リネン日記
盆踊り
2013年08月10日
今日は、東円堂の盆踊大会、江州音頭です。東円堂の旧の集落というのは、私自身、子供の頃にあった行事というのは今もあり続けている感じで、30年以上昔の小学生の頃から古めかしいことをやっているなあと思っていたので、今の若い人たちにとってはもっとギャップあろうかと思います。
滋賀県のことを江州という呼び方をするのも、今は、納得が出来るのですが、小さなころはオーストラリアと同じ呼び方をするの変だなあと。今は解決していても、今の滋賀県ではなかなか、江というものの存在を身近には感じないので違和感はあるままです。滋賀県では戦後、江がほとんど埋め立てられてしまい、湖岸の様相が大きく変わりました。
安土城にしても琵琶湖岸の城で、絶景そのものだったと思います。周囲を自然の堀に囲まれた島のような城、地理的に日本のへそのようにある琵琶湖を抱える近江、その中でも、地理的に中心的な安土、日本を統一するのにふさわしいような場所と考えたのではないでしょうか。今は、ただの小さな山の上の城跡のようにしか見えませんが、近江の魅力というものは今とは違ったところにあったと思います。
盆踊りも、滋賀県でも踊られることが少なくなってきましたが、そういう文化を自分たちの力で残していこうという地域である東円堂。理想的な社会というものの捉え方が違うのかなあと思える部分です。良いところもあれば悪いところもある。地域の人々の献身的な行為を上に立つものが食いつぶさないようにすることが大事だろうと思うところ、これがなかなか難しい。
滋賀県のことを江州という呼び方をするのも、今は、納得が出来るのですが、小さなころはオーストラリアと同じ呼び方をするの変だなあと。今は解決していても、今の滋賀県ではなかなか、江というものの存在を身近には感じないので違和感はあるままです。滋賀県では戦後、江がほとんど埋め立てられてしまい、湖岸の様相が大きく変わりました。
安土城にしても琵琶湖岸の城で、絶景そのものだったと思います。周囲を自然の堀に囲まれた島のような城、地理的に日本のへそのようにある琵琶湖を抱える近江、その中でも、地理的に中心的な安土、日本を統一するのにふさわしいような場所と考えたのではないでしょうか。今は、ただの小さな山の上の城跡のようにしか見えませんが、近江の魅力というものは今とは違ったところにあったと思います。
盆踊りも、滋賀県でも踊られることが少なくなってきましたが、そういう文化を自分たちの力で残していこうという地域である東円堂。理想的な社会というものの捉え方が違うのかなあと思える部分です。良いところもあれば悪いところもある。地域の人々の献身的な行為を上に立つものが食いつぶさないようにすることが大事だろうと思うところ、これがなかなか難しい。