リネン日記
ファッションVSアート
2012年07月04日
ファッションとアートとは同じような視覚や感性に訴える部分が多いものですが、かなり違う概念だといえます。ファッションは買うことを考えますが、アートは買うことは別問題です。アートは値段がついていなくてもかまわないのです。
昔、映画館で映画をみることが非常に贅沢に思えた時代がありました。ビデオなら何回もみられるのです。でも、それって映画館で映画を見るのとビデオでみるのとでは別物だったりすると思います。
本物の花火を見るのには価値があっても、テレビで花火大会をみたほうがくつろげるのにと思うこともありますが、人というのは頭で吸収したら駄目で体を動かしてこそ、本物の価値を評価できるのだと思います。
今の時代というのは生活が楽になっているので、洋服にしても破れたりするのは稀です。昔は洋服が、居と食の部分を兼ねていたものです。寒ければ暖かい服を着る、でも、今は寒ければ、エアコンとか暖かいものを食べようなり、服をもっと着ようという流れにはなりにくいものです。
本来の服のもつ根本的な価値が見直されるようになったのも原発というものの本性があらわになったからではありますが、家というものは本来通気性が重視されたものですが、今の時代の家というものすら断熱性が高すぎてエアコンなしでは生きていけない構造です。
昔、映画館で映画をみることが非常に贅沢に思えた時代がありました。ビデオなら何回もみられるのです。でも、それって映画館で映画を見るのとビデオでみるのとでは別物だったりすると思います。
本物の花火を見るのには価値があっても、テレビで花火大会をみたほうがくつろげるのにと思うこともありますが、人というのは頭で吸収したら駄目で体を動かしてこそ、本物の価値を評価できるのだと思います。
今の時代というのは生活が楽になっているので、洋服にしても破れたりするのは稀です。昔は洋服が、居と食の部分を兼ねていたものです。寒ければ暖かい服を着る、でも、今は寒ければ、エアコンとか暖かいものを食べようなり、服をもっと着ようという流れにはなりにくいものです。
本来の服のもつ根本的な価値が見直されるようになったのも原発というものの本性があらわになったからではありますが、家というものは本来通気性が重視されたものですが、今の時代の家というものすら断熱性が高すぎてエアコンなしでは生きていけない構造です。