リネン日記
LED
2012年08月05日
先日もLEDの業者さんから電話がありました。工場の電気をLEDに変えませんかというセールスです。コンビニなんかもLEDに変えたところが多いのでLEDのほうが明るくてよいのかなあと思ったりしますが、色のみえ方というのが大事です。
私は、色を織りながら自分で良い悪いを決めていきます。織って駄目なら、より良い色味に調整を掛けるのです。着物の時代の近江の機元というのは、着物というものが同じ形なだけにデザイナーそのものでした。織物をつくるものがデザイナー的でなくなった今日の日本というのは似たものばかりがあふれて弱いなあと思います。
色というのは、一つの色は一つの色じゃないのです。光源によって色というのは、色味が違って見えます。まったく違って見えることもあるのです。光の反射が結局、目というセンサーに波長として伝わるので、波長の違う光の下で見ると、色というものはまったく違って見えるケースもあるというより、多いもので、それがLEDともなればまた違う風に見えてしまい、機場で色糸を組み合わせることが難しくなってきます。
慣れればたぶん大丈夫でしょうが、先染めの織物を扱っていると、色の再現性の問題でのクレームは非常に多いもので、納期に追われてすべて作り上げた後に色の問題が出てきてしまうと、それが没にしてやり直したとしても求められるものを作れるのか?という極限のプレッシャーに追い込まれます。
残り時間ゼロの状態で、次に成功するかどうかも分からないものを手探りに作り直すというのは、中の仕事がすべて止まるだけでなく、外の協力工場にも他の仕事を止めて協力をしてもらうがために非常に大きな迷惑がかかります。、
一休さんの話で、川に落ちた1文を探すために20文の松明を使う話がありますが、それに似たことを常に覚悟して仕事していないとならないのが、次から次に新しいものを求められ、正しく納めないといけない今の時代、LED一つで、今までの色の勘にぶれが来るのが怖いです。慣れると大丈夫だとは思いますが…。ローテクな工場で、ハイテクの否定、時代遅れそのものですね。
私は、色を織りながら自分で良い悪いを決めていきます。織って駄目なら、より良い色味に調整を掛けるのです。着物の時代の近江の機元というのは、着物というものが同じ形なだけにデザイナーそのものでした。織物をつくるものがデザイナー的でなくなった今日の日本というのは似たものばかりがあふれて弱いなあと思います。
色というのは、一つの色は一つの色じゃないのです。光源によって色というのは、色味が違って見えます。まったく違って見えることもあるのです。光の反射が結局、目というセンサーに波長として伝わるので、波長の違う光の下で見ると、色というものはまったく違って見えるケースもあるというより、多いもので、それがLEDともなればまた違う風に見えてしまい、機場で色糸を組み合わせることが難しくなってきます。
慣れればたぶん大丈夫でしょうが、先染めの織物を扱っていると、色の再現性の問題でのクレームは非常に多いもので、納期に追われてすべて作り上げた後に色の問題が出てきてしまうと、それが没にしてやり直したとしても求められるものを作れるのか?という極限のプレッシャーに追い込まれます。
残り時間ゼロの状態で、次に成功するかどうかも分からないものを手探りに作り直すというのは、中の仕事がすべて止まるだけでなく、外の協力工場にも他の仕事を止めて協力をしてもらうがために非常に大きな迷惑がかかります。、
一休さんの話で、川に落ちた1文を探すために20文の松明を使う話がありますが、それに似たことを常に覚悟して仕事していないとならないのが、次から次に新しいものを求められ、正しく納めないといけない今の時代、LED一つで、今までの色の勘にぶれが来るのが怖いです。慣れると大丈夫だとは思いますが…。ローテクな工場で、ハイテクの否定、時代遅れそのものですね。