for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記2024年6月
2024年6月
リネン日記:5
2024年06月30日
林与は東京都民ではないけども、今回の都知事選には期待をしている候補者がいて、それは石丸氏で、他の政党とか組織票とかに頼るような政治家ではなくて、政策や行動力を持った政治家が日本にも現れたなあと思う。固定概念に嵌ってしまってそこから抜け出せない日本の政治や行政が変わらなくてはいけないときに変われるとしたら、石丸氏のような感覚だと、一人で大変だろうけども、ボタンの掛け違えばかりが広がった、立て直すことが難しい問題を、抵抗勢力や利権構造を押しのけて、次の世代のために変えてくれるんじゃあないのかなあと期待する。

地位とか名誉とかがほしくてとか、芸能人やスポーツ選手の再就職先が政党で、政党のいうことを聞くだけのタレント議員の存在なんかも、まったく必要すらないと思えるし、制度や政策の話もできないそういうタレント議員にとっては国会議員であることが大事なんだろうと思えるが、自分可愛さに、不透明に政党の金を操っている古参の議員たちのいうことを聞くだけの仕事をやっていると、そういう議員が増えれば増えるほど、日本の政治や行政や法律がどんどんとおかしくなっていく。

子供たちが考えるような正論を実行してゆけるようなリーダーが必要で、石丸氏というのは、日本の政治家には珍しく、変な人間関係には縛られずに物事を判断できそうな人のように思える。今までインターネットの動画でみることができたがそういう点に関しては偉いなあと思う。地位とか名誉とかには興味はなく、自分の正しいと思う世の中にしたいというような思いを広島の安芸高田市の市長としてやってこられたのをみて、癒着的な構造のないような透明性のある政治で、議会をオープンにネット配信することをやってこられた。

若い世代の人が期待するのは、彼のようなリーダーシップではないのだろうか。東京が変われば日本も変わるということもあるだろう。当選は難しいかもしれないけども、そういう自分自身が正しいと思う世の中に変えていこうとする41歳の人が日本中に知られることになったことは意味のあることだと思う。日本の政治にとって明るいニュースではないだろうか。組織の支出面に関して甘すぎる問題を指摘するような政治家は少ないだろう。個人の1000万円とかの給料に関して尋ねられた時にもそれは自分の能力に関しては適切でやることはやっているみたいな答え、他にパーティーなどで政治資金を集めるなどもやっていないように思えるし、そういう石丸氏のためにボランティアで政治活動を応援したい人も多いようだ。

石丸氏は政治家には珍しく、法律なども理解に長けていて、政党に頼らなくても政策を作れたり、制度や政策の意味が理解できるほど優秀で、そのレベルの国会議員というのは10人に一人くらいだろうと思う。誰にも教えられなくても自分で一から法案なども理解し作り、正しい運用が期待できる。このことは大切で官僚任せの法律になるとどうしても公務員びいきの法律や制度が出来たりしがちで、国民や市民の不利益になるような制度や法律ができあがって独り歩きするのを防ぐことができるだろう。利権や癒着なしに、行政というものを考えていくためにも、思考能力と問題解決能力に長けたリーダーは必要だろうと思う。都知事になっても権力にすがるような感じでもないし、そういう人がトップでないと、行政の中や周辺にも権力にすがるような構造が生まれてしまう。当選は難しいとしても、都知事選に出て、日本のメディアにも取り上げられることで、石丸氏のような政治家がいることを存在をしる人が多くなり、若い人たちに希望の光を与えることになるだろう。
2024年06月21日
左足を痛めてから左足をかばうために右足に負担の掛かる歩き方になって、なんやら体全体の調子が崩れてしまってやっかいである。風邪を引いたので風邪薬を久しぶりに自分で買うというのをやってみて、どうせ買うのなら一番効きそうなのをと、ツルハドラッグで一番高いのにしたらムチャクちゃ効いて、風邪薬って効くんだなあと思った。左足の痛みも緩和されて、足のつま先までぽかぽかで、この数年の足の違和感まで直るのではないだろうか。血液の流れとリンパの流れも良くなったみたいで、硬かった足の裏もほんと柔らかくなった。足の指先まであったかいこれはうれしいこと。病気でも結局は人間の回復する能力が大事で、体が調子よくなることで回復しやすくなる。

今日も、草刈りの飲み物とつまみを買いに行く件で、母親がテンパっているけども、そんなのは30分もあれば済むことで、一人でも十分すぎる仕事なのに、そういうのをみんなでやるくせのついている母親にとっては、他の人と一緒にやらないと駄目みたいなことを、私に言うが、あなたが草刈りに行くわけでもないのだし、役が当たっているのは私なのだから、もうそろそろ仕切り癖はやめたらどうなのかという話。

今の時代の世代というのは、普通に外で仕事して、買いもの程度のことを大げさに考える必要もない。先代夫婦が、もっと大変な現場の仕事をしないのも私が被ってやってきているのだし、飲み食いのことになると一生懸命だけども別にそれはどうでもよいことで、草刈でも大事なのは草を刈ることができる人がいるかどうかという問題で、力を使うところはそこで、休憩の飲み物やつまみに一生懸命になる必要はない。仕切りたい癖がでて私を仕切ってを考えているのだろうけども、小さなことに一所懸命になりすぎで、自分がやってきたことややらされたことに対して偏狭な精神に陥りすぎて、自分は何もできないといっているくせに、一つ一つ細かく指図しようとするけども、次の世代はそいうできないを背負って今の時代を自分自身を追い込んでまでして成り立たせていて、ひと世代前の目の前の物事から逃げるばかりの感覚はまったくない。もっと大きな先送りしているようなことを背負わされて前線で解決しているのが次の世代で、ものごとの全体を考えれば自分が責任を逃げながら他の人にやらせようとか、責任を背負わせようとする感覚こそが駄目。

他の家の人間にまで指図するなよと思うのは私で、林与の親にも思うのが、自分より若いものは自分のいうことを聞くのが当り前みたいな舅姑根性の田舎根性を辞めないかと思う。他の人に指図するならせめて自分を捨てる覚悟位したらよいのにと思うけども、常に守られて余裕があって生きてきた人たちというのはそういう覚悟すらもなく守ってもらうのが当り前。3日寝ないで立ち仕事して、朝7時にようやくおじさんが来て寝て10時に、おじさん来てるわよ、あなたいつまで寝てるのみたいな母。おじさんを支えているのも母を支えているのも、亡くなった先代の問題を解決しようとしているのも林与で、親の問題に関しては、2歳の時からややこしいなあと思っていたほどに、複雑そのものだが、田舎にありがちな典型で自分が責任を覚悟して背負うこともなく受けようとして自分の子供に背負わせるようなアホ親。もう死ぬ前にほんと辞めとけほんと、そういうのが田舎の自分の子供を英霊にして可哀そうな親の感覚にも通じる。次の世代が命を掛けて毎日動き回らされていて不幸なのは、親がそれを期待して楽したいばかりで欲してるから駄目なんだよ。本当に厳しい話で、あなたが一番駄目とか平気でいうなら死ぬ前に分かってほしいが難しい。だれがすべてを覚悟して支えているの?次の世代なのよ、前の世代の問題を支えさせられるのは、生まれてくる次の世代が、自分可愛さの十分に長生きもした人たちの後かたずけを生まれた時から自分が生きていくのに必要なお金の何十倍も背負わされて働いても無理な奴隷階級を、日本の行政が作り出していて、日本の少子化対策にしても、行政の人間が自分が連帯保証人にもならずに、これから生まれてくる日本国民が質草で、できなければ、犯罪者。やばすぎる日本。甘えすぎた公務員行政というのは、世界最低レベルの日本の政治や公務員の保身的な感覚。まだウクライナ戦争でロシアのトップが前線に立って死亡とかもないのが、日本のA級戦犯の問題そのもので、自分の命を覚悟もないものがおいしい目をしたいだけで、命すらも覚悟した昭和天皇に甘えていた、また今も甘え続けて今の政治を利用しての金儲けの構造で、日本の政治家が食べていけなくなったタレントやスポーツ選手が政党にひらってもらって政党のいうことを聞くだけみたいな国会議員、大臣レベルでも一番駄目だけど、そういう政党のいうことを聞く捨て石大臣レベルが普通になって人間としてまともなことも言えない。今の日本の政治では、人間としてまともなことも言えないのは首相でも同じと思う。食べさせていかないといけないのは巨大化しすぎた政党や宗教団体で、民主主義とはまったく相反する概念そのものなのが今の日本の政治の現状。



2024年06月19日
林与というのはそれなりに個人として強い人たちとのつながりを多くいただいていることもあって、林与の麻織物のスタイルを日本の麻織物の理想の形としてみてくださる方も多い。理想というけどもそれは最底辺くらいはあたりまえに背負うような覚悟で、何かやるときに持ち出すことが当り前で、持ち出してもそんなのそのぶん普通に働いた分で補えないかと思う。

テキスタイルマルシェの初日に宮浦さんが産地の学校の生徒さんといっても業として成り立っておられる方をご紹介くださったのだけども、林与が国産リネンを強いることもないし、リトアニアリネンの特性に関しても背景に関しても、林与がリトアニアリネンに思うあたりで、林与自身もリトアニアリネンも国産のリネンと同じ様な状況にあるのを感じて来て、それが日本の麻業界の普通のことだったりは、日本の麻業界って、リトアニアリネンにしても支えているのは日本の業社さんだったりするかも、世界の希少な世界を支えようとされているのが日本の業者さんであることは多く、そういう本物の努力をささえるなら林与も協力はしたいなあと思うのが、自分が働いて布を作るが当たり前で、それを超える布というのは存在しないと思う。

日本の業者さんというのはそういうのを残そうとされるけども、現場の人たちというのは化かそうとすることも多く、そういうのにたいして、警笛を鳴らすのも、織物のプロとして日本の消費者を騙さないようなことが必要だと思うあたりから、そういう本質を日々経験している人って世界でも数少なくて、契約社会的な時間から時間で結果は別問題という感覚が今の先進国の行政的な感覚。

騒音防止法の霞が関の相談窓口のトップの方に電話して、織機を除外してもらいたいというと、織機が音が出るって初めて聞きました、織機が音が出でるのじゃなく、他の機械が音がでるのでしょ、みたいなことをその方が口にしていて、もうほんと終わっている。騒音防止法の本質的な笑い話で、そういう方が、繊維業界の地場産業として地道に仕事している本質も分からずに、個人の無知そのもので日本の繊維業界を衰退させてしまっているような政治的な問題。無知な人が何千万円も貰いながら仕切ってたらその何千万円の個人の収入のために日本の無力に思われている機屋が悪者にされる。ほんと法をつかさどるなら当たり前のことを理解していないと、国が事実を放置して被害を広げた水俣病のように被害者を攻撃するだけの国の公務員が奴隷制度、日本も科挙制度辞めないと中国でもそんなの悪しき風習で、奴隷制度以下のような行政をもたらす日本の国家公務員制度の末路。ほんと行政の人が、地道なことをやっている人を最底辺に追いやって苦しめているというのが、どこが日本を上げてのSDGsなんやろなあと思う、SDGsが地道な人たちを潰してしまうことも多いのが今の日本の官製SDGsで、結局長く続いて来た物事を学者感覚で否定してさらに薄っぺらいものに移行するような流れ。
2024年06月06日
オレンジジュースも野菜ジュースも果糖が含まれているものが多く、果糖というのはブドウ糖ではないから血糖値は上がらないけども、砂糖と同じ様に体を糖化させてしまう傾向がある。オレンジや野菜を食べるのとは異なる。オレンジをそのままジュースに絞ればそれはまさに健康だけども、果糖は食品添加物じゃないから、表示しなくてよいとかいうルールもあるらしく、果糖と書いていなくても注意は必要。

100%ジュースと書いてあるものでも、砂糖と同じ様な甘さを感じたらそれは砂糖を取っているのと同じで、血糖値はあがらなくても、体に糖分が蓄積されて糖化現象が起こる。砂糖よりも果糖のほうが体にとって悪い可能性も指摘され始めていて、病院の食事などは砂糖じゃなく果糖類が使われていることが多かったがそういうのも今後は見直しされていくだろう。

飲み物としては、やはりお茶が一番健康のようである。すごく運動をしている人にとっては、エネルギー源として糖分も必要なので、スポーツドリンクなども運動した後の影響補給には必要ではあろうと思う。塩分にしてもスポーツ選手にとっては補給が必要なものなので、激しい運動をする子供たちは大人以上に塩分も必要なケースもあるだろうと思う。

エナジードリンクを子供たちが摂る危険性が指摘されているけども、子供たちにそこまで勉強を押し込まなくても良いだろうと思う。勉強をする目的がそもそも自分のためみたいなところ。知識をどう生かすかが大事で、頭の良いことが人を幸せにするでなく、たとえば、秦の始皇帝は偉大な国を築き上げたが、秦の時代の人々は奴隷そのもので不幸中の不幸だったと思う。偉大な国を目指そうとするとどうしても奴隷が必要になってしまうもので、自国の中に奴隷をつくらない良い国は、他国の中に奴隷を作って成り立っているようなところがある。一人一人が自分が働いて他の人を幸せにするようなものやサービスを生み出してこそ意味があって、階級社会的なルールをつくって人々を不幸にすることで、例外的な特別階級だけが得をするようなルールつくっていては、奴隷制度を目指すような思想。多くの人々を幸せにするようなルールでないと意味がない。

今、オーガニックやエシカルで、ルールばかりを作っている感じがして、それが本来のオーガニックの理想でないような金儲け主義の流れそのもので、20年前のオーガニックの概念からすると今のオーガニックの考え方は、否定されるべきような商業主義そのもので、ジュースでも果糖は表記しなくてもよいからどれだけ加えてもOKみたいな話で、抜け穴ばかりつかって、オーガニックを謳いたいみたいなルールメーカーになると、消費者が信じているようなものではなくなってしまう。

インドでは、ポリエステルやナイロンを5%未満までならオーガニックに使えるというような通達がなされ、もはやコットン100%でもないような、オーガニックコットンの世界が、国際レベルで現在進行形。
そこまで落ちるならコットン100%のほうがマシなのちやうの消費者にとっては、また社会にとっても、合成繊維を混ぜて紡績したものというのは産業廃棄物レベルが高くなって、工業レベルでは捨てるのも難しような、プラスチック繊維の概念にカテゴライズされる。そんなものをオーガニックと謳うくらいならやめておいた方がマシだろうと思う。
2024年06月01日
昔から日本でなじみのあるのがシルクと麻で、シルクは高級なイメージがあるのになぜ上布とは呼ばれないかというのは、布という言葉が麻織物を指すからで、シルクのことは織物にしても絹と呼んでいた。だから上布というと上等の麻織物を指す。

着物というのは反物をほとんど使い切るような形で作られる。反物の幅というのは、基本が一尺(37.5cm)程度X10mほどだけども、それは昔の日本人のサイズで、今の時代の日本人の体は昔の人よりも一回り大きいので、幅も広くまた1匹の長さも11mから12mくらいないと足りない感じ。

林与が昔の手織りの高機が倉庫に残っていても活用しないのは、本当にガタイが大きすぎて扱いが大変なのとまた、織幅の問題もあって、加工して巾37cmに仕上がると小柄の人しかその反物を着物として活用することができないという問題がある。着物は耳まで捨てないで使うので仕上がり幅というのはすごく大事。

動画で見たのだけども、昔は、ハリスツイードも着物の巾で手織りで織っていたようで、ジャケットにするのにあの幅で織ったものを使うというのは贅沢な話に思える。日本でも着物の反物から洋服に仕上げておられるブランドさんもあったりして、海外向けには非常に人気のようだ、贅沢な使い方。また、古着の着物を洋服に仕立て直すのも人気で、そういう良い素材をリサイクルして洋服に仕手実用的に使えるというのは、着物のままでしまっておくより、家宝のように大枚はたいて買われ大事に残してこられた着物を、世代を超えてそのお孫さんなどが洋服として着たり、バックとして使ったりができるのは処分してしまうより、よい方法だなあと思う。オーダーメイドで一回勝負で洋服にしあげないといけないからがら洋服を縫製してつくる人の力量が問われる。