for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

目で出す直線

2014年04月18日

今の日本の織物業界だけでなく製造業全般で不足しているのは、技術ではなく人という要素。仕事が機械化されると人の能力が低下する。働かずしてものがつくれる環境に一度慣れてしまうと、元に戻ることは難しい。人というのは、単純にできる作業でも面倒に思えて動かなくなる。

作業効率を上げるために機械化することは、手織りから力織機に移り変わったのも同じことで、悪いことではないと思うが、手が空いた分、より高度な作業に対応するべきだろうが、同じ作業を機械化して楽に仕事してしまうことがほとんど。

今の日本には織機をつくる技術も欠如し始めている。これは、織機に使うような何十年も磨り減らない鋼鉄や鋳物の技術からしてない。今の時代の織機は、パソコンと同じで、数年で買い換えるような消耗品。修理するよりも新しい部品と交換することで対応。自動車が壊れたときの修理と同じだが、自動車と違うのは、自動車というのは何万台が流通し、製造が終わる頃には中古パーツが手に入りやすいが、織機のように多くても数百台しか出回らないものの場合、壊れる部品はどこもが必要。

今は、日本で5年、7年以上もつコンデンサーを手に入れることは難しいだろうが、織機の取り外しできない基盤に短命なコンデンサーが使われている場合は致命的。織機が5年、7年周期で、メイン基盤の修理が必要な最悪の事態。メーカー以上にその機械を自分で面倒みていく覚悟がないと機屋が機械すらも運用できないというのも、今の日本のものづくり。昔はどの町にでも鍛冶屋があって、勘で鉄の部品をつくることができたが、今は技術力のある機械加工メーカーに本腰を入れて計ってパーツを復元するようなイメージ。町の鍛冶屋のほうが鉄を強くすることもできたし力は上じゃなかったのか。

林与にしても小さな機屋で、町の鍛冶屋みたいな存在だろうが、大きなところ以上にものづくりの自由度は高く、実際に布や色柄の良し悪しの判断をもって織物をつくれるところが大事なんだろうと思う。素人の人でも布の良し悪しを判断する感覚をもっているのに、布を作る人間がその感覚なくなってしまいながら、いわれたままにだけ布をつくる状態というのもさびしい話だと思うのだ。売れればすべてよいというのと違うのもその辺り。定規で直線を出すのは誰でもできるが、目で直線を出せる人というのは大事で、定規がなくても真っ直ぐなのか曲がっているのが分かるというのは商品だけでなく、人の生き方にも共通する部分だと思う。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内