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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

画一化なのか多様性なのか

2019年11月07日

私も早くにIBM互換機のWINDOWSを使うようになってしまっていたのだが、なんかつまらなさすぎる感があって、私が求めるものを出してきたのが無名の中国のパソコンメーカーで、私の使っている4kノートパソコンのメーカー名すらも知らない。しかしながら、これは昔のアップルと同じ世界なので、大事にしないといけないところ。中国で次のスティーブジョブズやボズニアックが、名前もしられずガレージのような場所でPCを作っているのだろうと思う。

アップルが動かなくなった時の再起動の爆弾マークは、今のアップルにはないかもしれない。25年前は、ワードやエクセルすら、フリーズばかりで、まともに動かないのもアップルの愛嬌だったのに、でも、True What you see is what you get というWYSING技術など、将来を見据えた無理があってフリーズもあってなのだ。同じことを後追いでマイクロソフトがやっただけというのは多くの見解で、WINDOWSと呼んでいるものも、マックシステムの真似物でしかないのはコンピュータ業界の笑い話の一つ。

アップルが他社にOSをライセンスしなかったことが結局は吉で、アップルが生き残る結果になった、一方でマイクロソフト帝国傘下に多くのメーカーが入った形。参加に入った多くのメーカーは大手であろうがモノづくりにおいてもはや自己主張もできない形。逆に小さなメーカーはまだまだ冒険心で、OSのバグをバグのままハードウェア開発を独自に続ける。OSというのは単なるパーツでしかないという感覚は大事で支配されては駄目なのである。

支配したいものがいるときに、支配されないことが大事で、対等に付き合うことが大事。逆に自分が相手を支配できるような立場であっても支配せずに対等に付き合うことが大事。アップルなんてプライバシーに対して、アメリカの国と戦っているから考え方自体が本物かもと思えたりもする。国の政治家ですらも政治が反転すれば、隠匿行為や犯罪行為が明るみになって投獄されるれべるの犯罪者がほとんどというのはどこの国でも普通にある事。汚くなりすぎた政治の下にあるようではポリシーを持った経営もできないというあたりに繋がるのだろう。

WINDOWS帝国は、マイクロソフトの一人勝ちだがだからその奴隷みたいな下のメーカーは正しい対応を強いられるということがあって、WINDOWSというのは成り立っているものである。マイクロソフトの勝手なOSの仕様の変更やバージョンアップに対応するメーカーというものは本当に大変だろうなあと思う。マイクロソフトの開発ソフトすらもバグもいつまでも治らなくまともに動かないことが多いのだから、そんなマイクロソフトのOSをベースにアプリやドライバーを用意して問題なく動くというのは奇跡でしかない話なのだが、メーカーもそれをまた委託で他の会社からの派遣チームに任せて解決させるような話で対応、だから、まだ解決する可能性があるのである。

結局、有名メーカーにおいても実質的な開発は社員でもない、無名の人達が数人でやってることも多いもの。アニメの世界でいうと日本のアニメは世界的にも有名だが、作者じゃなくて無名の人たちが底辺の仕事しているからあのような評価の高いアニメができるという話。他にできない世界というのはそんなあたりが本質なのである。私の人生にしても多様性の一つであって、画一化した目でみれば間違っているようにおもえるようなものだろうけども、画一化したときには、限界も目標も浅くなり能力すらも必要がないだろうし楽に逃げ、ほかの人が不幸になろうがどうでもよいとかのすさんだ世界が待ち受けてしまうんじゃないかと思う。それで食べていこうと考えるようになると今まで一生懸命やってた人でも人を食う側に回って終わりなんじゃないだろうか。でもそういう誘導をする人というのは多い。それは人生観の違いと割り切って、そういう人に関わらない別の世界を作る必要があると思う。


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