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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

賀状

2016年12月25日

先日、まだ年も明けていないのに70歳のおじいさんの方から年賀状がメールで届いた。間違ってボタンを押してしまったのかと思いきや、たぶんそれがその方にとっては普通で、台湾でとった写真を添付しておられた。年賀状なんてものも形式にとらわれずに、そういうスタイルがあってもよいと思う。

お店やっておられた方がお店を閉じられた。それもまた追い求められた夢にチャレンジされたということは残るだろうと思う。やろうと思ってやったことが必ずしも成功してそれで食べてゆけるわけではないし、独立して成功する確率なんて10分の1くらいであろう。

今、企業家を募集するような起業プロジェクトが盛んだが、30年続くくは1%未満であろうと思う。続ける秘訣の一つは大きくしないことではないだろうか、趣味に近い範囲でネットを中心にビジネス展開をしていくことだろうと思える。

人を雇うということは、できるできないにかかわらず雇った人の面倒をみるのが仕事になってくる。そうすると個人と個人の問題ではなくなり、国の公務員的などうしようもない要素までもが重荷になってすぐに成り立たなくなる。日本で企業が大きくなりえないのは公的などうしようもない要素がのしかかってくるからだろう。以下長くなりますので、適当に流し読んでください。

たとえば、労働基準監督官の方である方に投げかけた極論。労働基準監督官であるあなたが、仕事しないで一日中外で遊んでいて解雇されたら労働基準監督局を訴えるのかという極論に、訴えると思うという相談窓口の労働基準監督官までいたりする。(実話、そんなレベル、あきれて公表しても大丈夫ですかで大丈夫といったので公表した。)。笑えすぎて、他の真面目に働く人間を殺すようなレベルで、それが国の行政の地方の窓口の担当者の回答。ほんとびっくりして名前までいただいている。

小学生でもわかる普通のモラルが通用しないのが今の行政。ここまでのもの求められたらどこの企業も成り立たないだろうけど、それを言い張るのが労働基準監督所の労働基準監督官。そこまでひどいと、相談窓口のものすらが、働くということの常識すらもが通じない。こういう労働基準監督官がいると、まともに働いて税金払ったり、働いている人間が報われない。どうして労働基準監督局も窓口対応、ここまで壊れているんだ。監督所の所長としゃべると当たり前に別の回答だろうが。遊んでいて給料もらうのが当たり前みたいなレベルも労働として大丈夫と判断する労働基準監督官がいて監督するのも恐ろしい話。

ひどすぎて、そのあと、国の地方の労働基準監督署を監督する厚生労働省の方とこの話したら驚いておられ、その方とは普通の話が通じるので救われるが国の役人では珍しいほう、地方ではありえない悪奉行みたいのが横行しているのがありがち。地方を監督される方にもその労働基準監督署の監督官の名前も教えてほしいといわれるけど、私が思うのに、それが一人の問題でもなく、地方の全体的な労働基準監督署の指導じゃないのかと思うと、そういう土壌で育った、その一人の処罰問題で終わるのはトカゲの尻尾きりだから、教えてくれといわれても、今回の件でも別に私に問題があって実際の指導されているわけでもなく、監督官のあまりの無茶な論理に常識が通用するかの極論を投げかけて、その人には一般の常識が通用しなかっただけで、これで、その人が処分されるとかはかわいそう過ぎる。そういう地方の悪代官みたいのを育ててしまうのも、責任逃れで成り立つ日本の中央行政そのものの問題だと思うから、一人の問題ではなく、全体で一度ここまで監督するものの感覚がずれているという話を考えてほしいと地方の労働監督署を監督される方に伝えた。なるべく上の人に繋いでくれと繋いでもらって対応してくれた方はかなり真摯に対応してくれていた。

一方で、年金記録すら紛失で管理せず国が最初から国民に年金を正しく払う気もなかったという国家規模の詐欺問題で大問題になったが、労災保険も、労災保険に加入させながら労災を認定しないような件で国の敗訴がつづき、労働者に大して労働基準監督局がブラックであったり、一般の感覚からすれば労働者を守る意識もなく違法レベルな行政の存在も、そういう指導を聞くと労働基準監督署自身が世間一般の遵法意識がないのもうなずける、現実が分かっていないのに、監督の立場ながら責任逃ればかりで、労働者すらからも訴えられて敗訴しても反省すらない殿様対応。だらしない行政が諸悪の根源になってしまうのも無理もない。行政が人間のモラルすらないレベルはブラックの根源過ぎて怖いものである。

行政の方のミスマッチという件では、20年ほど前でも、字の体育委員が当たったときに夜、町役場の説明会で、全部の字の担当者が30人ほど集まっておられて、トーナメントは決勝まで行くと、4週間に渡る。みなさん、お子さんのいる20代、30代の方が選手として参加されるので子供の行事があると参加できない可能性がある。それである方が、尋ねられ。最初の週は参加できるが次の週からメンバーが足りず参加できない場合どうしたらよいのかと尋ねられた。すると、町の担当の方は、決勝まで参加できない可能性のあるチームは最初から参加しないでくださいと答えられた。ほんと世間知らずすぎるなあと、おもった。

町が字対抗のソフトボール大会をやるというので、字の体育委員などが頼みまわって選手を探すのに、そういう苦労も知られずにおられる方が町のソフトボールを企画しておられ、簡単に参加するなという。主催が本来はそういうことを想定しておかないとならないことで、そういう想定もなく、子供もいる家で、字の行事もあったり、4週間も連続で日曜日スケジュール空いている家がどこにあるのか。

ソフトボール大会の主旨なんかは町民の交流や健康のためということで美しいのだが、この町の担当の対応正しいか?、これはいかんと思って、会議参加者の中では一番若いくらいの私が手を上げて、もうちょっとみんなのことも考えて、柔軟な対応をするべきではないのかという意見をいったこともある。他の方は、みんな黙っておられたが、私一人がそういう意見を出したので、途中でメンバーが集まらない場合には棄権もできるということになってより多くのチームが柔軟に参加できるようになった。たぶん誰もが困る結果でもないし、私はそのほうが良かったんじゃないかと思うが、その場でも、そういう意見をいうのが私だけだったりして、なかなか、行政とのからみで行政が決めたことに対して、その下にある字が意見をいうのは煙たがれるだろう。だれも、字の意見を集約もしていないので、意見をいうのが難しいのだろうけど、自分が字の人集めもするんだし、町のことを将来も含めて考えれば、こんな参加するなが前例になるくらいならそもそも無理してやらないほうがマシだし、自分が思う正しい方向に意見をいうのも大事だと思う。

私が字の中でも裏で決まっているような感じのことに対しても意見を厳しくいうので、それこそが字のことも考えて、字の将来のことも考えて、裏の出来レースに付き合わされてだったら、時間の無駄で、最初から出来レースだからよろしくでよいじゃないのか。みんな若い人が逃げてゆく。私に近い世代の各学年のリーダー的な相談を受けることもあったりして、結構みんな真摯に考えて努力している思うけども、年配世代にありがちな上になびいて裏で決めて下を言いくるめろみたいなのは最悪でいかんよなあ。これが自分の住む字の行政かと思うと今まで字の行事も若い世代なりの主要な役を乗り越えてやってきたのに、本当にがっかりしたことがある。

同じことを繊維の仕事に思うのも、先代のやってきたこと、言ってきたことがまったく通用しなくなった今に、自分で考えて自分で動いてゆくという当たり前の力を持ってしないと、日本のものづくりの理想とされるものを生み出すには理想とされる環境の整備が必要で、市町村レベルが難しければ国レベルでのアプローチ、また、世界的なレベルでのアプローチが存在するだろうと考えたり。そこは本当に自分ができるかできないかの実力の世界で上下関係もなく、人と人のつながり。林与はかなり幸せだなあと思うのもそこ。世界に林与のあり方や布を認めてくださる方がいてくださって、高すぎてご自身でお使いいただけなくて他の知り合いの方にもも広めてくださる。また、国内の繊維業界メディアも記者の方が一番小さな織物会社の林与を一押しで林与をいつも持ち上げてくださって、普通じゃ考えられないほどに恵まれすぎ。その分、自分に厳しく何事に対しても無味乾燥な判断にいたらず、本質の追求が必要だと思っている。


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