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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年10月
リネン日記:24
2023年10月07日
農協というのは郵便並みに大きな組織で、単に農業の農作物をつくる部分だけでなく、金融、政治力的な力も持っている組織。その組織がオーガニックに全面的に移行するような流れ、農薬や化学肥料を販売して成り立ってきた組織がある意味180度の方向転換ともいえる。化学肥料や農薬が減れば、川や水田にジャンボタニシばかりじゃなく、ヤゴや日本タニシ、どんじょうなども戻って来る可能性もあるだろう。

昆虫を殺してしまう成分が含まれる殺虫剤を田んぼに大量に撒いてしまっていては、トンボや蝶々も川の中の水生生物も元来種から消えて、耐性のある強力な輩だけが田んぼや川に残る。そしてそれが稲を食い荒らす悪循環。羽虫やブヨ、ぼうふら、蚊なども殺虫剤によってほとんど田舎でもいないほどになったけども、つぎには人類の番が来ているような気もする。アニキサスの問題があるけども、昔だったら普通にマイナス40度冷凍の技術なんてなかったし、それでも魚を食べていて普通だった、寄生虫にも耐性がある程度あった人類。どんどんとピュアにはなって来ていて、一方で耐性は下がってきている。

コロナ対策で不思議だったのがスウェーデンの初期対応。社会主義最先端の高福祉国家なのに人が亡くなるコロナで自然免疫の獲得を目指して、途中で挫折したが。医療制度も充実した高福祉国家スウェーデンならコロナ対策も一番くらいに徹底したものがなされるのかと思いきや放置政策。それは分からないでもない、高福祉医療国家ゆえにその現場すらもが崩壊してしまっては、医療従事者に休めとかも言えないし放置するしかないのだろう。公務員的な比率が何割もある国というのは、自分自身の成り立ちや制度を否定することは難しい現実があって、一人の学者の自然免疫説に乗っかって正当化するしかなかったのだろう。国連にしても同じで当初からワクチンに金集めして、コロナはたんなる風邪というフレーズを世界中にばら撒いてマスクするなというのを広めた。マスクで救える命も多く失っただろう、人の命を救うためにあるWHOでもその逆の愚策をばらまいて人を無防備にコロナに晒し死に追いやる結果。

本質を見抜く目が大事で、なぜ不可思議なマスクするなというのかなど。WHOが権力を増すために、コロナが広まるのを期待していたのではないだろうか。人々から自衛能力すらを失わせてどうするつもりなんだろう。国連のコロナ対策は、CDCの存在が大きかっただろう。事実かどうかは分からないが、グランドプリンセス号の乗客がアメリカに戻るまでほとんどコロナPCR検査をアメリカでは行っていないという報道があった。世界中がコロナで大騒ぎしていたのにアメリカの世界的権威のCDCがPCR検査をアメリカ国内で実施していないとか、これが国連が従っていたCDCの実情。たぶん、コロナがすでにアメリカで蔓延していたという事実があったんじゃないだろうか。武漢の3か月ほど前からかつてない異常な死亡者のインフルがアメリカが襲っていた。早い時点でコロナは単なる風邪と判断をして放置したというのが、方向転換も出来なくなった権威主義の末路ではないのか。

コロナワクチンがアメリカで接種されはじめたのが2020年12月、CDCがマスクがコロナに有効性があることを認めたのが2021年2月、CDCの関係者もコロナワクチンの開発と承認に関わっていただろうから、ワクチンが販売されるまでは、マスクの有効性を認めるわけにはいかなかったのではないだろうか。なぜ、マスクの有効性実験の実施と発表がこんなに遅く、マスク不要論を垂れ流していたのだろう。結果、アメリカのワクチン会社がコロナ蔓延で大儲けしたことにつながったけども。CDCとWHOのマスク不要論でコロナは世界パンデミックになり多くの人が死んで犠牲になりすぎた。徹底したマスク不要論、一方でフェイスシールドとか、ほんと古き先人の知恵が生きていない。専門家たちがレッドゾーンまで儲けて、隔離コロナ病棟とかやってるのに一方でマスク無しにソーシャルディスタンスで大丈夫とか。無茶苦茶のロジックで都合の良すぎた専門家たち。

神戸でも武漢の半年前に採取された血液からコロナウィルスが発見されたという記事や、イタリアで武漢の1年前からコロナがという記事などもあり、あの中国の一人の若くして亡くなった医者がいなかったら、かつてないインフルということで処理されて、コロナウイルスは永遠に問題視されず、歴史に記録として残らなかったのかもしれない。悪い風邪が流行っていますから気を付けましょうねの単なる自然死で終っていた可能性もある。

ワクチン開発などは悪いことではないのだけども、マスクで防げるようなものをマスクで防ごうとさせないような、疫病の専門家たちの存在というのもあまりにも現実ながら悲しい話で、それも一つのプロの仕事として、世界レベルでマスクするなのコロナ対策、なんの目的だったんだろうと邪推するしかない。
2023年10月07日
普通に生地を生地として使う場合には問題がないのだけども、林与の生地を使って製品をつくられると問題が起こってくることがある。単純なケースでは、製品の表面に、合成繊維のものと麻の生地を一緒に使って縫い合わせたりする場合。合成繊維の糸は均一でしかも糸目が碁盤の目に通っている、一方で麻生地でゆったりと仕上げたものは、糸目もゆらいでいて、また糸のフシも目立つ、糸のつなぎ目なんかも目立つ。

機能的な問題では、製品に林与の生地を他の何種類もの生地と一緒に使われて林与の生地に問題が現れて、その会社の方が林与の生地に問題があるとメールなのだけども、林与の生地で今までそういう問題は一度も現れたことがないし、たぶん他の生地が原因なんだろうけども、その会社さんにしても使われているいろんな生地のことを理解されずに使われていて、でも解決能力はその会社にはないだろうから、林与が製品を送ってもらってどの生地に問題があるのかの原因を見つけ出す作業。原因の生地がどの生地なのも特定し、その生地を作られたメーカーに溶け出すような糊剤や樹脂を使われていないか確認されたらどうかという返答をさせていただいたけども、新しいモノづくりにはトラブルはつきもので、そういうトラブルを解決する能力を持っていないと、製品を買われた一般の消費者の方が一番困る話。

林与の染色工場さんや加工工場さんは限定的でそれには理由があって、ありえない問題が起こることを防ぐためでもある。あたらしい薬剤や技法などはいろんな問題を含みがちで、安心のできるものを提供するためには実績のある定番の染、定番の加工方法が一番である。何十年にも及ぶ何十万メートルの過去の実績で問題がなく安全であることが証明もされている。

生成の麻生地を化学染料で染めて色が落ちるみたいなのは安全性の面で気を付けないと、草木染とかならまだ色素も天然系で良いのかもしれないけども、本来はしっかりと結合していることが前提の染料が色落ちするとかは良くないモノづくりだと林与は考える。硫化染料など色落ちを想定した染料なら別だけども、生成りを染めて色が落ちやすいという現象は途上国などの化学染料染めではよくある話でよくないものづくりの典型で、洗濯時の移染程度ですむならデメリット表示で単品洗いとすればよいだろうけども、着用時に皮膚への付着や吸着すらも心配される。不純物の多い生成りを精錬もせずにそのまま染めると安く染められるが色落ちはしやすい。色落ちをさせようとすると手軽に安く染められる直接染料を使えばもっと色落ちしやすくなるがそういうのは安い世界のものづくりにありがちな作り方。

京都で反応染料で染めた時にも加工で3分の1の色に落ちたことがあって、京都の染料店の方の紹介の京都の家庭規模の染工場では工業生産品としては厳しいのが明らかだったりで、染める前にも色落ちは大丈夫ですかと3回くらいは尋ねたけども、反応染料だからフィックスもなしでも色落ちはしないといっておられたが、技術力の差というものは麻専門の染工場とは歴然とした差があり、おみやげ物屋さん向けのアイテムと百貨店アパレル向けのアイテムの差だろうと思う。林与も家で、藍で染めたりもするけどもそれは堅牢度はよくなかったりする。作家的な、一点ものならそういう染でもよいのだろうとは思う。民芸系には工業的な基準は適用されないとかもあったりで、一般的な工業系の検査基準だけがすべてではなく、コスチューム的な着物など色落ちしても妥協できるような価格のものもあるだろうし。(京都にも高品位な染をされているところはたくさんあるのは知っていて、麻の染を得意としている染業者さんでないと林与的には合わないのだろうと思う。)

林与の家は近江上布の織元だったので、染も家の中でボイラーももって昔は本格的にやっていて、与一爺さんが京都の染料会社とやりとりして、近江上布の絣の中でも一生ものとして使える一番くらいに堅牢な染を目指していた。林与の麻の濃色というのは濃いのが特徴。湿摩擦堅牢度は若干悪くなっても色味を大切にするのが林与の特徴で実績で使っていただいていたりもする。そのあたりが林与の総合的な妥協点。

分業でのものづくりというのは、製品に想定できない問題があることが多いので、最後の商品をテストなどして叩いておく必要はあるだろうと思うが、そういうテスト環境みたいなものを持っておられないところも多いので、商品企画される方にお勧めするのは、自分が企画して開発されるなら自分でその商品を使って洗ってみたりして評価することが大事だということ。使ってみると自分の企画の問題点なども見えてきたりすることも多いだろうし。企画される方への大きなヒントで、改良へのポイントにもなる。

ある生地屋さんに行ったときにも若い店員がたくさんおられて、林与と話するのを楽しみに話しかけてきてくださる。林与さんキッチンクロス縫製できるところ紹介してくれませんがみたいな話で、私がいうのは、自分たちで縫製してみるのも良いんじゃないですかみたいな話。いろんな生地を持っておられて、それがキッチンクロスに店頭でなるみたいな自由度ってよいだろうし、店員さんがお客さん相手だけじゃなく、縫製のこともできればお客さんとも会話は広がるだろうし、自分自身が染めたり、加工したり、ミシンも踏んだりすることがあるので、他を探したりよりも自分でやるほうが簡単なこともある。そういう話すると想定外に思われるのだけども、そういうのが普通の感覚だから林与の仕事感覚は変だとか思われる。だから、他とは違うものづくりやこだわりの部分があったりして興味しめしてくださる方も多い。
2023年10月02日
もう15年ほど前になるだろうか、そのころというのが自分がやろうと思えば一番くらいに会社の中でいろんなことが出来たりもした。いわゆるデフレ不況の中で、世界で一番クラスのものを作ろうとアイリッシュリネンプロジェクトを立ち上げたのもそのころで、多くの方たちが手軽な安い生地を探しておられるときで、一番くらいに思い切った日本の麻織物の本場的なものづくりが出来たりもしやすかった。それはイコール世界でも最高峰レベルの麻織物の世界で、ながく業界でも疑問視されていたアイリッシュリネンの不透明な部分に関しても結論を導き出したようなプロジェクト。

イギリスのアパレル業界や生地関係の方とも接点を持つことができ、商売のことよりもアイリッシュリネンの糸が英国にて今も紡績されているのかどうかというのを質問するのが林与で、イギリスでも有名な生地を販売されている会社の方でもアイリッシュリネンなんて気にするなみたいなことを言われて、もう英国でもアイリッシュリネンというものを追い求めるようなことすらも難しい状況で、なぜか日本人の林与が北アイルランドの失われた世界を取り戻してもらいたいと思いつつだけども、それすらももう遠い過去の話。

一方で、林与の近江上布のアーカイブは世界のブランドを魅了し、すごくそういうのを再現してほしいという要望が多く、その後に広幅絣プロジェクトとして近江上布の織元だった林与が、アパレル向けに林与の数千柄に及ぶ近江上布のデザインを活かしてプリントで再現してそれがすごく好評ながらも、本当の絣のものが欲しいとリクエストも多かったので、広幅絣プロジェクトを林与発で打ち出して、世界のこだわりのブランドさんからすれば、ありえないほどのディープインパクトだったと思う。

その広幅絣プロジェクトに関してもすごく多くの方が支えてくださって、全然関係のない日本を代表する食品関係の開発の方も繊維業界にはありえない開発を支援するような気持で、林与をとことんなくらいに応援下さって、その方って全く日本の大企業のサラリーマン感覚がない世界で、その人がやることすべてが世界のトップクラスの話で、そういう方が世界規模の日本の上場企業でも支えておられるのを知って分かったり。その方の食品業界におけるリネン生地に対する探究心というのは、世界一クラスだったと思うし、会社の中でも自由に開発を任されるような無二の方だったと思うし、やっておられることが織物に関してももう失われたような特殊なベルトをつくる織機の技術とかを求めておられたり。

そういう情報をもらうと林与も世界のウェブの織物に関する情報を調べて、そういう技術が今残っているのかどうかというのを調べ、残っているとすればどこに残っているのかとか、あるいは、今の技術で代替するような現実的な方法はなんなのかとかとかを考え自分の考えを述べることがそれなりに、妥協案としては有効ではないのかと思う。継ぎ目のない織物のベルトをみた時に手品をみたような感覚に陥ったが、そういうのを昔の人は機械を作って量産してたというのが、現代にはありえないほどの器用さで、そういう器用さを現代に追い求めたい人というのは多いのかもしれない。

人生でそういう方に会えるのは5年10年に一度くらいだろうけども、そういう方の才能だけでなく人格のすばらしさみたいなものが超えすぎていて、そういう方に甘えてしまっては駄目で、しっかりと普通の仕事の感覚を持って、いつでも駄目だったら林与を切ってもらえるようにが仕事として大事だろうなあと思う。
2023年10月01日
高校生のころに、山口みえという女優がいて、テレビCMで、仕事バリバリしたあとに、「しば漬け食べたい」というしば漬けのCMのセリフがしば漬けのイメージで、しば漬けなんかほとんど食べたことのない高校生のころに、京都大原三千院に行くと周辺は日本で一番くらいのしば漬けの産地で、しば漬けの実物を見た時に、これがしば漬けかと感心したものである。たぶん、一切れか二切れ、旅館とかの小皿に乗ってる漬物で、食べてたことはあるけども、あれが働いて疲れたときに食べたいと思えるような感覚は林与には無理。

キューリのQちゃんみたいな味のもので、あの味の濃さのお漬物というのは苦手で、食べても一切れ二切れが限度。スーパーのひと袋200円くらいのしば漬けはたぶん一袋でも林与にとっては1年くらい冷蔵庫にあるままだろう。食べる前は、山口みえのCMを思い出すが、一切れ食べると、十分になる。キューリのQちゃんも有名だけども、あんなに味の濃いものをぼりぼりと食べられる感覚がすごいように思えて、林与は白いご飯で味を薄めながら3切れもあれば、茶碗一杯分のご飯が食べられる。

納豆も経済的な食べ物で、100円あれば2パック3パックが当り前。1パックあれば、ご飯一杯は食べられるので、卵ご飯と並ぶくらいに経済的で健康的で、そういうのに満足できる人というのが一番くらいに人生を幸せに送れるタイプの人なんだろうと思うし、逆に、仕事もすごくできそうな気がする。しば漬けで喜べるようなキャリアウーマンのCMイメージと整合するところもあって、キャリアウーマンが海外の高級リゾートを満喫するような普通のイメージとは違うミスマッチ的な庶民感覚が、庶民的な人々の共感を得られる大事な要素なのだろうけども、しば漬けのあの味の濃さはもっと薄くはしてもらえないものなのか。

増田明美さんの監督で、増田明美さんには試合前にお肉をたらふくたべろとふるまって、監督さんが塩ご飯というのを、増田明美さんが意味も理解して、自分がすごいんじゃなくて監督がすごいんだと。それが日本の親イメージ的な価値観で、自分のことよりも自分を捨てて次の若い子たちの活躍を期待してという手本だと思う。