リネン日記
実質の年度末
2017年12月29日
今日は実質年度末で今日までお仕事されているところが多い。一年というのは春夏秋冬で、4月から始まるようなイメージがあるけども、旧暦だと2月くらいから始まるというのが一年の始まりで、ちょうど一番寒いときを過ぎて、春に向かうときが一年の始まりとなっているのだろう。子供のころから雪のイメージの1月に迎春というのは不思議だった部分であるが、中国の旧暦の正月という概念を日本も正月として受け入れているあたりなんだろうと思う。
子供のころに、でいに火鉢が置いてあったが、火鉢が暖める手のぬくもりを除いては部屋そのものも冷え切っていて、前栽は雪景色。部屋の中にいてもすごく寒かった冬を思い出す。そんななか外で雪で遊ぶのが子供。そういうのも一種の慣れだろう。工場のぬくもりで解けた屋根の雪が、1mくらいもある巨大なツララを何本も屋根からぶら下がっていて、それを折らないまま落としたい願望にかられていた小学生のころ、それが冬の楽しみのひとつであったのも思い出す。
昨年は今頃、収集がつかないほどに型染めのことばかりをやっていた。12月28日に染料などの手配が済んで年末と正月を使って、初めて本格的に染めることに没頭。基本の色出しから、昔の柄から型紙を作り80cmの幅のストールに仕上げる。頭の中では、小さな版をつくれば縦横の送りを何度もすれば、大きな柄となると思っていたけども、送る数が増えれば増えるほど乾くのを待たないといけないのと、型紙を洗ったり拭いたり、捺染枠も洗ったり拭いたりが増えるのが、本当に手間で、色数も4色で4版とかなると、ひとつの試作で、小さな版だと何十回もその作業の繰り返しとなったり。結論、大きな版でいくほうが綺麗に早くできるということにたどり着いた。そういうのはやってみないとわからないもので、見出した結果が全体像を変えてゆくことになる。
捺染台や適当な蒸し器がなかったので昨年は蒸し器を自作したり、単に刷るだけでなく、一切を自分の中でやれないと試作が完結しないので、自分自身がやってみて何がベストなのかを見出すために染めに関しては失敗の積み重ねであった。染がそこそこ上手にできるようになると今度は織りの工程に入ったが、染めた横糸をシャトルの管に巻き取る作業までがまた一苦労でそれもひとつ機械を作ってみたりした。ゴールデンウィークに二ノ宮とめ先生のアトリエで半日教えてもらったことを半年ほど染料や機材などの構想を練って発展させて自分ですべてできるかたちでの試作にたどり着いた。(つづく)
子供のころに、でいに火鉢が置いてあったが、火鉢が暖める手のぬくもりを除いては部屋そのものも冷え切っていて、前栽は雪景色。部屋の中にいてもすごく寒かった冬を思い出す。そんななか外で雪で遊ぶのが子供。そういうのも一種の慣れだろう。工場のぬくもりで解けた屋根の雪が、1mくらいもある巨大なツララを何本も屋根からぶら下がっていて、それを折らないまま落としたい願望にかられていた小学生のころ、それが冬の楽しみのひとつであったのも思い出す。
昨年は今頃、収集がつかないほどに型染めのことばかりをやっていた。12月28日に染料などの手配が済んで年末と正月を使って、初めて本格的に染めることに没頭。基本の色出しから、昔の柄から型紙を作り80cmの幅のストールに仕上げる。頭の中では、小さな版をつくれば縦横の送りを何度もすれば、大きな柄となると思っていたけども、送る数が増えれば増えるほど乾くのを待たないといけないのと、型紙を洗ったり拭いたり、捺染枠も洗ったり拭いたりが増えるのが、本当に手間で、色数も4色で4版とかなると、ひとつの試作で、小さな版だと何十回もその作業の繰り返しとなったり。結論、大きな版でいくほうが綺麗に早くできるということにたどり着いた。そういうのはやってみないとわからないもので、見出した結果が全体像を変えてゆくことになる。
捺染台や適当な蒸し器がなかったので昨年は蒸し器を自作したり、単に刷るだけでなく、一切を自分の中でやれないと試作が完結しないので、自分自身がやってみて何がベストなのかを見出すために染めに関しては失敗の積み重ねであった。染がそこそこ上手にできるようになると今度は織りの工程に入ったが、染めた横糸をシャトルの管に巻き取る作業までがまた一苦労でそれもひとつ機械を作ってみたりした。ゴールデンウィークに二ノ宮とめ先生のアトリエで半日教えてもらったことを半年ほど染料や機材などの構想を練って発展させて自分ですべてできるかたちでの試作にたどり着いた。(つづく)