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リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2024年4月
2024年4月
リネン日記:13
2024年04月29日
生きていく以外のお金を全部ほどに仕事に費やす覚悟で仕事をしているようなタイプで、そういうのがえぐぎるような感覚で、宮浦さんとかも林与のことを評価を下さって、日本のものづくりのがむしゃらすぎるような形の一番くらいに思ってくださってて、林与の考え方というのは超えすぎていて、今の日本では受け入れにくいけども工業的な生産においてもそういうのがあってもよいのかなあと思ったりもする。

働いている人がそれぞれにベストを尽くせば、日本で世界の最高峰のものが作れるのではないかと思うし、本気の人たちが集まれば時間とか関係もなくモノづくりの話もできて、世界が驚くようなものを作れるのではないかと思うのは、時間に縛られずに働いている林与の考え方。

林与の尊敬する方にも、野瀬精機さんのご夫妻がおられて、半田付けでは日本でもトップの方で、その社長さんは仕事の時間以外はプライベートな方でそういうのほんと才能があられて奥様も同じように能力があられて、でも、林与というのは才能がないから努力するしかなくてと思う。

でも、そういう林与の努力の積み重ねで、世界に評価されるようなアイリッシュリネンプロジェクトや、リネンキッチンクロスL25HD、リネンデニム、リネンストール。日本の麻織物の産地発でそういう世界に通実ような麻生地が生まれていくのが、それは林与自身じゃなくてもよいのかとおもうし、覚悟決めた人たちが日本の麻織物を担っていけば、それは世界的な麻織物のトップクラスに通じるとは思うけども、自分がとことんやる気が必要でそれは時間から時間の感覚とかはダメで、林与が働き始めた日から親じゃなく日本の麻織物を当たり前に背負う覚悟で、そういうのって、本当に個人レベルでも覚悟が必要で、日本の上場の大手企業には難しい。でも、大手企業の方たちが林与志雄の存在というか考え方と行動力を日本の繊維業界じゃありえないとか世界規模でもありえないと考えてくださているから、林与がファミリーオリエンティッドで成り立って行く覚悟で、覚悟は決めて世界に通じるような麻生地を全力出して動けるような方々と取り組みたい。
2024年04月29日
林与もこの業界にいて、日本の布の価値観というのが失われていくのを感じることが多くて、自分たち自身がその覚悟がないと難しくて、日本の繊維業界も日本の機械技術に支えられてきたけどももう日本の機械技術も海外のほうが簡単にできてたりしてというのが本当に難しい話で、日本が誇るような世界最高の機械技術が日本の繊維業界を支えることが難しければ日本の繊維業界も難しい話で世界的には生き残れないというような運命。

損得じゃない世界があってもいいとは思うのが林与の繊維業界と接してきたような人生で、そういうのに共感をしてくださる方が多いのが日本の繊維業界だったりしてそういうのに救われる話で林与というような存在も日本で残っていたりもするところがある。

日本の麻業界だけじゃなくて天然繊維の価値観みたいなものを守りたいなあとおもうのは、海外の展示会にいってもブランドの方々が素材へのこだわりが高級ブランドの方ほどなかったりして、1m1000円で買えるもを欲しがられる世界的に有名な高級ブランドの若い方たち、でもそういう若い方たちを林与に送り込まれた高級ブランドの古参の方たちは世界的にも失われた世界を林与のハンガーサンプルをみて気が付かれ・・・。世界規模のインターナショナルなブランドでももう失ってしまったような世界が日本にのこってたりして、それは、林与個人の人生観そのもので、尖りすぎて入るけども、日本の麻織物が世界レベルで最高だと思ってもらいたいというのを、伝えたいし、国内の方たちも林与じゃなくてもすごいことをやってもらいたいと思うが、素人騙しの偽装は日本の繊維業界に昔からあった悪しき慣習で、消費者騙しが金儲けの悪しき日本の慣習そのもの。日本の繊維業界で日本の大手もそういうのほんとやめといてと思う。
2024年04月23日
今日ある会の代表の方と話をできた機会があって、オーガニックの国際認証の大きな問題の本質を認めて、世界統一の基準があるのではなくて、各国ごとに異なる各国のオーガニック基準に従うしかないという問題が、国際認証にはあるのも駄目だけどそれしかできないみたいな話で、正直にそういうのを認めてくださっての話なので、日本で、化学肥料不使用とか、遺伝子組み換え不使用とか謳うのも輸入される原料を使った糸に関しては多くの割合で難しい状況になっている。国際認証機関でもコントロールするのが難しいというような、昔から天然繊維やっているものからするとそういうのが一番ラベルだけで一番の謳いが怪しい要素というのを認めておられる方なので、逆にそういう現状を認めないでカネ取るだけの認証機関的なタイプの方よりは何倍もマシに思えた。

認証機関も認証が取り消せされるなど特に認証の緩い国では国家基準が怪しくなりすぎている特にGMOコットン大国といわれる国ほどオーガニックコットン大国なので、GMOコットンを推進してきた国のオーガニック国家認証というのはそれほど厳しくなく、日本のオーガニック基準は非常に厳しくて、それを適用すれば、海外のオーガニックコットンの多分9割以上がオーガニックじゃなくなる話じゃないのか。そういうのは、熊本のアサリに似ていて海外でオーガニックラベルを付けて、日本に持ち込めばオーガニックとして売れるという、もしかしたら消費者の期待とはまったく反対のことになってしまっているのではないのかと国際認証に思えるような問題。

まだ、林与の林も普通に理解が出来て、当たり前ですが、GOTSも国の中には入っていけないので、各国バラバラで緩い国の認証もオーガニックと認めないといけないというのも認められて、一般的に流れている化学肥料不使用、遺伝子組み換え不使用が現実的には不可能になっているようなオーガニックコットン大国もあって、そういう原料を使った製品が日本のオーガニックコットン製品の市場の半分以上というのが現実。

普通のコットンを叩いて、結果、GMOコットンがほとんどになってしまっているとか、権威主義の怖さで、そういう事実も普通に話ができないと駄目だろうなあと思うが、そういう話をできる人というのは、生産者や消費者保護の気持ちがある方だろうと思う。林与も自分でできないものを、他の誰かができそうならその方にどこどこの方がやっておられるからやられたらどうですかと提案することも多い、でも、林与で織ってつくれるものをみたいな方もいてくださって、本場の産地産として作れる布の量も限られているけどそれが当り前の現実だったりする。
2024年04月23日
仕事の力というのは人生観やそれまでの経験そのもので、会社の中で働いてもらって教えたからと言ってできる人とできない人の差みたいのは埋まらないことが多い。できる人というのは最初からとことんやろうとするけども、できない人というのはとことんまでやろうとしていない。余裕があるというか目の前の作業をすることじゃなくて、そこまでできないわみたいな別のことを大事にしている感じが漂う。

作業をしてもらったからといって正しくできても上手にできてもそれでトントンというのが仕事のプロの世界なのに、やればできることをもったいぶっていては、仕事というのは本当に難しい気がする。やっても難しいことをやろうとするくらいでないと、仕事で食べていくのは難しいが、一つ一つの作業はコツの積み重ねみたいな部分があって、大事なのは作業することじゃなくて、作業の結果、みんなが仕事として成り立つことだと思う。仕事は好き嫌いじゃなくてみんなが嫌がる作業ほど意味のある作業だったりする。

先代が言っていたことの一つに最後に残れば大丈夫みたいな感覚があったけども、先代自体が時代が替わるとまったく残ることも難しく通用もしなくなってしまった。良い時代の感覚は、人間関係があれば食べてゆけるような感覚で、目の前の仕事にありがたさすらもなくなり、きびしい時代には生き残れない。

上下関係とか意味すらもなく、どこまで自分が答えを出すためにやれるかが大事で、他の人をいちびって仕事みたいなのが一番すきじゃない。昔ながらの繊維業界にはありがちで、ホワイトな繊維業界にもありがちな体質そのもの、国連レベルの驕りがちな地道な人たちを見下したSDGsにもありがちな体質そのもの。本当に覚悟決めてやっている人たちを支えないなら意味すらもない。

林与が地道な方たちを評価するのはそのあたりで、別に無名でも本気の方というのは、すごいものを作っておられ、北海道の亜麻音工房の小野田さんは、日本で世界一くらいな凄いリネンの世界をおひとりで実践されていたりする。お会いしたときに、すごく静かな方で、でも林与が小野田さんが織られた布をみせていただいたときに、林与が小野田さんがやってられるすべてのことが理解ができた。これってすごく大変でしょっていうと、大変なんですとニッコリされていた。作業的に、大変なことを乗り越えておられるだけでなく、織られた布がまさにありえないほどの別格でゴールドでまさに亜麻色でしなやかで美しすぎた。ありえないほどの最高の日本産のリネンを自分が働くことで、フラックスから育てられて、手紡ぎで、手織りで作られていて、そういうのは規模は小さくても、世界的にもまれだと思う。
2024年04月22日
今日もいろいろやらないといけないことがありすぎて、夜中に請求書などを作成して、午前中は金融機関、午後は梱包と納品。帰って来てから、また、夜の出荷作業。織っているリネンガーゼの片耳がよく切れるので、本腰で夜中に調整をしようと思う。織り進めると耳が汚くなるので、しっかりと直してから織らないと思う。

先週の頭は風邪でボロボロだったけども、先週の後半からは元気に戻って体調も良くなってきた。左手の中指と人差し指の第二関節がシャトル織機を動かすときに框を握りしめてソウコウ枠に当たるので、ダメージ中。林与も十分に中年を超えた感じだけども学生以上にまだ動いているような感じで、いろんなことに動けることはうれしいことに思う。

林与自身は、何でもやればできるんじゃないかという自信を持っていろんなことをやっているのだけども、それをやろうとするとすごくたくさんの試行錯誤と成り立たせるための努力が必要で、他の人と一緒にやっていると他の人が限界を超えすぎていて気の毒に思うことがある。小学生や中学生だと乗り越えられそうなことでも大人だと難しいことが多い、経験者ほど新しいこととか深くすることが難しいことも多く、経験というのは時間の長さじゃなくて広さや深さが大事に思えたりする。逆にそんなことやってるとすることだらけになってしまって、無限にやることができてしまうから、自分の限界を納期の兼ね合いで品質をどの程度で妥協して安定させるかというあたり。

林与の自信がどこから来るのかというと、人のできる限界を知っているから、それをはるかに超えてやっていれば、失敗が多くあったとしてもそういう失敗は高度なレベルの失敗でケアレスミスみたいなものじゃなくて、ケアレスミスを最大限に取り除きながらそれでも難しい問題とにらめっこ。

林与が本気で麻業界の方と話すときには本気の話で、そこまでやれば普通に成り立って当たり前なのじゃないのかと思えたりもする話で、そこまで行くか行かないかじゃないのかと思ったりもする。覚悟決めることができるかできないか、損得で終るのかそれ以上所余裕をもって商売を営むのか、余裕というのはプラスじゃなくマイナスをそれなりに背負ってそれを自分が余力を生み出しながら解決するという本当の厳しさがあると思う。

林与のお客さんもその覚悟の方が多くいてくださって、林与も成り立っていると思っています。林与的なドンキホーテーの問題を、業界では珍しいと思って受け入れてくださってる方々に感謝し、林与なりの自分の限界も支えられていたりしているのを感じることが多くて、日本的なサステイナブルの気持ちには答えたいとおもいながらも、正直、自分自身が自分の限界でやってるのを、笑う人がいたら似非、ラベルでごまかそうとする人がいたら地道な仕事で成り立つ繊維業界を食い物にしているだけ。

日本も戦後のサラリーマンの時間から時間の感覚から抜け出さないと、海外にも軽く追い抜かれてしまう。海外の人たちが自分の人生ではなくて、自分の家族を支えるために必死に働いているのを、海外だからと言って先進国の驕りで笑ってたらそういうのに支えられて先進国の繊維業界が成り立っているだけ、日本でやるんだからとことんなことやりたいなあと思う。
2024年04月21日
物事を深く経験しておくことは仕事では大事だなあと思う。広幅絣プロジェクトをやったときに、東京に行って二宮先生に3時間ほど型紙捺染の基本と材料などの具体的な購入場所や商品名などを教えていただいた。そこからはすぐに自分で実践で、自分で広幅絣用の機材を作ったりして、時間のできた年末から正月に掛けて本格的に捺染に入った。

染料の特性なども失敗するうちにいろいろと分かり始め、林与の昭和の27年から38年頃までの近江上布アーカイブの10点ほどを再現した。型紙を自分で掘るところから始めてみて見えてきたこともあったり。横糸の種を作ることも試行錯誤。横糸をシャトルの管に巻き返すのも一苦労。織るのもシャトル織機を使ったので1回のミスも許されない。シャトル織機で1本1本織るというのは本当に難しいなあと実感して、これなら広幅で手織りしたほうが楽だと悟った。

シャトル織機を使う利点は、精密なギアで経糸を送ることができることで、ストールなどガーゼのものはピッチが狂うことなく織ることができる。着物の織物というのは基本、和織機で力強く打ち込むことが大事で、目が詰まっている織物が昔の良い織物の定義の一つで、ち密なものを織ろうとすると細い糸が必要で、ゆえに細番手の織物ほど高価であるという公式があった。

絣の着物というのは一生ものなので、昭和の林与の近江上布の捺染も今の染以上にしっかりとしていて、アーカイブは、去年作ったものかと思うくらいに70年ほどまえのものでも、色も生地もしっかりとしている。麻布の一張羅そのものの感じで、林与の近江上布のアーカイブは海外の展示会でも目からうろこのようにデザイナーの方たちが驚かれる。再現できればなあとおもって、再現してみたのが林与の広幅絣プロジェクト。

林与自身繊維業界にいるのもそういう星の下に生まれたからというだけで、損得ではない感覚が強すぎて、でもそれが世界中の方とのつながりが生まれたりするきっかけになっている。今の林与の力じゃないけども、与一爺さんのころのものづくりの力が世界ではありえないようなものとして注目され期待されているのがわかる。

東円堂という村は林与の親戚の塊みたいなもので、他の田舎の農村の集落も同じようなものだっただろう。それぞれの集落で母屋があって、明治の四民制度の崩壊で、農家が織物産業を日本の最先端の産業として働くということで最高の物をつくり、田舎でも中学校卒業でも大卒以上の工賃を手にすることができ、日本でもそれなりに一番くらいに恵まれていたような村だけど、そういう意味が分かっていないと仕事もおろそかになりがちで、先代がいつ口にしていたのは食べさせてたる、そういう先代の驕りが働く人の驕りにつながってそういうのを背負うのは誰もいなくて次の世代が解決で、林与が林与を背負う覚悟。

できない分からないしらないとかは仕事するには厳しすぎるのだけども、他のそういう人たちが頼っている先代でもおなじようなところがあって、戦争に行った勘一じいさんは伝統工芸士でも生きてゆくありがたさとかを分かっておられ、組織というものも分かっておられ、清水のお婆さんも同じで、先代の甘さをわかっておられ、与一爺さんの世界最高に迫るような麻織物の世界、それがあるから、地場のモノづくりの意味もあるのではないかと思う。世界最高の物を作る気持ちもなく打算的だと、先進国での最高級が難しい。

林与が中国の世界インターナショナルテキスタイルコンテストで世界の何千社が集まるテキスタイル点で海外企業としては一番の第三位を得たのを分かってもらいたい。世界が求めているのもそういうもづくりで、日本国内も打算が勝ちすぎて謳いだけが多くてその裏も知ってる林与だからいえることで、勝美社騙しビジネスというのは一番駄目なラベルビジネス。ラベルじゃなくて実際にやってる人を支えましょうよ。何も繊維のことを知らないラベルの人たちが実際にやってる人を下に見てラベルだけで定義づけて上から目線で奴隷みたいな感覚は、日本の今の繊維業界の日本の背負う覚悟もなく、仕切って食いつぶして金儲けしたいという気持ちの悪さ。ほんとやめてほしいわ、一番駄目、日本のありがちなラベルビジネス社会。
2024年04月18日
昔、夏場になって仕事が少なくなってくると林与に電話を掛けてこられて、何か仕事をもらえないかという電話をいただくことが度々あった。会社を経営されていて仕事がないというのは会社を回していくことが難しく従業員たちを養っていくことが難しいというところで、仕事というのは結局のところ自分たちが食べていくための手段なのである。

間口の狭い仕事観だと自分の仕事はこれだとなってしまうけども、他の人のやっていることなら自分もできるんじゃないかと思って、自分ができる仕事の範囲を広げておけば仕事というのは他の人のやっていることも仕事になる。極端に言えば、自分の会社の中の仕事だけでなく、他の会社の中の仕事も自分の仕事となる。たとえば、自分でパンフレットをつくるのも仕事だったりするし、生地を販売するのも仕事だったりする。

織物の世界というのも一応、ファッションとかデザインの世界なので、単に技術畑ではないというあたりが、林与には案外あっているのかもしれない。先染めの柄なんかも、柄をどこから始めるかだけで、布としてのイメージが変わって来るので、林与はそういうのも考えて布を整経したりするのを最初の時からやっていて、左右対称にみえるように違和感ないように配置する。そういうのできる人って少ないと思う。それやるだけで計算がすごく面倒で、実際に作業するとなると作業もすごく面倒になる。でも、毎回、そういうのをちゃんとやるといい布が作れ、布として残っても価値がある。

布を作るときに、そういうのできる人って業界でも少ないと思う。林与が計算してやってもらおうとしてもその説明を理解してもらうだけでも理解してもらえないことが多い。なんで、もっと簡単に、柄の始まりから整経しないんだみたいなことを思う人も多いが、縦の本数というのは決まっているので、それに当てはめる必要があって、柄をリピートしたときに最後どこで終るかが綺麗かどうかの問題。またそれが、裁断する時に柄を使いやすいように配置することにもつながることが多い。生地の裁断というのは左右対称に取ることが多いから。

一つの仕事をするときにも、無駄に思えるかもしれないけども、それなりにベストなものを作るということに徹していると、高度なモノづくりにつなげることができて、そういうのを理解できるチームで動いていると良いものが作れる。そういうのを頭の中で当たり前に組み立てることができるタイプなのでこの仕事には向いているだろう。
2024年04月18日
昔から仕事していて思うのが、繊維業界というのは人の力が重要な要素だなあと思える。作業スピード、正確さ、責任感など、地道な作業を成り立たせていくために重要な要素で、できる人は当たり前に働いている間、全力で作業することを心掛けていて、他の人の何倍もの仕事をてきぱきとこなしていくことができる。そんな方に林与も仕事のはじめを教えていただいて、作業する時にはその気持ちでいたいなあと思う。

日本の繊維業界というのはかなり厳しいなあと思うのが、昔だったら人が集まってやっていればものが売れて成り立ったのだけども、そういうのが海外で安く作れる形になっただけでなく、海外でも高品質なものが当たり前につくられるようになってしまって、日本国内の昔のスタイルが追い抜かれてしまったという現実があって、日本国内で集まって作っているだけでは難しいというあたりで、高コストな日本ではよほど意欲をもって、仕事を自分でこなしていくような姿勢がないと難しい。海外との競争とかが普通にあるのを理解していないと自分が普通にしている程度では駄目で、スピードと正確さと責任感が求められるのが今の日本。

昭和の良い時代の現場の感覚がまったく通用しなくなったのが今の時代で、令和の時代に今の林与的な感覚がすごく批判もされたりもしたが、それが結局、業界で成り立たせてゆくためには当たり前なことで、高度なものづくりをどれだけ高めてゆくかということ。今作っているもののほとんどが、シャトル織機での生産で、定番の曽部と仕上げを除いては、普通のものはほとんどなかったりもする。

現場で機会任せに普通に織れるものというのは、あったとしても、それを普通に織れるようにしないといけないのが現場の人の仕事で、織る力が必要になってしまったのが今の時代で、一昔の工場をまかされているレベルでも今の時代の織物というのは厳しすぎるのが現実で、そういう甘い感覚がまったくないのが今の繊維業界。普通にいろんなことを自分が見えていないとほかの人が全部準備してくれるが当り前で片付けてくれるような海外の大量生産の現場の感覚では難しい。

林与も、働き始めてすぐに、おじさんに自分たちの面倒をみてもらわないとこまるみたいな話をされて、それが普通に田舎の感覚なのだけども、今の時代の若者がそんなのを頼まれても困る話で、とことんだらしなく年配の方たちが若いものに甘すぎるものを求められても困る話で、そういう方々が先代に頼って先代が驕ってしまっての昭和の時代の感覚で、もうまったくそういう人に頼れば甘えればなんとかなるみたいな感覚が通用もしていないというのに気が付かないと難しい。

そういう方たちが頼ってきた先代でも、次の世代からするとまったく、食べていくのが難しいというのが現実で最初の日から仕事はしていて、先代の驕った感覚と先代に頼って面倒を見てもらう感覚というのが、ほんと、驕って食わせてたるみたいな感覚と頼って食べさせて感覚で成り立つはずもなく、普通に繊維業界の厳しさを認識して日本の高度なモノづくりを実践できる人でないと無理だと思うし、先代のような典型的な驕りが昭和の時代にも通用していたのかというと、単に人のよいカモでしかなかったのかと思うほどで、普通に世間の当たり前が分からないとそこで離れる覚悟はないといけないが、そういうのがないできないと今の繊維業界の厳しさを乗り越えていく覚悟があるのかないのかという辺りは本当に難しい。
2024年04月16日
まつりの準備ころから風邪気味だったのが、昨日と今日、熱が上がってふらふらな感じ。風邪特有の頭が痛い感じで、昨日は作業がほとんど無理で、今日は午前中は銀行に行って、ようやく午後から仕事。

先週お客さんから生地が売れたので再生産してほしいと連絡があったので、その生地に使う太番手のリネン糸が国内にあるかどうか調べますということで、月曜日に確認したけども、糸がないということで再生産は難しい話。次から入って来る糸は同じ番手でも製法が変わるという話。そういうのを教えてもらえるのがありがたく、糸商さんも誠実な対応でトラブルを避けようとしてくださっている。糸値の高騰で、林与が扱ってきた太番手系のアイテムというのは、もう糸の入手が難しいものばかりになってしまった。リニフィチオの糸も入手が難しくなって、糸の銘柄指定の特別なものは作りにくいような状況になってしまって、林与だけじゃないだろうけども、高くなりすぎて国内にも糸がないような状況。

物価の上昇が激しくて、特にリネンの糸はコロナ前の2.5倍から3倍とかで、この春夏は店頭でリネンのアイテムは少なく成ってしまっているだろうと思う。ヘンプでリネンを代用する動きもでているようで、店頭はヘンプブームになりそうな予感。林与は、ヘンプは、2008年ころのヘンプブームの時に力入れてやってみたのだが、時期尚早だったようで、その後はあまり力をいれてはいない。まだ、ヘンプ糸の供給が不安定だったころ。
2024年04月14日
地元の神社のお祭りで、昨日は1時間ほどの飾り付け、今日は午後から神輿渡御、夕方5時に終わったけど、お天気も良くて楽しく終わった感じ、今は年配者が混じって神輿を引くような形になって、本来は主役だった30代以下の人というのは少ない、それは林与の住んでいる集落だけでなく他の集落のほうが人が少ないような感じがするほどで、子供神輿は3つ、大人の神輿も3つでたけども、林与の集落の神輿が一番人が多かったかなあ。

神輿渡御も形が変わって2年目で、長く続けられるような無理のない形を目指しておられ、法被着用のドレスコードも緩く、ほとんどの方は色Tシャツでジャージやズボン履いて、その上から法被姿で参加。林与の80過ぎた母親が気にしすぎて、白いおニューのTシャツを買ってきたり、白い短パンを用意したり、林与自身も法被着て参加すれば良いだけなんやから格好はそれほど気にしなくてもよいといっているのに、母親がテンパって過ぎて足袋も用意しているしまあ40年前の世間体の感覚のまま。今は、祭りはシューズでよいし、Tシャツやジャージやジーンズの上に法被でよい、気軽に参加できることが大事でそれが祭りが続くポイントにもなる。

最近まではひと世代前の方々が雅楽会をやってくださっていたが、最近は次の世代が集落の雅楽会を引き継いでやってられて、そういう気のある方がいてくださることはさらに20年30年引き継がれることになる。雅楽会のような役を引き受けることというのはなかなか難しいだろうけども、引き受けてくださているというのはありがたいことで、頭が下がる。

林与は、若い世代の活躍を期待し今の若い人たちの流儀に合わせ、祭りに参加しても出しゃばることなく人手の足りないこと部分を丁寧な対応しながら助けるなど祭りを静かに支える形でいたいなあと思う。若い人の健全な祭り運営は立派だなあと思う。
2024年04月12日
久しぶりにファブリカ村の陽子さんと電話で話たら、半年前に手織り体験で使っていた手織り機をファブリカ村においてもらったらうまく活用もしていただいているようで、それは本当にうれしいお話。幅が狭めなので、2倍の幅のものが良いということで次の整経は2倍くらいの本数にできたらよいなあと思う。なんやかんやいっていてもすぐに夏にはなってしまうだろうけども、もう一台立ち上げておいてもらうも可能なようで、多くの方に手織りを体験してもらいたいなあと思う。

林与自身が、イベントに出展して手織りを体験してもらうというのは、織物を織る、とか、布を作るということが身近ではなくなってしまっていて、布をつくるというようなことが特別なことになってしまった感がある。林与も織物の仕事をしていても、手織りはほとんどしていないので、似たような話かと思いながらも、働きにきてくれる従業員の人たちでも昭和のころから、そういうのを趣味でやったりしている人も少なかったりで、林与のことでなくてもよいので、織物を織るというようなことから、身近に感じてもらいたいなあと思う。

特に、小さな子供さんなどは器用なので夢中になって織ってくださることが多く、子供のうちに一度でも織ることができるというのを体験して楽しんでもらえれば、将来、どこかでまた手織りする機会も増えるのではないだろうかと思えたりする。教室とかに行くとかだと敷居が高いだろうけども、林与の無料手織り体験イベントなどで気軽に最初の体験をしてもらったらと思う。

林与の参加しているイベントなども基本、大人向けのイベントが多く、そういう場所に一緒にこられたお子さんたちが、イベントでなにか楽しめるようなことがあったらという思い、林与にできることというと織物のことなので超かんたん無料手織り体験は、林与も実施させていただきながら、多くの方に体験していただけるのをうれしく思っています。

子供さんで夢中になってくださって親御さんがもう迷惑だからやめときなさいみたいなことをおっしゃってくださるのだけど、林与は親御さんに迷惑でなければ、子供さんの織りたい気持ちというのが本当にうれしくて、次の方がなくて空いているなら時間の許す限り織ってもらって、そういうイベントに来られた思い出の一つにしてもらいたいなあと思うんです。イベントに出ているときも、林与の場合、物販も同時に行っている場合もありお買い上げいただくこともありがたいことではありますが、手織り体験そのものをしていただくことのほうが一つの主目的だったりで、参加するイベントを林与自身も楽しみたいから手織り体験を開催していますので、好きなだけ自由に織ってもらえるのがうれしい気持ちです。

今まで手織り体験で、日本の伝統的な手織りが本業の方などとも多く接させてはいただいておりますがトラブルなどは今のところはまったくありません。和織機の場合強く打ち込むというのが、一般的な着物の世界の良い布の織り方の基本で、織り方の違いなども林与は把握していますし、小型の洋織機の場合には華奢なので強く打ち込むと織前が踊って、整経ビームのギアが外れたり、糸がたわみやすく難しいことも織機の性能として難しい問題も理解しながらですので、手織りのプロの方とも技術的にはそうなんですよね、という話で、織り方の違いに関してもぶつかり合うこともありません。織る布によって織り方が変わってくるのも理解をしながら、一般の方向けのイベントでだれでもが簡単に織れる方法で最初の体験をしてもらえたらと思っています。

林与が展示会などに参加させて頂いて全国のいろんな機屋さんとの交流の中でいろんな技術的なことを教えていただくことも多いですし、今の衰退する傾向にある日本の織物業界の問題も共有もしながらで、林与が自分がやって成り立っているようなケースも参考にしていただくためにお話させて頂くことも多く、林与自身も惑星直列的な幸運が重なったから麻織物を続けていられるようなところがあり、その基本が、成り立とうとするために自分ができる限りのいろんなことをがむしゃらにやってみるという考えです。織物を無心にやることから始まってうまくできるようにならないと成り立つはずもなくで、時間から時間働いたから食べていけるような世界ではなく、憧れで成り立つような世界でもなく、それで食べていくならばいろんな問題を解決してゆくそれなりの努力が必要で、そのいろんな問題というのが、日本の繊維業界では増える一方なので、日本の繊維業界的な特色を残すためには、よほどの努力が必要なのかとも思えたりし、今の日本の働くことを悪いことのようにとらえていてはそれはもう国際競争の中では成り立たないような誘導を自らしてしまっていて、働かずに優雅に暮らすといういわゆるホワイト的な理想そのものが、搾取構造そのものでいわゆる批判されがちなブラック的な概念につながります。国連レベルやSDGsレベルでも、ホワイトを謳っている人ほど、助けろとはいうけど、苦しんでいる人を自分が雇う覚悟もなかったりで、苦しんでいる人の面倒を見て雇っている人を叩くだけとかの階級構造で、そういうところが本当に残念な、国連やSDGsの浅すぎるところで、一番底辺の人たちを自分が雇って法律の重荷を背負う覚悟の無い人たちが、法律ばかりを厳しくして、一番底辺とみなされる人たちの面倒を共感して支えようとしている人たちを法律で縛って、面倒見させて叩いているだけの話で、そういうのが一番駄目なのではないかと思います。法律が法律がと逃げているひとが多すぎるけども法律というのは人の心が大事で、自分が背負う覚悟もない人が自分が出来ないことを他の人に法律だとか規則だとかで強いては駄目で、そういうのが国連レベルやSDGsでも一番駄目に思うところ。掌るものが、覚悟決めて末端を食べさせていく責任を背負わないと駄目だけど、その覚悟もなく、国連レベルのSDGsというのは、まったく本質が見えていないし自分が自分の人生も捨てる覚悟もない人たちがホワイトのようなルールを強いて他人事のように人々を苦しめているだけの連鎖に終わる。本当に一番駄目なのが、国連レベルのSDGsの裏側で、そんなレベルの金儲け主義のSDGsならやめておいた方がよいと思う。





2024年04月10日
全国の田舎では空き家問題がこれからさらに加速してくるとは思うが、空き家問題を解決するためには、後継者がいない場合には、家を相続せずに片付けるようなことが必要で、それを自分が死ぬ前にやらないといけない。すなわち、先祖代々の仏壇やお墓もしまっておかないといけないことになるし、死ぬ時には別のところで死なないといけない話になる。

これが今の空屋問題の根本的な問題。田舎に家を持って都会暮らししているなら、田舎の家を処分するは普通の話だけども、田舎の跡継ぎの無い家が家を処分するは先祖代々の家の歴史を閉じる話で、空家が増えて困るからというだけで、軽く考えられる問題ではなかったりする。

生まれ育った家で死ぬことができてが普通だと思うけど、空き家対策のために、死ぬときは別の場所で死ぬのがきれいな死に方みたいなのでは、本当によいことなのだろうか。都市部だと周りが干渉することもなく、ごく自然にそういう問題も行政が解決をしてゆくような話になるのだけども、田舎だと、行政が対応も出来ずに放置で法定相続人がどんどんと増えて、さらに解決が難しい問題になる。

昔だと、周囲に住んでいる誰かがそういう物件を買うか、面倒を見る形で解決してきたのだけども、今の時代にそいうのをやれる家というのは少なくなってきてしまっている。自分の住む環境を守るために出ていく人の家を買うというのは覚悟の入る話だけども、昔はそういうのが普通だった。今は家を建て壊す費用も高くなって、建て壊したとしても土地を売ることも期待できないし、固定資産税だけが延々と掛かってきてしまう。

愛知川の商店街もお店は閉じたところが多く、ウナギの寝床のような奥に長い形で、砂利で敷き詰められた空き地がいたるところにできている。立地的に、それほど悪くないような場所でもそんな状態で、新しい人がそういう場所に入って生活をするということは非常に難しいことだろうと思う。

結局、田舎での空き家対策での家じまいは、村じまい、町じまいにつながる形で、過去からの文化や伝統的なことの一切を過去の歴史として葬るころになって、全滅したときにディベロッパーが再開発をするためのロードマップということになる。それも一つの考え方だけども、空き家対策というのは都会よりも田舎のほうが越権行為的に行われるために、村を村じまいに至らせる要因になってしまうだろう。

限界集落と呼ばれる集落が、廃村にならないためには、村の掟みたいなものを無くすことが大事なのだけども、そういうのをなくすことは本当に難しいことで、都会のような感覚になれば、若い人たちも残りやすいだろうと思うけど、田舎ほど人間関係を重んじる人が多く、同じように、繊維業界も人間関係を重んじる人が多く、結局、社会の流れに適応できずに衰退してしまう。林与も先代が古いタイプの人だったので、問屋さん商売を大事にしていたけども、林与と取引のあった京都の問屋さんはこの20年ですべて繊維からは撤退されて不動産業に業種を替えられたりして残っておられるところは残られている。

形を変えることができれば残れる可能性もあるし、そこにいつづけることも出来るのだけども、昔からの形に固執してしまうと終わりは早いもので、外の変化に敏感に対応しながら自分自身の考えで残れるような決断をしてゆくべきだろうと思う。一方で、林与のようなタイプは、古いことを続けるために覚悟を決めて広く深くこなして行くことで、分業でやっていたことを、一人でも全部背負う形で乗り越えてゆくみたいなスタイル。夏の前くらいまでは忙しいのが続きそうだけども、落ち着いたら洋服をつくることも始めようかと思う。1点ものから。
2024年04月07日
10日ほど前から指先が数日パンパンに腫れたのは、へバーテン結節という原因不明の症状らしいけども、林与の場合には生地の修理を集中して行いすぎたがためにへバーテン結節の指先が赤くパンパンに腫れる症状が出たようで、テーピングして指先を守ったのも正しい対処方法のようで良かった。指先を使いすぎると、新しい毛細血管が出き、指先に溜まってしまうようで、結果、指が太くなったり、指の関節の変形などが伴うらしい。

林与も仕事をするときには、ぶっつづけで数日することが普通にあるので、生地の修理の際に、親指と人差し指で糸をつまんで引っ張るような作業が連続したことが、指先の多用ということで、へバーテンの症状が出たようで早期に原因が究明されて良かったなあと思う。女性のほうがへバーテン結節にはなりやすいようで、家庭での家事なども、かなり指先を使うような作業が多く、それが原因ではないだろうか。料理にしても野菜を左手で押さえながら右手で包丁をつかうとか、指先に力が籠る。

林与自身の場合には普通の現場の人の何倍もの量をこなすので、働いている時間も普通の現場の人よりも長いし、へバーテン結節の症状がでることは仕方ないといえば仕方ない。仕事量を半分くらいに減らすと、直るだろうと思う。ロッククライマーなどもへバーテン結節にはなりやすいということらしい。

昔から職人の指は太かったり、にぎりバサミを使っている人の右手の親指は引垂れての親指よりも太かったりするがそれは同じ原理だろうと思う。林与の右手の親指は左手の親指よりも分厚い。