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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年11月
リネン日記:5
2024年11月08日
林与も昔は数学が得意だったけども、今は、織物の仕事でも四則演算くらいしか使わないので、小学校くらいの算数ができたら日常生活や織物の世界では大体のことはやって行けるのかなあと思ったりする。昔のそろばんが計算機へ、さらにコンピュータに変わっただけのことに思う。

でも、プログラミングが出来ると、複雑な計算なんかは自動化できるので便利で、自分で戻り値のある関数を定義したりとか、サブルーチンを作ったりとか、また、結果を数値で表したり以外にも、グラフに表したりとかできるので、便利に思える。

糸量の計算なんかも、エクセルとかで自動計算するようにしておけば簡単だし、WHATIFアナラシスと呼ばれるように、数値を一か所変更すると結果がどうなるかなども、いろいろ試せたりするので、既存のエクセルのようなアプリケーションを利用するのも一つの方法で、エクセルにしても一つのプログラミング言語みたいな活用が可能。

コンピュータが使えることで、織物の仕事にもすごく役立っていて、計算機だと画面も小さいので、四則演算にしても複雑な計算などは間違いも起こりやすいけども、コンピュータでやると、全体を見ながら作業ができるし、間違ったところだけを後で修正して、正しい計算結果を求めたりもできる。コンピュータを使えることが織物にすごく役立っている。

コンピュータも今はノートパソコンだけども、若いころには、自作PCみたいなことをやってたので、そういうのをやっておいたことも役立っていて、ノートパソコンでも、踏んづけたりして液晶が壊れたら液晶を交換したりとか、ハードディスクをSSDに交換したりとかも、修理にだすと一般的には、初期化されてしまうことが多いので、自分で修理できるということは自由度が広がる。

今も、10年以上前に発売されたノートパソコンがメインのパソコンで同じタイプの機種を壊れたら買い替えて、そこにWINDOWS11を入れて使っている。CPUの処理速度的には10倍くらい今の最新型と比べると遅いとは思うけども、実質的な体感速度的には、今のノートパソコンとそれほど変わらないくらいに思える。

大事なのは、キーボードのキータッチとか、キーボードにどれだけ慣れているとかで、話すスピードと同じくらいに日本語をタイピングしてもついてこられるようなノートパソコンなので不自由はない。安い中国のパソコンは最新のでも、キーボードの感触も悪いし、新しくてもスピードは遅かったりするので、慣れた10年前の日本製のパソコンのほうが快適である。

中古のノートパソコンも2万円くらいで、バッテリーの持ちも5時間くらい使えるような状態で、手に入るので良い時代になったものだと思う。ディスプレイもタッチパネルタイプだともっと便利なのだろうけども、タッチパッドでもそれほど困ることはないのでその辺りは欲張らない。

たぶん、10年くらい前のノートパソコンなので、周りの人が使っているノートパソコンのほうが、林与のよりも新しいタイプであることが普通だけども、できることというのはそれほど変わらないので、十分である。ノートパソコンでは、AIが進化しても、バッテリーの関係で、十分な速度のGPUは使えないだろうから、満足なレベルのAIはネット接続のない状態ではノートパソコンでは得られないだろうから、まだ、5年くらいはこのままの環境かもしれない。9月に、パソコンが起動しなくなって焦ったが、2週間ほど掛けて、新しく移植が完了して今は快適。

中古で手に入れたA3カラー複合機も、まあ4年くらい互換トナー使って、カラーコピーやスキャナで活用ができていて、ありがたやありがたや。この複合機が無かったら、請求書の添付なども一苦労していただろうと思う。スキャンした画像をPDFファイルとして保存できるのはありがたい。業務用の複合機なのでスキャン速度も速く、画質はクリアで非常に良い。

電気機械関係の会社もこれだけ中古で安く、無料みたいな値段で、使えるモノが手に入るようになると商売あがったりだと思う。自動車なんかも中古車でも問題ない新品みたいなものが多いが安く手に入る。日本の国で、モノづくりの商売は難しいなあと思える。中古の私の1.5kgのノートパソコン本体よりも、箱から出しただけの比較的安い太い番手のL25番手のリネン糸1.6kgの1個の糸や、焼肉とかの食べ放題一人分のほうが高いというのも怖すぎる。

今日は、エジプトのリネン糸70kgほどが届いた。今後の入荷も当面ないだろうという糸で、今後入荷されてもすごく値段が上がるだろうと思うので手に入れることができてうれしい。今は他の仕事が詰まっていて、使うとしても相当後のことになるだろうけども、あるときに手に入れておかないと手に入らなくなる可能性は高い糸。最後の在庫の残りということだが、手に入れることができて本当にうれしい。また、当面使わない糸を衝動買いではあるけど。ラミーの80番の糸も、機屋さんが廃業されるというので100kgほど買われた8割の値段で引き取ったりもしたが、今もその糸は使っていなかったりで、普段使っているラミー100番手よりも太いので、着尺系の若干しっかり目の布に使えるだろうと思って引き受けたのだけども、もう10年近く経っている。廃業された機屋さんも昔の糸だと言ってられたので、もう15数年くらい前の糸になるだろう、昔の麻糸は貴重。

現場では別の織物を織って見ているが、経糸切ればかりでキズがほんと多くており進むことができない。すごく強く太い糸なのに糸が切れてしまう問題で、織機の調整もずーっと続けているが、1mが綺麗に織れないのでは織り進むことは中断中。蒸気を使うのも一つの手だけども、あまり強くかけると別の問題が起るので、蒸気はなるべく使いたくない。整経も失敗をしていないし、糸のロットの問題だろうか、おもりの加減だろうか、幅の狭いタイプはそれなりに同じ織機で織れていたのになぜなんだろう。きっと原因はあるとおもうのだが。
2024年11月08日
ロシアに生まれた若者たちは、苦しいだろうと思う。戦いたくない戦争の戦地で、正当性もなく昔だったらソビエト連邦の同国のチェルノブイリのあるウクライナの人たちを殺すような立場。チェルノブイリの原発事故にしても、ウクライナの消防の人たちが命を投げ出してソビエト連邦の問題を解決した。それでもまったく評価もなくというのは、下民としての見下しの態度で下民はウクライナに命を投げ出せと多数派が苦しめていたような実情があるだろう。

ベラルーシにしても、独立国家でありながらも・・・。ロシアの言いなりでしかなく、ベラルーシの大統領ですらも国民が人質のような立場で気の毒としか言いようがない。このようなしょうもない問題すらも国連の常任理事国が話し合っても解決できずに、エコとかエシカルとかSDGsというのは、本当に馬鹿らしく、まともな人間を食い物にしてモラルを求めながら、権威主義そのものの一番駄目な国連レベルの現実。

人間としてまともな感覚もなく、人の命すらも守ることも二の次になって戦争を正当化して意味があるのか?戦争が起こっても、死ぬのは下民だという国家主義、それは一番駄目で自分が前線で戦うのが当たり前の覚悟がないと国家元首としてもダブルスタンダードで、愛国心すらもない卑怯者の極み。でも、そういうのが国連レベルで、世界中で人が多くなくなっていく。国連もまともな感覚にならないと世界中が集まってSDGsとかは、国連自体が一番駄目な組織でしかなくなる。

アメリカの大統領選なんてものは、平和すぎてどうしようもないほどに思えるが、その平和さが戦争を必要とする原因でもあったりするようにも思える。選挙にしても勝ったとか巻けたとか、そんな感覚でしかとらえられないのがどうしようもない気がする。負けた相手も勝ったものたちが幸せにするのが政治であるはずに思うが、敵と味方の区別でしかないのか。違う価値観の存在を尊重し分かり合うことはできないのか。それでも、アメリカは、共和党と民主党が政権を入れ替わることで、バランスが保たれているようなところがあるのを感じたりもする。

独裁政権みたいな状態こそが一番危なくて、多数派が政治を捻じ曲げないためには、裁判所の独立性が非常に大事だと思う。アメリカの場合には陪審員制度があることでそれが保たれているようにも思える。アメリカにおいては、権力が腐敗したり乱用されたりするということを当たり前に想定もしていて、法の下には誰もが平等の精神という概念がそこにある。ただし、アメリカ国民同士においての話で、国同士においては、アメリカはNO1でないといけないみたいなのが不思議に思うところ。中国に中華思想というものがあるが、それと同じような思想でアメリカも運営されていて、アメリカのNO1を脅かす国というのは悪とみなされる。一方で、アメリカという国は移民で成り立つ国で、さまざまな人種の人たちが集まっていて、そういう思想を形成しているので、多様性のなかでの全体としてのNO1意識なので、まだ安全なのかもしれない。個人の思想の自由を重んじ、全体主義を否定しているところが、一方の考えに傾き始めたとしても、ブレーキが効くことにもつながる。ベトナム戦争なども失敗だったという判断に至っているあたりなども理性的な部分を保ち続けているように思える。

ロシアにおいても、ゴルバチョフのような存在が否定され、プーチンが再びロシアを強く戻したということでロシア国内では人気は高いとはいえる。ゴルバチョフによるソ連の解体によって、どんどんと弱体化が進んで経済的には貧しい国になってしまって、明らかに中国のほうが力を持つようになった。親和派のゴルバチョフがロシアを弱らせたという結論に至っているのがロシアの年配の方たちの一般的な考え方とされる。

自国のことや、権力者を馬鹿にすると捕まるような国というのは、非常に危険で、その点ではアメリカというのは、自由の国アメリカらしいと思える。例えば、国民がトランプを馬鹿にしてもつかまって投獄されるようなことはないだろう。全体主義国家だとそういうことは許されない。今回のウクライナ侵攻においても、ロシアの若者たちが反対を表明するだけで、警察に犯罪者としてつかまるという問題が露呈した。自分自身の考えを表明することすらも許されない国というのは、民主主義的な社会では当たり前の人権という概念すらも保証がないことになる。
2024年11月06日
今日、夕方、地域の年配の方と話す機会があったので、農業関係のこととかいろいろと分からないことを尋ねてみた。聞いたこと全部詳しく教えてくださって、お墓のことなども分からないことがあったので聞いてみると、永代供養というのは墓地を使い始めるときに支払うものらしいということで認識はあっていた。一般的には永代供養という言葉は、それを払うとあとはずっと管理してもらえるみたいな意味なので、そのあたりをはっきりとしておきたかった。というのも、親が区長をやったときにも、前の区長さんが永代供養を払った家からは毎年の利用料をもらってなかって、もらえていなかったので貰いに回ったらしい話をして私に永代供養の意味を聞いたので最初に払う頭金やろうと思う、お墓のある家は毎年利用料を別に払っているから、という認識をしていたがそれで間違いはなかって良かった。

その話をすると、いろんな規定なども時代とともに墓地の区画整理などともともに変わってきた話なども教えてもらった。区画整理でそのままの家もあるけども、下は触らずに区画整理してお墓を均等に並べ直してあるので、昔のように墓石の真下に先祖が眠っているわけではないというような話や、まあ、今は土葬もしないので、お墓の下には地域の方々が眠っていると理解すればよいのではなかろうということになっているらしい。共同墓地みたいな概念も今はなくて、年額の利用料が一定の間払われていなければ無縁仏とよばれる墓地の隅のほうに墓の下は触らないまま墓は移動されるそう。そういう話を聞けるうちに知っておられる方から聞くことができておいてよかった。

過疎化の流れの中で、若い人たちも少なく成っていて、こういうことを同世代の方でも知っている人というのは少ないだろうし、どういう風に考えるのが正解なのかを知っていることは、自分じゃなくても誰かが困られたときにも、知らないとか分からとかとか答えるよりも、今はこのようにやっているらしいと一つの実績のある方法を答えることができる。

除雪のことなども集落の一部の方が担当をして雪が降れば朝早くからやっててくださるが、そういう仕組みについても詳しく聞けてそういうのも集落の方の多くもあまり知っておられないだろうと思うのと、他にも草刈や河川の清掃などもどのような仕組みになっているのかを教えてもらえて、そういうのも知らずにやっているよりは知ってやっているほうがやっている意味も分かって良いだろうと思う。本当にものごとの意味を伝えるのが上手な方だなあと思う。

ものごとの背景や意味合いなどをはっきりと説明してくださる方にも出会えなかったので、今日は思い切っていろいろと尋ねてどういうものなのかというのが理解ができて良かった。やってくださってる方は分かっているのだろうけども、やってないものには分からないことが多いので、やっていなくてもそういうのも分かったほうが良いだろうと思うし、知ろうと思ったときに正しく説明ができることが大事だろうと思ったりする。

長年の多くの謎が解けたような気もする。今までは尋ねてもはっきりとした答えをもらえないことも多かったりしたけども、役を当たって協力を求める側の立場で、その意味合いをよく分からずに説明も出来ずに協力をお願いしているというのは、すこし、心もとない話なので、やっている理由がはっきりと分かったことは良いことである。
2024年11月05日
すごく当たり前だと思っていたことが話がかみ合わないというか、言っていることがまったく分からないと言われたことがあって、分からないはずがない本当に分からないのかと思ったりもしてたのだが、その謎が解けた。それがパソコンが使えるか使えないかみたいなあたりが、ものごとの考え方にも強い影響があるのだと気が付いた。

林与は自分で書類を作ったり、みんなの話した結果をまとめたりいろんなことを書類化するのが得意で、検討や指摘や変更や話し合いをするのがものごとをするときの当たり前のプロセスとなっている。けども、昔の会合などをみると書類というのは専門家や事務局が作成して、印刷したものを配って中のことが正しいとか正しくないとか議論をするようなステップというのは当たり前でなかったりする。

話し合いなどが前提でみたいな考え方の場合には、話し合いのための資料を準備したりとか、どうしても変更などがともなうので書類から作り直すようなことが必要で、自分で資料をつくることができたりしないとすなわちパソコンが使えないと、話し合いを前提としたものごとの決定というようなことは言ってることがまったく分からないということにつながるのだろうかなあと、言っていることがまったく分からないと言われてもそれは相手に悪意があるとかじゃなく、私のいっていることが本当に分からないのだというのが、解けた気がする。

パソコンが使えるか使えないかで、ものごとを決めるときに話し合いが必要なのか必要ないのかという考え方の違いみたいなものが生まれてしまうというのも、殺生な話だなあと思える。別にパソコンが使えないというのは悪いことでもない。でもその差が人と人が理解し合えないという別の問題を生んでしまう。私なんかは、印刷された文章を読んで、数字など整合性がないと思ったら普通に指摘して直したほうがよいのではみたいなことを当たり前にいったりしてしまうが、そういう指摘をする人というのは少数派だろうとは思う。そういうのを指摘されるのが当り前の日常だからだと思う。織物なんて言うものは、柄割した計算結果が生地になっているようなものだし、小さな傷でもやはり指摘されるような織物の仕事。やった仕事は基本全部記録に取っておかないと同じものをつくるときに再現性なども難しいし、適当にサンプルをつくるなどはありえず、縦本数、縦の柄、横の柄、打ち込みのギアなど記録を取っておくのは当たり前。百貨店アパレル向けは、さらにそこから検査という段階とかをパスしないといけないので、使った色糸の染料の番号だけでなく、どのロットの糸を使ったのかなども、検査が通らないときには、再度織りなおしたときに検査が通るようにどう染めるかとかにも影響してくる。

アパレルや問屋さんなどにはテキスタイルデザイナーがおられるけども色柄までの方が多く、それプラス、目には見えない品質物性的なテキスタイルデザインの部分をサポートしないと、ブランドさんや販路によっては、織って反物が出来上がっても洋服には使えないと判断される大きなリスクがある。百貨店ブランド向けは、材料と確かな技術の組み合わせにこだわるのも、一つでも甘いと全部駄目になってしまうと思うから。

ものづくりで、利益率を上げろとか、在庫を持つなとかみたいな発想があるけども、そんな浅いところでやってたら大きな失敗を拾ってしまうだけのこと。失敗したときに喧嘩になるようなこともしたくないので、失敗はなるべくしないように石橋をたたくような確認確認のものづくり。間に問屋さんが入るとて抜いて安くやろうとするので問題も起こりやすい。たとえば、糸なんかもサンプル分だけ染めて糊付けてとか、そういうのは失敗のもと。ジャストインタイムな話というのは、実際の生産現場では無駄ばかりというのも現実で、それを強いている側は大きな無駄を相手に強いてドヤ顔してることを気が付いていないだけのことで、必要な時に必要な量だけを生産するというジャストインタイムなものづくりがエコとか無駄がなくて地球にやさしいとかは、林与とは話がかみ合わない。
2024年11月04日
小学校6年のときだったか、剣道の全国大会で東京に向かう新幹線の通路を歩いているときに、林与の先代は、おまえなにしてる、先生の防具を持てとかいう。もちろん自分の荷物と防具を持っているので持てるはずもないのに、先代はほんとうにそういうところバカそのもので、剣道の先生は健全な精神を持っておられて子供たちを育てておられ、子供に自分の防具を持たせて自分は手ぶらでみたいなことを喜ぶような方は一人もいない。偉そうに良い顔したいだけの親が、絶対に無理なことを子供に命令してすごい親みたいな気分になってるアホ。

先代自身は、小さなカバン一つでほとんど手ぶらで、自分が先生の防具を持つという感覚は絶対にない。どうしようもない大人というものはその程度。剣道の先生方が作り上げている健全な秩序みたいなものを、調子に乗った商売人の泥臭さが出て、壊してしまう。もし、そんなことを子供頃の林与がやらせられてそういうのを当たり前だと思ったら、大人になった林与が逆に若いものに自分の荷物を持たないのがおかしいみたいなどうしようもない感覚すら感じてしまうだろう。意味もなくアホなことをさせようとするものがいたりすると、させられたものが将来アホなことをさせる側になる可能性も高い、アホの連鎖はどこかで食い止めないと。

スポーツなどでも、いじめがあったりするが、アホな先輩がいるとそれが正しいことのように代々いじめが続く。3年生が1年生をいじめるでなく、卑怯な3年生は、2年生に1年生をいじめさせる。2年生は1年生をいじめないと3年生から目をつけられるから、いやでも1年生をいじめないといけなかったりとか連鎖する。上下関係なんてないほうがマシで、そういうのにとらわれて大人になった人というのは気の毒だけど、日本社会では年配者に横柄な人が多かったりして、若い者が常に気を使っていないと腹が立つとか、若い人を見下していないと気が済まない人も多い。将棋界などは、今は完全に実力主義の世界で、若い世代の人たちが活躍していて、子供たちが棋士になろうと憧れる。年配者も、上下関係を利用して若い世代を潰そうと思えば潰せるだろうけども、そういう腐ったことはしないのが、今の将棋界の偉いところ。