リネン日記
懐かしいなあ
2012年06月15日
ふと、今日は同志社大学時代のアメリカ人の友達オリーンのことが頭によぎり、20年くらい会っていないので今はどこにいるのかとネットで調べてみると、彼らしい人物に行き当たりBBを経営しているので、予約ページから問い合わせてみるとオリーンからメールが返ってきました。彼とは大学の4回生のときに、同じ学部で休講だったときに、しゃべったことがきっかけで友達になりました。
アメリカ時代に一度サンフランシスコに旅行にいったとき、バークレイのキャンパスのコンドに泊めてもらって、それ以来だったのですが、オリーンも私のことを最近思い出してくれていたみたいで、また、どこかで会える気がします。
若かりしころの林与は京都に住んでいてもあまり建物には興味がなかったのですが、オリーンはキャンパス内にあったクラーク館が大好きで、林与を啓蒙してくれていたところがあります。今、彼が経営しているBBも、1800年代に建てられたドイツのウイスキーディーラーの所有していた家を使っているようです。自分の力で地域のヒストリカルモニュメントを守るようなことを仕事として選んだようで、大学時代には旅行関係の仕事に就きたいといっていたので、旅行客を毎日もてなすということは彼の夢が実現している形です。
毎日、追われている感じでアメリカにもなかなか行く機会がありませんので、ましてやミシシッピー川の流れるミズリーに行けるようなことはまずないでしょうが、人生というのは小さなきっかけでいろいろな方向に向きが変わるものなんだろうと思います。学生のころというのは夢だけは無機質に大きなことをと考えがちですが、現実というのは人と人との関係の中で有機質的な大事なものを守っていくことが大事なのだと思います。
アメリカ時代に一度サンフランシスコに旅行にいったとき、バークレイのキャンパスのコンドに泊めてもらって、それ以来だったのですが、オリーンも私のことを最近思い出してくれていたみたいで、また、どこかで会える気がします。
若かりしころの林与は京都に住んでいてもあまり建物には興味がなかったのですが、オリーンはキャンパス内にあったクラーク館が大好きで、林与を啓蒙してくれていたところがあります。今、彼が経営しているBBも、1800年代に建てられたドイツのウイスキーディーラーの所有していた家を使っているようです。自分の力で地域のヒストリカルモニュメントを守るようなことを仕事として選んだようで、大学時代には旅行関係の仕事に就きたいといっていたので、旅行客を毎日もてなすということは彼の夢が実現している形です。
毎日、追われている感じでアメリカにもなかなか行く機会がありませんので、ましてやミシシッピー川の流れるミズリーに行けるようなことはまずないでしょうが、人生というのは小さなきっかけでいろいろな方向に向きが変わるものなんだろうと思います。学生のころというのは夢だけは無機質に大きなことをと考えがちですが、現実というのは人と人との関係の中で有機質的な大事なものを守っていくことが大事なのだと思います。