リネン日記
近江の祭
2014年10月12日
米原の文化産業会館で、13日に予定されていました「近江の祭」は台風接近のために中止というお知らせをいただきました。どの規模の台風になるのか判らない状況で子供さんもたくさん参加する行事なので仕方のないことなのだろうと思います。
昔、台風で神社の何十年もの杉の木が10本ほど根こそぎ抜けてしまって倒れたのを見て、朝に傍を通ったときに、地獄絵のような風景を見て自然の偉大さを再認識したことがあります。人の作り上げる地獄絵もすごいもので、伊吹山のセメント開発で山の片側が絶壁状にそぎ取られたのを見たときも人の欲の怖さは自然よりも勝るものかと思ったり。
自然と戦おうとすると自然の厳しさが人類に降りかかる。欲にまみれてどこまでも進もうとすると、戦争もそうだが、原発事故などの大惨事は常に起こりやすい。自然や違いを受け入れ我慢する中に秩序が存在するのであって欲をどこまでも広げようとすると取り合いになるだけで本来の姿を見失う。
たとえば仕事にしてもビジネスとして成り立つとかよりも、仕事としての働くという基本の形があるかどうかが本来大事だろうと思う。最初からそれを否定するような判断をしてしまう方というのが多いのだがそういう基本がないと長くは続かないんじゃあないだろうか。
昔、台風で神社の何十年もの杉の木が10本ほど根こそぎ抜けてしまって倒れたのを見て、朝に傍を通ったときに、地獄絵のような風景を見て自然の偉大さを再認識したことがあります。人の作り上げる地獄絵もすごいもので、伊吹山のセメント開発で山の片側が絶壁状にそぎ取られたのを見たときも人の欲の怖さは自然よりも勝るものかと思ったり。
自然と戦おうとすると自然の厳しさが人類に降りかかる。欲にまみれてどこまでも進もうとすると、戦争もそうだが、原発事故などの大惨事は常に起こりやすい。自然や違いを受け入れ我慢する中に秩序が存在するのであって欲をどこまでも広げようとすると取り合いになるだけで本来の姿を見失う。
たとえば仕事にしてもビジネスとして成り立つとかよりも、仕事としての働くという基本の形があるかどうかが本来大事だろうと思う。最初からそれを否定するような判断をしてしまう方というのが多いのだがそういう基本がないと長くは続かないんじゃあないだろうか。