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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

三連休

2012年11月26日

今日は、工場の中で一人、納期に追われて織りを急ぐ。人間って極限に追い込まれると力が発揮できるものだなあと思う。何もしないで3連休として当たり前に休むのと、納期の迫った仕事に向かって働くのとでは、仕事のうえのプロフェッショナルなスタイル面では大きな差となって表れてくる、と思う。

私も、経営者ながらも特別なものづくりをするためには、一通りの作業ができることが一番大事だと思っている。仕事というのは作ろうとすれば無限にあるのだが、目の前にいくら仕事があっても自分と関係がないと思い込んで仕事を出来る人というのがいないのが現実で、そういう人というのは一つの仕事をするのもいつも足りていない状況が続く、同じ人間でも仕事の力というのは下手すると何十倍も違う気がする。

産地でも麻を織っているところは林与くらいだと私が仕事に携わった15年ほど前ころにすでに言われてはいましたが、そんなに難しいものなのか?と思ったが、同じものを作り続けて売れるなら簡単な仕事で、他にないものを作ろうとすると人の働く価値を布に埋め込まないとならず、現場で作業する人の力というものが必然と必要になってくる。

産地での競争がなくなっても、産地外との競争、それにとどまらず、円高の影響もあって海外でも10分の1で作れるようになった今、産地で現場を守り続けるというのは難しいものだと思う。海外の人の10倍の生産性や価値を生み出す力がないと国際競争の中ではスタートラインに立てないことになるのだが、現場の人の能力や意欲、危機意識がそれほど高いのかというと、産業間の競争もありよい人材というものは益率の高い他の産業に流れてしまうという、今の中国の繊維産業が直面し始め中国の特色として笑い話になってしまっている問題と同じような状況が日本でも過去を通じてあったことは他山の石としないといけない。国の中で栄える産業があれば一方で衰退する産業が生まれるという構図、これは経済学でいうところの比較優位の原則に通じるもので、同業者間の競争だけを考えるのではなく他業種とでも競争状況にあるのだなあというところ。

今のジャストインタイム型の大手のものづくり企業にとっては、失業率が高いことは必ずしも悪いことではなく派遣という形がベストな形で、必要なときに必要なだけの人材を働かせることができる。法律も改定されてそのような流れがより濃くなった。賃金は上がった状況に見えても雇用がより難しくなってしまっているのだから労働状況も実態は悪化である。応じたしかしながらもその末路というのは、海外ならもっと安くできるではないかという流れで、GDPもそれほど変わらないものの産業の中のものをつくる構造は繊維以外の産業の企業にしても激変をしてしまっている。

この流れというのはアメリカの自動車産業が崩壊したのと似ているといえば似ている。裏ではアメリカの政治が日本の法律を変えるために働いているのかなあと想像もしてみる。日本の地場産業が存続が難しい中で、さらにアメリカ型の社会にどんどんと移行してしまうと、アメリカのように規模の経済を、職人的なものづくりや地場産業的なものは評価が低い。一方で、法律というものは片方に有利に働けばもう片方に不利に働く差別的なもの、小さなお店を守るということで大店法という法律があったおかげで日本国内はコンビニ文化が発達して、結局、フランチャイズのコンビニが勝った形ではある。

でも、コンビニを経営している経営者というのが勝ち組というよりは、結局、資本力のある大手が法律の抜け穴で、雇用リスクを背負うこともなくチェーン展開することで、小さなお店を廃業に追いやった形なのだ。結果論だが、大店法がなければ、本来、もっとよいサービスが国内に提供をされていたかもしれないと思うと、残念でしかならないが、それは、一つの見解で、今や日本のコンビニというのは輸出産業となっている。新興国なんかでも、日系資本のファミリーマート、ローソン、セブンイレブンが現地の昔ながらの家族経営のお店を脅かしている。

コンビニ本部というのは売り上げだけでお店を作ったり閉店したりだといわれるが、損得勘定のフランチャイズ経営だとローカルを潰すだけでなく日本の全体の覚悟を決めて営んでいるローカル店舗を潰してしまい、もうかるとおもったがもうからないから辞めるでは、地域の既存店舗を潰しながらゴースト化が進んでしまうという結果で、地域にとっては最悪のマイナスイメージをつくり上げる構図だったりもする。

タウン情報を発信する印刷会社なんかも、地元意識のない他地域の業者さんが出入りされている。それって、本来、無意味なことで、せめて町内の特産品の情報を発信するなら地元の業者さんを使うべきだろうと思う。出来上がったブックレットにしても、製作として他地域の業者さんの名前が載っているのも本来の趣旨とは異なるのだ。地域貢献を謳うもののその業者さんが身銭を切るわけでもなく商売でやっておられるだけのこと。知りもしない業者さんに自社の広告を任せるというのも考えものである。

ある地域ではタウン情報を発信するのに行政がそういう便利業者に投げやらないで、職員が一つ一つの企業を回られて商品の撮影などをされていた。それって自分自身が手がけるという意味では行政の存在意義や質も絡んで大事なことだと思う。せっかくのチャンスなのにアウトソーシングしてしまうと問屋不要論と同じく本来の行政の意味が薄れてくる。力がないから任せてしまうと出来上がったものを手本に次は自分たちがやれるかというと難しいと思う。

チャンスは少ないもので、仕事というのは最初にできなくてもやって成し遂げるかどうかというところで少ないチャンスを活用していかに経験を積むことが大事だと思う。行政も今は吸収合併の時代、画一化されたことをやっているだけでは生き残れない。特に小さな町が大きな町のスタイルを真似したところで駄目で小さな町というのは特区的に規制を緩めて大きなスケールのことができるようにしていかねばならないだろう。

たとえば、運送業でも都市を中心に考えると配達量も多いので一台にドライバー二人には意味があっても、地方でその規制にどれほど意味があるのか。田舎の経済を余計に苦しくさせてしまう。そういうところを緩和することで地方の物流は効率よく機能して都会にないビジネスチャンスは生まれてくるものだ。一般的に行政が動くと規制が増えるばかりで、行政の手腕があるかないかで地域が活性化するかどうかというところも大きい。


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