のことで、セルローズという物質が細長く連なっているのが目で見える繊維。

そういう繊維を昔は日本だと手で績んでいた。績むのと紡ぐのは異なる糸の作り方で、長い苧を積み重ねて糸を作っていくイメージが績むイメージで、紡ぐは短い繊維に撚りを掛けて糸を作っていくイメージ。

シルクなんかも最初は、打綿して衣としてつかっていた。織物ではなかったのである。打綿した衣を何重にも重ねたものが妙(多重)であったと基本、私は考える。日本には羊がいなかったので賑わった妙(ニギタエ)というのは必然的に繭を打綿して作ったもので、荒い妙(アラタエ)というのは、植物繊維を打面したものであったろう。

織物が発達すると本来の妙を消滅させてしまっただろうと思う。本来妙ではない織物に対してもそのままニギタエとかアラタエとかいう言葉が同じように使われ始めただろう。苧を縫うことから布という言葉が生まれ正絹や苧という世界に置き換わって、それが伝統工芸的な天然繊維の歴史として引き継がれている。綿の紡績は江戸時代からだけど、紡績の絹やシルクは明治以降の産物だろうと私は考えているが、太物としては江戸時代にもあったかもしれないと思う。

シルクや麻をステイプルにして紡ぐという概念が江戸時代にあったのだろうか?残ったどうしようもない部分は手で紡績されてたかもしれないと思ったりする。シルクで織物の方ではないけども、木之本の丸三橋本さんが、日本のシルクの歴史にも詳しく琴の弦の世界で伝承もされている。琴の弦が黄色のはなぜなのか、それはウコンで染めておられるからという話など興味深い。

木之本といえば、DENの北山さんも木之本、田舎の人々のものづくりは人からみたいな基本が残っているんだろうなあと思う。片田舎的な林与よりも木之本行った自分からすると、木之本というだけに山の中のイメージ。そういう田舎のほうがモノづくりは強く、今の日本のうすっぺらい流れになってしまわないほうが、世界中から注目されるようなメイドインジャパン。商売としたら大手のSPA的なモノづくりとは相反するけども、それがあるから日本の大手SPAのものづくりが海外生産とは違って評価され、本当の日本製だったら何万もするのが何千円で日本の繊維の世界を謳えて海外にも通用しているという世界。

林与にしてもそれなりに苦労はしているけど、苦労している人が成り立っていてほしいなあと思う。日本の繊維企業の生産しているものが繊維の世界ではほぼ海外生産といってもよいほどに、実際は生産の実態との乖離があるからそこで利益が生まれているみたいな話。

実際は日本の大手SPAも日本の消費者と同じ、海外生産のお客さんでしかないという現実があって、それが日本の繊維業界の一番心配するところ。真似ものづくりや利益じゃなくて自分で生産基盤をもってしないと、今の大手のMさんあたりだと、安く売るのがかっこいいみたいで、それが裏での問題に結びつく元凶で、ちゃんと自分がお金払ってるということも言えずにサプライヤーがとか、認証機関がとか、逃げてばかりで、今までの謳いがすべて意味がなかった話。日本の繊維の世界というのは儲けようとすればそれが普通。何で何億も利益あげて生産者にそれを分けないのかからして、日本の自動車業界の問題に通じるアンサステイナブルな日本のサステイナブル社会。
2021年09月18日
日本の繊維業界でいろんな浅さを感じるけど、同じ浅さに落ちてまで繊維業界にいたくはない。日本の繊維業界にいるなら自分がちゃんんとやっているという意味でいたいと思うし、他の人にやってもらっているならそれ以上にそのぶんも自分が被りながらそれ以上の仕事をするのが当り前でいたい。

他を自分が束ねているようにするすたいるの大手SPAというのは下をくぐって日本の市場を日本メーカーを謳って美しいことを言いながら、実際の問題が起こると、今まで謳ってきたことがなかったような仕入れているサプライヤーの責任に置き換わる。それならそのサプライヤーの責任を追及しないといけないのだけど、追及すらもしないで、何百億とか何千億、何兆の利益をオーガニックやサステイナブルで食い物にする。

消費者からしたら騙されたそのものの日本の大手のオーガニックやサステイナブル。私自身は認証機関の理事長でも、自分は関係ない企業が駄目なんですよと軽く言う、それで生きている爺さんだと分かってるから叩く話。お前が一番アカンやんというのが日本のオーガニックの最大のオーガニック認証を与えてきたその理事長。どれだけの日本の消費者を裏切て来たかと思うと、インドは本当にやばいですよとか、国際会議でなまった英語きいているとねむいんですよとか、エシカルなことが面倒なんですよとか、だれもやってくれないから私がやってるだけなんですやめたいんですよとか、普通に私に電話で言ってしまう日本オーガニックコットン協会の理事長やGOTSの日本の認定委員を10年以上だった森さん。日本のオーガニックの認証のあかん10数年以上のオーガニックコットンの歴史のもので日本の最大のオーガニックコットンの協会のJOCAの認定すらもが本当だったかの検証すらもが必要な話。

林与のオーガニックリネンにしてもGOTS認証とかGOTS認証基準、糸にしても普通の何倍もの値段段で買ってそれが嘘なら林与がつぶれたとしても私自身がそれなりに生涯かけて、使ってくださっている消費者の方には弁済をいたす覚悟で、それを認証したメカニズムを糸の信じて使った消費者として叩く話。でも私はプロだからオーガニックコットン協会の理事長のように、ノーマルコットンもオーガニックコットンも違いはないなんて言いません。ポリエステルまぜてオーガニックコットンなんて、GOTS自体が商売的な従来の繊維業界のモラルも度外視で自分たちが仕切って綿100%の純紡の価値すらも分からない人たちだったら消費者騙し詐欺行為やめたほうがマシだと思います。ポリエステル混ぜれば、綿混で素材としてはほんと何分の一の価値です。逆にそれはそれで、その何分の一の値段で買ってこそサステイナブルだと思い、消費者騙しにもなりませんし、再生ペットとか再生ポリエステル繊維の問題を解決するならポリエステルに負荷を掛けるべきです。

私としては、繊維業界のプロとしては、綿とポリエステルを混ぜることは環境破壊そのものにつながる行為です。綿は綿100%で、ポリエステルはポリエステル100%で使うことが、地球環境を守るためにも大事だと思います。再生繊維は再生繊維だけでなるべく再利用すればそれが最利用した後に余分な処理もせずに焼却で燃料となることが出来ます。下手すれば混紡のものは素材が不明なんで燃やすことも処理すること難しく燃えないゴミとして汚れたプラスチックごみと同じで埋め立てに行っちゃうんです。そうすれば普通にマイクロファイバー問題が起こります。

繊維のプロならそういうの当たり前に知ってると思いますが、どうしても、業界の利益が絡んで、損得ベースで認可しちゃうんです。認証機関のビジネスということもあって、認証機関が危ない橋を渡ってでも認証したいはあるだろうと思いますが、それは認証した国が悪いとかいう始末です。グローバルな基準じゃなく、各国の認証基準というのが基本で、それをグローバルな基準と謳うこと自体が消費者騙しにつながる薄っぺらさだったりも感じています。

GOTSの当初の基準でもどんどんと落ちてきて、もはや、オーガニックコットンに関しては敵対しているような遺伝子組み換えコットンの種を使うか使わないかも努力目標というのが現実で、GOTSのオーガニックコットンが遺伝子組み換えのコットンも検証すらもできず、可能性も高いと考えるのが普通です。一般の消費者からすればオーガニックコットンを信じて買いながら遺伝子組み換えコットンを買わされてしまっている可能性もあるのをGOTSがオーガニックコットンと認証してしまってそれをビジネスとしているのは日本の基準だと問題じゃないかと思います。それが日本の繊維業界のモラルですが、世界のオーガニック基準はそこまでのモラルはありません。

日本の繊維の業者さんにも安く作ったものを高く売りたい業者さんはいて、たとえば、綿麻で、日本の繊維業界の考え方からすると片麻である、縦綿横麻の50%50%が綿麻の良いものなのだけど。糸から綿紡に麻を10%とか混ぜて綿麻とかで、コストをとことん落とした世界。京都の高級生地問屋さんでも最後のほうはそれを求められる世界だったりで、海外の安いバルクものと並んでしまう世界。それと同じ世界にオーガニックも落ちてしまうと残念に思える。
2021年09月17日
番手を間違ってしまって、糸を手配し直した糸が染まりあがって来た。綛で染まって来たので、綛をチーズにアップしてくれるおじいさんのところにその糸を持っていくと、リネンデニム用の糸がチーズに巻き上がっていたので持って帰って来た。

今日は台風がくるそうで、母親が仕切ろうとするのだけども、林与の仕事は毎日が台風が来るとかどころではない準備とか作業なので、台風くらいのことは大騒ぎするほどのことでもないのにいつも大騒ぎする。

工場の中では、昨日の終わり掛けにも問題があった、調子よく織れていたシャトル織機が横糸も経糸も問題がないのに止まるという。行って織機をみると織機の動く音がおかしい。ピッカーの部分の革製のバッファベルトが切れてしまっていたので交換すると調子よく戻った。

今日はシャトルのテンサーの金具が一つ取れてしまったということで、テンサーを交換した。また、工場内の検反機のモーターが回らない問題があって、そちらはモーターを中古で探すことに。

問題のない状況で仕事を進めていくということはそれほど仕事としては難しくないことなのだけども、問題が起こったときに問題の原因を見つけるだけでなく、解決しないといけない。部品が壊れている時には交換するという作業だけでなく、交換するための部品をストックして持っているか見つけるか手配して入手できないと解決にはならない。

そういうところが織物が企画じゃないところで現実的な問題がいっぱいあって、そういう問題がみえない人たちが仕切ろうとしても一番お金と時間の掛かる部分がみえていなくて、調子よく織れているところだけで皮算用。その感覚じゃあ成り立つはずもない。

一つの仕事をしようとするときに、結果がどうでもよいなら別の話だけど、注文される方というのは結果が良いのが当たり前に思っておられながら途中経過を軽く考えられてその分を持ち出しになりがちなのが、今の繊維業界の構造的な不況の一番の原因で、それは例えば自動車業界にも通じるだろう。親会社は何兆も儲けても、実際の仕事をしている現場は自分の費やした時間や労力を被って被って搾取されて言いなりとか、いつの間にかそういうのが日本のモノづくりになりすぎて、国内では吸い尽くすだけ吸い尽くして海外生産に移行した日本の元気組たちな印象で、エシカルとか無理なんだよ。1000円、20000円で仕入れたものをエシカルを謳いながら百貨店で2万円の商売。現地の人も潤ってはいないでしょう、まさか自分が2000円で売ったものが、現地の可哀そうな人々を救うために助けてあげ手で、消費者には仕入れた値段の5倍、10倍で売っているのが日本のエシカルの裏側での普通な話。カシミヤ偽装や、アイリッシュリネン偽装、産地偽装もあたりまえに起きてしまうのが普通の日本の製造業界。

もしかすると日本中の走っている車のパーツのクオリティ偽装が原因で交通事故が起きているかもしれない話が、JIS基準レベルの自動車部品の問題。メーカーがJIS基準の何倍もの強さの負荷が掛かっても耐えられるネジということでオリジナルを依頼していたのに、JIS基準の普通のネジを自動車に浸かってしまって、日本の最大手クラスの部品メーカーが、自動車メーカーを騙して、結局それが消費者が一番心配する自動車の安全性の問題につながる。

私自身そういう問題を考えているので、私の布を使われる方がそんなことも難しいのかと思われるのかもしれないけど、原材料の問題なども自分の知識と経験で正直に伝えたりする。そういう原材料の問題を解決しようとなると、糸のロットごとのテストテストばかりで、タダ働きばかりをしていたりでも、ちゃんとできないですかみたいなのだと、何億とか何千万でもお仕事自体を断る話を私の仕事の受け方。寝ないでも仕事をして野麦峠の女工さんの何倍もの限界というか女工さんを支える覚悟すらも無意味に思えるような商売だから儲からないとの世界が怖すぎるし、支えている人たちにしても、無理無理に支えている側をどんどんと攻撃してくることが多いが、それが日本の行政や法律の縮図そのもので、まともな人間をどこまでもつぶして背負う責任感すらもない政治家や行政や裁判官が階級社会で、まともな人間をつぶして日本的エシカル、それだったらその人たち自身の存在や搾取も不要で素直に消えてくれて海外生産に移行すればよい話。

日本の行政はだらしなさ過ぎて、本質も分からずに、日本の真面目で、世界でも一番サステイナブルなことをやっているのをつぶしてしまう体質。だから、日本企業を謳いながら海外生産で日本市場を寡占しながら海外生産のブラックボックスで何千億や何兆円もの利益を上げる日本の大手SPA。どこが日本の地道にやってる企業の市場も何分の一の海外生産で食いつぶして本当にサステイナブルなのか?儲けることがサステイナブルと勘違いしていないかが国連のSDGsでまさに行政的な奴隷制度なサステイナブルで、地道に繊維の世界で昔からやってるところが死んでゆく日本が過去に経験して日本の繊維産業が通ぶれたようなことを国連が推進して最後の止め。

私は人生掛けてでも素人が、すべて駄目みたいなこといってるの普通に叩きます。日本のオーガニックコットンでもない綿業にしても、何も自身の時間や労力も生産に使わずに無意味に叩いている人以上に本気に仕事しておられ最高の日本クオリティの綿100%を消費者に提供しようとされているのに、ポリエステル混ぜ物のサステイナブルは業界すべてをつぶすような死にそうな話。日本の正直な綿にこだわった方々からすれば、エシカルを謳いながら金儲けかよ、本当に止めてくれな話だろうと思う。

プロなら分かるけども、営利主義なGOTSの世界というか、ヨーロッパ的な本質のない世界が世界基準になるなら、全世界の人々を地球環境汚染に見日びいてゆく話、日本のGOTSの代表の上村さんはそのいみわかってられるけど、事務所の事務員は上村さんが昼からしかこないからたいおうが無理です出、サステイナブルやオーガニックを本気に考えている私すらも普通に切り捨ててどこがサステイナブルやオーガニックなんだの話。10時から5時とかやめてほしい、オーガニックやサステイナブルを支えるために寝ないでも仕事しているのに窓口が10時から5時で午後からしか代表は来ませんので、それに危機感を感じて上村さんが業界のプロからしたら遅いけど電話くださった。謳うは良いけどJOCAでも、GOTSの代表事務所の方でも、末端の人の覚悟すらもなく飢えから目線だったら、階級社会をつくって奴隷制度そのもの。寝ないでも消費者のために正直なモノづくりを考えているのに、それをつかさどる人たちが飢えから目線で認証では階級制度や奴隷制度そのものなのが、日本の大手SPA敵というか国際批判が高まるオーガニックコットンの商業認証的な問題なのだと思う。
2021年09月16日
今日は朝からお客様。日本の歴史などにも詳しい方が来られたので徐福のことをご存じか尋ねてみるとやっぱり知っておられた。私と同じような考えをお持ちだったのは、古代というのは現代よりも国境という概念が無く、国を超えて人々が行き来きしていたと考えられておられるところ。

日本でも戦前の人よりも豊かになった戦後の昭和の時代の人のほうが行動力もなくなって器用でもなくなって、法律などはさらにどんどんと現代スタイルへと進化してゆくので、さらにいろんな物事が出来なくなった。

私自身はおかしなことだと思うけど、学校でソロバンまではよくて計算機は駄目なのに、なぜかコンピュータの授業をやったりとか。全部使えるようなることが大事なのに、一つの方法にこだわり、どっかで止まってしまうようなことばかりやっている。

調べてでも前に進んでものごとをくみ上げてゆく力のある人が実社会では答えを出せるので強いんだろうと思う。正しい方法に誘導されてよりも、間違ったことも経験してみて何が駄目で間違いなのかを知って、正しい方法を見つけてゆけるような努力が大事で、それができないと他力本願的になってしまって、本当に物事に精通しているというようなところにはたどり着かないであろう。

今回の問題は、専門の人を組み合わせるような形で物事を組んでいくという方法もあるかとおもうが、専門として存在している部分はよいのだけども、専門として形が存在していない部分をどう解決してゆくかの問題になるだろう。織物の世界も同じだけども、そういうのできる人がいるかいないかというところになるだろう。
2021年09月13日
新幹線が愛荘町を分断しながら走っている。その騒音というのもかなり衝撃的なものがある。それでも人々はそれを受け入れて新幹線は50年以上走っている。そういう意味ではすごく効率がよく持続性のある形、でも今、日本ではリニアを開通しようと動いている。

たとえば、びわこ空港という話があったりした。空港が滋賀県に必要かという問題。関空に行くのに電車で2時間半ほど。電車でも十分な気がするのである。作った後に需要がなければそれがまた大変な話になる。

リニアを開通したときにも同じ問題が起こるだろう。従来の新幹線の乗客は減る話で、2分の1になったときに、従来の新幹線の運営だけでなく、それなりに栄えていた新幹線の駅周辺が危うくなる話。運行も減るだろうし、また、運賃が上がる可能性もある。

時速300kmほど出ている新幹線と500kmのリニア。同じスピードで走らせても、リニアのほうは消費電力は2倍だそうで、2倍のスピードだと同じ距離で4倍ということらしい。東京大坂間を2時間が1時間になるときに4倍の電力を使うそうだ。原子力発電所3基分とかが必要になるという計算らしい。サステイナブルな社会を目指すということを意識する前の長大的なリニア計画。

日本の若者たちが、大阪東京間を7時間ほど掛けて夜行バスで移動していることが多く、そちらのほうが地球環境にも優しいのではなかろうかと思えたりもする。飛行機なんかでもそうだけど、もう、昔のように人が詰めて働かなくなったときには、リニアが新しい技術であっても新幹線に及ばないことも多いだろう。

人々が2時間のところを1時間で移動を済ませるという欲。満たすべき欲なのか我慢すべき欲なのか。リニアというのは、私が子供のころから将来の実現に向けて国が推進してきた技術で、いわば、高度成長期からバブル崩壊前の夢の技術の一つ。50年計画だったりする。新幹線の10倍近くの時間が掛かってしまっている。当初だと2000年ころには十分運転開始が予定されていた技術だったろう。

スペースシャトルの技術もその頃がピークだったといえるが、今、宇宙旅行に行こうとしても昔のように簡単じゃあなくなってしまっているあたり。サステイナブルを意識し始めた今の時代には、次の世代に負担を残さないように考えてものごとをやっていく必要があるだろう。オリンピックの新国立競技場ですらもその維持が成り立つのかどうかという問題がすでに上がってしまっていてその場しのぎにやってしまうと後で変更するのは難しい話で、新しく建てたものなのに、維持できずにつぶしてしまおうかというもったいない話につながる。北京オリンピックやリオオリンピックで新しく建てられた巨大な建物がオリンピック後に廃墟になってしまっているのが普通で、使わずに立ち入り禁止で、いつか建てた半分くらいの費用を掛けて撤去するとか、ほんと不思議なことも多い。
2021年09月12日
普段、近くの丸亀とか他のうどん食べても記憶にも残らないのだけども、4年ほど前に富士吉田のハタオリマチフェスティバルにいったときには、もう体力もへとへとで、それでも初日に名物である桜井という一押しのお店で吉田のうどんを食べた。

あの味というのは、関西のダシのうどんとは違って、醤油ベースにうどんが浸かっている感じで、無茶苦茶大盛で私好みではあった。練り上げたうどんを包丁で切って補足したタイプの太めのうどんで、ちょっと家で食べる雑煮っぽい感じもした。

その味が忘れられなくて次の日にも食べに行こうとしたら休日で、仕方なく、別の吉田のうどんを食べることに、吉田のオカンのうどんを本屋の横のスペースでやってたので、食べたら、これが甘めの醤油っぽい感じで、そこに一味を掛けて食べたら濃い味でおいしかって、たしか2杯食べた。

そのうどん屋も空きスペースで壁が中古市場みたいになっていて昭和情緒のあるそれほど必要とも思えない昔のものが売っていた。時が止まったような感覚で、よく考えたらもう40後半だったけど、子供のころに限られたお小遣いで祭りをぶらぶらしているような気分になれたのもうれしかった。

なんか、たどり着いた味というかやっぱり根付いている味というか。そのほかに、夕食には、パスタ食べたり、朝食にはファミレスで食べたりしたけど、そういうものに関しては何を食べたか味までは思い出せない。やっぱり、食べたいなあと思ってたどり着いて食べた、吉田のうどんは印象深く思い出に残っている。

この前、岐阜あたりで食べた丸亀が、滋賀県や京都で食べるのと違ってきしめんのように横に太くってびっくりしたが、フランチャイズであってもそういうのがあったほうがおもしろいと思う。場所によって違うとか作る人によって違うとか、違いはあったほうが良いというか面白いと思う。

名古屋に行った時には、昼ご飯に、ミソかつ丼を食べたが、店は大繁盛していて、お客さんの多くが私より年配だろう近所の60,70の方で、大きなかつ丼を平気で平らげているのにびっくりした。滋賀県だとかつ丼ややってても脂っこいものは苦手な年配の人は少ないだろうに地域柄があってよいのである。

海外に行ったときにも空港のフランチャイズレストランで食べたものなどは一切記憶から消えてしまうけど、ローカルな家族経営的なお店で食べたようなもののことは記憶に残っているものが多い。なんかやっぱり旅した時にはその地のものに触れた気分になれることが後からしても思い出に残るから意味のあることなんだろう。
2021年09月10日
昨日は手続きに関することで説明に来ていただいた。そういうことがはっきりと分からないとどういうことができてどういうことが出来ないのかとか、どのタイミングで何が起こるのかを分かっていないと、そのタイミングを逃すと後からでは難しいとかいう問題もあるし、物事が進む前に何を準備しておかないといけないのかということなど。

私だけのことだけでなく他の方も関わってくることなので手続きに関しても正しい認識が必要で、なにが問題で何が問題でないのかを見極めることにもつながる。その問題を根本的に解決しないと進んでしまうこと自体が問題であることにつながる。

普段の仕事もそうだけども一方的に何かをしたいと思っていても相手があることだと相手の同意も必要で双方が納得できれば話は進むだろうし、双方が、納得や合意もできなければ話は流れるのが普通がおかしくはない。



2021年09月07日
織物を作るときに何が大事なのかと思うが、前に物事を進めていく力だろうと思う。そういうのはやっているうちに徐々に身についていくものじゃなくって、毎回やるかやらないかだけのことだろうと思う。

頭で動いている人というのはどうしても頭で考えがちなので実際の経験が少なくなって正しい答えを見つけ出す方法も持っていないので、協力者がいないと答えにたどり着けないのが普通。実際に織機なんかをいろいろと工夫してみてこれなら織れるとかこれなら駄目とか、試行錯誤の積み重ねするというのが、答えを出す本質だということに気が付かない人が多い。

いくら頭で考えていても何一つ前に進まないのが頭で考えているだけのこと。頭で考えたり、実際に理解して理解したことを前に進めて形にしてゆくことが大事なのだけども、なかなかそういうあたり、前に進めていく力というのは、体を動かさないといけないのでおっくうなものである。

今日は、糸量の計算をしたけども、使う糸量の計算までは良かったが、染屋さんに糸を持って行って、大きな問題に遭遇。糸の一箱の重さがおかしすぎるのである。ひと箱あたり箱に書いてある実質の重さよりもまだ一箱が500gほど軽いので、そして、伝票の糸の重さも箱に書いてある実質の重さの5%増しで、その箱に書いてある実質の重さの5割増しで量で計算して買っているので、実際の糸の重さは1割ほど少ないことになる。

よく言われるのは公定水分量が12%だから、紡績したときの水分が抜けて5%軽くなっているとかだけども、今は、簡単な機械で、正確に糸の長さも重さも計ることができるので、理論ではなく、なにが正しいのかはすぐに求めることが出来る。

結局、糸が届いた時点で使う前に、1割ほどズレが出てしまうので、箱に書いてある重さを信じて投入が難しいことになる。染屋さんで糸の投入の話になると、どこどこの糸は実際よりかなり少ないとかいう話をよく聞くが、噂では終わらずにその分もコストとして1割ほど多めに見ておかないといけないことになる。結論として、糸の総長が1割短い可能性も高く、失敗しないためには、1割ほど余分に買って投入しないといけないのである。

糸を染に出すにも不確かな要素が多すぎてそれを理解して投入量を決めないといけない。1kgと書いてあったら1kgじゃなくて、実質は900gかもしれない。そういうのが今の繊維の世界では当たり前も多くなりすぎて、仕事の計算一つが難しくなる。日本の基準からするとはかり方も知らないのかとびっくりのことも多いが、この程度が今の一般的に厳しいとされる海外のものづくりの国際基準レベルなのである。SDGsなんかも同じで、日本の昔のものを大事にする精神のほうが今の国際レベルのSDGsよりも何倍もサステイナブル。

日本の場合、自分でものづくりをしなくなった国際的な日本の大企業は別にしても、実際にものづくりをして人も支えている中小零細企業レベルでは、国際的なSDGs基準に従うと、環境保護や持続性のレベルがどんどん低くなると思う。実際に何が本当なのかも分かっていない人たちが物事を進め認定が今の国際基準。日本が昔やってたタバコや酒で国民から税収を得て、国民の健康と精神の健全性も度外視で自分たちが金をとることに必死な日本の行政レベルと似たようなことがSDGsの現実的な目的じゃないのかと思えたりもする。

地球温暖化や北極の氷が解ける問題で、気温上昇に注目をしているけども、もっと大きな問題は海水面での水温の上昇。たぶん過去100年で2度以上の上昇をしていると思う。地球温暖化ガスの問題で、一番は二酸化炭素じゃなく水蒸気、原発での水温上昇は日本海側だけをみても、南アジアのクラゲが原発の取水口に詰まるほどの危険な状況。海水表面の温度を他の地域よりも1度2度も上げてしまう原発排水の問題は、議論すらもされない。原発推進の都合があってCO2の問題だけがとりだたされている。原発が海水温をあげてしまって、1番の地球温暖化ガスである水蒸気を空気中に放出してしまう問題はなぜ議論すらもされないのか?

人々の都合で地球環境を議論すると全く良からぬ方向に、代替フロンの問題でも、最初に大量に代替したエアコンや冷蔵庫のフロンがオゾン層を破壊するフロンで、それが代替後、何十年も地球環境を破壊していたりする話。クリーンディーゼルもそうだが、国際レベルが地球環境を守る謳いが、買い替えでより地球環境を破壊し、逆に大規模な地球環境を10年、20年破壊しつづけるままの元凶になってしまっているお粗末な話が本当に多い。中抜きや金儲け主義のSDGsでは駄目だろう。
2021年09月02日
今日はリネンデニムの縦が繋ぎ終わって織出しでトラブル。リネンデニムを織り終わった織機にそのままの状態で、次の縦を繋いで送って織出しだけども、これがなぜか経糸が緩んで織れない。糸を張ってから織ると緩んでくる。思い当たる3か所くらいを確認するが直らない。

こういうときに思うのが、原因は絶対にあって絶対に見つかると思うこと。織出しように小さめのギアを挿してあるので、本生産用の大きめのギアに交換する。それでもだめで、それでも、織機の巻き取りのギアが織っていても回っていないのを見つける。

そこまでわかると早く、ラチェットのレバーのシリンダーがネジが緩んで外れていた。他のところをいろいろといじってしまう前にこれが見つかったのが幸いで、これを見つけられずに、バックレストの角度や開口やドビーの高さをいじったり、送り出しをいじったりしだすと、織機のバランスがガタガタになりまともに織れない織機になってしまう。今までで初めての原因だったが見つかってよかった。

そこを直すと今までの問題は何だったのかと思えるほどに、普通に織れ出す。織物ってほんと怖いなあと思うあたり。たった一つのネジが緩むだけで予定している生産が路頭に迷う話になる。原因を数時間で見つけることができたのは運があるということだろう。
2021年09月01日
いつの間にか8月も終わってしまい9月。12月くらいまではバルク生産の仕事の予定が埋まってきていていて、順番に糸を買って染めてもいかないといけないのだけども、生産しているとやっぱりいろんなトラブルが今日も襲って来る。

今日のトラブルは急いでいる分の量産でドビーの故障。トラブルとしては重症クラス。ドビーの2枚目が上がらなくなって、普通は簡単に問題が見えてくるはずが、あまり有名じゃないドビーメーカーのドビーなので、壊れた時には原因を探るのに結構いろんな周辺部品を外して行かねばならずで、数時間のロス。手も真っ黒になって、さて夜も仕事がんばるぞと食べた後だったので、体力はあったからまだ対応をできたけど、スタッフと一緒に原因を究明するところまで行けて良かった。修理は夜中一人でやることに、修理といっても部品がないのでとりあえずは応急処置として、ドビーの1枚目、2枚目を使わずに後ろに機を送って、3、4,5,6枚目で平織で織る形にする。フィルムカードが長いカードなので新規にもう一枚つくるのはもったいない話である。

今はやっぱり、ドビーデータをUSBなどで管理する形が理想だろうと思う。パンチカードはどうしても劣化してしまうし、場所も取る。ドビーカードも悪いことはなく、新しい人にでも、データが目で見えるので、組織というものを説明しやすい。データだけだと、口で説明されても現場の人は分からないだろう。ドビーカード使って織ってるとごちゃごちゃしてくるんで織物やってるっぽい味はあるわなあと思う。

今日は午後から糸が上がって来て、それをチーズアップしてもらうためにおじいさんのところに持っていく、まあ、生産期に入って来てそれなりにいろいろと仕事がつまって、そうこう言っているうちに、年内の仕事が年明けまでずれ込んだり、また、他の仕事も入ってくるだろうから、日々追われ、いつの間にか半年がすぎて春になってる気はする。