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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

職人の無意識

2014年08月06日

職人というのは仕事しているときに張り詰めているかというと、慣れでやっているのでそれほど神経を使っていないものなのだ。単純作業に慣れて惰性でやっているようなところがあるので、正しくない手順に慣れたり、キズなどに無神経であることに慣れてしまうと改善するのが難しい。

昔、林与の工場内でも、縦の糸の通し違いなどが多いのと加工前に反物を下ろして全滅みたいなケースが重なり、これでは仕事していてもやり直しばかりで大きな損が出て駄目だと思って、私が、織機の上に赤い字で「確認」と書いて貼ったら、次の日、当時の工場長がすごく気に入らないという態度をしたのだが、それは工場長だけでなく、何十年も惰性で仕事をやって不良などの大きな問題すらも見えなくなっている職人というものは、概してそんな程度の品質意識だったりする。また、田舎は年功序列みたいな風潮があるので、仕事であっても正しいことが通らず、通そうとすると逆に邪魔をするような村社会的な要素が働くものだ。そういうの気にしてては、仕事なんてあきらめたほうがよい。気にせず、しっかりとしたモノづくりを出来る人がやるしかない。

仕事の本質が見えないことも多い。私が始めて会社で仕事をしたときにも、私自身の仕事に対する考えというのは今とそれほど変わらないのだが、伝統工芸師の勘一じいさんでも70ともなれば仕事がおぼつかないところがあるが、私の言うことを正しく聞いて動こうとしてくれたところが職人としては素直さというのは一番価値のあるところで、変に自分をもって全体が見えなくなる職人の仕事では正しいものが出来ず、その職人を食べさすことすら難しいものだ。

本来、経験を積んでいるといろいろな手段や方法がみえて、その中でベストな方法を選ぶということができないとならないのだが、惰性でやっている職人というのは複雑に考えるのは苦手で自分の一つの方法しか認めない。それがうまく行かないと仕事自体を成り立たないものと結論付けてしまう。自分のやり方でしか仕事をしたくないとか、人のいうことを聞いて仕事をするのが嫌とか、目の前の仕事をどう成し遂げるかよりも、職人のプライドの問題が勝ってしまうことも多く、プライドの高い職人は自分が天狗になれる場所を捜して満足しているので腕が低かったりもする。仕事にプライドを持ち込まず、何でも進んでやってみるタイプが一番仕事も上手。


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