for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2024年1月
2024年1月
リネン日記:11
2024年01月25日
近江という言葉は、淡海(あわうみ)からきているとされ、淡海とは琵琶湖を指す。湖のある国という意味で、なぜそれが近江となったのかというと、奈良の都(のちには京都の都)から近い湖ということで、浜名湖を遠い湖として対比される。律令制の時代に近江国(チカツアワウミノクニ)は通称として江州(ゴウシュウ)と呼ばれ、遠江国(トオトアワウミノクニ)は通称として遠州(エンシュウ)と呼ばれた。湖の国が2つあったという認識で、滋賀県が近江(おうみ)、浜松の西部が遠州(エンシュウ)という名前の由来である。

今は琵琶湖は堰で下流域への放水を調整するような形で、もしその堰が作られていなかったらればの話をすれば、船が大阪湾まで行きかっていたかもしれない。水の都としての琵琶湖があったかもしれないのである。堰によって琵琶湖がダム化したということが言えよう。ダム化によって下流域の水量がコントロールされることで、下流域の地域の発達には貢献をしたと言える。

琵琶湖の水位の低下などが言われ始めているが、琵琶湖の赤潮被害などは子供のころのほうがひどかっただろうけども琵琶湖にはもっとたくさんの水資源があったと言える。琵琶湖に流れ込む河川の上流にはダムが出来、琵琶湖自体が川から巨大な池化したともいえるだろう。琵琶湖周辺も特に戦後は人口の増加を心配して、埋め立てが行われて水田化された。国家のための農業地化が行われたのである。戦後は、内湖的な大中胡なども埋め立てられ、大中の農地となった。

安土城のあたりも、安土桃山時代には安土山の周りは琵琶湖、彦根城の周りも琵琶湖が外堀形成していた。彦根の辺りで中山道は、左右を水辺に挟まれるような状態で、人々の往来を管理していたのである。また、愛知川等の川にしても、江戸時代までは、橋がついておらず、担ぎ手が人を担いで川を渡していたような話で、一つの関所となっていた。東円堂という村の人たちがその川渡しにかかわっていた名残が、昔は、愛知川の反対側の五個荘の中山道近辺の土地まで東円堂だったということで、昔は土地は開拓すれば自分のものだったようなところがあって、昔は東円堂村の人が農業水利にもかなり深く関係もしていて、中部排水といわれる川の周辺の土地も今も川上の水源までは東円堂の土地と認識がされているような話で、水源から水路をつくって田んぼに水を引いてきたというような歴史があるらしい。今は県の管轄にはなっているようではあるが管理の名残が残っているらしい。
2024年01月25日
昨日の夜に雪が降って、朝4時くらいから普通の自動車とは違う車が道を走っている音が聞こえる。雪が降ったので集落の除雪機が活躍しているのだろうとなぜかうれしくなってくる。除雪機があるというだけでなく、もちろんその作業をしてくださってる方たちも居られるので、本当の大事な時に活躍をくださっていて、朝から道を自動車が走れるのも、除雪機で除雪が早朝に行ってもらえるから。

集落の中の道にしても、林与的には巾3mほどの車が1台しか通れない道でもメインの道の一つ。こういう根本的な問題を解決してゆくときには、簡単ではない問題だけども、旧の集落を新しい場所に移すとか、国規模での過疎化対策が必要だろうと思う。4mの道路が必要であるとか云々は、旧の集落では難しい話で、国家レベルの事業として、農業の土地改良並みの予算を使って生活の基盤をつくりあげていくようなことが必要だろうと思う。、

農地は田んぼなのだけども、底には4mの道路が綺麗についていて、人々がもっと使う集落の中の道路のほうが改修工事すらも負担が大きい。過疎化した集落をそのままの道路状況で存続させようとしても基本的なインフラ整備すらが旧の集落では難しく、それは町レベルでも難しい話で、国家レベルのプロジェクトとして、新しい場所に集落を移すようなことをしてゆかないと、旧の集落的な存続すらも難しくはなるだろう。

ニュータウンのようなものを作るのではなくて、旧の集落を新しい場所に綺麗に配置するようなことが行われると今のいろんな問題も解決することは多いだろうと思える。私が生きているうちにはそういうことはないだろうけども、都市計画として国が動いて問題を解決してゆく方法が根本的な問題解決方法につながる。なぜ、農業で出来て住宅ではできないのかみたいな、行政体質を変えれば、集落の住民が同じ集落の中で暮らし続けることも可能になるだろう。

小学3年生くらいのときだったろうか、近くに流れている川の橋が新しくなった。それって、子供ながらにすごく楽しみなことで、その橋を使い続けて45ほどになるのだろうけども、そういう新規性みたいなものがまったく期待できない今の日本になってしまっている。たぶん川の橋なので、補助整備絡みで国か県の予算が下りての事業だったんだろうと思うけども、農村の場合、農地並みに思い切ったことを行わないと、個人レベルの増改築新築では縛りが大きすぎて、根本的なところまでの解決には至らずに不便な生活が続くことになる。100年後とかの日本の国ではそういうのも解決できるような体制になっていればよいのにと思ったりはする。社会構造的に自由度の無いことが多すぎて本当の理想に向かって一気に解決をしてしまわないような状態が続いているというのが見られがちな状況だろうと思う。
2024年01月23日
今日、縫製工場にキッチンクロスを納品に行くと、林与のハイエースに手織り織機がのっているのを見られて、その縫製工場にも手織り織機があるということで2Fに上がってみせていただいた。織れる状態にしてある手織り織機なのでそのまま織るのも良しだろうとおもうけども、織りたい糸をもっておられてそれを実現ができればよいのになあと思う。筬も5目と呼ばれる1mに5羽の感じなので想定されている糸に対してもちょうどよいんじゃないだろうか。昔の和食器ベースなので少し大きめで、安定して織物は織れるだろうけども、外に持ち出してということができないので、会社の中の方が手織りするというようなイメージだろうか。そこのはもう一つ、手のレバーで綜絖を上下させる小さな子供用の小型タイプが置いてあった、それも織れるような状態だけども、それを織られたい糸を織れるようにするには、整経からひと工夫が必要で、たぶん自分だったらこうするけどみたいなアイデアをお伝えした。

手織り織機も織れる状態に持って行くのが案外大変で、整経とかもなかなかやっかいなところ。林与では普段使っている工業用の整経機を使って、オプションのHフリンジビーム化して、機草も使わずに20mとか30mとか整経したものを織れるように、自作で技術的な部分はクリアできた。一度セットすれば織るだけの作業に集中できるように、また、載せ替えて織ることも出来るようにみたいな。今は現場の仕事に追われているので、また時間が出来た時に、そういうのの自作を行っていきたいなあと思っている。幅の広い広幅絣用の手織り機も作りたいなあと考えている。

日本の織物業界というのも、なかなかオールラウンドでこなせる人が少なく成ってしまっていて、手織りならある程度一人でも布を生み出せるとは思う。林与自身にとっては、本業でもなく、当面、無料手織り体験を通じて、織物を初めて織ってみるみたいなことを多くの方に気軽に体験してもらいたい。林与がサポートで立ち会っているときには、織った生地をその場でカットして持って帰ってもらえたりもすることが多い。そういう一旦カットした後、数分で再開できるようなことも、織物体験で、織ったものを持って帰ってもらうためには大事で、お子さんたちは嬉しそうに持って帰ってくださる。

体験してくださる方にとって織物の織機というのは興味を引くけども自分が織るというのは初めてだったりすると挑戦だろうと思う。やってみると簡単だったりして、自転車に乗るような感覚じゃないだろうか、織物が織れていく。学生の方で、卒業制作の生地を自分で織って卒業作品をつくるとかも、学生のうちにやってみられると、布というのは買うばかりじゃなくて自分で好きな布をつくれるというところにたどりつける。

午後会社に戻って、少し休んで仕事再開、今気温は2℃とか、でも麻は織りやすいが、足がつま先まで冷える。
2024年01月19日
岡山で縫製業を営んでおられた方が、今日林与にお越しくださって4年ぶりくらいの再会、今はお母さまが病気になられて岡山のお家は売られてお子さんも生まれ結婚されて沖縄に住まれているということで、すごく大きな変化を乗り越えられてこられたのを感じる。

いろんなものをプロとして縫製できる方でもそういうのが今の日本の繊維業界の厳しさで、本当に能力のある方だなあと思える。お母さまとも1度しかお会いしたこともないけども、倉庫で生地を探しているのを喜んでいてくださって、動画で病室に居られるお顔を拝見して3月の手筒も良い結果になって元気に回復されることを願う。

日本の昭和の時代に金満になってどんどんと落ちてしまった繊維業界を一から健全に再生してゆきたいなあとおもうようなプロジェクトというのが、林与の子供向けの超簡単無料手織り。私自身、そういうのをお金を取るのではなくて全部持ち出ししてでもやりたいし、今の繊維業界というか日本の普通が、アメリカの資本主義以上にシビアでそれは日本の業性の階級社会的な一番駄目な、支配欲の塊で、他の物を虐げて法律で縛って食い物にして行くような構造が、日本の中に生まれてしまって今の政治問題、大企業の献金問題。そうでないと、行政の癒着構造になびかないと大企業ですらも大きな消耗品レベル。

シャトル織機120台を動かしておられた機屋さんが子迷惑かけずに閉じられたのが幸いみたいな、日本では、ほんと無理な法律ばかりが横行して行政がなぜ責任も負わずに企業に従業員を守れとか、それがまさに責任放棄の日本の国レベルの国民を守るのを他人事にして、偉そうに食い物にして成り立ってしまっているような、本当に覚悟決めている人を、保険金掛けさせて追い込んで自殺させてそれで清算してきたのが日本の金融行政で、BM以下のことが国レベル。ほんと科挙制度は中国でも否定され、でも日本の行政では、日本の官僚主権制度のもとにジェノサイド的な搾取というか、立場を得たものがすべてじぶんたちが好き放題みたいな宗教や政治で、それがほんと金欲、権力欲、食いつぶすだけ。もちろん普通に給料もらいながらさらに助成金も得ながらさらに金満に、上場企業をたかってきた日本の国会議員の政治家レベル、まさに敵のように否定している共産主義と同じような権力主義構造。

国連にしてもなぜか権力主義的なSDGs思想があって、そういうのって、末端の現場の人たちを逆に食い物に苦しめるだけ、どうしてこうなった?なぜか、政府や金融機関や商社が動き出している、権力主義で、ゼニゲバなところがSDGsって無理だろうと思う。廃プラを天然繊維に混ぜてエコとか、私はまったく理解が出来ない。そういうエコのチャンネルが一部にあるのは悪いことではないけども、全体的な天然繊維という長く続いてきた概念からすると、現代の儲け主義的なエコ感覚というだけで、長い繊維の歴史からするととうとうここまで繊維業界も落ちたのかというようなクリーンディーゼル偽装と似たような問題。

SDGsを叫ぶようになってよけいに怪しいものが正当化されるようになりすぎた。オーガニックコットンもレギュレーションが逆に遺伝子組み換えコットンを助長してしまい、水の少ないところでも耐性のあるような遺伝子組み換え品種が大半を占めているというような状況で、消費者にほんとうの事実のことを明かせない状態では、あまりにも繊維業界が、熊本の有明海で天然物が取れないのに日本の市場の8割を30年占めて来たみたいな。日本のトップクラスの神戸製鋼も同じくして、30年以上の素材の強度偽装、ダイハツも軽自動車売上NO1が何十年も検査偽装。フォルクスワーゲンのクリーンディーゼル偽装と同じで、日本の大手の謳い自体が消費者騙しになってしまっているのがバブル後の日本で、そういうボタンの掛け違えを続けるよりも、消費者騙しのないような普通の感覚に戻ったほうが良いのではないかと思う。
2024年01月15日
一番糸を巻くのに使っていたシュワイターが調子悪くなって、いろんなところに油を挿してはみるのだけども一本管を巻き終わった後に最初の定位置まで金具が戻らない問題が、バネの強さなどを調整してもなかなかなおらず、2時間ほどかけて、いろいろとわたごみなどの掃除と調整。その部分は戻るようになったのだけども。

木管をセットするおしりの部分を覆う金具が前に出てきた後にスムーズに後ろに戻らなくなって、思い切ってシュワイターの上蓋を取って分解修理を2時間くらい掛けて行った。中のネジが一つ緩んで円柱がスムーズに後ろに下がらなかったことが原因なのだが、初めてシュワイターの中をのぞいたがいたってシンプルでもっと複雑な構造なのかと思っていたのでがっかりと言えばがっかり。

ようやく問題はなくなって、スムーズに糸が巻けるようになり、木管のセットミスもなくなり、連続して糸が巻けるように戻った。ありがたい。今日は体調も良かったのでいい感じで4時間から5時間かけて修理ができ、いい感じに戻ったのでありがたい。そのあとはさすがに少し休憩して、体調を維持しながら長丁場に挑む。以前ほどは無理はしないようにはしているが、体調も良くなかった中、1年前の10月の初めに1週間ぶっ続けで無理をして、そのあと、岩手に4回行くことになったりと、時間的にもすごく追い込まれてしまって、そのあとにL100番手の織れない問題や、リネンデニムの織機のドビーが壊れる問題などどこまでも深い問題で次々と時間が無くなり、L66のオーガニックリネンベースのストライプも幅が狭くなる問題で耳そばが切れる問題。

難度の高いギリギリの仕事というのは、少し何かが崩れると急に織れなくなったりする。今回のシュワイターはそういういろんな織物を織るための木管に糸を巻く機械の不調で、これが直らなかったなら、また、全部の仕事が暗礁に乗り上げるような話になるところだった。分解して直って本当に良かった。時間に慌てていると本格的な修理に時間を使えずに、だましだましで非効率な生産になってしまってより大幅に遅れるような話につながる。シャトル織機を入れ戻してから15年だけども、15年で初めてシュワイターの中を見た話。こういうのって一か八かだけども、やってみてうまく行くのと行かないのとでは天国と地獄の差につながる。修理も下手にやってしまうと余計に調子がおかしくなったり、関係のないところを調整するとまったく使えなくなって最初よりも悪くなるとかで、修理や調整というのは能力の必要な仕事だと思う、織物の織機を動かして織る以上に機械の構造を理解して修理できる人というのは機場には必要で、修理できないと、織機や機械がどんどんとゴミになってゆく。

昔の織物工場は必要な機械だけあればよかったのだけども、今の織物工場というのは織機を維持してゆくための予備の部品までも自分で抱えて用意しておかないといけないことも多く、織機の調整がうまく行かないときには、他の織機に載せ替えて織ってみるとかで助かることもある。織機の調整だけで何百時間使うこともたまにはあったりして、一つの仕事を受けた時に、ぎりぎりの織物というのは織機の調整が命だったりもする。織機の問題じゃなく、糸の問題ということもある、織れない糸というのも存在して、ロット違いでおれないとも支給の糸の場合にはよくありがち。
2024年01月15日
ここ数日特に、体が冷えるので体が温まる飲み物に変えた。飲んで寝たら体中に血がめぐって体が温かくなった。飲み物ってすごいなあと実感。足の冷えみたいなものも痺れみたいなものもなくなって寒い工場の中でも元気に仕事が出来そう。飲み物でこれほど体調が変わるというのは驚き。体の中で血のめぐりが止まっていたのだろうと思う。月末までいろいろと納期が詰まっている頑張ろう。

寒さを気にせずに仕事ができるというのはありがたく、仕事で動き回るというのも同時に運動がてきているというのは良いことで、それでフルに並行して色々作業が出来る状態というのは理想。一つのことをじっくりとやるのは簡単だけど仕事なんで3つくらいのことを並行してこなしていかないと、成り立つところにはならないのが現場仕事、ほんとそこなんだろうと思う、普通の人だとやっても仕事として成り立ちにくいのも。

昨日、電話である方とお話していてすごく能力も高く器用な方なのだけども、得意先の一つが廃業されるそうで、仕事が減りそうな状況らしく、コロナが終わってもアパレル業界というのは仕事があまり戻っていないという林与のイメージと整合。そこにコロナ後の原材料の高騰で、資材関係も生地なども高騰して、日本の国産アパレル業界というのは新しくモノを作れないようなあたり。

生地から開発するようなアパレルは少なくなって、エコな流れなども関係して在庫生地でものづくりをする流れになっては来ているのを感じる。麻関連のものづくりの現場は今は、原糸すらもが回りにくくなってしまっている。麻の場合には価格が高い時というのは、当たり外れがより大きいので、使う側としてもチョイスも限られているけども、リスクは非常に高い。

ウクライナでの戦争が小麦需要をひっ迫させて、ヨーロッパのフラックス畑が小麦畑になり、フラックスの生産量が需要に追い付いていないという状況らしい。商売うんぬんよりも、人の命が国の大義のために犠牲になる戦争が終わることのほうが大事だし、人々が食べ物のほうが大事。世界はまだ戦争状態であることを考えると、エコとかエシカルという言葉や概念すらも空しく思えたりする。国内だと能登の被災地の方たちに温かい場所と温かい食べ物とが最優先の課題だろうと思う。
2024年01月04日
2000年にもなるともうアイリッシュリネンの糸が世界中探しても全く手に入らなくなったように、また、国内でも麻の先染め織物というのは本当に希少に近い世界になっていたりもするけども、そういう実体というのはなかなか伝わらないことも多く、普通の麻生地の2倍とか3倍高いだけでも高いと思う方というのは多かったりで、日本の麻織物の本場といわれる近江湖東産地でも、産地で特色のある先染めの麻布を織ることは本当に難しくなっている。

林与が、すべての作業を一人でもこなせるというのは、本当に珍しいケースで。そういう形でないとモノづくりの現場を残していくということは難しいだろうと思う。71歳で廃業された小幅織物を得意とされていた工場の社長も最後一人ですべてのことを行われていた。白生地が多く、縦はほとんど限定的で、定番の物ばかりだったのが、林与とは異なる部分だけども、その方をみていて大変だろうなあと自分と被ったりもした。

林与も今、50過ぎて細番手の黒い糸の織物を織るのが、糸の強度、糊付けなどとの関係もあって糸切れが多くてこずることが多くなってきた。普通の職人さんの5倍くらいは縦切れを直すのでは早いだろうけど、縦が黒い色の織物というのは、縦が白の織物よりも何倍も手間が掛かっていたりする。林与の麻織物の特色の一つは、濃い黒、濃紺で、黒や紺は色が深いことが、着た時の涼しさだけでなく、見た時の涼しさにも影響をする。そして高級感にも影響をする。ただ、麻100%の黒とか紺というだけでなく、麻生地の手本となるような布を生み出したいなあと。本場の産地産というだけでなく日本の高級麻織物の高級なテイストが、林与の四代に渡るものづくり。

私自身が社長になった15年前からは、麻織物により特化して、麻100%の生産が生産のほとんどになった。高級なものがうれないといわれた2000年以降のデフレでも、特色を薄めるのではなく、失われた高級な麻の世界をもとめようと、アイリッシュリネンプロジェクトや、超細番手リネンプロジェクト、超太番手プロジェクト、リネンデニムプロジェクト、シャトル織リネンプロジェクト、リネンキッチンクロス、リネンハンカチ、リネンストール、高密度リネン織物、近江上布柄プリントプロジェクト、リネン藍染プロジェクト、リネンハニカムプロジェクト、しが応援ファンド事業、オーガニックリネンプロジェクト、ネットショップ、海外展示会出展、テキスタイルマルシェ参加など、まだ40歳手前で、先代が亡くなったことで、封印していた自分の理想的な麻織物のものづくりと販路の開拓。古い考えを引きずりすぎた昭和の良い時代の考えじゃなく、自分でやりたいことをとことんやっていくみたいなスタイル。もちろんそのためには既存のお客さんの仕事もこなすことで、やりたいことのための余力を生み出し、新しいことをやっていく。それまで先代がいたことで先代スタイルでやりたくでもできなかったことの、8割くらいは実現できたのではないかと思うし、麻織物の世界というものをとことんに経験することができたことは良かったと思う。単に企画したというだけでなく、自分自身が作業の多くをこなして問題を解決してお金と時間と体を使ってたどり着いた。

普段の仕事でも普通の人が逃げるような作業もおおいけども、プロジェクトを成し遂げて実際に販売できるような生地を生み出すということは、なかなかハードなことだけど、とりあえずいろいろと覚悟決めて動いてみることが大事で、普通のサラリーマンの時間から時間の感覚というのが全くなくなるし、いろんなことが自分がやろうと思えばできる。ものづくりメインでやってはいるけども、多くのそれぞれの分野のプロの方とつながることもできて、疑問に思っていたことなど、一番詳しい方から直接話を聞くことも出来る。とことんやれば3年くらいで普通のサラリーマン職人さんが一生に経験する10倍くらいの経験は可能だと思う。現場の職人さんが織機を直せなければ、自分が代わりに直すしかないし。織れないと判断が出た時には織れるように調整をやってみるしかない。そういうのやったことで、普通だとそれ以上前に進まないものごとが前に進んで、特別な織物の世界が広がる。

若い人たちが、織物の世界に飛び込んでも、なかなか難しいのは仕事に対する覚悟の問題だろうと思う。一番キツイこと、難しいことを自分が率先してやるのが当り前みたいな繰り返し。楽に生きたい、何も考えず幸せに生きたいと思う人が増えれば増えるほど、それを支えるための人が必要になるが、そこを考えない見ないだけみたいな。お金を必要とする宗教や政治じゃなくて、お金を必要としない宗教や政治が必要で。そういうお金を宗教や政治のえらいさんについていって楽になりたい人が増えれば増えるほど、世の中は、荒んで、カルト的や村社会的な感覚に陥って、外の世界が敵になり従わないものは滅んでしまえみたいな。

日本の補助金もなぜ、道義的に意味があるかより収益率重視な指標で判断して、日本の補助金の母体を支えるためのような存在なんだろうか。税金使うなら利益を度外視で意義のあることに使わないと意味がないのになぜか収益率重視で、金儲けばかりに走る企業がさらに補助金で金儲けに加速、政治がモラルがないのは分かるが、ボランティアを美しいとしながら、なぜ、あなたはボランティアをしていますかが加点で、全く真逆な、収益が重視の補助金とか。行政の国民が奴隷で捧げることを求めるようなことしてては駄目やとおもうよ、税金集めてそんなことしてたら、でもそういう感覚というのは普通に多い。

小さな組織なんて現場主義でいいじゃないかと思う。とくにエコとかエシカルとかいう概念では、それがなぜかお金が裏で動くようなルールばっかり。吸い上げたいだけの本質的な問題が日本には多すぎて、自分の命を守るために自由に逃げることができるようになっただけでも、震災のころの感覚とは変わったと思って良かったなあと思う。JALの乗務員たちに従う理由は一番最後に逃げる覚悟のある人たちだから、今回も機長と交信ができないCAの判断でドアが開けられ、機長の指示をまっていると。そういうのも想定して訓練もされていて訓練の範囲内だったのだろうとは思う。

でもそういうマニュアルを作る人が責任転嫁して人の命よりもマニュアルの方が大事でマニュアルをまもらなかったからで責任追及して責任逃れでは一番駄目なやろうと思う。日本の税制がそのていどの吸い上げで、政党や政治家たちが裏金ばかりで正しい税務申告もしいていない。批判しているロシアや北朝鮮と同じ構造を日本の政治家たちが当たり前に思って政治で、日本の政党や政治家もロシアも北朝鮮も同じ構造そのものではないのか。民主主義の根底を日本の政治家が法治国家で法律を無視しながら奴隷階級の国民には手間が掛かりすぎことを強いる。林与は株式会社で消費税は今も納税しているのでそれほど手間が増えることはないけども、内職とかの人が適正納税事業者となったときには、内職仕事よりも納税処理のほうが難しすぎて仕事を辞めるかたも出てくるだろう。ルール作っているのにそのルールが生み出す問題を解決しようとせずに、そのルールができたことであらたな問題が生まれそれをルールを強いられる人が解決しないといけない。
2024年01月03日
責任がどこにとかうんぬんよりも、とにかくあれほどの航空機火災になったのに民間機のほうの乗員乗客が全員無事で、海上保安庁の方は5名亡くなられた残念な結果だったけど、多くが脱出できたことは本当に不幸中の幸いではあった。航空機のほうも機内への火の回りが比較的遅かったことが幸いした。小さい機体の海上保安庁の機体は爆発は一瞬だったんだろう。でも、今、空飛ぶタクシーとか大阪万博でやろうとしているけども、プロたちが管制塔からの誘導や支持も受けながら、こういう事故が起きてしまうのだから、あまり躍起になりすぎないほうが大惨事につながらなくて良いと思う。

1日たって、能登での被害状況が明らかになるに、やはり津波での被害も起こっていたみたいで、津波が原因らしく家や車が流されていたので早期の避難というのは、大げさに思えた効果的だったと言える。地震でほぼ全壊の地域もあったみたいで、それでいて、死者数が少ないのは、避難方法としては今回の対応は結果的にはすばらしかったということのようである。

飛行機で、私も非常避難口の列の座席に過去に5度以上割り当てられたことがある、座席予約までしていないことが多く搭乗がギリギリのことが多いからだろうけど、また、通路側の席を希望することも多いので、他に席が空いていてもその席に誘導されることは多い。非常時の脱出の際には、CAと一緒に他の乗客の避難誘導などを優先することに同意して座るのだけども、そこに座ったときには、手伝って開けるという構造はどういうやり方なのかを頭で想像しながら飛行機が飛び始める前の時間は考えていたりして、万が一役目がなるべくうまく果たせるようにと思う。一度、他の外国人の方が避難口付近の席とその方の友人が私のとなりの席で、私の席とその方の非常避難口の席を交換してほしいと頼まれたことがあったけども、そのときはその方が同意されて座られたのだから、勝手に私が航空会社との同意もせずには席を代わることは良くないと判断して断ったこともある。

今回の飛行機事故は、内部が燃えはじめるまでに時間の掛かったタイプの事故で、当たり方によっては民間機も海保機のように一瞬で炎上の可能性もあっただろう。事故も偶然の要因が重なって、普通だとありえない状況が生まれ起こったのかもしれないが、民間機にとってはまだ不幸中の幸いと言えば幸いの、奇跡的に全員の命が無事だった事故。例えば待機位置をC1をC5と聞き間違えたとか、滑走路上にいた海保機が小さくて暗くて見えにくかったという要因があったのだろうけども、結果的に民間機が全焼するような事故でその前に全員が脱出できたことは不幸中の幸いである。海保機のほうは機長を除く6人中5人が死亡ということで不幸な結果になった。管制塔の指令なども記録されているので原因が何かははっきりと分かるだろう。海保機の機長も重症のようではあるが話せる状況ということで原因は究明されるであろう。

だれも悪気などない事故で、。認識ミやや失敗があったとしても隠さないで事故原因も究明され公表となれば、人間というのは完璧でもないしミスがあることを考えると、ミスを犯した一人の人間の責任として、全責任がその人にあるというよりも確率的には起こりうる事故として個人の単純なミスを問い詰めすぎないほうがよいようにも思う。医者とかパイロットかだと、専門のことに関しえてはとくに凡人をはるかに超えた正確さが求められるんだろうけども、たとえば、将棋の藤井8冠でも悪手を指して負けることはある。

個人よりも組織が組織としてこういう事故が起こったときに業務を提供するものとしてミスしたものと同じく責任を連帯して感じることができる体質というのは大事だろうとは思う。個人が責任半分なら組織が責任半分とかの意識は大事だろうと思う。つねにスポーツ選手の演技でも、10点満点という演技はやはり人間には要求できず、10点満点を目指しながらも、プロとしてなら9点とかのあたりが現実的で、10点満点の演技は、それは不可避な部分。それはある程度通常の業務で日常的に起こっていることで仕方のないことでもあったりする。

林与も織物の仕事で問題に行き詰まるときが多いが、問題や失敗の原因の究明というのは非常に大事で、問題や失敗をした人がそれを自分で見つけ出してくれると一番次から問題が起こりにくくなるのだけども、問題や失敗の原因を究明するのが作業している現場の人でなく、状況も知らない私であることが多く、そのときに、どういう状況でその現象が起こったのかを正しく説明してもらえないと、正しい原因にたどり着くことが出来なかったりする。私がやると問題は起こらないが他の人がやると問題が起こるとか、同じように本人はやっているように見えてもやり方が異なってしまって問題が起るのである。結局は、ヒューマンエラー的な要素が問題を生んでしまっていることが7割くらいだろうか。織機よりも働く人の物事の考え方とか従順さが作業方法にも出てしまうので、言われたことに従える人というのは理解力も高く能力が高い人だなあと思う。織物の作業って、林与の場合でも基本一つの失敗の少ないベストのやり方を採用していて、途中での確認作業なども非常に多く、普通に誰でもができるような仕事ではないなあと思う。
2024年01月02日
誤報、夜中に震度7の地震が起こったと発表されそれが誤報だったということで、その悪意もまったくない気象庁の誤報に対してメディアがなぜそんな手違いが起こったのかを問い詰めるような記者会見。本当にメディアというのは災害時に平和ボケそのもので、地震が来るのを予期して供えるためなら誤報が起こるのも仕方ないのに、責任を追及して謝罪させようとするような、マニュアル的な考え方。そういうのが本当に駄目な考え方で、最善を尽くしてやってる人を、安全な人たちが最優先の対策に時間を使わせずに問い詰めて時間の浪費。

最初の地震の時にも、地震がこれからくるのを携帯電話が知らせてくれただけでも、すごく良かったのではないだろうか。たまにそういうのに誤報があったとしても、人々の命を救うためにくだらないことやっているよりも、地震や津波が来そうだからすぐに逃げてというのを知らせるほうが良いだろうと思う。原発事故や列車事故などでも、警報装置が働いてなっても誤動作だと人が判断しないといけないようなことがあって、それを切ってしまって、運航して実際に事故が起こることがある。その裏には、優先順位が間違ってしまってそういう判断に至るのだが、人々の安全以上に、マニュアル的なことが勝ってしまったときにはそういうことが逆に個人の責任を問い詰めて起こりやすい。

まともな感覚というのは大事だろうに、記者会見の記者などは自分たちが大きな問題を抱えていることを分かっていない。人々はそんな誤報の理由をしるよりも、そういう誤報があっても人の命を守ろうとする気象庁であってほしいと思うの。それが防災という概念で、意図的な間違いでなければ逃げ遅れないためにもそういう早期の発表は大事なのである。システムが災害が起こったと判断するような場合、人の命にかかわることなら、後で誤報だと叩かれるの心配して流さないよりは、とりあえず発表するということも大事だろう。よく政治家がそういうのやってしまって、今度はそういう失態を隠そうとしておかしなことになってきたのが今までの日本。失敗もあるということを受け入れることも大事で、隠さずにみんなで議論してゆくためにも、情報というのは公開され共有されるべきで、報道機関がその逆の姿勢で責任を追及ばかりでは、人の命を最優先するような姿勢もない。

私自身も最初の地震と違ってまったく地震を感じなかったので誤報を疑ったが、発表した人たちにしても同じに思ってすぐに間違いを訂正で、正常な判断としてものごとが進んでいて、そういう姿勢というのはたとえ誤報につながったからといっても、問い詰めていては仕方ない。大津波警報も、津波の被害がそれほどなかったから、それを失敗だと問い詰めるのではなくて、みんな逃げることが最優先という一丸となった考え方を持つことが大事で、それに手順やマニュアルなど必要なく、今、火事の問題もあるけども、仕方ないとあきらめて消防士なども消すのが難しいと思えば、消火活動を諦めて、落ち着くのを待つという判断も大事だろうと思う。自警団の人たちがあのほのう立ち向かうとなると絶対に無理で、自警団レベルは自分たちの財産的なものはとりあえずあきらめて命を守ったほうが良いだろうと思う。水門を閉めにいった自警団員が多く犠牲になったのが東日本大震災の大きな悲劇で、諦めるものを諦めて逃げることも大事。

こういうのを教訓に、あと見直さないといけないのが、市街地区域とかの概念、やたら密集させて火災などには非常にもろい都市計画となる。古い集落も同じ問題を抱えている。新しく建てる家にしても、一件の家の面積を160平米以下に縛ってしまうのは、固定資産税が3分の1となるなども、あまりにも、国民が豊かになることを否定するような政策で、そういうのが田舎にも適用されてしまう。田舎も必然と、狭い面積のところに家が建つので新しく建つ家も隣とが50cm+cmしか離れていないとか。昔よりは、壁と壁を話す努力はしているのだろうけども、そもそもの広い場所に住むのを許せば、人々はより安全に暮らせるのに、縦割りで固定資産税収入のことばかりを考えていては人々が安全な住まいを選択しにくいバックグラウンドがある。狭い家をつくると、2階建てにして、階段がすごく狭いとか旧だとか、むりやりロフトとか。ほんと新しい家にしても無理ばかりを詰め込ませ強いる。建築基準法を国民に強いるばかりではなく、国レベルが国民をさらに縛ることで解決ばかりを考えていないで、安全な居住空間づくりを考えていくべきだろう。人々の精神面での健康にもつながる。
2024年01月01日
地震が起こった、揺れでの倒壊のほか、大津波警報が出され、東日本大震災の教訓を生かし、とにかく自分自身の安全を大事に高台に逃げてくださいと、いわゆる避難優先で、火災など起こっていても行政も自警団なども一斉に避難するような形。マスメディアなども取材のために中をあまりうろうろすることもなく、地震で被害者を最小にするために高台への避難という避難対策。

適切に思える住民に対する避難誘導がとられて、あの揺れの規模から津波で多くの命が奪われるのを警戒しとりあえず逃げるマニュアルに縛られないスタイルに変わったのを感じる。報道機関にしても報道優先ではなく立ち入らないようにしながらの報道体制で、取材や記者会見優先ではなく国民の命を守るための報道体制が取られていてるように思う。

九十九湾では船の沈没が確認されているというが、たぶん、津波の影響だろう。だが、船の持ち主も逃げて人々は安全ということなら、人々が船を守るために立ち上がるというような行動には出ないほうがもちろん良いだろう。本当の大きな災害時に、一つの方向性で日本中がまとまっているのがよいあたりで、大きな災害時にはこういう形が自然で一番良いのだろうと思う。

津波が来る可能性があるという大事な情報が伝えられたのもよいことで、昔の日本なら人々をパニックに陥れるということでそういう大事な情報は伝えられなかったりもした。今はそういう情報も行政が報道機関に封じることもなく、あぶないからめいめいが早く逃げろという普通の行動がとれる社会に変わったと言える。こういうのが災害時には大事なことなんだろうと思える。

災害に比べれば人の力の小ささみたいなものは歴然としていてすべてを放棄して逃げることも大事で、現場に人々を放り込んで誘導や対応をさせるとかよりも、諦めて全員が逃げるということが大事だろう。一番自然な無理のない方法で命を救うことが大事で、自分自身がその場の状況を判断できることが災害時には非常に大事。災害時、非常時、緊急時には、ルールや方法よりも結果が大事だから結果優先での判断と行動が大事だろうと思う。

東日本大震災では、防災無線や広報車や消防車が、津波が来るということで高台への避難を呼びかける中で、逃げた子を校庭に呼び戻したり、子供を学校に引き取りに来た親に落ち着いてとか、校庭に40分もそのままで、避難場所にしても川沿いの場所を目指したなど、教師の判断が甘いというよりも、組織として、防災に対するマニュアル的な意識の甘さが出てしまった。犠牲になったのはマニュアルを守らされた側で、マニュアルを作った人たちは想定外だったというありきたりな逃げ。津波がくるまで、防災無線が大津波が来ることを伝え高台に逃げろと言っても、時間が何十分もあってもその意味がわからないというのは現場の教師の責任というのではなく、日本社会の問題。今回の地震では、そういった古い日本的な体質が人命重視に改められたのを感じ、避難ルールに縛られることのなく個々が逃げることが許されるようになった。体制や組織的重視の考え方から、人々の命を守るための現実的な防災意識へと大きく改善したと思う。
2024年01月01日
あけましておめでとうございます。新しい年が始まりました。

10年前にはできたことが、10年経つとできなくなってしまっているのが今の日本の繊維業界でありがちなことで、古く長く続いてきたことでも時代に合わなくなり消えて行くのは仕方のない側面もあるのを感じ、地道な作業の積み重ねではなかなか成り立ちにくいようなことではありますが、そういう地道な作業を大事にしするようなことが、自分の力の限界なども常に感じ、平和な世の中につながるのではなかろうかと考えております。

何十年も昔の昭和の時代の織機が今も動いていたりと、それは織機があるからというよりも慣れているからというよりも、毎回毎回の仕事で乗り越えないといけないことが多く、作れる量も本当に限られているのでお待ちいただくことが多くなりすぎ、受注も控え気味にしないといけないような状況にはありますが、日本の麻織物の本場といわれる近江湖東産地のものづくりを地道な作業の中から生み出して行きたいと考えております。

ハイテク素材や、複合素材は今はほとんど使うこともなく、シルク麻織物屋綿麻織物も今はほとんど生産することなく、林与の生産キャパは手間の掛かる本麻、リネン100%、ヘンプ100%の生産がほとんどで、以前よりも生産量は生産スタイルや生産キャパの関係で少なくなってはいますが、麻織の本場らしい特色の濃さは残せているような自負はあり、この一年もいくつかの布を追われて苦戦しながら作っているだけであっという間に過ぎてしまうのだろうと、でもそれが機屋らしくていいんじゃないかと思います。いろいろな要因で、数年後には、どんどんと麻織物を作るも難しくなっていくとは思うので、できるうちに動いて作っておきたいなあとは思っています。

林与

2024年元旦