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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2025年1月
リネン日記:2
2025年01月07日
ようやく、3月ころからは新しい原料での糸の紡績が始まることになるのだけども、高値のピークは越えた感じで、1から2割割くらいは糸値も下がり始めるだろうと糸関係の方たちはおっしゃっておられる。糸が高いだけでなく、高値ゆえに輸入自体が止まってしまって、今までやってきた双糸ものや、太番手のものなどが、生産できなくなったりと、コロナ空けてからのリネンの高騰は値段が高いというだけでなく、糸の欠品も多くなった。また、いろんな糸が手に入るようになれば良いなあと思う。

それでも、糸値にしても、まだ昔の値段の2倍を超えてはいる状態が続くのだろう。糸値が高いことは、難度の高いものを織るときにはロス率も高いので、その分がすごくもったいない話で、織ることもより慎重にならざる負えず、去年最後に使ったリネン25番手はいい感じの糸だったので、高いは高いなりに原料も良い原料を使わざる負えなくなったからなのかなあと思える。高いと言われているリネンが、3倍とかになってしまって多くのブランドさんは使うことができない生地値になってしまう。

この1年はアパレル受注をほぼ見送って、もし、9月とかに受注していたとしたら、展示会とかで説明する値段からさらに生地値を上げないといけなく、そういうのって、アパレルさんにしても企画自体が成り立たなくなる要因にもなりかねない。このリネンの高騰というのは、林与自身としては、初めて位の経験で、リネンに対する世界需要も根強いものがあるし、でも、小麦の生産のためにフラックス畑が小麦畑に変わってしまったなど、戦争の影響が大きい。まあ、戦争のことを考えると、リネンの高騰くらいはがまんしないといけないが、トランプが就任する1月20日に戦争や戦闘も終わると良いなあと思う。

一方で、アメリカ経済もハイパーインフレ状態でもうそろそろ限界に来ている感があるが、トランプでまたアメリカイズNO1で、アメリカだけは儲けるだろう。中国経済がかなり減速しているそうで、日本のバブル崩壊と同じような流れになるのだろうか。繊維業界でそれほど明るい話はないけども、世界は今、生成AIブームで、このままAIが進化すると、プログラマーも必要なくなるかのせいも高いし、アニメーターなどの職業も自分で絵を描くことは少なくなるだろう。繊維の世界でもAIがどう影響してくるのかと考えると、まったくわからん。テキスタイルの柄を取り込めば、AIで着せ替えみたいなことができるようになるのだろう。もうひとつ量子コンピュータの件もきになるところで、プロセッサー型のGPUには限界があるので、量子コンピュータがAIの能力も数100倍とかになるだろう。

人間は考えることなく、覚えることなく、AIに答えを聞くのが仕事になってくる時代がくる。実際に仕事でもプログラミングに関してはAIに聞けばプログラムコードを教えてくれ、そのコードをコピペすれば問題なく走る。簡単なプログラムならそこまでは来ていて、30年前にこうういうのあったら、もっとプログラミングも上達できたのにと思う。しかし、AIには問題があって、それは電気の使用量が膨大なことで、電力需要は高まることになる。なんかすごくもったいない話ではある。絵を生成するのに電気を使うくらいならお湯や料理に電力を使ったほうが良いだろう。いま、パソコンにおいても、GPUは電気を使いまくりで、電気ヒーター並みに高性能なGPUだと500Wとか使うこともある。ノートパソコンが30W程度でモニターも含めて動くのに、それは本当いもったいない話。太陽光発電した電力を使う形が良いんだろう、電気自動車にしても。

今はクラウド型のAIが主流で、インターネットを通じてサーバーのすごい処理能力を活用して答えを求められる。そういうのが案外気軽に活用できたりするので良い時代ではある。

2025年01月05日
コロナ前は東京も年に何度かは訪れていたけども、今は年に1度くらいしか行けなくなってしまった。展示会東京の展示会も今は年に一度だけヘルプの人に手伝ってもらってなんとか行けるかどうかで、展示会も一人で2ケース、スーツケースを両手で引っ張って持ち込んだりしていたことが多かったけども、今はその馬力がなくなってしまった。

車で展示会に荷物を持ち込む方が楽なのだけども、車を止める所を探したり、また、会場まで荷物を持ち込むためには車の担当と、会場の担当の二人がどうしても必要になり、一人ではなかなか難しいなあという感じ、東京だと会場に安い駐車場があればよいけども、なければ、ホテル代よりも駐車料金のほうが高いことが多く、空いていない可能性もあったりで、一人で対応というのはいろんな方に迷惑をかける可能性もあり、また、会場の撤収と同時に車に積み込む手配も必要だったりで、一人で会場を片付けるのもそれなりに時間が掛かるし、積み込むとなるとさらに台車の手配など含め不透明なことが多い。

海外の展示会も2つスーツケースを持ちながら背中にリュックを背負って行ってたりしたけども、そういうのはコロナ前だからできたのだろう、今は空港でのチェックなども厳しくなって、また、中国やイタリアとかでも地下鉄に乗るときやお店に入るときに手荷物検査があったり手荷物をもってお店に入れないことも多いので、トイレなど行くときにも3つの手荷物を引いては気軽に行くことも難しい。

10年くらい前だからできたのだろうと思うし、まだ40代のころにそういうのをやっておけていろんなことを経験もできて、いろんな方と出会えて、日本の繊維全般的なこともやっておられる当人の方々から直接いろいろと聞かせて頂くこともできて知識も増えた。林与は海外にいっても、高級ホテルにはとまらないいことが多いので、ローカルな雰囲気の庶民的なホテルを探すことが多く、展示会場から1時間かかることもあったりするけども、そういうのも特別な経験で、その道中でいろんなハプニングなどもあったりして、また、ローカルなおいしい食べ物に出会うこともできたりと、そういうのが楽しみだった。

中国でももう今は珍しくなった注文すると店の入り口で麺を小麦粉からこねて手で伸ばして細い麺の束にしてそれがラーメンになるみたいなのも、たまたまだけども、ホテルの前にあったラーメン屋で、ラーメン大で6元(100円)くらいのラーメンを注文したときにみることができた、15年くらい前のことだろうと思うが、それ以降、そういう光景には出会うこともなく、同じお店に行ったらラーメン屋だったけど、違うラーメン屋に変わってしまっていた。

人間がラーメンの麺をその場で、手で打って伸ばしてそれを使って1杯のラーメンを食べることができるみたいなことが、普通のお店で行われているというのが奇跡的なことで、すごすぎるなあと思った。ラーメン1杯が出てくるのに10分くらいは掛かったと思うけど、なんか、ありがたかったなあ。そういうのに、日本ではありえない中国の力を感じた。商業化して贅沢になった日本とか中国の都市にしても、結局はそれが続かなくなったときには衰退するしかなく、豊かになると何十年で失ってしまう、それまで何世代、何十世代にも人が持って高めてきた能力みたいなものが失われてしまうのは残念に思える部分はある。

しかたないのだろうしそういうのを大事だと求めても、安くて気軽な、すぐに出てくるラーメンのほうが、それに見慣れた人からすれば、ありがたいということにもなるだろう。昔の光景というだけでそれほど評価が高くはないのである。神戸元町でも、牛刀麺はたべたことがあって、それは手で打って、包丁で麺に切るタイプで、今も店頭でやっているだろうとは思う。