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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

クリーンディーゼル

2015年09月25日

私がアメリカから帰国後、ヨーロッパではディーゼル車がクリーンだエコだという風にいわれはじめて、素人ながらも疑念に満ちていたが大掛かりな工作により燃費がよくクリーンなディーゼル車がでっち上げられていたが、これはまさに原発を環境によいとして推進したのとおなじこと。本来は援用投棄されないとならない廃棄物でもプルサーマルというエコサイクルな建前の下、全部吹っ飛んで消えていながらもそのことにも触れることもタブーなのがやはり原発なのだ。うまくいくだけが現場ではなく、うまくいかないことも当然考慮しておかないととくに誰も責任を取れないような原発の場合には対応ができなかったりする。

売らんがために一線を越えてしまうことはあるだろう。先日もオーガニックの認証をされている国際機関の技術の方と話していて、現場では合成繊維がオーガニックで流れていることもあるという指摘をしたら、それは認証を受けている企業の問題で自分の責任の範囲外だと簡単にいわれるので、その感覚はまったく駄目なのですときつく注意したが、オーガニックにしても実際はブラックボックスで、まったくオーガニックでないものにオーガニックの認証が付いたとしても、そのような感覚で現実は流れてしまうもので、結局は信用できる人から確かなものを手に入れるしか方法はないだろう。

そこまでかと思うが、原発がチェルノブイリクラスの放射能漏れ起こしてしまっても爆発健康に影響はないというレベルが日本だし、所長が甲状腺がんで死んでも労災案件にもしない。ヨーロッパのディーゼルの一件にしても、販売台数の何割かが通常の基準値の40倍とかのレベルのディーゼル車が大量に出回って人は生きている。ただし、何万分の一かで発ガンしたりする人は存在し、それを無視するかしないかというだけのこと。

国いわく問題が起こればそれほど大きな問題でないということを国が問題が起こる前には規制して、国が利権者のために消費者を犠牲にして利益を一部に誘導していただけということではないのか、と考えると今回もトカゲの尻尾きりではなくて、国規模でその癒着体質を改めないとならない。現実を受け止めて現実に即したことをしていれば問題も起こらなかったのに、へんな理想主義を立ち上げてほかを悪として規制側がほかを排他的にあつかい権力を増したいというような愚かな欲望が、消費者を騙したり犠牲にするような規制の増加に繋がる。本来は確かでないとならない国とかのレベルが力関係でなりたっているだけの一番改善も難しいシステムだったりする。

私が思うのは、今の先進国でプロは存在できるのかという問題、一年に2000時間働いたところで、一生だれもが素人のままで終わるだけじゃないのか。国の人にしても現場を知らずに監督で自分の手がけた法律の矛盾もわからないままに、国民に迷惑をかけていたり。途上国の子供ほうが現場でより本質的に取り組んで時間も費やしているので覚悟からしても仕事に対する責任感は強いと思えたりする。


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