リネン日記
オーガニックのこと
2015年10月08日
この1週間はオーガニックウィーク、オーガニックリネンに尽きる。今回のイタリア銘柄の糸もチュニジア紡績の糸。多くの方がオーガニックリネンに関して問い合わせいただくが、幻想が広がりすぎているようなところがあるのではと思うフシがある。
オーガニックに関してある組織の代表を務めておられる方に、オーガニックといいながら合成繊維が流れていたりする現実があることを指摘したところ、その代表の方は、それは「企業と企業の問題です」とあっさりいわれ、自分や組織には責任がないということを主張される。私からすると、おっさんまったくアカンやんのレベル。
お話からしても引導を渡されるような立場であるそうだが次の人がいないという。オーガニックというのは、自己犠牲をともなう献身的な世界だろうと思うが、その覚悟がなく、弱者にそういう覚悟を強いているだけではないのかなあと、管理するもの現場以上に苦悩を味わってこそ、オーガニックの世界というのは成り立つものだと考える。
オーガニックリネンの世界も広がりすぎると同じようなことになるだろう。オーガニックリネンにしてもブランドじゃないのだから、誰かのものではないし、そのコンセプトに同意できる人に本物が手に入るように広がっていけばよいのではないかと思える。
先日お越しになられた方も、あるオーガニックのラベルが1枚10円だとして、何十万アイテム流れるとして、誰がその何百万円のお金を誰にもわからずして手にしているのかというオーガニックを運営している組織の闇の部分に触れられていた。まともにオーガニックに取り組んでいるものは、そいうお金が飲み食いに使われるのではなく、そういうお金が現場を救うために流れてほしいと感じてしまうものだ結局そうでなければ搾取の母体であるに終わる。いろいろと厳しい話だが書かせていただいた。
オーガニックに関してある組織の代表を務めておられる方に、オーガニックといいながら合成繊維が流れていたりする現実があることを指摘したところ、その代表の方は、それは「企業と企業の問題です」とあっさりいわれ、自分や組織には責任がないということを主張される。私からすると、おっさんまったくアカンやんのレベル。
お話からしても引導を渡されるような立場であるそうだが次の人がいないという。オーガニックというのは、自己犠牲をともなう献身的な世界だろうと思うが、その覚悟がなく、弱者にそういう覚悟を強いているだけではないのかなあと、管理するもの現場以上に苦悩を味わってこそ、オーガニックの世界というのは成り立つものだと考える。
オーガニックリネンの世界も広がりすぎると同じようなことになるだろう。オーガニックリネンにしてもブランドじゃないのだから、誰かのものではないし、そのコンセプトに同意できる人に本物が手に入るように広がっていけばよいのではないかと思える。
先日お越しになられた方も、あるオーガニックのラベルが1枚10円だとして、何十万アイテム流れるとして、誰がその何百万円のお金を誰にもわからずして手にしているのかというオーガニックを運営している組織の闇の部分に触れられていた。まともにオーガニックに取り組んでいるものは、そいうお金が飲み食いに使われるのではなく、そういうお金が現場を救うために流れてほしいと感じてしまうものだ結局そうでなければ搾取の母体であるに終わる。いろいろと厳しい話だが書かせていただいた。