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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

宇宙旅行

2018年09月18日

宇宙に向かう旅客機が計画されているけども何分の1かの確立で死ぬ危険を背負う話。人工衛星打ち上げでも何回かに1回失敗するのが普通。無人で100回くらいトライアルして帰還させてそれで大丈夫なら人を乗せればよいと思うが、いきなり人を乗せてやっちゃうんだろうなあ。ロマンでそういうのに命を掛けてみるのもよいのかもしれないが、スペースシャトルもそういう構想でできたものだったけど、コロンビア号の悲劇は何回かに一回は起こりえるものとして考えないといけない。金や名声目当てのプロジェクトはそういう部分が隠されて一人歩きしがちである。一番最初の旅行にプロジェクトの推進者自身が乗ればそれはそれでよいのだろうと思うけど。なかなかそうは行かないものである。

日本でも民間が小型ジェット開発を進めたがうまく行かずに頓挫してしまっているくらいが今の世界でも最先端の飛行技術、日本のものづくりも1980年台の昔と比べて上がっているのかというと下がっているのかもしれない。縦割りでやってそんなものを組み上げたところでまともに飛ぶということは奇跡なのである。コロンビアの事故にしても事故原因が断熱材がはがれることだとされたが、事故が起こらないとそういう安全性の問題は究明されないままに安全だとすすめられる。また、事故が起きても体制が出来上がるとその人たちが食べて行くことが目的となる。

日本でも、自動車やバイク、原付は安全性なども確立されたものだが、もういろんな権益が絡み合いすぎて身動きが取れなくなって、ザルなミニカーのような危険なものが認可されるような自体。自動車ほどの安全性もパワーもなく、人が事故しやすいものを手軽にして新たな権益探しなんであろう。あれを認めるくらいなら、中国で走っている電動スクーターのほうが安全であろう。50ccとかの枠で縛って、人の命が危うくなるようなことをなんでしてしまうのだろう。税制の問題とか権益の問題とかが人の命や起こる悲劇を想定もしないのか。片方は締め付けすぎて締め付けすぎたがゆえにこれ以上食いつぶせなくなり、あたらな食い扶持を探すために緩い新しいものを作ろうとする。アンバランスなのである。既存の規制を緩めて相当な安全性が立証されているものを普及するほうがよいのだろうと思う。

日本ではアメリカのような開発は難しく、自動運転にしてもアメリカの基準を日本が追従する形。でも、日本と米では交通ルールや命に対する考え方がまったくことなるので、日本だと自動運転なんて本来ならご法度であろうと思うが、これが許されるのも日本とアメリカの力関係なのであろう。アメリカ基準でつくられた自動運転車が日本でまともに走るのかというと、交通事情も違うので無理だろうが受け入れざる終えないだろう。それでアメリカの自動車メーカーを叩くようなことをしたら、制裁がまっていたりする。自動運転車も何十万キロの実績をもっていようが、それが嘘なのであったりする。センサーが働いて止まってしまうので、センサーを切って走らせていたから安全装置が働かない事故がおこったりして、まともに走らないテスト自動車を走らせて、何十万キロの実績を偽装しているのである。巨額な投資をして回収が必要で、とりあえず認可させるために必死なのである。そんな状態でよいんだろうかと思う。

宇宙旅行を否定はしないし夢を追うにはよいだろうが、ビジネスとしてやっている人々は夢でやっているのではなくそこが安全性の面でも一番怖いところ。事故が起こるまでエスカレートする。夢でものごとをやるときにも、ビジネスでものごとをするときにも、自分は安全なところにいて他の人にリスクをではなく、自らが一番の危険と立ち向かうことが身の丈を越えすぎないためにも大事だろうと思える。


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