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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

将棋

2016年04月08日

将棋というのは、人の能力の違いというものを考えさせられる。最後にかつか負けるかが自分だけでなく相手の力で決まる。仕事の結果なんかも、同じものをつくっても、もちろん途中で失敗などがあるとまったく駄目だが、正しく作ったとしても結果が伴わないことも多い。

昔と違うのはコンピュータなどがあって、昔だと人の中で蓄積したデータが、そういうディバイスの助けで、すべてを蓄積できるようになったこと。前回と同じ手順で途中まで打っても違うかたちで終わる。一回使った最善手が次の最善手とは限らない。

今の時代、大きな会社の寿命は人の一生よりも短いというのが定石。まだ、会社というところで話をいているので大丈夫なのかもと思うが、国にしても途上国的なら長生き、先進国化すると次々と手を打っていかねばならなく、打つ手がなくなれば、国が投了するような可能性が高くなる。国家財政の破綻などはその顕著な例であろう。

将棋で思うのは、一世代前の名人といわれる人たちは味があるように思える。たぶん、将棋だけじゃない人間性的なものがあってそう思うのだろう。将棋にしても、人よりもコンピュータがいくら強くなっても、人の面倒をみてくれるのかというところがあるだろう。コンピュータが強くても将棋という人が食べていく世界では無意味なのである。将棋という世界の裏にも、そこに集う人が食べていくという勝ち負け以上に大きな意味がある。

繊維という昔風に思われる仕事、力がなければ食べていくのが難しいということもあろうが、それは勝ち負けが常にあるからで、何十年経験のある人でも食べていくのが難しいケースがほとんど。繊維の仕事もコンピュータ将棋と似ているところは、人が介在せず機械だけで作ったようなものが出回ると結局は、繊維の中で働く人たちを支えてゆけないということになるのではないだろうか。日本の繊維産業が成り立つことの難しさは、繊維がだんだんとコンピュータ将棋の世界に入ってきているようなものだろう。


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