リネン日記
人かコンピュータか
2013年03月09日
人かコンピュータかを選ぶときに似ているなあと思うのが、卵か鶏かの問題です。人よりもコンピュータが人の命を奪うほどに優る時に、人が不要になりそうなのをコンピュータの中の人に対するパラメータを無限大にすれば、コンピュータ自身が負けるような人情味のあるプログラムとならざる終えません。
将棋のようにすべての駒が人である王を守ろうとしても、相手の玉も人、コンピュータとコンピュータの相手の取り合いになったときに、王や玉自身が覚悟を決めて駒を進めなければ、平っこが死ぬだけの千日手の世界になるのは必然的です。
実際に、人が優位と思われてきた将棋の世界でも元プロ棋士がコンピュータに負けるという世界になって来ました。将棋の歴史を塗り替えるというような事態ですが、人がコンピュータに勝っているというあたりが良かったろうに、人がコンピュータに負けてしまうという事実は、正直、寂しさを感じます。
これって、織物の世界でもありがちなことで、機械の作るものと人の手の掛かったものとどちらが精密かというと機械の造ったもののほうが精巧なのです。人の手の造ったものは一つ一つ微妙に違う要素があって、機械は進化し続けるので人が手で作る世界を奪ってしまうのが現実です。
将棋の世界のプロが負けてしまうという現実は、将棋のプロの価値を問う問題になろうかといえますが、大昔に計算機が出来たときに日本人が暗算勝負したことがありましたが、暗算できる人が少なくなるとまた計算機より劣っていようが暗算できる人の価値というものは上がってくるものです。
将棋のようにすべての駒が人である王を守ろうとしても、相手の玉も人、コンピュータとコンピュータの相手の取り合いになったときに、王や玉自身が覚悟を決めて駒を進めなければ、平っこが死ぬだけの千日手の世界になるのは必然的です。
実際に、人が優位と思われてきた将棋の世界でも元プロ棋士がコンピュータに負けるという世界になって来ました。将棋の歴史を塗り替えるというような事態ですが、人がコンピュータに勝っているというあたりが良かったろうに、人がコンピュータに負けてしまうという事実は、正直、寂しさを感じます。
これって、織物の世界でもありがちなことで、機械の作るものと人の手の掛かったものとどちらが精密かというと機械の造ったもののほうが精巧なのです。人の手の造ったものは一つ一つ微妙に違う要素があって、機械は進化し続けるので人が手で作る世界を奪ってしまうのが現実です。
将棋の世界のプロが負けてしまうという現実は、将棋のプロの価値を問う問題になろうかといえますが、大昔に計算機が出来たときに日本人が暗算勝負したことがありましたが、暗算できる人が少なくなるとまた計算機より劣っていようが暗算できる人の価値というものは上がってくるものです。