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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

投資

2018年12月25日

投資というのは、ものづくりの基本だったりする。仕事を受ける前に仕事をする準備をしておくとか、仕事を受けて材料を買うとかいうのは投資行動なのである。株やFXというのは値上がりを期待して株価や金融商品が下がれば投資が失敗とみなされるので、ゼロサムな投資で、博打に似ている。本来の株の投資要素というのは配当を得る物であろう。

繊維関係というのも良い時代にはどっぷりと株なんかに浸かるもので、時代が悪くなるとその反動で悪い時代に本業以外の大きなマイナスを抱える。これが本当に厳しいところ。良い時代には本業も株なんかもうまく回るけど、悪い時代には、本業も株もうまく回らない。

繊維の大手の元気な商社も経営が順調だったのが何百億円のデリバティブの失敗でという話があった。経営が順調だったのはデリバティブがあったから、それが溶けたときには本業のほうも改善が必要となって大きな再編を強いられたりするものである。そうなって初めて、まともな仕事では1割2割の利益を上げるのがよいところというのが実感となるのである。裏でお金が2倍3倍になる要素が消え、お金を2倍3倍失う要素を抱えたときに、本業の1割の利益を上げる仕事に投資できるのかという問題、お金を動かせる規模も何十分の一になる苦痛でしかないだろう。

誰かが儲かれば誰かが失うゼロサムなものが裏で本業の何十倍の規模となり、本業がそれに浸かると。本業だけになったときに、本業も温くなりすぎていて普通の厳しさには耐えられないものである。繊維の仕事にしても海外だと子供ができる程度の仕事が多いのだが、なぜ子供が仕事させられ大人は何をしているのかというと井戸端会議だったりする。だから海外の織物は高度化しにくい要素を抱えている。

日本も現場が実際の仕事ではなく井戸端会議ばかりになると簡単なこともできなくなるし、実際の仕事するのは他の人みたいな感覚が増えると大したものは出来なくなる。自分自身が仕事して生み出してゆかないと人から取ることを考えては本質的ではないのは、本業以外で儲けようとする経営者と同じで続かなくなるものである。

経営者の考えが本業を大事に労働者も仕事を大事にするような体制だと一枚岩みたいなところがあるが、繊維関係でも、よくある状況が仕事が仕事が分からない面倒だとか、これしか出来ません、というような現場を抱えた会社になると先行きは暗いのが当たり前だろうと思うが、そういう雰囲気を出さないようにしてゆかないといけないのは、なかなか難しいことだろうなあと思う。

面倒そうな話で駆け引きばかりで、外と釣り合いが取れないほどの妥協をしてものをつくったところで、次はないのである。普通の仕事で投資しないといけないという感覚は、誰かが持っていないと何も生まれてこないことになる。何十年の経験者でも、織れるまで用意して何週間もほったらかしで、織ったら勝手にさわるな、いやなら自分でやれといわれ、自分で織機を入れ替えして乗り越えたり。ある問屋さんでも、自分を通してやってくれという話だったら、その問屋に嫌なら自分で売ったらよいと簡単にいわれて、それでよいのかと自分で生地を売り出したことで変な義理立てからも解けて、ややこしさもなくなる助かる話。

仕事があってもできないとか成り立たないの外部要因と内部要因をまず解消してゆくことが大事だなあと思う。覚悟して仕事に取り組める人でないと難しい、私が先代にしても母親にしても、目の前の仕事でもできるのに面倒がって逃げていたから、若い世代の仕事できんのと覚悟が変らんところがあったりするので、やるからには正しい姿勢を心がけているのはそこである。仕事を始めたときに教えてもらった一人の人がすごく仕事が上手な人で仕事の姿勢も前向きでそれが私の仕事の考え方を支えている。


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