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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

オリンピック

2010年02月19日

今、バンクーバーでの冬のオリンピックが行われています。冬のオリンピックというと私自身は、私の唯一のオリンピックを見た”長野オリンピック”を思い出します。大学の時の親友が長野の方で、オリンピック見てみたいなあというと、チケットなどを手配してくれて、生のオリンピックを見せてもらいました。

一番、印象的だったのは、オリンピックの競技よりも長野駅近くのお祭り広場です。なんか、みんなが、一体化していて、各国の応援団が、手を前の人の方に乗せ人間の列車がいたるところで走っているのです。私の友人は、オリンピックのボランティアで忙しかったのですが、食事前に一人で長野駅前に出かけていったのですが、なんか訳が分からなかったけど、外国の人から来たという方と友達気分で盛り上がれました。

今回のオリンピックで、一番の話題は国母選手だったのではないでしょうか。私自身は、オリンピック事態が運営者の手により商業化してしまったことに嘆いています。利権が絡みすぎて、なにか大事なものを忘れてしまったのではないかと思うのです。スノーボードという種目を勘違いしていないかと思ったりもします。もともと、ミーハーな遊びの世界で、楽しむことを目的に始まっているのです。それはそれで守っていかないと、スノーボードのファッションなど理解は不可能だと思います。そういうカジュアル、スポーツな世界があってよいと思うのです。

10数年前のオリンピックでは、他国が自由な入場行進をする中で、手を振ることも少なく、世界で一番日本人が、がちがちな入場行進をしていました。そこらあたりが日本がいま各国に追い抜かれてしまった一番の理由だと思うのです。他の国の人たちが伸び伸びとしていながら、実力も出し切れるようなものでないとなりません。形だけにこだわり、大事な本質を忘れてしまった、利権だけによる運営が選手の育成を駄目にしてしまったのです。莫大なお金使って何人ものコーチをつけるような馬鹿をやっていたら駄目です。

オリンピックは、選手の日ごろ磨いた能力を発揮して世界一に挑戦できる場であればそれでいいと思います。失敗してメダルなかってもよいじゃあないですか。メダルほしさに、実力を出し切らないで、失敗しない安全な範囲でやって意味があるのでしょうか。他の人に勝とうとして6人のうちの5人が転んで、一番、スピードのダントツに遅い南国の選手が優勝なんていう偶然的なラッキーがあっても、それはそれでドラマだし、精一杯やった末のことで、メダルを取ったものがどれだけ偉いとかそんな問題ではないのです。

林与もスポーツ選手ではありませんが仕事で麻を扱っています。麻織では日本だけでなく世界一でありたいと思う気持ちはあり、普通では扱えない、織れないクラスのものに挑戦し続けています。海外や他産地で作ったほうが安いのだから…みたいなのは、勝ち組の考え方かもしれませんが、林与は、自分でのものづくりにこだわりつづけてきたので、このままのスタイルを大切にしていきたいと考えます。

日本で、ものづくりの心を、個人の方が持ち続けておられれば、大丈夫ではないかと思うのです。ハンドメイドの意味は、自分で作るところに意味があるのだと思います。林与も同じ気持ちで布づくりをしています。


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