2022年11月26日
盛岡は相当寒くなっているそうで、外は1度くらいとからしく、中も同じくらい寒いそうで、みちのくあかね会の渡辺さんがストーブを3つ用意してくださるそうで助かるのだけど、なるべく自分でも用意しておこうと思って、昨年シーズンオフに自分の仕事用に大人買いしておいた電熱パンツと電熱ベストを友人にも着てもらって寒さを感じずに盛岡での作業をできないかと思う。また、交代ながらも10時間ほど高速を走って盛岡に夜に着く予定で、夜中にもう一台のほうの機械の分解をできないかと考えたりしている。
でも、今回は一人じゃないので一人だったら現場で寝袋でもよいのだけど、もし二人が到着して疲れていたり、帰りのことを考えるとどこか泊まれる場所を用意したほうが良いのではないかとも検討はしていて、当日利用できそうなホテルやスーパー銭湯、ネットカフェなどをいくつかの候補は検討はしておく。疲れていたら朝早くからの作業でもよいだろうし、今回は二人なので下道じゃなくて高速道路を往復使うので、しかも交代で運転ができるのでそれほど疲れることはないだろう。前回の分解のときには、行は全部下道で、帰り道は高速道路を使ったのだけど、帰りが日曜の夜から月曜の朝に掛けてで東京の手前で平日の通勤ラッシュ、また中央道が工事規制が全面的にあった感じで帰りも途中1回仮眠したので行きと同じくらいの時間が掛かった。そういう経験から今回は二人だし週末で空いているだろう高速道路を往復使う予定。北陸経由が一番スムーズに走れそうには思う。雪はまだふっていないということでとりあえず往路は北陸経由で行く予定。
出発は朝の7時半で8時に彦根でレンタカーの予定、2回盛岡に伺ったのだけども手土産も持たずだったので、今回は林与のシャトル織のキッチンクロスでもお土産にもっていこうと思っている。林与がどんな織物をおっているかも分かってもらえるだろう。
出発の前だけども、午後から来客のあと工具屋から連絡が入って、シャトル織機用の交換のVベルトが到着したということで夜中、Vベルトの交換作業と試運転、ガタガタという異音はなくなり、また問題なく織機が動きそう。まだ、私自身が織機を修理できるあたりが一人でも今の時代に織物工場をやっていけている部分、他の人が直せない問題でも、最後は自分がやってみることでシャトル織機の問題をいくつも解決してきた。シャトル織機は織るよりも、他の人におってもらってたので、最初からシャトル織機の2週間の職人さんが難しいと言われた問題の解決から、その2週間は、ステッキが壊れるとか、ピッカーが壊れるとか、シャトルが壊れるとか、バネが壊れるとか、やたらめったら織機が壊れていたのが不思議なくらいに織機が無理して動いていたので、そういう織機が無理して動いているのを無理させず動かす方法に調整し直して今は織機も安定して動いている。
2回目の移設の織機は私自身が管理してほとんど問題は起こらないようになって、以前の工場にあったときに抱えていた問題などもいくつも解決をした。橋のほうが浮き織になる問題なども解決ができて、今は耳までリネンなども織れるほどに調整を上げている。今、織物の世界にいてシャトル織機を動かしているけども、手織り織機のプロジェクトも計画をしていて、それは自分用ではなくて日本中に手織りが広まったらなあと思う考えから、また、自分でもシャトル織機でやるとどうしても本格的に大掛かりになってしまうので、手織り織機で織ったほうが簡単なことは多いので手織り織機をいくつも持っていると林与自身のものづくりの幅も広がる。
昔の高機も何十台も倉庫にあるけども織れる幅が狭いのと織機自体が相当な大きさなので、和織機よりも洋織機で織物を織るほうがコンパクトで楽ちん。私自身は思うのは自分は職人っぽくないなあと、職人っぽい人というのはみんな道具や作業スタイルなどにこだわられるけども、私自身は、最後の出来上がる布が一番大事だったりしてそこしか見ていない感じで、中古の織機でかまわないし、織りたい織物が織れればそれで十分。織物を作るときに形にはこだわらずに、最後の織物をつくりあげるところに集中して、職人タイプの人というのはすべてにこだわりをもつ感じだろう。それがよいんだろうけども、そことは違う観点で織物をつくろうとするのが私のタイプで、形式にとらわれないから新しいことを効率よく作業していろんなことをやって成り立たせていくというのが林与のスタイルか。昭和の時代の分業の限界を感じているので、そういう形に落ち着いたんだろうと思う。
日本の産業界も昭和時代のものづくりモデルがそのままの理想みたいに思われているところがあるけども、もう限界には来ていて、一流メーカーといわれるところでも外も中もきれいな工場が廃業に追い込まれているのが実情で、一番大事なのは人の力ではないのかと思っていたりする。世界的なコンピュータメーカーの製造現場でも働いたけども、なんか織物工場の中の作業と似ていた。でも、途中に5回も休憩があったりと、休憩で忙しいとか。中は24時間空調が効いていて昼か夜かもわからない、太陽の光に触れることができ外に出ると逆に厳しい寒さ暑さ。大きなメーカーでも職人というよりも素人がつくるモノづくりなのであって、もちろん技術者が設計をしたりはするけども現場は素人ばかり。
だれでもが失敗なくできるような工程に落とし込まれて、1個でも失敗すると反省書みたいなものを書かないといけない。不良ゼロ的なものづくりなのだけども、それはそれほど高度なモノづくりでもなく、人のレベルが低いからというのを想定して、誰でもできるような単純作業。人の技みたいなものがないのが、そういう現場の特徴で、結局、海外の人件費の安いところでやっても同じものが作れるから、その工場は数年後には閉鎖されてしまった。だれでもができるような理想を追い求めて結局は装置依存なものづくりで、人の力の差みたいなものが出なくなったあたり。
シャトル織機というのは、人の作業が膨大で、経糸切れや横糸切れなどでも毎回毎回が真剣勝負みたいなところがある。慣れればそれほどでもないのだけども、1日に数回しかキズを作らないレベルでないと、仕事をしてもマイナスな仕事。キズゼロのようなレベルのものづくりを目指すのは逆に高度なモノづくりを否定することにつながるし、キズができるのもしかたないという発想の元、どうやってそれを減らして乗り越えて生地を生み出して行くのか。普通の織物をキズなく織るというのも一つの高いレベルの仕事だろうけども。より切れやすい細い糸を扱ったり、より織るのが難しい、高密度の物やまた薄いガーゼの麻織物を生み出したりと、他の人がやっても織れないと挫折するようなものを、いち早く自分が生み出して形にして世の中に出して行くみたいなあたりが、林与が日本で織物を織っていることの意味だったりする。
別に私が普通のものを織っていることもあるから、普通の仕事を馬鹿にしているわけでもなく、普通の仕事を馬鹿にしている人というのは高度なところにはたどり着けないというのを感じているので、普通の仕事が普通にできるということが一番の基本で大事。でも、ものごとを極めるやるなら一つの作業にとどまらずに、いろんな作業を身に着けて、それは技術とか呼ぶほどの物でもなく、最初の1日から作業に慣れてできるような体質になっていることが大事、好き嫌いなくどんな作業でもこなしていけるような幅の広さみたいなものが大事で、そういうのだと他の人ができないことでも自分だとできるとなってくる。林与が織物作業全般に通じているのも最初からそういう考え方。
今回の盛岡での撚糸機の分解作業でも、分解できるかどうかの前に、それを買うことを決めて、分解して運び出そうとすると自分がやらないといけないということで、自分で作業してやってみる。もしできなかったら費やす何十万円か失うだけのことで、普段の仕事と比べてもそれほど大きなリスクでもない。普段の仕事にしても、毎回毎回、失敗するかもわからないことを一回勝負で正しい答えを出すのが、織物をつくるという仕事。クリエイティブな部分じゃなくて、求められる答えを出すことが大事。一つの織物でも普通は染色から製織、織物加工まで行うと2か月以上の長旅で、織物のプロではあるけどもお客様から注文を受けて織物をつくるということはそれなりに毎回大掛かりではある。移設作業のほうが最後失敗してもそれで済むだけに楽ではある。織機などを移設しても移設した後が大変でちゃんと動くように調整という部分が何日もかかる作業だったりする。そしてその織機をつかって織物をつくる工程は毎回毎回移設作業の以上のような話で経験した人だと分かると思う。