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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

ひとつひとつの世界

2016年08月08日

テイラードなものづくりというのは、ひとつひとつものを作っていく世界で、その世界というのは今の日本のものづくりにあっていると思える。昔から変わらないままに今の時代にも対応ができる。林与という会社もそれに近いものづくりなのでなんとかやっていけているのだろうと思うところがある。

織物だと、昔は整経1人、経繋ぎ1人、織一人、企画染加工指図出荷一人、営業一人、経理一人の5~6人くらいの作業を、今は、無理すれば一人の仕事としてこなせる力があれば、仕事なんていくらでもあるといえばある。逆に昔ながらの分業だとほかの人が準備してくれるまで自分の仕事はないことになる。

何かひとつの仕事を毎日続けていると、自分には常に仕事があって自分がいないと会社が回らないというような錯覚に陥ることがあるかもしれないが、人の力や、会社の力に合わせて仕事の内容が調整されているだけのことも多く。できないならできないなりに仕事はほかに置き換えられていく。これは、厳しい話、人の力、会社の力というだけでなく、日本でできないなら海外でという形になってしまうのだ。海外でもできるような仕事の内容だと、コスト面で国規模で切り捨てられてしまう時代なので、先進国では違ったスタイルでの仕事が必要だろう。

日本の大手の自動車メーカーだと大まかに30兆円売って、5%から10%の利益。これを考えると数兆の利益をあげる勝ち組といわれる自動車メーカーでも、国の為替介入、購入補助金、国の雇用補助無しには、殿様商売といわれる大手でもまったく生き残れていないという現実もある。自動車だけでなく、電器関連でも同じだが、自動車の場合には登録や車検制度という法律の縛りがあるが、電器関連では携帯電話以外ではそういう縛りもなく、一般商品である、テレビ、パソコン、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなどは、ほぼ海外生産となり、海外生産というのは海外での雇用や生産基盤を守り、日本企業が海外生産で利益を上げる10倍から20倍、外国経済を支える結果に繋がってしまう要素を秘める。

繊維でいうとそれが日本の繊維業界のものづくりを食いつぶしてしまった感がある。日本でつくると高くつくものを海外で安くつくって、国内市場をコスト競争で成り立たせるという商売が当たり前になりすぎ、海外の物価が国内にも浸透しすぎてしまった。安いのが当たり前で安いものでも売るのが難しくなったときに、見直されるのは日本の良い物というあたりなのだが、それが一点物に通じる概念で生き残りのひとつなのだろうと思える。


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