リネン日記
琵琶湖
2012年08月13日
先日あるところで、琵琶湖に関する冊子を読みました。安土城というお城の跡があるのですが、その安土山というのは、もともと琵琶湖にある島のような存在だったということです。湖東平野というのは琵琶湖岸から水面とほぼ同じ高さで山の麓近くまで続いていますが、もともとは、沼のような状態で、いまの琵琶湖の湖岸の形というのは戦後の食糧難を乗り越えるために田んぼを干拓で生み出し開発されたものであるということ。
私自身の滋賀県の地形に関する謎が解けました。本当なら周囲を山で囲まれていて、山か湖かのような状況だったのが、山から水が流れることで、山の土砂が平地や沼地を作っていったという感じで、沼地や内湖と呼ばれるものが多数存在してよいはずが、それらは干拓され農地に変わっていったのです。それをまた沼地に戻そうとする動きがあるようですが、私は、ころころと変えず長く続くことを行い長く続けることが大事だと思います。少しづつ自然を回復していくことが大事だろうと思うのです。
一度失われたものを取り戻すことは大変でその本質的なものを失いがちです。日本の着物の文化がその一つで、強制的に洋装文化に移行をさせられましたが、それをまた強制的に取り戻そうとすると、摘み取る行為と本質的なところで同じだろうなあと感じるのです。自然に育まれたものでなければ本当の価値は宿らず、一度、摘み取られてしまったものは取り戻したように見えても本当の価値を持っていないことも多いものです。
私自身の滋賀県の地形に関する謎が解けました。本当なら周囲を山で囲まれていて、山か湖かのような状況だったのが、山から水が流れることで、山の土砂が平地や沼地を作っていったという感じで、沼地や内湖と呼ばれるものが多数存在してよいはずが、それらは干拓され農地に変わっていったのです。それをまた沼地に戻そうとする動きがあるようですが、私は、ころころと変えず長く続くことを行い長く続けることが大事だと思います。少しづつ自然を回復していくことが大事だろうと思うのです。
一度失われたものを取り戻すことは大変でその本質的なものを失いがちです。日本の着物の文化がその一つで、強制的に洋装文化に移行をさせられましたが、それをまた強制的に取り戻そうとすると、摘み取る行為と本質的なところで同じだろうなあと感じるのです。自然に育まれたものでなければ本当の価値は宿らず、一度、摘み取られてしまったものは取り戻したように見えても本当の価値を持っていないことも多いものです。