リネン日記
トキに経営努力
2015年04月30日
穏やかなお天気が続き、すこぶる気持ちがよい。外にいるだけで幸せな気分になれるのだが、工場の中での仕事、休み中になんとかこなせば休み明けには形になるような仕事がいくつかある。できていないことも多すぎて数え切れないほど、仕事をすればするほど、できていないことが増えていく感じもする。
田植えの時期でゴールデンウィークで帰省された方たちが田植えを手伝うという光景がみられる。林与のうちも昔は村では一番田んぼもたくさんもっていたが、私が子供の時以来、田んぼを手伝った経験がない。ほかの農家の方にやってもらっていた形だ。それは先代があまり作業が好きじゃなかったということがあろうといえ、人に頼んでの仕事になっていた。
私が、現場の仕事をできるのもアメリカでの経験が大きく影響をしている思う。車が壊れて自分で修理するというようなことをホストファーザーと一緒にやったことなどから、問題が起きたときに基本は自分が考えてやってみるということが普通なんだなあと思えた。触ると壊れたらどうしようとかだと今の仕事でも何も始まらないだろう。
年代物のボルボもそうだったが、ジャガーXJSもなかなか手ごわかった。ジャガーXJSなんて、V12のエンジンがボンネットを開けるとドカーンとあるので美しいのだが、ほかのものを修理しようとするとエンジンが邪魔をするし、ラジエーター液のバルブのゴムが劣化しただけで、車体の横の訳の分からない場所からラジエーター水が洪水のように漏れだしたりした。燃費がよくて問題が起こりにくくメンテナンスが簡単な日本車のありがたみもわかった気がする。そういうのを経験すると自動車をつくっている人ですらもそれほど長けているわけではないのも感じる。お利口さんばっかりでも駄目で、そういう面倒な経験を自分で乗り越える経験がないと、いわゆる普通のお客様目線でのものづくりにしかならず、ものづくりが落ちてゆく部分もあろう。
ものをつくるだけでなくつくった後に問題を想定していないものづくりをしては駄目ということ。つくるものに集中するのではなく、つくられる工程に集中する。同じように物ができても、たまたまなのか正しい手順でつくられて正しく出来たのか、その違いは大きい。手順が違うのに正しく出来て手順が間違っているのをしてきされて腹を立てるタイプの人もいるけども、そういう人というのはまさに環境や文化の産物であり、そういう人を変えることは難しいものである。その場しのぎのものづくりじゃ後の問題も大きく駄目で、何をおいても無理をしてでもやはり正しく物はつくったほうがよい。
日本のモノづくり産業が滅びかけているのも日本のものづくり哲学が成り立たなくなってきていることにある。それには文化的な背景があろう。たとえば、日産という会社があるけども、日産は倒産の危機に陥りフィアットのゴーン氏が関与したことで再生したというのが市場の評価なのだが。それほど簡単なことではないのは、日本の国内の経営判断がそれほどに腰が軽いというところだろう。多くの優良なものづくりが経営の波があるだけで、駄目だと判断をされてしまう。判断する側に大きな問題があることが多いものであるというのが一番の問題だろう。こんな判断されていては世界には国営の企業ですらあるのだからそんな競争の中で、日本企業が長続きできるはずないのである。
面白いのが、国内が見放しても海外からすると日本企業ほど堅実なものづくりはないだろうといえ、国内以上に海外の人のほうが国内のものづくりを評価しているというところだったりもする。昔、トキという鳥が日本中の空を飛んでいたけどもそれが絶滅してしまったのも、同じようなことなんだろうと思えるのだ。絶滅しかけて初めて保護に入るけど、生きていけない環境にどんどんと追いやっている人の存在にも気がつかないとならないだろう。今の日本で地場産業を考えるときにも、トキに経営努力が足りんから絶滅してしまうんやでみたいな説教が多い気もする。
田植えの時期でゴールデンウィークで帰省された方たちが田植えを手伝うという光景がみられる。林与のうちも昔は村では一番田んぼもたくさんもっていたが、私が子供の時以来、田んぼを手伝った経験がない。ほかの農家の方にやってもらっていた形だ。それは先代があまり作業が好きじゃなかったということがあろうといえ、人に頼んでの仕事になっていた。
私が、現場の仕事をできるのもアメリカでの経験が大きく影響をしている思う。車が壊れて自分で修理するというようなことをホストファーザーと一緒にやったことなどから、問題が起きたときに基本は自分が考えてやってみるということが普通なんだなあと思えた。触ると壊れたらどうしようとかだと今の仕事でも何も始まらないだろう。
年代物のボルボもそうだったが、ジャガーXJSもなかなか手ごわかった。ジャガーXJSなんて、V12のエンジンがボンネットを開けるとドカーンとあるので美しいのだが、ほかのものを修理しようとするとエンジンが邪魔をするし、ラジエーター液のバルブのゴムが劣化しただけで、車体の横の訳の分からない場所からラジエーター水が洪水のように漏れだしたりした。燃費がよくて問題が起こりにくくメンテナンスが簡単な日本車のありがたみもわかった気がする。そういうのを経験すると自動車をつくっている人ですらもそれほど長けているわけではないのも感じる。お利口さんばっかりでも駄目で、そういう面倒な経験を自分で乗り越える経験がないと、いわゆる普通のお客様目線でのものづくりにしかならず、ものづくりが落ちてゆく部分もあろう。
ものをつくるだけでなくつくった後に問題を想定していないものづくりをしては駄目ということ。つくるものに集中するのではなく、つくられる工程に集中する。同じように物ができても、たまたまなのか正しい手順でつくられて正しく出来たのか、その違いは大きい。手順が違うのに正しく出来て手順が間違っているのをしてきされて腹を立てるタイプの人もいるけども、そういう人というのはまさに環境や文化の産物であり、そういう人を変えることは難しいものである。その場しのぎのものづくりじゃ後の問題も大きく駄目で、何をおいても無理をしてでもやはり正しく物はつくったほうがよい。
日本のモノづくり産業が滅びかけているのも日本のものづくり哲学が成り立たなくなってきていることにある。それには文化的な背景があろう。たとえば、日産という会社があるけども、日産は倒産の危機に陥りフィアットのゴーン氏が関与したことで再生したというのが市場の評価なのだが。それほど簡単なことではないのは、日本の国内の経営判断がそれほどに腰が軽いというところだろう。多くの優良なものづくりが経営の波があるだけで、駄目だと判断をされてしまう。判断する側に大きな問題があることが多いものであるというのが一番の問題だろう。こんな判断されていては世界には国営の企業ですらあるのだからそんな競争の中で、日本企業が長続きできるはずないのである。
面白いのが、国内が見放しても海外からすると日本企業ほど堅実なものづくりはないだろうといえ、国内以上に海外の人のほうが国内のものづくりを評価しているというところだったりもする。昔、トキという鳥が日本中の空を飛んでいたけどもそれが絶滅してしまったのも、同じようなことなんだろうと思えるのだ。絶滅しかけて初めて保護に入るけど、生きていけない環境にどんどんと追いやっている人の存在にも気がつかないとならないだろう。今の日本で地場産業を考えるときにも、トキに経営努力が足りんから絶滅してしまうんやでみたいな説教が多い気もする。