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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

織物の歴史

2017年10月13日

私自身、麻織物をやっていてなぜこのような技術が発達したのだろうと不思議に思うことが多かった。特に古代の織物のほうが精密に織られているとか、筬も今のほうが精密なものができるはずなのにどうして?と思っていたけども。古代の日本の技術水準の高さは現代以上なのかも知れないと思い始めた。身の回りのもので生活できる力、自分で自分の服もつくれる力など、現代だとプロを超えた作業を人々は当たり前にこなしてきた。

日本人にありがちなのが日本の織物のルーツを探るときに日本人がすべて生み出してきたような錯覚があるけども、1万年前までは地球が氷河期のアイスボール状態で日本列島は氷に覆われていて人が住めるような状況ではなかった。1万年前に氷が溶け出して日本列島に中国の南のほうから来たのが日本の縄文人の始まりで、弥生時代というのは徐福という人物が生み出したと考えるのが無理のない日本の織物の歴史を解明する説ではないのかと思える。

日本の昔の織物はどうこうと探すよりも、天然繊維に関しては、徐福が持ち込んだ中国の織物の技術が今の織物に発展してきたと考えるのが一番で、縄文時代の日本の人口は6000人程度といわれていたときに、徐福一行は童男童女3000人、中国最高の技術者500人という規模。その技術者たちが童男童女3000人を八丈島で教育した。それが七夕伝説という説。古代の神の持つ日本刀にしてもたらら製鉄のような技法で作られていたと考えられるが、そのような技術は徐福一行の技術者がよい鉱源を見つけ日本で応用したものではないだろうか。ヤマタオロチ伝説も、ヤマタノオロチというのは悪い奴を蛇に例えたのだろう、まさに今の農家つながる年貢制度の始まりで、当時の様子が伺える。鬼が島の洞窟も渡来の悪い奴がいて桃太郎がそれを成敗したというあたり実話だろうけど大蛇伝説と被るところが多い。秦氏というのは、秦の国の人々ということあろうし、機という言葉とも関係している。

古代の麻というと大麻だみたいな人がいるけども、昔は青苧、赤苧のほかもっといろんな植物から繊維をとって服にしていた。麻という言葉が日本で生まれたわけでもなく、少なくとも徐福が日本に来ていたのが事実なら、インドと中国の繊維の最先端の技術が日本に持ち込まれたことになる。皇族行事で稲を植えたり機織をするなども徐福が五穀を持ち込みそれを、日本中に指導者として広めたのと被ってくる。

日本の古代の麻織物は大麻だなんて決めつけはどうかなあと思う。渡来人が持ち込んできた織物技術が日本の織物のベースとなって始まって、その後の発展もあっただろうけど、そういうのを受け入れるべきだろうと思うのだが…。商品として出てしまったら軌道修正も難しくなってしまうので、その後は柔軟な対応もできなくなる。大麻栽培の件でも、飛びつきはよいけど、食べてゆこうとするとそれをお金にしないといけないし、現実考えれば成り立ち難いケースで副業でやるのがよいと思う。それだと大麻栽培免許は下りないだろうけど。まともな大麻栽培で日本で食べて行くのって厳しいから人が食べてゆかないといけなくなると、結局、海外の大麻吸引ビジネスのような展開になるオチだろう。麻を地道にやってるものからすると結局悪い流れにしかみえない。神社関係の理由を正当な理由として大麻合法化で大麻ビジネスというのが政治的な動きだろう。海外と同じような大麻ビジネス展開目指しているだけのことで、それにはわたしは反対の立場。繊維の話とかは正当化の単なる隠れ蓑で騙されたでは遅い。


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