for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

生きて行くのが難しいのを助ける人を批判するとか

2018年08月30日

野麦峠にしても悪くいわれるが、農村の集落に残って生きることのほうが、食べるものさえも十分に食べられない地獄で、製糸工場で働くことは天国のようなものであるというのを忘れてはいけないと思う。それを否定してしまって人権云々は行政的な支配階級の考え方だろうと思える。また、丁稚奉公なんかにしても、本来は受け入れている側は今のボランティアをはるかに越えたものがある。そんなのを叩いているのだから、他人事で幸せな身分なのである。

昔は貧しくても子供が5人、6人が当たり前。農家だと食べて行くのも難しい状況。甲斐性のある親戚を頼って親がお願いしたのが丁稚奉公なのである。批判だけして、食べ物を得ることもできず飢え死にして行くのを助けもせず、飢え死にする子達に生きるチャンスを与えるのを否定するとか、どうしようもないだろう。豊かな時代の考え方というのはそういう貧しい人を自分が救うこともなく、救っているものを批判するだけで残酷でもある。

途上国の縫製工場が叩かれることがある。大手メディアの記者が、バングラディッシュで、一日12時間働く男性をかわいそうということで書いているけど、その人は、農業で食べて行くもできず田舎から出てきて仕事について家族を食べさせて行くことができる仕事でそれなりに幸せだと思っているのに。その背景にある食べて行けず飢え死にしてゆく貧困とかには目を向けずに、飢え死にから人を救っている企業を叩いている。

命の危機に脅かされている人を自分が雇って救わない人が、命の危機に脅かされている人たちを救う人を駄目だと叩く。大手メディアでもその男の人を現地で縫製工場の給料を出して1日8時間で記者としてでも新聞配達としてでも雇ってあげればよいのである。それができないなら大手メディアが縫製工場以下なのである。新聞奨学生という制度もあるが、睡眠時間4時間とか5時間で、バングラディシュの男性以下が、今の日本の大手新聞メディアが成り立っている。現代でも野麦峠よりも厳しいのを乗り越える新聞奨学生たち3年間で別に家が買えるわけでもない。

冒頭に戻るが、官製で良家の娘さんたちをあつめ、最新の設備、高待遇の、富岡製糸工場が潰れたのはまともな糸ができなかったから。すべてが美しいのだが食べて行ける役人や富裕層がきれいごとでやって、またその片付けは関係のない民間がやるとか、貧しいものがチャンスをつかもうとしても学歴がないと難しいとかにして、貧しく学歴の無いものがチャンスを得ると富裕層からすると富裕層を優遇する社会構造が脅かされることになる。食べて行けない貧しい農家のものでも頑張れば豊かな暮らしができるというのが、否定されがちな野麦峠や丁稚奉公の世界。それを許さなければ、貧困で死すら当たり前に待ち受けているのに、それを許さない感覚というのも役人や富裕層の他人事に思えてしかたがない。

バングラディッシュの男性でも本当に人がまともなのである。逆に、大手メディアの記者のような感覚になったらバングラディッシュでは食べても行けないだろう。なぜバングラディッシュに繊維産業が殺到するかも、大手メディアの記者のような考え方からなのである。大手メディアの記者が矛盾しているのであろうと思える。アメリカファーストというような、トランプの思想はファシズムそのもの。1国が常に一番みたいな国家主義は、自分が常に一番だと考えている人間と同じで他を見下しているだけの類。人の欲望の中、トランプは踊らされているピエロ役に過ぎないだろうけど。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内