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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

回復して

2016年10月17日

今日は体力がようやく回復して、仕事に復帰。朝、加工工場に反物を投入、出荷の案件がいくつかあって急がねばならない。何から手をつけてよいのか分からないほど、ちょっと難しいことが残っている。ちょっと難しいことは他の人にはこなせないことが多い。どこの会社もいっしょだろうから機屋というものがこの産地で廃業していくんだろうと思える。

これは今に始まったことでもなく、私が仕事に付いたときからちょっと難しい仕事は私に回ってくることが多く、整経をしていた方以外の、他の人のする仕事というのはすごく簡略化されていたように思える。仕事はいくらでもあるのだが、できる仕事がないかったりして待っているという状態が、工場の中でも出機さんでも。一人ひとりができる仕事を増やさねばならないのだが、職域みたいなものが勝手に出来上がっていてこれはだれだれの仕事みたいな感じ。

私自身はもっと高度なことをやりたかったのだけど、私に現場の作業のちょっと難しい作業が回ってきて、高度なことのできる会社にはなりえないところもあった。何十年も仕事をしていてると外の進化のスピードに追い越されてしまうのだが、歳を取るごとに仕事も気力もなくなり難しくなる一方の現場、これは田舎の普通の暮らしも同じで、若い者が活気を持って仕事するというより、年配の人が多いと年配の人のできない部分の手伝い仕事ばかりになってしまう。

ある糸商さんが自分を経由してリネンの細い糸を買ってほしいと頼まれて、間に入られるなら糸商さんがリスクをもって糸を引っ張ってきてほしいと頼んだがそれは無理な話といわれて、結局、自分で糸を注文して引っ張ってきた。それが私にとっては何も難しいことでもなくて、リスクも自分で張って在庫も持つ。糸商さん経由だと在庫がないときも多く、結局、いざというときのものづくりに支障が出るのである。特殊な糸だと見本を作って注文を受けても、本清算のときに糸の背景そのものが見えなくなるので余計に怖く、糸があるときにある、糸がないときにはないだけでは、提案するのも危険すぎるのである。糸商さんからは定番の糸は買い続けたので別に糸商さんとの関係を潰したくもないし、糸商さんの限界があるときには自分が動いて解決しないと、特別な糸も手に入らないのである。

糸商さんでも問屋さんでも、林与のような小さな会社が自分で動くと相手に嫌がられるといわれるけども、糸商さんも問屋さんもお付き合いで関係が成り立っているということを、特に年配の方たちは認識されていないケースも多く、自分の考えている商売がうまくいかないときには、敵か味方かみたいな考えをモロに出されて基本の礼儀のない方が多い。こちらがゼロで動くときにはゼロで動けるような人が普通の仲間てきなものづくりなのだが、利益が先に頭にあってそれを譲れない人とは損から始まる新しいものづくりなどは難しいだろう。

日本の中の口座商売とか、疲れるんだよなあ。世界を見渡せば湯水のごとくに物が流れているのに、日本の中が昔ながらの誰を通しての商売とか、私も自分の会社で値段が会わないときには、私に相談された方のために同業の他の会社を紹介するとかまで来ているから、誰の目の黒いうちはみたいな、小さい概念は捨てたいなあと常々思っている。私を慕って相談くださった方が私を立てるばかりにその方の仕事がうまくいかないというのも不憫な話で、そういうのは避けたいと思う。ワシに相談したので他でやりよった、一緒にやらんかったらお前は敵だ、嫌なら自分でやれ、みたいな、田舎の足引っ張りのおっさんレベルでは、田舎の過疎化の問題解決や繊維の世界で若い人たちが活躍する場をつくるとかは無理だろう。

私が思うのに、林与は全国の暖かい気持ちで支えられている部分があってなんとかやれている。でも、ある方にいわれたのが、自分だけのことじゃなくて、産地のことを考えて産地のためになることをやってほしいということを言われた。そういうお言葉がありがたい。思いを持っている人々のことを思える人を集まって、思いを持っている人々のために仕事するということが今の理想。それでいて世界一みたいなものが作れるって理想な会社じゃないのかなあと思う。


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