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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2023年4月
2023年4月
リネン日記:15
2023年04月27日
今、5月に近づいて5月というと五月晴れでカラッとしたお天気の季節なのだけども、それが本当に麻を織るのには厄介で、もう7年くらい前になるだろうか、織ろうとしてもキズになって5cmも織進めることが無理だったり。

キズで良いなら織ってしまうも可能なのだけども、どうしても切れた糸がももけてしまって周りの糸にまとわりついてドロッパーが正しく反応しない。あの時は、3台の織機に掛けたのだけども3台とも同じ現象が起こって織機の問題ではないかった。

麻織物を織るときに、気温が低いことが大事で、雪国のような環境が麻織物には適しているのである。気温が下がる夕方から夜中に掛けては織りやすく、朝方から昼にかけては織りにくくなる。気温が下がって麻糸が水分を吸収すると織りやすくなって、気温が上がって麻糸の水分が放出されると織りにくくなるのである。

今は、火災などの心配もあって工場の中で火を使うことはしないけども、昔はストーブを何台も使って工場内を温めていた。上にやかんを乗せて。また、夏場も水冷式のエアコンで工場内を低温に保っていた。働く人も少なくなり、全部の織機以上に電気と水を大量に使うので水冷式のエアコンも今は使わなくなった。そういうのも湿度には影響をしているのだろう、昔のほうが人も多くてしかも麻を織るにもよい条件で織ることが出来たりしたけども、今の時代というのは少人数で昔よりも恵まれない条件で織らないといけないというのが、普通の現場の話である。

林与だけじゃなく、糸を巻いてくれるおじいさんにしても工場の中で灯油ストーブを1台使って、1日仕事していたら灯油代で半分くらいは工賃が消えてしまうだろう。それほどに灯油も何倍にもなってしまって、おじいさんのいうように工賃は25年前のままなのだけども、織物の価格は20年前よりも下がってしまっているので25年前の一番良い時の価格を守るのが精一杯のところだったりする。

工場の中で灯油ストーブを焚いても動ける人だとよいのだけども、動けない人だと灯油ストーブにあたっていたりで、寒さにも立ち向かえる人でないと織物の現場は難しく、子供のころから寒い中でも暑い中でも厳しくスポーツをやってたような人がやはり精神的にも身体的にも耐性があるように思える。世の中が恵まれていくと、日常生活ではそういう耐性みたいなものが必要なくなってきて、結局、織物の現場作業というのは難しくなっていくのだろう。

加工工場さんなんかでも、もうなくなられた社長と話をしてると、今の若いものは1日仕事すると疲れてばててしまうということを言われていた。冬場も水仕事なのでとか。繊維産業の製造現場自体が今のオフィスワークのような現状とは、かけ離れているのは、やはり、繊維産業が国際競争にさらされてしまっていて、放置されて消えゆくような位置づけに国としてはあるのだろう。

繊維産業って日本の問題を凝縮したようなところがあるから、たとえば半導体不足なんかも日本の自動車産業が海外でつくられる安価なものをなくしては成り立たないというような現状で、それを税金を投入して国内生産に切り替えようとしているけども、たぶん、半導体不足が解決したときにはまた成り立たなくなって、国内生産は海外生産に切り替わってゆくだろう。

日本の職人さんと呼ばれる人たちでも、つくれば売れたバブル以降はもうなかなか通用しにくい状況になってしまっていて、物事をわかって新しいものごとも吸収して前に進めていけるような人は本当に少なく、することはいろいろあっても人がいてもできないというようなことが多くなりすぎた。海外は仕事を得ようと旺盛的にいるのに、国内は仕事が嫌だみたいな風潮が蔓延していて、国内では仕事ができないことが多くなって難しくなっていくばかり。新しい物事をどんどん吸収してレベルの高い物をつぎつぎと生み出していくような力がなければ、過去よりもどんどんと落ちて行ってしまうだけ。

織機の調整なんかも織れるところまでもっていくのが難しかったりするのだけども、織れる織機を渡しても織るのが嫌だとかいう話だと、一番簡単な仕事のところでもう無理なあたりだったり、それは今に始まった問題じゃなくて昔から年配者も同じ話で、織機をうまく調整したり問題を解決したり自分で仕事を進めていけるような一人前の人というのは何十年やっていようが現場では本当に少ない。
2023年04月21日
昨日は、朝からドビーに詳しい人に来てもらって織機1台のドビーを分解して朝から修理。ドビーの中の部品が壊れてしまっていて使えないソウコウ枠があるので、後ろのほうの使っていないソウコウ枠のパーツを外して前のほうと交換する作業。交換部品が手に入らないので、このような方法でしか解決方法がないそうだ。

久しぶりの大修理になった、次に壊れた時にはドビーの載せ替えなどを検討してゆかないといけないだろう。ドビーの載せ替えとなると200kgほどあるものを、上げ下げしないといけないのでそれなりに大事ではある。

いずれかは何台かあるうちの1台を部品取り用にして他の5台とかを長続きさせる方向に持っていく必要があったりするんだろうけども、プラスチック部品の上に金属の小さな板がついていてその片側の下からプラスチックにひびが入っているような現象がみられ、金属やプラスチックが伸びたり縮んだりすることで収縮差からそういう問題を抱えているんだろうなあと思う。ドビーを作った人も想定をしてはいなかった問題だろう、というか1983年製のドビーなので40年動いてきたことになるから、老化として受け止めるしかないだろうけど。自動車で40年は、ほとんど珍しすぎるけど織機で40年というのは林与では工場の中では一番新しいタイプだったりする。

このシャトル織機も国内では最終型に近いくらいのもので、レピア織機ですら国内で製造していた最後のメーカーも作るのをやめたそうで、国内ではより高速で大型のエアジェットとかが作られている。織機メーカーが消えると食物連鎖じゃないけども、機屋が生きて行けなくなるという結果につながっては行くだろう。織機メーカーのある中国では繊維産業は基軸産業である。同じことが半導体でもいわれて、自動車や機械メーカーが半導体不足で苦戦している。材料も同じで、国内で原材料や糸がつくられなくなり、海外に移転してしまうと、結局最後にはその国での最終製品の製造も難しくなっていくという流れにつながる。一番人をたくさん必要とするような産業の部分が残っているということが大事だということなんだろう。パラドックスパラドックス。

林与の中には30台くらいの織機があるけども、どの織機も一つの規格の織物に特化させていることが多く、その形でいつものお客さんの仕事がいつでも受けやすいように、また、機の載せ替えなどをなるべく少なくして、働く人の少ない今の時代に対応をしている。贅沢な織機の使い方ではあるけども、林与のような小さな会社が大きな会社よりもいろんな織物を生み出せるからくりの一つであったりする。
2023年04月19日
繊維業界には伝統産業系の流れを組む古い体質が残ってはいるものの、女性の進出というものは目覚ましく、またエシカルなことなども女性は特に敏感に動かれる方が多いので、繊維業界というのは時代のトレンドに敏感というよりも、トレンドを作っていくような業界であったりする。

ファッションというのは、洋服でも使う言葉だし。文化的なことでも使う言葉だし。あるスタイルが流行ることをファッションと呼ぶのだろう。

林与取引先の担当の方も、7割以上が女性だったりする。10年前までは7割以上の担当が男性だっただろうと思う。海外に行くと女性の社長や窓口の人が多かったりするから、国際化の流れでもあったりするとは思う。

仕事においては仕事ができれば男性であろうが女性であろうが関係はなく、繊維業界も同じことで、ほとんどの業務をどちらが担当してもこなせる能力さえあれば問題ないだろう。でも、百貨店の売り場なんかは女性服コーナーの担当とかはやはり女性店員が適切であることも多かったりして、一部例外はあるだろう。

林与にしても50過ぎたおっさんそのものだし、若い人の活躍を期待はしていて、あまり私が外との関係でもう前に出るべきではなかろうと思うところがある。展示会もなるべく若い人が中心になって全部準備して私は留守番しているくらいが良いのではないかと思っていたり、いろんな企画も若い人が補助金などのことも理解してプレゼン資料つくりや報告などもすべてできるようになってくれればよいだろうと思ったり。

でも、仕事って結果がすごく重要で、構想や途中がよくてがんばったとしても結果が駄目ならマイナスというのが現実。そのマイナスが自覚できる人だけが残れて、プラスの結果を生み出して、プラスの結果を繋いで成り立たせて続いていけるという、もちろんうまく行かないこともあるけども逃げ出すのかとことんまでやってみるのか、とことんまでやってみる経験を積むと、自分で10のやり方をやってみてうまく行く一つの方法が見つかったりすると正しい方法が見えてくるのではないだろうか。単に仕事というだけなら、正しい方法を教えてもらって、なぜその方法が正しいかもわからないまま与えられた時間の間作業して時間が経てば仕事はこなせていると感じてしまうだろう。

また、仕事や作業を誰がするのかという問題が、付きまとう。自分が実際にやって、問題にぶつかれば問題を乗り越えてやっていくのが仕事で、それを他の人に期待しても仕方ないのである。企画をしたいひとが企画がうまくいかない理由の一つが、サンプルをつくったり、量産したり、在庫を抱えお金を寝かせたりの想定がなく、それを誰かに言えば自分の思い通り動いて解決してくれるというのを求めてしまっていたりするから、そういう実際に時間やお金の掛かる部分を自分が解決できるのかどうかが企画のあたりだろう。
2023年04月18日
岡山に行ったときにサービスエリアのコンビニに入るとなぜか食品関係が2割から5割ほど高くなっている感じ。100円くらいで買えたパンが150円くらいになっていたり。食品を中心に原料高からの物価高が勢いを増しているようである。

今も、原材料費の高騰は続いていて、糸の海外からの仕入れをストップしないといけないほどの危険領域。国内の繊維需要はそれほどの回復を見せておらず、2倍とかに高騰する原材料を仕入れてうまく回せていけるのか否かというと難しいという判断が業界の中ではあったりする。

高級ブランドも、輸入物価の高騰で国内生産には向いては来ているだろうけど、国内においても、糸を中心とした原材料費の高騰で半年後の本生産の値段が提示しにくいような状況になってしまっている。流れる量というのは限られているのではないだろうか。

今も直接購入いただく先様とは価格の話なども比較的しやすくて、この半年先や1年先の弊社の生地価格などをお伝えしやすい。基本、サンプル時に量産価格を約束してしまうとその後に糸が値上がった場合など、本生産の発注を受ければ仕事しても利益が出ない可能性も高かったりもする。作りたくても、サンプルに使用した銘柄のリネンの糸の国内在庫がないというケースも十分にありうるだろう。

今から半年以上後のことを考えて糸の準備をしておかないとなかなか半年後の仕事というものが現実的でないとか、糸の銘柄変更で風合いや表情が変わるとか、糸の染まり具合なども変わってくるとか、ある。

低価格のボリュームゾーンを取り扱っておられたところほど大変だろうなあとは思う。価格変動のリスクが高すぎて流れる量も多いので、企画すらも進められないのじゃないだろうか。ここ何十年となかったことだけど、遠い昔のオイルショック前のようなアパレルの売り場に商品を揃えにくいくいような状況が生じてくるかもしれない。

過去三年ほど国内アパレルは超不況状態にあって、体力も温存できていない状況で、問屋業なども廃業されたところも多い。一般的にこの3年間というのは、繊維関連企業の多くが仕事が少なくなって雇用調整補助金などを活用されてきたところが多く、それもなくなってゆく局面で雇用の維持すらもが難しくなられるところも多いのではなかろうか。

3年間ほど半分くらいとか半分以下の仕事で回っていたところの仕事がコロナが明けたからと言って、2倍になって元に戻る可能性があるのかというと、もうそのくらいまでブランドさんなども淘汰やブランドさんの売り場の淘汰が進んで、需要の回復には新しく元気なブランドが出てくるとか、売り場数などが元に戻るまでには、時間が掛かるだろうと思われる。

国内の生活様式も変わって、リモートワークでオフィスに出社する必要もない生活になれてしまって、ビジネスユースの高級アパレルというものはコロナが明けたからと言っても元に戻ることはないだろう。トラベルやイベント向けの回復はあるだろうと思う。
2023年04月18日
弟が手の足りないときに作業を手伝ってくれているが、織物の作業はほとんど未経験者。
糸を結ぶとかが一番の難関の一つのようで、自動車の運転なんかも年配者が免許を取ろうとしても運転するという感覚になれるには時間が掛かるのと同じで、体や手足を動かす作業というのは若いうちに慣れておかないと難しいのだろうとは思う。

コンピュータ関係の仕事に携わっているので、織物の織機の構造なんかはそれほど難しくはないだろうと思っていたけども、糸を筬のどこに通したらよいのかなども周りの糸の状況を見てパターン的に判断するということは難しいようで、迷ってしまうことが多いようで、自分の頭で理解するのにはそれなりに時間が必要みたいである。

コンピュータというのは電気信号の世界で、レピア織機は電気部品が多かったりするのでデジタル的で分かりやすかったりするのだろう。シャトル織機というのは、アナログ的で機械式、機械の構造をたどることで動きを理解出来たりする。それを理解するには機械の動きを見て理解する必要がある。それを見て理解する時間が足りないということだろう。物理系も得意な弟なので、一度構造を理解したときには私よりも理解度は深いだろう。

私の場合にはその場でその時に動きを見て機械の動きを復習して、機械の動きを捉えたりする。マニュアルを作ればよいのだろうけども、実際に説明してもその説明方法が読む人にとって理解しやすくなければマニュアルの意味もない。

レピア織機のマニュアルもあったりはするけども、最初の設定というものがすでにずれてしまっている可能性が高く、伸度の少ない麻糸のテンション管理の問題は非常に複雑で、単にビームの送り出しのテンションを調整しただけでは難しかったりする。テンション管理の機構がうまく働く範囲に開口を調整したり、開口による糸の張りを吸収するためにバックレストを調整したり、また、ビームの残りの量を読んで動くレギュレーターと呼ばれるものの動きをどの程度送り出しに伝えるかなどとか、それぞれの部位の説明は最初の想定が守られているなら、説明書通りの調整で機能するだろうとは思うけども、最初の想定からして、正しい位置にどこもがなければ、一つの場所を動かしてもそれが糸のテンションにまで働きかけることが難しかったりもするし、働きかけたところで無理な働きかけだとまともに織れない。

ボタンの掛け違えを他のところを調整して直そうとするといろんなところの調整が無理無理でなんとか織れるというような状態になってしまって、普通の規格の織物すらも織るのに苦戦するようなことになる。怖いのは材料であるはずの糸もテンションを伝える部品のようなもので、それの伸度や強度が十分でなかったりとか、毛羽が多いと、壊れた部品を織機に付けてしまうようなあたり。

2年前のフラックスの作柄が最悪だったと糸商のある方が言っておられ、糸も高いが問題も多かったりする。コロナで糸をあまり動いていなかったこともあって、大きな糸トラブルはなかったけど。近年の糸が10年前の糸と比べてもかなり強度なども落ちてしまってきている。

50年前の140番手のアイリッシュリネン糸なんかは経年で若干のいとが呆けてくるというかフィブリル化も進んでいるはずだけど、今の100番手の糸よりも強かったりする。10年前の100番手は最終糊を付けずにかなり密度のアパレル向けをレピアで織っていたことも多かった。今では絶対に難しい話。7年まえだったか、60番手クラスが織れない年があったり糸が外れだったのだろう。

今もオーガニックの66番手クラスの糸をレピアで織るのが難しい問題があって、オーガニック特有の問題を抱えているのだろうと思えたりもする。リネンの場合、3年間無農薬の規定とかは連作障害を避けるためには難しいだろうなあと思えたりする。北海道で自前の畑でリネンを育てて糸を紡いで手織りされている方が、毎年織るのが難しくなっていると言っておられ、連作障害の問題が起こってしまっているのではなかろうかと。

オーガニックリネンを育てるために、他のものをオーガニックで育ててとかまでは現実的に、何農家なのの話で、オーガニック農家がオーガニックリネンを育てているような状況を想定しないと難しく…。結局それが、連作を招いて、どんどんとオーガニック系の糸の弱体化をもたらす。オーガニックラミーも当初の糸よりもかなり織りにくくなった、規定を正直に守っておられるからだろうと思う。

糸商さんも言っておられたがリネンやヘンプの100番手とかの糸は日本に持ってきても使える機屋が非常に少ないという問題。麻機屋自体が日本には少なくて、通常は縦に綿糸などで横に麻糸を織ったりするケースがほとんど。林与が昔、超細番手の糸を直接海外から仕入れ始めた理由もそのあたりで、継続性などが不明で織れるか織れないかのリスクも覚悟して自分で抱える必要があったから。紡績工場でもリネンの100番手を超えるクラスは、手織り用とかで、縦に織る想定はあまりなかったりされる糸。


2023年04月18日
先週に一番心配していたことが起こってしまって、この数年リネンデニムに特化させて一番調子が良く動いていた織機が壊れてしまって、今までの小さな一つの部品が壊れたようなトラブルなら1時間、2時間もあれば直せることが多いけども、今回のトラブルは林与自身が今まで見たことない現象で相当時間が掛かりそうなトラブル。消耗品が壊れたとかではなく、鋳物部品が見えないところで折れたとか基幹的な部分が多分壊れた感。織機のシャトルを挟んだ時の限界を超えてしまった感が漂う。

急ぎの仕事の途中で織機を大手術するのは覚悟がいることなので躊躇ったが、お客様にも事情を説明してなんとか今の仕事は対応してもらえることになり、落ち着いて修理モードに入れるようにしてもらえたので、他の急ぎの案件を進めながらなぜ正しく動かなくなったのかの原因をまず考えたい。

今までシャトルを挟んだ経験は何万回とあるだろうけども、でもこの壊れ方は初めての感じ、最後に作ったシャトルがかなり丈夫で挟んでも壊れないほどでそれが結局、織機に勝ってしまって織機のほうが壊れた感じがする。何か、織機の逃げる機構が働いて無理の限界を避けるための機能をリセットすれば良いだけ、それを見逃してしまっているだけ、知らないだけなら救われるのだけど。

大型の鋳物の部品が折れてしまったとかだと交換修理は大掛かりになる。まだ問題個所は不明。
2023年04月17日
中島みゆきさんの糸という歌がある。すごい人気の曲なので、林与がテレビをみない私でも知っていて、逆になぜ、糸という歌がそれほどまでに人気なのかが理解が難しい。みんな糸も使っていないだろうし、織物も織っていないだろうけど。

私が聞いたりすると、普段織物を織っているので曲が伝えたいことは分かる気がする、普段糸や織物を触っていなくても、多くの日本人のDNA的なものか文化的なものがやっぱりあって、通じるものがあるのだろうか。

不思議な出会いのある人生、人を糸に例え、そしてその糸が交わることで織物が織り上がることを人生に例えた。それが人々の心に響く、織物を作っている立場からすれば、糸や織物を人生のように感じることに共感のある人が多いのは、中島みゆきさんの影響力なのだろうけども、うれしかったりする。

歌はポップ、歌はバラード的なのだけども、内容は津軽海峡冬景色と同じ演歌的だなあと思う。あれも着てももらえぬセーターで繊維の手間の世界を頭によぎらせることで人が人を思う温かさみたいなものを。

ぜんぜんつまらないはずの糸をタイトルにしたところがすごくって、そのタイトルの歌がヒットしたのがまたすごい。仕合せという言葉がでてくるけど、それは糸合わせかもしれない。糸が合わさって出来上がることが布であるのと同じく、人が合わさって人生のめぐりあわせという意味なんだろうなあ。なんか、映画、HOW TO MAKE AN AMERICAN QUILTの中の、人生をキルトに例えたフレーズを思い出した。
2023年04月10日
昨日は、神社のお祭りだったけどももう葉桜。法被の下は短パンだったので、晴れてはいたけども寒いくらいの午後だった。50過ぎたおっさんの参加の意味は自分が楽しむためでなく、地道で健全な精神を持っているのに成り立たせるのが難しい物事が人集めに悩まずにうまく物事が進んでいけば良いのになあと思う気持ちで、20年前でも人を集めるのに苦労して一つの行事をするためだけにそういう苦労は必要なかろう。

地元の小さなお祭りでもそれを楽しみにたくさんの子供たちが意味も分からないかもしれないけども、中学生の女の子たちが巫女さんに扮して舞うのをみていたりとそういうのを目標に持てるようなら、どんな世界にでも通じるようなあたりで、私が中学生が一生懸命に今日の一日のためにすべてを覚え、初めてだけども完璧に近くそれは大人のレベルでは絶対に無理な世界。

小中学生や高校生の無欲な覚悟というのは、日本の善意の塊でそれを食いつぶすのが大人社会だったりするのが日本の社会だったりして、大人がもっとしっかりとしないと感じたりもして、小さな問題は小さな問題だけどそれを大げさに言って、大きな問題を見逃して解決していかないといけないのが、だらしのない日本の大人社会の大きな問題だろうなあと思う。

年配者の参加も多かったけど、主役は若い人たちで神輿の周りは若い人だらけ、祭りが滞りなく進んだというのは非常に良いことで、若い人たちが気軽に参加しやすいスタイルに思い切った変更だなあと思った。若い人が増えれば年配者は必要ないからくらいで良いと思う。私は祭りに参加させていただいただけの立場だけど、多くの人の良い思い出になったと思う。



2023年04月09日
今日は、地元の神社のお祭り、神輿の担ぎ手が若手では少なくて、一般に拡大して神輿を担ぐことなく引っ張る形ことに、コロナで5年ぶりということ。5年前も若い人たちは相当苦労しながら祭りを継承してきたんだろうなあと思え、今年はおっさん連中が増えたのは増えたけど、比較的若い人たちが神輿を引っ張ってた。参加者の人たちでも若い人たちが積極的に引いてくれるのはよいことで同級生同士で久しぶりの会話したり自分たちの居場所を持ってもらうことが大事だろう。

年配者が仕切ったりせず黙って見守って若い人たちが中心に動いてくれるのを遠巻きに賑わしにいるような感じ。今の時代に必要がなくなったのが、祭りのあとの打ち上げの飲み会とか、コロナでそういうのがなくなったらしく、そういう負担の掛かることはなくしてゆくような方向で、行事そのものの存続を第一に。

若い人たちというのは年配者以上に健全な感覚、神輿渡御の最中にはお茶とソフトドリンクだけで、スポーツのイベントに近い感じで、酒が入るとどうしても仕切り屋みたいのが出てきたりするので、酒のない祭りというのもこれからのスタイルとしては良いだろうし、酒があったとしても楽しむ程度での形がよいのだろう。

集落の中の同じ区の息子さんで若く見える方でも40歳と最後話してたらいっておられた、話しぶりからしても他に人がいない感が漂って来るような感じで、区の運営も将来はもっと大変だろうなあと思われ、存続のためには若い人たちに負担の掛からないレベルの運営が大事だろう。

出来る範囲にデフォルメして簡略化してゆくことが大事で、引き受けられそうにないようなことを引き継がせてゆくようなことも見直しは必要だろう。その辺りは仕事にも共通したところがあり、意味を感じてやって成り立たせてなんぼで意味を感じているものがいなくなれば終わるような形も一つの物事のありかたではなかろうかと思われる。
2023年04月08日
地球温暖化の傾向で昔よりも冬に雪が降らなくなり、近江湖東産地でも麻を織ることが難しくなり始めている。雪に閉ざされて気温が氷点下というのは、非常に麻織物が織りやすい環境。

1日の中でも、夜気温の下がるときというのは麻織物が織りやすい環境で、一方、太陽が上がって朝から昼にかけて気温の上がるときというのは麻織物が織りにくくなる。五月晴れのようなスカッとした日というのは一番麻織物には適していない。

さらに、今はリネンなどの糸質の問題がシビアになって来ていて、これも地球温暖化がフラックスの作柄に影響を与え、なかなか良い原料が取りにくくなってきているということである。

雪の積もる雪国というのは周りを雪に取り囲まれて気温が上がることがなく、気温が下がったままで乾燥することがないから、麻が織りやすいのである。子供のころに覚えている雪に囲まれた無茶苦茶寒い冬というのは、麻織物を織るのには適しているということであろう。

近江湖東産地の麻織物に関しても、琵琶湖周辺というのは葦やよし、蚊帳のような荒い織物がつくられていて、山側で近江上布のような細番手のものが織られていたとされている。林与の地域も山側に相当して、冬は雪にとざされて村から出ることができなくなるような地域だった。

麻織物というのは本来全国のどこでも織られていたような織物で、なぜ近江湖東産地が麻織物の本場として残りえたかというのは、彦根藩が特産品として生産を奨励し、近江商人たちが全国に広めたということがいえるだろう。

昭和の戦後以降も麻織物の本場としての地位を確保できたのは、他の産地が広幅対応が難しかったのに、近江湖東産地は織機を広幅に変え加工工場も広幅に対応し、アパレル化に成功したということが言えると思う。
2023年04月07日
今、取引のあるいくつかの糸商さんと継続使用しているそれぞれの銘柄の糸に関して値段の動向を訪ねたりしているが、為替は落ち着いたもののフラックス原料がかなり高くなっていて、また、ラミーも価格が上昇しきたということ。

繊維の世界のものづくりサイドから考えると、日本はもうモノづくり国家ではなくなって繊維輸入大国。技術基盤も国内はコロナでさらに疲弊して廃業した、染色工場、加工工場、縫製工場、織物工場は多い。

ブックで色展開されるような生地からアパレルさんも生地を選ぶような時代になり、オリジナル生地を作るというような形は少なくなっていくだろう。物価上昇の背景が、コスト増大という問題で、世界的に人件費、物流コスト、原油高騰など、単に需要が増えたからという理由ではなく、需要が減っているところも成り立たないから価格を上昇するという供給側の事象での物価上昇がある。いわゆる、スタグフレーションと呼ばれる状況に近いのかもしれない。

この4月で、コロナ禍での雇用調整給付金が終了となり、日本の多くの企業が需要減を、半分休みながらk雇用保険の特例制度である雇用調整給付金で、給料を支払いながら雇用を維持してきたが、需要の回復していない業種に関しては、日本の企業の場合、これからがコロナ不況の現実と直面する形。

日本で残りえるのが国内での生産に関わる消費税も還付されて実質払う必要のない輸出型の商社や大企業だけが残るような形になるのか、自動車も将来は携帯電話のように家電化されて3年で使い捨てリサイクルするような形やサブスクの形に変わってゆき、実質車検制度からの縛りも解かれることになるだろう。
2023年04月06日
林与という会社は、昭和の時代に、イタリアでレピア織機で麻が織られているという話を聞いて、日本の麻業界の中では一番くらいにレピア織機を導入して麻を織った会社で、林与で麻が織れたことで産地の他の会社もレピア織機を導入が始まり、それまでは生産性の低く、仕上がり巾も90cm程度だったものが、112cm程度になり、生産性が上がったことで生地単価も下がり、洋服にも使えるような生地が作れるようになった。

レピア織機というのは多色化が可能で、6色から8色程度使えるというのが利点で、シャトル織機のようにシャトルの管に糸を巻く必要が無く交換する必要もないので、生産性は高い。レピア織機というものは、初心者でも最初の日から織物が織れるくらいの織機で、車で例えると運転の簡単なAT車みたいなところがある。

手間暇が省かれて誰でも簡単に織物が織れるようになったことで、織物の価値は落ちてしまったことになる。不思議なことだけども、初心者がシャトル織機を動かすことは案外簡単にできても、レピア織機で慣れた人がシャトル織機に移行することは難しかったりするもので、工場の仕事で織物を織っている人が、普通は自分で手織りをしようと思わないのと似ているところがあるのだろう。

経験者の人でも自分が慣れている機械しか使えない人が多いのだけども、未経験者の人は、最初の日からどの機械でも教えれば使って作業できたりすることが多い。でも、一つの経験だけを積んでしまうと、長年の経験者でもそれ以外のことが逆にできなくなるという問題を抱えている。

林与が現場の仕事を初めてしたときに、織機の調子が悪いときに埃や油まみれの織機の下に段ボール敷いて私のおじさんが潜るのをみて、織機が壊れた時には次からは私が一番にもぐろうと思った。そしてそれが今まで続いている。その時も、どこをどう直せばその問題が直せるのかを理解して次からは自分が直せるように問題解決に立ち会った時間を無駄にしない。他の人がやっているのを一度見れば次からはそれも自分の仕事みたいな感覚。新しいことをやっていくためや問題解決のためには、一度もみなくても自分で仕事で新しいものを生み出していかないといけないのだから、やっているところを見せてもらえるのは次から自分が仕事を同じようにできるチャンス。自分で見て真似てそれをやれる人だけがその仕事を普通にやっていけるようになるというだけのこと。
2023年04月04日
昨日、岡山行った帰りにすき家で牛丼を食べて休憩してから高速乗ってサービスエリアで2時間仮眠した時に眠気覚ましにとBLACKBLACKというガムとかの強力バージョンみたいなタブレットがあって、円筒の筒のタイプを買ってみた。

はみがき粉のように、すーすーする感じで、そのすーすーが、のどのイガイガ感と戦うのか、全身でするような強烈な咳を誘発、喉の奥に溜まっていたものが出た感じで、すごく楽になった。こういうの買うのめずらしいんだけども、使用方法はまちがっているけども当たりやったかなあ。



2023年04月03日
織機のドビーが壊れて、その後、応急的に対応をしたものの、浮きが数センチ出てしまっているような状況が見受けられ、その原因が分からずに、ビームも小さくなってきてシャトルを挟むようになってきたので、縦のテンションが強すぎるのかと、若干緩くしたことが目飛びを誘ったみたいで、経糸の何枚目かが緩んでテンプル間際の部分の糸をすくった感じか。

原因が分からずに、納期が迫っているときというのは本当にピンチで、こういうときほどは落ち着いて、問題があるまま織ってもキズのものを織るだけになるので、原因を考えることは本当に大事だったりする。

理論的には正しいことでも、現実的には見えていない問題があって、正しく織れないということがあったりはありうる。織機の縦糸というのは1列に並んでいるけども、右から左まで同じ条件なのかというとそうでもないのである。

普通の織物だと問題にはならないことでも、ギリギリの状態に持って行って織っている織物では、そういうことも浮き織をつくる原因になり、縦のテンションを強くしてあげることでより経糸全体のテンションが均一になるようにしてあげないといけなかったようで、それが数日で分かっただけでも幸い。

でも、ドビーに応急処置をして、駄目になった1枚を使わない形で後ろに送って織る方法というのがこのような別の問題の可能性を持っているということで、落ち着いた時にはドビーの壊れた1枚の根本的な修理を覚悟しないといけない。これはなかなかやっかいな話だそうで、林与自身がやることになるのだけどもダメもとでやってみるしかなさそうである。

プラスチック部品が割れて壊れてしまうのは、AICHIドビーと呼ばれるドビー特有の問題らしく、1980年代初頭の織機だけにもう40年も経てばプラスチックも劣化してくるのだろう。他の台のドビーでも同じようにプラスチック部品が割れて、1枚動かないが増えてきている。

ドビーよりも複雑なジャガードも、同じようにハリが曲がったりすると浮き織が起こったりして、ジャガードの本体上部をほとんどバラバラにして整備し直したこともある。やってやれないことはないのだけども、日本は織機メーカーが何十年も前から消えてしまったような織物業界、そのあたりも日本の織物の生産が難しくなっている原因の一つである。
2023年04月01日
今朝は朝まで仕事をしていて、2時間仮眠をとってから新幹線で東京に出発。米原の駅に着くと困ったことに駐車場の空きがなく、駐車場探しで20分、30分。予定の新幹線が出てゆく、駐車場を見つけてホームまで行くも、携帯がないのに気が付いて、車に携帯を取りに戻って、また、新幹線を乗り過ごす。ひかりからのぞみへの名古屋での乗り換えでも、望みに乗る前に切符を確認すると無いので、もしやとおもってひかりの開いたドアの床ほうをみると切符らしきものが落ちている、見つけて良かった。

東京につくと11時半で予定よりも1時間以上の遅れ、林与がキッチンクロスを織らせてもらっている東屋さんに初めて伺う、社長のお気遣いで食事しながらということになり食事しながら、仕事のことだけでなく雑談的なこともいろいろと、長く続く定番化するようなモノづくりを考えていてくださる。

企画の方もコロナ前には3日間2人で、林与にこられて東屋さんのキッチンクロスを作る工程を経験してくださった。その3日間というのは、一緒に作業をしていただくためにスピードは落としてはいたものの新しい経験づくめで1日中立って動きっぱなしの仕事で相当ハードだっただろうと思う。経糸の整経を建てるところから始まって、経糸を巻いて整経を巻き取って、巻き取ったビームを織機にセットして経糸を繋いで、織って、織ったものを耳糸を切って生地を縫って修正したり。そうやってキッチンクロスは出来上がってゆく。ご自身たちが織られた織出しの調整の部分のキッチンクロス生地を、林与が縫製して洗いを掛けて、お土産に持って帰っていただいた。

午後からは、ミナペルホネンさんのAWの展示会。展示会場で気が付いたのは、お子さんが多いこと、100人くらいの会場の中で、10人以上はおられるんじゃないだろうか。アパレル展では珍しいけど、来場者の方もお子様連れで商品を眺めておられたり、林与の担当者の方の子供さんも開場で元気に動いておられたり、家族というテーマや次の世代みたいなテーマとも積極的に取り組んでおられるブランドさんで、会社の経営の中にも実践的に取り入れられている。

ミナペルホネンさんというとプリントや刺しゅうなど独特のデザインが特徴だけども、林与の若い女性スタッフがNINOW展で以前お世話になったり、昨年は林与もシャトル織のリネンの先染めのキッチンクロスを織らせてもらっていたりと、日本の織物文化が続くことや意気込みをもった取り組みに温かい思いをもっていてくださっている。担当の方も、風合いや厚みなどでもアイテム展開が広いのでいろいろな使い方が考えられるとおっしゃってられたので、デザインを乗せるベースとなるカウンターはいろいろ見てもらえるだろうと思う。