リネン日記
ふっくら
2013年06月25日
昨日の来られたお客様が、ふっくらと織り上げることに関して糸の地撚数についてお話されておりました。昔のリネンのように麻をふっくらと織り上げようとするといろんな要素があります。シャトル織機で織ることもひとつですし、糸なんかに関してもチョイスは重要だったりするものです。
展示会なんかでも、日本のファッション業界の大御所の方が、私がこだわった自分がとても好きないい感じの素材に反応を下さっておりさすがだなあと思いました。実は私が説明もせずに、置いておくだけのその布に興味を示されたのはそのお方くらいだったのです。一般にはつくることが難しい布です。
そういう大御所の方であっても普通の世界じゃない、感覚が生きていることが生命線だろうと思うのです。見抜けず他に流されると終わりかも。ヨーロッパのテックスワールドでも、リネンの本場ベルーのデザイナーさんが弊社ブースに一番最初のお客様として来てくださり。何も語らずしてアイリッシュリネンに興味しめしてくださり、それは名前がどうとではなく、私のものづくりや私の良いと思うものに共感があるかないかだけの分け隔ての無い世界。
共感下さる方というのは自分自身が、アトリエを立ち上げておられるような方が多い、有名じゃあなくてもいいし、そういう方を応援したいし、そういう方の目も同じベクトルをもっていて、普通は見捨てられてしまうようなところしっかり救えるような目が共通している気がする。
一方で、定番の商品などは、自分自身が一つの極めた形として他から出てこようが、また、他が飽きてしまわれようが、作り上げてきたこだわりから、自分自身は続く限りは続けて行きたい。私自身も同、同じものをつくり続けようとするので、材料からして一つにこだわると同じものをずっと使い続けます。糸のロットによる僅かなロット差などももちろん感じることができますし、リネン100%に織りあがれば同じということもなく、途中の工程なども大事で、できる限り同じ織機で織るなども大事です。ここまで同じにしようとするとスケジュール的に難しくなることも多いですが、糸の微妙なロットの違いに気がつくのも他の要素をすべて一定にしようとつとめるからです。織る人もできれば同じ人が織るのが一番。
同じ織機でも調整が異なれば、糸が同じでも織れないことは当たり前、ましてや織機が違えば同じタイプの織機であっても織れないこともあるものです。同じ材料と同じ織機があれば同じ品質のものが出来上がるかというと、人という要素が一番大きかったりするものです。自分がつくったキズを織る以上に家に持ち帰って手間を掛けて直している人の布というものには将来性はあり、そういう人は伸びていくもの。
展示会なんかでも、日本のファッション業界の大御所の方が、私がこだわった自分がとても好きないい感じの素材に反応を下さっておりさすがだなあと思いました。実は私が説明もせずに、置いておくだけのその布に興味を示されたのはそのお方くらいだったのです。一般にはつくることが難しい布です。
そういう大御所の方であっても普通の世界じゃない、感覚が生きていることが生命線だろうと思うのです。見抜けず他に流されると終わりかも。ヨーロッパのテックスワールドでも、リネンの本場ベルーのデザイナーさんが弊社ブースに一番最初のお客様として来てくださり。何も語らずしてアイリッシュリネンに興味しめしてくださり、それは名前がどうとではなく、私のものづくりや私の良いと思うものに共感があるかないかだけの分け隔ての無い世界。
共感下さる方というのは自分自身が、アトリエを立ち上げておられるような方が多い、有名じゃあなくてもいいし、そういう方を応援したいし、そういう方の目も同じベクトルをもっていて、普通は見捨てられてしまうようなところしっかり救えるような目が共通している気がする。
一方で、定番の商品などは、自分自身が一つの極めた形として他から出てこようが、また、他が飽きてしまわれようが、作り上げてきたこだわりから、自分自身は続く限りは続けて行きたい。私自身も同、同じものをつくり続けようとするので、材料からして一つにこだわると同じものをずっと使い続けます。糸のロットによる僅かなロット差などももちろん感じることができますし、リネン100%に織りあがれば同じということもなく、途中の工程なども大事で、できる限り同じ織機で織るなども大事です。ここまで同じにしようとするとスケジュール的に難しくなることも多いですが、糸の微妙なロットの違いに気がつくのも他の要素をすべて一定にしようとつとめるからです。織る人もできれば同じ人が織るのが一番。
同じ織機でも調整が異なれば、糸が同じでも織れないことは当たり前、ましてや織機が違えば同じタイプの織機であっても織れないこともあるものです。同じ材料と同じ織機があれば同じ品質のものが出来上がるかというと、人という要素が一番大きかったりするものです。自分がつくったキズを織る以上に家に持ち帰って手間を掛けて直している人の布というものには将来性はあり、そういう人は伸びていくもの。