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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年5月
リネン日記:8
2024年05月30日
日本の織物の歴史をたどっていくと、今の日本という国の概念を忘れる必要があって、江戸時代からは鎖国だけども、それ以前は、日本という国の概念はそれほど強いものではなく、全国がバラバラに国として存在していて、たとえば、韓国や中国の地域などもそれと似た感覚。宗教が一つの統率の概念であったりもして、インドとか中国とか韓国とかも含めて、今以上に人の移動もあって、つながっていたみたいなところがあったと思う。

日本語も標準語にまとまってしまったので、逆に、外国との言葉の壁というものがはっきりとしてしまったのかもしれない。聞いたままを真似すればそれが言葉で、本来、日本語も外国語も関係はなかったりする。まあ、二人の人がいれば両方の言葉のちゃんぽんで会話してもよいのだし、それが普通のこと。

日本の織物の歴史をたどるときに、結局は日本人の歴史をたどることになり、日本の歴史をたどることになる。技術というのは独自に開発されたものもあるかもしれないけども、基本世界のどこかで誰かが始めたことが広まっているだけのことも多い。特に昔は特許とかなかったから見よう見まねで真似てやるのが技術。日本の織物の技術にしても、どう考えても日本オリジナルというよりは人が持ち込んだものだろうと思う。
今の時代も、アイホーンが世界中に広まるし同じようなことが昔も普通にあったんだろうと思う。田舎でも誰かが料理が上手だと教えてとなってその作り方がすぐに広まるし。江戸時代の飛脚にしても荷物を持ちながら、東京から京都の500kmを3日ほどというスピード。一日の移動距離150kmほど、すごいスピードで、馬を使うよりも、人が運ぶ方が簡単だと考えてたのだろう。

織物にしても、今の時代に、だれが草を績んで糸をつくってそれを織って服を作ろうとするだろう、でも昔の人というのはそれが普通のことで、昔の人というのは甘い世界に生きていないので、昔の人の能力というのは今の人の何十倍もあっただろうと思う。
2024年05月30日
滋賀県には、野洲川という川があって、その周辺では昔は晒加工が行われていて、林与の近くの愛知川の近辺の加工工場さんの一つも晒加工をされていた方の元は野洲のほうに由来があるという話を聞いたことがあって、愛知川の周辺では織物の加工工場が何社もあらられる。

林与が仕事に入った平成の初めころにおいても野洲川周辺で織物の加工工場を聞いたことがなく、その野洲川に祖先が由来のある愛知川近くに工場を持っておられる晒工場さんも、野洲川では織物加工が難しくなり愛知川に移られたのかなあと、今度お会いできたら尋ねてみようかとも思う。昭和の時代には、芝生でオゾン発生させて晒すみたいなこともやっておられたりと、白絣と呼ばれるマンガン加工も昔はあった。

野洲麻と呼ばれる麻の産地が栃木県にあって、滋賀県の野洲とのつながりがあるのかと想像もしたこともあったけども、下野と呼ばれていたのが野州(やしゅう)麻の語源らしい。滋賀県の野洲(やす)の語源は、江戸時代の安の国(ヤスノクニ)に、近代になって野洲という文字が当てられたのだろうと思う。日本の国の地名の原則として、国名は1文字、その下の地名は2文字という原則があって、2文字に変わったときに、草もいっぱい生えている場所で川もあったからそのような漢字が当てられたのだろうと想像する。

小千谷縮でのアカソに関しての返答をいただいて、昔から苧麻の青苧を使うということで、ただし、苧が茶色いものを昔はアカソと呼んで使っていたという糸商さんがいっておられるという情報もいただいたので、昔の小千谷縮で赤苧というと苧麻の織物を指していたと考えて良いんだろうと林与の中では結論に至った。

植物の苧麻と赤苧は、両方ともイラクサ科なので、植物のアカソにはいろんなタイプがあってとにかく枝が赤いものは植物としてはアカソみたいなほどに、なんとかアカソと呼ばれる草や木は多い。苧麻は青苧が基本で、葉の裏が毛が生えていて白いのが白苧と呼ばれる。苧麻の中でも茎が赤ければ苧麻であってもアカソと呼ばれていても不思議ではない。、

宮古上布の方がいっておられた青ブーと赤ブーは両方苧麻でとか、高品質な苧麻を栽培もされている福島県の昭和村のカラムシ織の里の方が言っておられた青苧を基本使うが、地元の方で自生しているカラムシをつかうと赤い繊維がとれて味のあるものを織っておられる方があるというのと、また、近江の産地に伝わるカラムシというのは野生のものをいうという話や、アカソ織物というのは近江湖東産地の特色的な織物というような記載などを見かけるに、どれも不整合な点はなく、上布の世界でいうところの赤苧織物は、苧麻の赤い茎のタイプから取り出した赤い苧を指していて、それが日本の昔の麻織物の上布の世界の定番みたいなアカソだったのだろうと思う。

林与の家の裏にも茎の赤い苧麻が勝手に生えていたりして、茎の青い苧麻もいろんなところに自生はしているけども、苧麻で茎の赤いのも生えているからそれを昔の人が活用しないということはないだろうと言える。林与も子供のころから家で昔に織られた絣の織物が、ご飯の上に掛けてハエを防ぐ布だったんだけども、それのベースが白ではなくてうすい茶赤っぽい色で、そこに茶色の縦横絣で、#みたいな模様だったが、今も記憶に残っていて、そのベースの色が苧麻の赤苧織物の色なんだろうと思う。天然の染が入っているような味のある色。植物の赤苧は、青苧を染めるのに使われているケースもあるとも教えていただいた。
赤苧大絣で丸紅賞をヨジヨモン爺さんが頂いているが、その賞状での赤苧に関してもそれは苧麻織物でベースが赤味がかった絣織物だっとということだろう。戦前と戦後で戦後に再開したラミー織物が激変したとは思えない。

昔の琉球王国で宮殿の役職のドレスコードに上級なものがアカソを着るというような記録もみたこともあって、それはたぶん赤ブーなんだろうなあと、いままでいろいろと疑問に思っていた、日本の麻織物の歴史の中に出てくるアカソという言葉にある程度の結論付けが自分なりにできてうれしい。太布織物のアンギンには植物のアカソを使っていた可能性もあるのかもしれないとも聞いた。

晒とかを考えると青苧からスタートするのがベストだろうとは思うから、雪晒とか天日晒とか、川の水や海水で晒したり産地ごとに特色はあるけども、晒すということが大前提にあるなら、青苧を使うのがベストな選択だろうとはいえる。江戸時代の西回り航路で近江商人が良質の糸を仕入れていたような記録や能登からも苧麻の糸を仕入れて織っていたということなども、江戸時代の近江上布と呼ばれたものが、原料からしても日本で一級の物を使っていたということがうかがえる。近江の産地は田んぼも豊かな土地だったので、苧麻を栽培するというよりは、ある程度織るほうに徹したいた感じがする。林与のどこの家でも南側にあたる前栽の縁側の入り口側が機場という家のつくり。

糸を績む作業というのは織る以上に労力を必要とする作業で、それを稲作などが難しい地域に任せて、商人たちが仕入れた糸を近江で織って藍染にしたり、絣織物にしたりが江戸時代だったのだろう。彦根も昔は彦根城の城下町として小京都のような雰囲気だったろうと思う。ゲストハウス無我さんの場所は、江戸時代の生地商らしく、どんな生地なのかというと金襴織物みたいな織物の資料をみせていただいた。彦根の歴史資料博物館では、シルクの織物ばかりで麻織物は展示されていなかったような気がして、麻生地商の商家の帷子などが最高の麻織物だったんだろうと思う。

昔から京都の祇園祭などの麻布は近江の産地のものだと言われていて、京都大阪の麻布は滋賀県の織物が定番だったんだろうと思う。京都で織られていたのは金襴織物で、絹織物は京都でも北のほうの丹後や与謝野が定番のような感じ。大阪は綿織物だろうか。県ごとに織物の住み分けみたいな特色があってそれはそれで面白い。滋賀県で長浜には浜ちりめんをあり絹織物、高島には綿織物がある。織物というのは雪深い地域が適している、林与の場所も雪国のように子供のころでも70cmくらい積もるのは普通のことで、農家の冬場の作業として身の回りの着物を自分たちで織ってこしらえた。それは日本中の農家の多くがそうだったと思うが、彦根藩が麻織物を藩の特産品として奨励したことが、なんやかんや影響して今も林与が麻織物を織り続けているのにもつながっているのだろうとは思う。林与の母親でも嫁いできた人なのに、7代から8代くらい前、200年くらい前の親戚関係を遡って言い伝えられてできるが、林与は何十回聞いても無理。お昔の家の葬式の時とか6代くらい遡り連絡しないといけなかったからそれはすごく大事なことだったのだろう。
2024年05月28日
今、近江湖東産地の麻織物の歴史をたどっていく流れの中で、赤苧織物というのが引っかかっていて、赤苧というのは苧麻の茎の赤いタイプを指して、植物のアカソではないだろうという結論に達しかけている。近江上布もカラムシを使うと昭和の中頃までは言い伝えられてきた。栽培した苧麻ではなく、苧(カラムシ)とは自生している苧麻のことを指すと昭和の中頃まではいわれてきた。

沖縄の宮古上布も赤ブーと青ブーがあるということらしく、ブーは苧麻のことを意味する。茎が赤いのが赤ブーで、茎が緑なのが青ブー。それは今も自生していてそれらを使って宮古上布は織られていたりもするということを宮古上布の会館の方に教えてもらった。

昭和村の方にも確認をさせていただいて、栽培しているものは茎が緑の青苧が品質面が良いということ、そして、地元の人が今も自生しているカラムシを織っておられるのが赤味がかっていて味があるものをつくっておられるというお話をお聞きした。よく分かる話。それが基本の考え方でそういう苧麻がまさにカラムシの原点で、その品質を高めるためにより細い糸を取れるようにするために栽培が昔から行われていたのが福島県で、江戸時代には近江上布も東北地方の原料を使っているという記録が残っていると聞いたことがある。昭和村は古くから糸の産地だったのだろうと思う。近江上布は能登上布が始まる前は、能登からも苧麻の糸を仕入れていたというのが定説で、その後、能登の人たちが近江の職人に学び能登上布が生まれたというような能登上布の歴史。能登川という地名にしても能登川という川があったからという話もあるがその川の名前も能登とつながりがあるのだろうと思う。

小千谷の方や能登の組合の方にも確認はさせていただいている途中で、日本の麻織物における近江麻布における赤苧の関して林与なりの定義づけをすることが、日本の古来からの麻織物の歴史における赤苧織物の定義にもつながるだろうと思う。日本の上布と呼ばれる、赤苧に使われているのは苧麻なのか、それとも植物の三裂した葉先をもつ赤苧なのかという問題。植物の赤苧の繊維の抽出は行ったけども太布向きで、細い緒を績むために繊維を取りだすことは難しい。

断定は難しいのイだけども、高宮の宿での細美というのは、東北で細い糸が取れるように栽培され品質が高く、績まれた糸が彦根近辺で織られたものではなかろうか。今までは赤苧だと考えていたが、それは考えを変えるに至り始めている。赤苧織物は、植物の赤苧ではなく、苧麻の茎が赤いタイプからとった繊維で織りあげられた織物ということで、林与の家や産地に伝わるカラムシの話とも整合はする話。赤苧織物は自生のカラムシ織物で、細美よりはやや太かったかもしれないなあと考え方を改め始めている。

湖東地域で基本米を植えることが基本で農家が、自分の土地を持っていながら苧麻を植えることは難しかっただろうと思う。土地を持っていればそれに応じた年貢を納めないと駄目だし、コメが普通に取れる土地なので、農家が畑で米の代りに苧麻を栽培するような優雅な感覚はなかったと思う。近江湖東地域では戦前は、普通に大麻も苧麻も自生はしていたから。松竹梅やお茶や柿、渋柿と同じで、屋敷に生やしておけば一家の分くらいは時期になれば自生のカラムシなら好きだけとれたのがあたりまえ。品質は別にして。でも当時から栽培するのよりも緒を績むのが難しいからそれなりに評価は苧麻である赤苧が高品質な苧麻以上に高い。いわゆるオーガニック以上の自然農法を江戸時代の人も評価してたのかなあと思ってはいる。

糸を績むという作業は、江戸時代の記録によるとお寺が学校のようなもので苧績みをお寺で教えていたということらしい、それというのは、お寺に績んだ糸を納めるのだろうか。農家は現金収入というのはほとんどなかっただろうし、米や玉綛みたいなものは現金作物みたいなもの。

ムカデがいたら、それをムカデを捕まえても薬にしようとするのが、林与の子供のころで、マムシ酒とかもうほんと、子供のころに何十年も前に漬けられたマムシの入った一升瓶が蔵の中に普通にあるのが田舎の普通。鮒ずしにしても、昭和50年あたりの当時でも、大きな数匹で何万円も払ってつけてもらうのにつかいながら、それはほんと子供からすると吐かれたものを食べるそのもの。日本の寿司の原点がなれ寿司にあるというのも、いくらお金払っても絶対に食べたくないような耐えられない高尚な世界。

江戸前寿司が今の日本の寿司の新たな原点になったのはその場で調理して食べてもらう屋台スタイルから始まったらしい。ファーストフードみたいな感じなのか、塩や酢で締めて魚の生食が始まったのが江戸前寿司で、戦前までは江戸に行かないと江戸前寿司は食べることは難しかった。東京の特産品的な名物は寿司ということだろう。今も東京に行って寿司を食べたい人は多い。

また、麻の話に戻るけども、上布の産地が戦後も残ることができたのは、苧麻を扱っていたからだといえる。大麻織物だけを扱っていた織物産地は戦後原料からして手に入らなくなったことにより、保護されている皇族の儀式や神社の儀式のためにだけしか大麻の生産は許されない、一般の農家にしても戦後は大麻栽培が禁止され、大麻布を織ることが禁じられた。苧麻を戦前から織っていた上布の産地だけしか残れなかったんだと思える。

蚊帳織物や麻織物が盛んだった奈良の地域の織物に関しても、現在、麻を織る会社があまりないのは、戦前は大麻だけを主に織っていたからだろうと思う。奈良は今も麻織物だった蚊帳産業の流れを汲むものとして寒冷紗などの荒い合繊の織物が産業として残っている。元来、蚊帳というのは麻織物で荒い織物なので大麻なのかなんなのか、蚊取り線香のような濃い蚊帳の緑色も、蚊取り線香の成分、元来は、蚊の嫌う菊とかニワトリの糞とかの入ったものなのだろう。今はあの蚊帳の緑の染の技術はどこもやっていないということで禁止されてしまったのだろうか。

戦後の麻という概念は、品質表示法で麻と呼べるのが苧麻と亜麻だけになったことで、戦前の麻という概念からは大きく変わった。戦前は大麻も麻だし、黄麻(ジュート)も麻で、林与が聞いた話では27種類ほどのものが麻と呼ばれていたようで、戦前というのは、特に明治以降はアジア進出など国境がないような状態だったので、世界中からいろんな麻をもっと自由に手に日本が入れていたようなところがある。

元をたどればつる草なども今は河原に行けば生えまくっているけどもつる草からも繊維を取っていたのが戦前のものづくりで、稲の藁からも、いろんなものがつくられて、傘、蓑、草履など、今の人だと絶対にみにつけるのも痛くて難しいような感覚のものでも作業着的な身に着けるものとして使われていた。豊かになると雑草にしか見えないのだけども、麻布もそもそも雑草的なものから繊維を取り出し苧を作り、績むというような工程を経て糸になる。苧麻が苧麻といわれるゆえんは苧を取るための麻ということ。

日本の近代の初期までの製鉄を担ってきた、たたら製鉄という技法も、今は再現が難しく再現されることも限られている。今の鉄よりも不純物のない硬度の高い鉄がつくれるのが特徴で、そういう技法というのは、弥生時代に渡来人(林与が考えるのは徐福一行、のちの皇室)と一緒に秦の時代の最先端の鉄や製鉄技法が日本に持ち込まれ、日本国内でも製鉄が始まった時からの技法。その以前の日本の製鉄というものは隕鉄が原料としての鉄製造法。

鉄の精錬技法と、麻布の精錬技法とが別なのかというと、麻布も砧で叩いて不純物を飛ばして、純度を上げてゆくようなところがある。麻の繊維にはペクチンと呼ばれる膠成分みたいなものがあって、繊維と繊維を繋いでいる。それを石鹸や水分を与えて叩いて取り除くことで、昔の織物の加工となる。昔の技法って鉄の世界も麻の世界も似ているような気がする。
2024年05月26日
今朝は朝早くから、年に一度のゴミ拾いの日。早めに行ってまっていると、たまたま、集合場所の近くをウォーキングされておられる方が林与の80歳くらいの親戚の方で、私を見つけて話をさせてもらう機会があって、私も年配になられたのであまり迷惑になったら駄目だろうと思って、でも、林与のことを思ってくださる方で、まあ、今の時代というのは社会自体が自由な流れなんだから無理やり昔みたいにやろうとしても無理なのが普通というような話をしてくださったが、若い人が多い区ほどそういう柔軟な考え方だから、若い人が残るんだろうと思う。

ゴミ拾い自体は、軽トラで出動して、区の方にゴミ袋をお配りして、ほとんど大きなゴミなどは落ちてなく30分ほどで終了した。お地蔵さんの大きな桜の木を切られたときにその枝が桜の木に引っかかっていたのも片付けようとしたら、それはゴミ収集所でなく、区内で腐らせて自然に片付ける形。まあ、そのほうが小さくカットせずにそのまま似たような枯草や枯れ木のところに積んでおくだけなのでまあ土に変わるには10年くらいは掛かるだろうけども。


2024年05月24日
仕事をしていると思い通りにいかないことが多い、特に、シャトル織機は正直だから織機に問題があると問題のある織物が出来上がってしまう。織機は問題の箇所を直してあげると何事もなかったかのようにちゃんと織物が織りあがる。

織っている織物が問題なのかどうなのかという判断は、麻糸の場合には許容範囲みたいなものが異なると、問題のない織物でも、許容範囲の違いで大騒ぎになることもある。麻織物でも後染めのものを主体に扱っておられるブランドさんだと先染めの織物というのは糸1本のムラが見えるので大騒ぎされることがある。

糸の細い部分重なるとそこが薄く見えることがあったりする。太い部分が重なると濃く見えることがある。今手に入る一番高い糸を使うほどにそんなものである。安い綿麻の混紡糸を使えばそういう問題はなくなるが、生地から漂う高級感みたいなものが消えてしまう。

林与からすると、高級感を保ちながらキズの無いものをつくるためには、織物工場だけでなく、裁断や縫製がどこまでこだわれるかで1着の服としてスキのないものになるかどうかというあたりもあって、インドの縫製工場の裁断工程を見学したり、中国や韓国のアパレルメーカーに生地を納品したときとか、布を使うことに対して最大限の努力みたいんものを感じた。

インドの縫製工場では30枚ほど重ねて裁断された一つ一つのパーツに、レイヤーごとに1から30までの小さなシールを貼って、3mの生地の中で一つの洋服が出来上がるようにしていたり、韓国のブランドの縫製工場では、送った反物を裁断前に、徹底的に検反でマーキングしてどのように糸のフシなどを避けながら裁断をするかを検討してから裁断したり、中国のアパレルは航空便で麻荷物が到着すると午後には生地の物性検査などを終えられてとか、林与が気にしているような生地のことをご自身の中に持ってやられているようなところがある。問題をなるべく解決できるような手段を手間を惜しまずに自分たちが解決しようとする姿勢があって、日本の場合には完璧なものを求めるばかりで、解決能力もなくなり難しくなりすぎているような気がする。

林与自身も麻布を作る側だけども、分業とかじゃなくトータルなソリューションとも呼べるようなモノづくりが自分の中に必要に思う。製造工程でできるロス生地などにしても自分で裁断を工夫したりすれば小物づくりに活用は可能だし、一般的な時間でしばられた商業生産では解決が難しい問題を、解決してゆくという部分が布を作るのと同じくらい、織った布を無駄にしないためには大事で、そういうのできることが本質的に良い材料をつかったものを扱えることにつながるのではないかと思っている。

量産できないような特別な麻生地を提案するのは生地のままでは難しく、自分自身で最終製品にまで仕上げることも特別な布のものづくりを提案できることにつながるだろうと思う。生地の裁断も自分の目で見極めて一番良いところをうまくつかうみたいなモノづくり。また、海外の展示会に戻ることができるようになれば、そういうものを日本のものづくりとして多くのデザイナーさんたちにもみてもらいたい。シンプルながらも高級感や力や、揺らぎの調和でぬくもりなどいい感じに思えるような麻の商品開発。
2024年05月21日




2024年05月15日
仕事で使う材料の残ったものだけが産業廃棄物ではなくて、例えば、事務所の水銀を使っている蛍光灯も産業廃棄物だから、家庭のごみとして捨ててはダメで、そういうのも今はインターネットで情報があるから法律も分かるけども、インターネットでのアクセスができないとそういう情報は得にくい。

産業廃棄物となるとマニフェストが必要となり、大げさなことになるのかと思いきや。1kg300円の処理費用ということで、それほど大げさではなく良かった。蛍光灯は多くの企業が関わる産業廃棄物なので処理費用が低く抑えられているようなところがある。天然繊維系の糸や布のゴミは1立方Mで、1万円から2万円くらいが相場。糸が30kg入っている段ボール箱一つが、0.4MX0.5MX0.6Mなので、0.12立方M。ということは、8個で1立方M相当になる。ということは、240kgで1万円の処理費用ならそれほど高くないのかもしれない。でも、1立方Mの200kgとかの袋を運ぶというのは人力では無理で、それ自体が大げさな話になる。糸の段ボールの箱8個で1立米計算してもらえればありがたいのだが、そういう計算もありなのかどうか産業廃棄物処理業者さんに詳しく尋ねる必要がある。

林与の工場というのは縫製工場ほどはゴミもでないのだけども、縫製工場の場合には、裁断くずは一般ごみで産業廃棄物でなかったりして、縫製工場というのは全国にたくさんあるのでそういう扱いなのだろう。織物工場というのは本当に少なくなってしまっているので、織物工場の糸くずなどはそのような扱いなのだろう。基本、ハギレなどもほとんど残して小物にしたり、使えそうにない部分は、油を拭いたりするのに活用したり、作業中に必要な紐につかったり、機械を修理する時の機械の下を拭いたりするのに使ったりといろいろと活用方法はある。それほどたくさんの廃棄物が出るわけでもないけども、生産途中で残った糸やハギレなどを活用していく必要があり、糸などはロットごとに残しておいて活用したりもしている。

たとえば、リネンガーゼオフ白の縦は、まとまった白い新品のL66番手の糸を使うことが多いけども、横糸はアパレル向けの都度の生産で出る残糸を固めると3kgとか4kgになるので、それを使って生産する。残糸といっても新品の糸を使った残りなので、新品の糸と同じなので品質は保証でき、使い切ったところで一巻の終わりとしてカットするので、一巻の横糸の中に違うロットが混在することもない。今はリネン糸もコロナ前の2.5倍とかになってしまっているけども、リネンガーゼオフ白も2割ほど値上げさせて頂いたが、もともとそういうコンセプトでリネンガーゼのオフ白は定番商品として企画したもので、他の生地よりは価格は控え目にはさせていただいていて、多くの作家さんたちが草木染のベース生地としてお使いくださっている。それなりにこだわっていて、耳もなるべく綺麗に織りたいなあと、シャトル織機の中でも一番耳が綺麗に織れる1台を専用に割り当ててそれで織っている。シャトルは1回挟むだけで段が出来てしまうので綺麗におるのは苦戦をすることも多く、シャトル織機もガーゼストールはそれなりに横糸切れのときには、正確な機械の操作手順が必要で織れる人と織れない人に分かれるが、シャトル織機の織物でも、横4色とか、そこに組織が入るとかすると、パンチカードの意味が理解できていないとパンチカードをうまく戻すことができず、そのあたりになると練習したからできるようになるとかではなくて、説明を聞いた最初の日から説明を聞いて理解しようとして理解してできるまでやった人だけがつづけていけるような仕事なのかなあと思う。

林与もシャトル織機は最初の日から構造がほとんど理解できたからなんとか使いこなせていて、問題があって他の人が原因がわからずに解決できないときにも、案外、林与はその場ですぐに問題の原因を見つけることができたりすることがほとんどで、原因が分からないとか使いこなせなければ、大きなスクラップと化してしまう。また、この先、部品の供給が途絶えても、生きているうちくらいの20年くらいは仕事ができるように、予備のパーツをなるべく集めているというのも大事なことで、パーツがないときには自分で代替部品を作ることなどもできないと難しい話。とくにシャトル織機のシャトルは値段も高くなりすぎて、杼替えのある織物をおるとどうしても壊れやすいという問題がある。将来は、パーツとかもAIつかって、3Dプリンターでつくるとかの時代になるだろうと思う。今はコストも合わないから織物の世界ではあまり現実的ではなく、中古で流通しているものなどを手に入れようとするけども、将来はそれ以外に方法がなくなるのではないだろうか。
2024年05月08日
ブラジルでオレンジ不足で、日本の店頭からもオレンジジュースが消えたり高騰しているという話らしい。昔のジュースの定義は100%果汁だったけども、今は95%で残り5%までの加糖が許されるようなことになっているらしい。これが、海外のジュースを飲むと砂糖の甘さを感じる所以だろう。すごく甘い。

国ごとに国際基準というのがあって、農産物に関しても国際的な統一基準というのはなく、国ごとにばらばらな基準というのが実情ではある。日本のジュースというのは非常に厳しいルールが適用されていて、まだ、100%を守っているメーカーもあるだろう。

中国にいったときには、オレンジジュースに砂糖が普通に入っていて表記もされていたので、ある意味正直といえば正直だろうと思った、体にとっては変わらない。

繊維の世界オーガニックテキスタイル標準なんてものも存在せず、各国ごとにばらばらなでオーガニック基準が定められているのが実情で、日本ではオーガニックテキスタイルの原料を生産するのが難しいが、大量生産国のオーガニックコットンなどは日本でいう普通のコットンであることも裏の実情であったりして、もう遺伝子組み換え種子を使うことは努力目標でしかないし、手に入れることすら難しいと言われている。

認定機関にしても、ワタで検査する方法がないからセーフだというような愚かな見解で、まったくそのあたり本物か偽物か判別が出来ない状態で、遺伝子組み換え不使用を謳ってしまっているような認証。ベターコットンはそのあたり、遺伝子組み換えを使用していることを認めているので、正直といえば正直なところがあったりする。

化学肥料不使用という文言も、インドではCPKに関しては、ノンリストリクティッドというだけでなく、自然配合を壊さない範囲での使用みたいな注釈があって、オーガニックコットンを規制しているのも国で、オーガニックコットン大国ほど、遺伝子組み換えコットン大国で、同じ国の農産省が真逆の概念の物を推進しているというのを考えると、それが日本人の期待しているオーガニック産品につながるのかというと心配すべきところだろうと思う。

今は、オーガニックを謳いながら合成繊維5%まだOKみたいなルールに成り下がって、コットン100%でもないものがオーガニックだったりして、大量に流そうとすると結局概念のほうが崩れてしまって、オーガニックのラベルがついているだけで、インドの国の規定でも、5%までならポリエステル、ナイロンなどを混ぜることができるとオーガニック規定にもあって、積極的に綿以外の混ぜ物をしようとしているように感じる。結局、そういうものが日本では、オーガニックのラベルがついて、殺虫剤、化学費用、3年間不使用とか、謳われて販売され、日本の消費者がそういうのを信じて大丈夫なのかと心配になる。

熊本のあさり問題があったけども、あれと同じで、現実的には無理なほどに大量に広がりすぎたオーガニックビジネスは、もはや混合繊維と呼ばれる世界に突入で、日本の繊維業界の厳しい基準の中で、消費者に対しての正しい情報を伝えたい立場としては、天然繊維に合成繊維を5%混ぜたら別物で、天然繊維100%とも呼べなくなるが、それをオーガニックと呼ぶのはいかがなものかなあと切実に感じる。しかも合成繊維を混ぜることを前提としてそれをオーガニックと呼ぼうとしているのが今の世界のオーガニックの流れ。どんどんと薄まって最初の形から崩れて、もう、天然繊維でもないものが入っていてもオーガニック。砂糖の入ったオレンジジュースのような、オーガニックが普通になってきてしまった。