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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

見本つくり

2013年04月07日

見本つくりに莫大なお金が掛かることは、業界におられる方でも、川上、川下含めて、ご存じないケースがほとんどです。ずいぶん昔のことで、2週間ほど掛かって20柄くらいの柄と色を掛け合わせた、100mほどの枡見本で、見本代を払って本番の単価を落としたいといわれて、7万円を請求させていただいたことがあって憤慨されたことがありました。

それは見本を織るために働いた職人さんの織る分の2週間の人件費の半分程度。織る人件費のほか、糸のお金、糸の染代、整経、ドビーカード代、加工代と、他に払う分を足すだけでも25万円ほどの直接的コスト。間接的な僅かは省いて見本なので私自身が無料の想定としても掛かるだけで大きな費用です。なぜ、ものが作れ流れるのかというと当たり前にそういう費用を認識して負担して動いて、そういうのを理解することは難しいだろうというのも分かっているからで説明もなるべくしないようにして伏せていますが、何分の1かの費用であっても大きいと思われるほどの大きな費用は当たり前に存在し、人や技術を養う経営者感覚的でないと新しいものを作ってその費用を回収するというのはアンタッチャブルな世界に思えるかもしれません。

見本をつくる工程の中では売り手と買い手のお金の流れも実質逆転していることがほとんどで、そのときにお金の流れは伴わなくてもそのあたりが理解できている循環の中にいるとトータルでの成長というのもありえましょうが、それが理解できていない流れの中だとどんなに良い物を作っても逆にどんどんと収縮する循環の中にいることになります。

カードをパンチしたり糸を準備したり規格の密度決定、再現性のためのすべての糸の準備とノート1冊の半分ほどのデータ記録を管理していますが、自分が無料で働いたとしても、新しくものをつくるというのは持ち出しでお金のかかるものなのです。そういう意味で、働いてお金を払うということが常識なのが経営者的な考えなのだろうなあと思うこと良くあります。経営者的に、お金の動きを抑えたければ、リスクを張るとか、とことん自分で時間を費やすとかしかないものです。

それをしないと新しい形のものが見えてこない場合が多いので、必須のものではあるのですが見本をつくるということは、まさにマイナスの仕事なのです。林与にある10数メートルから1反ほどの見本で作ったいろいろな反物というのは損の積み重ねで、作り続けている部分があるので、そういうのが生地を作る上での財産なのです。好意的に残布の処理のお手伝いを考えてくださる方も多いのですが、見本布の価値というのは通常の布の何倍ものコストを掛けた分の価値を持っているものです。

今の時代、商売は、リスク回避が仕事になりがちで、同じ年月を使っても大きなことはできず。昔の商人のように自らの命を掛けて行商に出るのがあたりまえ、自分の歩む道が平坦であるよりも険しいものを良しとするのとは対極的。近江商人の三方善のような理想を支えようとするとその自分に対する厳しさがなければ、三方善すらも三方偽善に終わります。

繊維の世界では、大手のSPAが、リスクを覚悟で海外でものづくり、それはそれで天晴れなことだと思います。そろそろ、日本国内でも大学卒業したような恵まれた人たちが集まって、そういう満足に教育も受けることのできないといわれる国の人たちのものづくりに負けないものづくりを考えてみてはどうかと思うのです。人のスケールの問題にしても、日本人と外国人と立場が逆転していること多くなってきて、日本ではものが作れないというのも現実的な話になってきました。

海外から新規参入されて競争を挑まれていて、日本的な高コスト体質や為替の問題などあって同じレベルで仕事をしていたら勝てるはずもなく、単純に3倍どころでなく10倍の仕事が要求されますが、同じレベル未満の仕事であると成長も見込めず負けは必至です。まだ、言葉や国境という壁に救われているだけ、国内でも、繊維の産業も共栄共存が成り立つように考えていくべきではなかろうかと思うのです。


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