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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

防災訓練

2018年10月21日

昨日は朝8時から防災訓練、夜中2時過ぎまで織機を動かし寝たのが3時半、起きたの6時過ぎで寝る時間がほしい状態ではあるが、80近い母親が、なにか行事や台風があるとテンパる。私が参加しないといけない行事があると母親は常にテンパルのだが、私の仕事というのは、他の人には無理に近い仕事で、他の人が私の仕事を代わりにやりますなんていうのはないので、自分の時間がまったく足りず、寝る時間も相当減らしているのだが、母親は働かない普通の人なので、私が防災訓練に参加しないと自分の立場を気にする。

参加したのは、60歳とか70歳過ぎの人がほとんど。集落の同世代の人も4人くらい手伝っておられた、役が当たっておられるのだろう。集落の消防団が関係していないのは??? 8時過ぎから土嚢詰め、それを積む。感じとして、15kgほどの土嚢、もうみんな高齢化していて持てないくらいの感覚。糸の箱は30kgを越えているので、織物の仕事をしていたら土嚢積みは案外楽な仕事に思えるだろう。

次に、熱中症対策の病人を毛布で運ぶ作業。消防署の人が、けが人をしてくださる方と声を掛けるが、誰も反応しないので私が手を上げてけが人をする。仕事や物事していても目の前に必要な作業があってもなかなか自分で動く人はいないので、そういうのに普段から困っているのだが防災訓練でも積極的な人は少ない。近所の人ばかりなので、なかなかみんな周りが気になるのだろう。みんなが恥ずかしくてやらないときに、考え方が違うからそういうのをやるのが私の役目、目立とうとかではなく、今までの経験から。

場をつくっていく人の存在は必要。30歳くらいの署員の方だろうか、年配の人ばかりに囲まれて、提案してもものごとが前に進みにくい状況。自分が何かやろうとしてみんなが乗り気でないときにでも理解して助けてくれた人が今まであったりした。こういうときに場をつくれないと、自分がものごとをやろうとするときにも場を作ってゆくのは無理だろうと思う。また、人には協力しないで自分がやろうとするときにだけ協力者を求めるタイプというのもアンバランスなタイプ、理想的なスタイルとしてその人がいれば常に場がうまく成り立つような安心感みたいなものが人の力じゃないだろうかと思う。

消火栓からの2線延長の操法訓練もあったが、実際は4人揃わない可能性が高い、機敏に動ける人の少ない今、操法も一人でもできるような形にしておかないと駄目だろうと思った。集落で火事があったときに、動けるのが一人だったら、消火栓のボックスからホース何本か取り出し延長して筒先を取り付けて消火栓をひねって筒先に戻れば1分もあればできないことはないだろう。そんなことも今日の防災訓練で考えた。集落の消防団にいたときも、町内で、火事があっても、昼間、地元にいたのは、私かもう一人くらいでいつも消防自動車で出動する役割だった。今はもっと状況が厳しくなっているだろうが、最近は火事も少なくなった。昔は、風呂を炊いていたので夜中に火事が起こることが多かったらしい。今はお風呂も蛇口をひねるだけでお湯が出る。

火も日常生活で使わなくなりつつある。それが良いことばかりでなく、人が火のような危険ものを扱う能力がなくなることにつながるだろう。手元の火で満足し、エネルギーをそれほど使っていなかったのが昔、今は、いつでも部屋が暖まるようにインフラが電気を供給できるようにスタンバイしていないとならない。地球温暖化も50億人がそういう快適を求めたときに歯止め掛けるの難しいだろう。


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