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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

昔のおじいさんたち

2013年11月12日

今日は出機さんが来られたので、立て続けに4回、オフ白の生地が横糸の汚れで全滅状態だったことや、縦糸が2本いりになってしまって全滅するなど、出機さんでの仕事が全滅状態が続いていることを話しました。これはこの出機さんの話だけではなく、職人は歳を取るにつれて織の現場では、目が見えなくなってくると、細かい作業が面倒になり、根気もなくなり、まともなものが作れなくなってくることが多いというのが現実です。

私が仕事に入ったときから、私の下で働いたのが当時73歳の勘一じいさんでしたが、伝統工芸師ながらも、年相応に自分自身の力が足りなくなっていることを十分に理解が出来ていた方でしたので、私のいうことをしっかりと聞いて仕事してくれました。勘一じいさんは、常に愚直に仕事をこなしてくれていました。厳しい親方である与一じいさんや同じく伝統工芸師だった厳しかった勘平じいさんと一緒に仕事をこなしてきただけの人ではあるといえ、高齢で能力は足りなくても人間性としては職人そのものの姿勢を貫いておられました。

私が目を離した隙に、私のやっていた仕事を自分がやってみようと、整経の筬通しをされたことがあったのです。遅くて間違いがあって私がやり直しましたが、私を助けようとされたのだと思い、職人としての姿勢が正しいのを感じました。

その背景には、早くに親を亡くされて、ヨジヨモン爺さんの家で与一爺さんと兄弟同様に面倒を見てもらったということがあり、林与の会社を守るというよりも、林与の跡継ぎである私が立派に家を守っていくことを望まれていたことがあろうかと思います。与一爺さんの妹に当たるおばあさんにしても、私のことを親戚のなかでも特別に見ておられたのを覚えています。私の父親世代や母親世代になるとそれがうすれるものですが、戦前のおじいさん世代の人というのは母屋を守るという気持ちは非常に強いものだなあ感じたものです。

私が3歳4歳のころまでは家では法事も含めて月に1回はおよばれみたいなものがあって、働いているものが家で食事をするのですが、父親や母親をたしなめてでも、おじいさんおばあさん世代が、子供の私を持ち上げるような雰囲気があったのも覚えています。戦前的な日本の家というものの考え方というのは、親戚一同が次の世代の一人に力を集中させるようなメカニズムをもって一族の繁栄を成り立たせていたのかもしれないと思います。


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