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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

滋賀に戻って

2012年12月07日

今朝早くに滋賀に戻って仕事再開です。東京から帰ってくると滋賀県というのは冷え込んでいる気分がします。午後からは、滋賀県の商工政策課の方と龍谷大学と京都工芸繊維大学の先生が、林与の経営理念的なものを調査しに来て下さいました。

私自身、過去の林与の近江上布からの歴史的な流れ、および、私が経営を担ってからの4年間のお話など、また、最近の状況などをお話いたしました。織物の仕事というのは人の能力というかやる気の差で何倍もの差が出て来るのだという話を先生方に説く中、先生方の私へのアドバイスはできる左腕が必要だということでした。

林与自身は、大きな分業体制の企業のものづくりの浅さみたいなものは感じておりますので、会社をあまり大きくすることが良いとは考えてはおりませんので、日本の麻織の歴史の一端、かつ、日本の麻織の特色のいくつかを社内で差別化しながらディベロップすることで、麻織物の産地らしさが産地に残るということが弊社の一つの地域に対する、また、日本の織物業の麻織物分野での特色を残す上での社会貢献ではないのかと思うところなのです。

商売ごとの癖に社会貢献とはという印象もあるかも知れませんが、余力で流せるような仕事ではありませんので、昔のように仕事に没頭することでよいものをたくさん生み出してそれが結局のところ世界の他では手が出しにくい特別なものづくりになるのではないかと思います。

安く作ることを考えれば安く提供が出来る部分もあるのですが、海外に生産を移転すると技術流失の裏で、日本の技術の進歩がとまってしまうというのが、繊維を含む自動車や電器産業の流れで、生産基盤のメルトダウンに繋がります。楽をしようとすれば、他の人が苦労をして、他の人が伸びるウサギと亀の童話の世界だったりいたします。

日本での生産の可能性としては一つ一つの地道な仕事をオールラウンドでこなせる人なら最後一人プラスそれを助ける人がいれば産業を守っていけるところがあります。社内分業で成り立つ形態というのは、需要が低下したときに、人を減らすとすべてが成り立たなくなるので、本当にもろいのは現実だと思います。

日本の半導体産業もかつては日本の花形産業でしたが、最先端にいても需要のかげりが出てくると続けることができなくなるもので、恐竜的な企業でも国に支えてもらうというような形しか残す道がなくなってしまいます。

産業のライフサイクルは30年といわれていますが、それは丁度、一つの世代が切り替わるのが30年ということと合致し、次の世代に引き継ぐことの難しさを意味します。行け行けなときほど、売れなくなる時代の前兆であることを意識しながら危機感を感じ用意していないといけないものだったりするので、ロングタームでものごとを考えるときには、大きくなることや売れることを喜ぶだけでは駄目なところもあるのではないかと思います。


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