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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年10月
リネン日記:4
2024年10月14日
合成繊維というのは、より安定していて糸も均一なのだけども、天然繊維よりも安い。なぜでしょうか? 

それは、合成繊維は天然繊維を安く生産するために作られたものだからです。レーヨンはシルクの半合繊バージョン。アクリルはウールの合成繊維バージョン。ポリエステルは綿やリネンの合成繊維パージョン。より均一で完璧なものだけども安い、実用性の面では合成繊維が勝ることが多く、安価な服の素材というのは一般的に合成繊維。

用途によっては、合成繊維のほうが適している場合があって、自動車のシートなどは、20年太陽に当たっていても、大丈夫なくらいに丈夫でないといけないので、ポリエステルなどが向いているようである。高級な車なら本革シートというものもあるけども、キズが付きやすいことがマイナスだろうと思う。本革の代用は、ビニールシートだろうか。ビニールシートは軽トラとかのシートに使われているけど、案外、ボロボロということが多いので、ビニールというのはそれほど丈夫ではない。
2024年10月14日
カラムシの語源は、古代の韓国の王朝加羅からの由来でモシが転じてという説や、茎を蒸すからカラムシという説などが一般的だけども、はっきりとしたことは分からないとされている。私自身、カラムシの加羅というのは古代韓国王朝ではなく唐(中国)のことだろうなあと感じるのは、唐糸(カライト)という言葉、それは絹の糸を指す。それが麻糸なら、唐麻糸と表現されたのではないかなあと思ったりする。カラマシというのが転じて、苧(オ)のことを、中国から糸ではいってきた麻糸(マシ)の場合、カラマシ、それは糸のことで、材料が苧麻だったから、中国からの苧麻がカラマシと呼ばれたことで、それが苧麻だったから、カラムシって訓読みが増えたんじゃないだろうかと、唐揚げとか唐紙とか、とおなじような流れを推測する。

カラムシは唐麻糸から来ているというのは、林与が思いついただけのことだけど、本当か嘘かは別にして、説明としては、それなりにまともに聞こえませんか。
2024年10月14日
社員に優しい優良企業と言うのはどうしても裏のある事が多く、まともなビジネスではなく。そういう大手は商社的になりがちで他の会社にほとんどの責任を追わせて自分はマイク増益増収だよよかいってるけど、自分がマイナスでも支える気持ちなくで、しごともことわるしかないし残念な話でお客さんが何千マンのおかねもまわすのが苦しくてというか10万円でも自腹を切る覚悟もないとか、ひとつのぷろじぇくとを行うときにまともなものを支えていこうと思う人もいるけど。底辺覚悟で働く気持ちもなく何億の大きな話ばかりで。地道に働いてそれを馬鹿にしてメイドインジャパンのこだわりとか、古代マフの再現でもないものを百貨店まで巻き込んで大丈夫なのかと心配する。

林与が商品をお客さんに語るときには、麻100%の世界最細番手のすとーるとかはただしいこちだというけど、古代マフの再現とか言うと。昔の太布というのはフニャフニャで嫌われたものを、現代のアパレル感覚で柔らかくて、最高のの古代麻布の再現と言っているだけで。昔の良い麻生地というには凄くハリもあってこうたくもあyてかただはあってしっかりとじていた。高級品というのは一張羅に見える必要があって。鎧用なハリと腰と光沢をともぬ神々しさが必要。それは日本だけでなくアジアの古代の王家の麻布に共通するような価値。シルクにしても古代のシルクは柔らかくふにゃふにゃでじゃなく。安里市が得るほどのセリシンも残った未精錬のもの。
2024年10月04日
麻糸は、苧績みしてつくられる。ひょんなことで昭和村を訪れる機会ができて、9月の半ばに昭和村の博物館で2時間ほど過ごした。なぜ昭和村で、麻の原料をつくることが大事に思われているのかというのが感じられた滞在で、これは、表現が悪いかもしれないけども、恵まれていない山村で、農村としても広い農地もなく、陸の孤島のような村の生活があったからだろうと思う。農家のできることが糸を績んだり、糸の原料を育てることで、長けた人がいたのだろう、より良質の原料を取れるためのカラムシを栽培する技術を村の生活の柱として培われてきた。

奈良の月ヶ瀬の大麻の苧績みも同じく、月ヶ瀬という場所が陸の孤島のような場所だったから、そういう技術が発達し、また残りやすかったということもあるだろう。沖縄の宮古上布にしても同じで、島という要素。工業化や機械化するという次のステップに行くこともなく、手仕事で生み出して行くのができることのすべて。

能登ももともと近江上布の原料の産地としていわれているのも、糸が能登で績まれていたのだろうと思う。糸を織る技術に長けていたのが近江で、その原料というのはもともと昭和村のような東北の地から、寄港地である能登に渡ってきて、そこで績まれた。能登という場所も、能登地震でこの一年は名前をよく聞くようになったけども、なかなか地震がなかったとしても、滋賀県からでも能登半島のてっぺんまで車で行くとしても覚悟が必要な話で、能登上布を育んだ背景みたいなものが分かれば、いろんな麻織物の謎の解決にもつながるだろうから一度は訪れて知っておきたいなあと思う。

昭和村にいったときも、昭和村に行く途中の田んぼの土手に立派な苧麻畑が自然にでいていて驚いた。1m近くの高さの苧麻が密集して自生していて、それは単なる雑草で使われないだろうけども、林与の周りではみることもできないようなつる草の世界が、苧麻で広がっているような光景。また、林与が興味があったのは、昭和村に行く途中の山道に自生している苧麻で、近江湖東地域とどう違うのかというあたりもとくに赤苧に関しての考察の検証的な面で、織物で言われる赤苧が、苧麻なのか苧麻でないのかというあたり。植物のアカソが山道に自生していて、真っ赤だったのも印象的。葉っぱも落ちて、真っ赤な茎だけになって、何百本も山の壁面に残っている。一方で、苧麻の茎が赤いものというのは、ないことはないけども、ほとんど、成長途中のものでは見かけない。

64種類の日本のいろんな苧麻や世界の苧麻を育てられている苧麻畑も参考にさせていただいて、日本の苧麻の歴史に関しての林与の持論的な考察とも整合する。近江上布に置いて、「きぬあさ」とよばれたものは何なのかというのも、自生しているカラムシなのかあるいは、福島産のような上質の物なのかという判断も、福島産のような白くて光沢のあるものが「きぬあさ」と呼ばれたものなのだろうなあと思う。

麻の着物の世界においても2ジャンルあったことはあまり言われないけども、そういう概念も大事で、味の世界と、品質の世界という2ジャンル、味の世界では、キビラのような粗にみえるものが評価をされて、品質の世界ではきぬあさとよばれるような世界が評価をされる。

奈良晒の最高峰みたいな織物も、林与が見る限りでは生平の世界のジャンルで、奈良晒なのになぜ生平なのとは思ったけども、晒す技術というのは今はもう残ってはいないというのが現実的なところなのだろうと思う。それを低く評価してはならないとおもうし、現実というものを受け止めて織物をつくるということを考えていく必要があって、晒す技術にしても今は禁止されているような技術ばかりだったりもして、昔だったら川や河原でできたことが、今の日本では許可が出たとしてもそんな許可を求めてやっているようでは成り立たないという問題もある。ほんと国が駄目だと規制ばかりで地道なものにしてⅯの自然破壊だとして、日本の伝統工芸にしても自然破壊で昭和の時代に規制され壊滅状態になりながら、今はそれを日本の宝として復活したいみたいな国レベルのご都合主義のだらしないどうしようもない感覚的な伝統感覚で、日本で産業がどんどんつぶれてゆくのもそのあたりのどうしようもなさ。関わらないでほしい、ほんと。